ねこ庭の独り言

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南京事件の総括 - 14 ( 日本軍兵士の証言 )

2019-01-21 07:59:02 | 徒然の記

 南京事件に関する不合理な点を上げていくと、切りがありません。

 この機会に、他の事実も氏の遺書から紹介します。次の指摘も大きな問題提起ですが、世間は何の注意も払いませんでした。

 「戦火が南京に及んだ12月12日、多くの外国人記者はパネー号に乗り、南京を脱出した。」「南京に残った記者は、次の5人である。」

   1. ダーディン ( ニューヨーク・タイムズ )

   2. マクダニエル ( AP通信 )

   3. アーチポールド ( シカゴ・ディリーニュース )

   4. スミス ( ロイター通信とブリティシュニュース代理人 ) 

   5. アーサー ( パラマウントニュース映画 )

 虐殺があったとされる期間にこれらの記者が書いた記事は、日中兵士の戦闘や、衝突事件など、ほとんどが小さな一段ものの雑記事でした。

 「当時、中国のニュースを独占していた、ロイター、AP、UP、アブスなどといった大通信社の記者が、」「南京や上海に常駐していながら、アウシュビッツに匹敵するような、中国人の大量虐殺事件を、見過ごしていたなどということは、とうてい考えられない。」

 事件に関する特大ニュースも社説も無かった事実を指摘し、氏は、南京事件の捏造を訴えています。小規模な戦闘行為や、殺人事件があったとしても、裁判で語られるような大量殺人は無かったと、氏が語ります。しかしここで私は、「両論併記」を考え東京日日新聞の記者と、早大教授の主張を紹介します。二人は、南京虐殺を肯定しています。

  1. 鈴木次郎 東京日日新聞  ( 東京裁判が終わった後、南京での虐殺を見たと名乗り出た 。)

  「光華門に通じる道路の両側に、えんえんと続く散兵壕とみられる中は、無数の焼けただれた死体で埋められ、」「道路に敷かれた沢山の丸太の下にも死体があり、腕、足の飛び出している有様は、まさにこの世の、地獄絵図である。」

    2. 洞(ほら)富雄 早稲田大学教授 ( 自身の目撃した意見でなく、虐殺肯定派の証言に基づく主張。)

  「12月13日の、城内掃蕩後の惨状は、目を覆いたくなる体のものであった。」「南京の一部の城門近くで見られた、中国人の遺棄死体の状況はそんな、生易しいものでは無かった。」

 「日本軍はいく日もの間、通路の死体さえ、片づけようとしなかった。いや、なかなか片づかなかったのだ。」

 「それほど、おびただしい死体の数だった。」「そうした累々たる遺骸の上を、あるいは、山と積まれた遺骸の上を、軍用車が、情け容赦なく、踏みにじって通っていた。」

  今回まで日本人の証言の中から、南京戦に参加した下記軍人の意見を意図的に省略しました。事件当事者は不利なことを話さないと考え、ブログの公平さを考えそうしました。

 鈴木記者と洞教授の意見を読み、決めたルールを破り、土屋中隊長と西坂兵卒の証言を紹介することにしました。相反する証言なので驚かれるかもしれませんが、いずれかが嘘をついています。息子たちと、訪問された方々は、どうか自分で判断してください。

   1. 大西一(はじめ)大尉 上海派遣軍参謀

   2. 岡田尚(たかし)   松井司令官付き陸軍通訳官

   3. 岡田酉次少佐    上海派遣軍特務部員

   4. 谷勇大佐      第十軍参謀

   5. 吉永朴(すなお)少佐 第十軍作戦参謀 

   6. 金子倫介大尉    第十軍参謀

   7. 土屋正治      歩兵第十九連隊 第四中隊長

   8. 西坂中(あたる)   歩兵第三六連隊 兵卒

 〈  土屋正治 〉 ( 歩兵第十九連隊 第四中隊長 ) 

 「12月13日朝、光華門から先陣として進入して眺めると、」「城壁こそ、砲弾によって破壊されていたが街並みの家々は全く破損しておらず、瓦礫一つ落ちていない。」「ただ不気味な静寂、異様な寂寞感が我々を包み、勇敢な部下も、一瞬佇んだ。」
 
 「市街に深く進入するほど、まさに死の街という印象を強くした。」「敵弾の飛来もなく、人影一つ見えず、粛然とした街並みが、果てしなく続いていた。」「何キロくらい前進したであろうか。」「とある大きな、鉄筋コンクリートの建物に到達したが、ここで、思いがけないことに遭遇した。」
 
 「講堂らしい室内に入ると、重傷兵の枕辺に、白衣の多数の看護婦が毅然として立っていた。」「私たちは深く頭を垂れて、そこを退去した。」「戦闘を覚悟して入城したが、この日は無血の内に、夕刻を迎えた。」

  〈 西坂中 (あたる) 〉 (  歩兵第三六連隊 兵卒  )

  「光華門の城壁の一角を占領したが、たび重なる敵の襲撃を受けて、死傷者が続出し、悲惨な戦闘を続け、12日の夜を迎えた。」「ところが夜中に、敵の射撃がピタリと止まった。」「どうも、様子がおかしい。」「よくある、支那軍の退却パターンである。」

 「次の日城壁をよじ登って、夜明けの南京市内を見れば、各所に黒煙が上がるのみ、敵兵は、一人もいない。」「実に森閑たる、街の風景である。」「場内には、敵死体もなければ、ほとんど破壊の跡もなかった。」「問題は、城門の外や、城壁上である。」

 「部隊は直ちに戦場掃除に取りかかり、敵味方とも遺体を集め、友軍のものは荼毘に付し、敵の屍体は、ねんごろに埋葬した。」「福井県には門徒が多いので、兵隊の中で読経できる者を集めて、その夜は一晩中読経し、恩讐を超えて、読経したことを覚えている。」

  余計なコメントをせず、今回はここで終わりとします。

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