ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

田中英道氏の発見 ( 今年最大の出来事 )

2019-01-24 18:02:25 | 徒然の記

 田中英道氏という学者を、初めて知りました。表題に「発見」という言葉を使ったのは、それくらいの驚きを感じたからです。

 氏は76才といいますから、私より一つ年上の学者です。温厚そうな風貌に似ず、一徹な頑固者で皮肉屋らしいので、「何が、発見だ。」「君が知らなかっただけじや無いか。」と、噛みつかれるのかもしれません。

  発見のキッカケは、昨日偶然に見たネットの動画でした。去年の10月に行われた、第60回・日本国史学会連続公演の一部で、「秦氏とユダヤ人の埴輪」という演題でした。私の知識では、秦氏は昔日本にやってきた、渡来人である、ということくらいで当時の渡来人なら、中国か、朝鮮半島からきた人間だろうと思っていました。

 ところが氏は、「秦氏はユダヤ人である。」と断定します。これはもう、私の常識を覆す、珍説でした。ネットの情報で氏の経歴は、「東京都出身」「日本の美術史家」「東北大学名誉教授」と書いてありますが、本人の言では「ユダヤ研究者として、日本での第一人者」だと言います。

 秦氏は、応神天皇の時代に帰化して、日本に同化し、応神天皇のため尽力した、優れ者のユダヤ人だと言います。私が興味を抱いたのは、次の言葉でした。

  「戦後の日本の歴史学は、マルクス主義唯物史観で作り変えられ、」「本来の国史が忘れられてしまい、国民をダメにしている。」「私は、そんな日本の間違った歴史と、これを唱える左翼学者と戦っています。」

 「戦うと言ったって、暴力は使いませんよ。」「左翼学者は、言葉で戦争を仕掛けてくるのですから、言葉で、対抗しなければなりません。」「今の日本では、学者だって、戦う気概がいるんです。」「学者に気概がないと、日本はダメになるばかりです。」

 秦氏のユダヤ人説については、これから調べるとしましても、戦後の歴史が、唯物史観で作り直されている、という意見には同意しました。息子や孫たちのことを考えますと、こんな歴史観で日本を理解していたらやがて国が崩壊すると、つねづね憂えていますから、氏の言葉に即座に反応しました。

 先週来、私が読んでいるのは、岩波新書の『昭和史』です。遠山茂樹、今井清一、藤原彰の三氏による共著ですが、氏が言う通りの「唯物史観・昭和史」です。昭和34年の出版ですから、左翼学者全盛時の本です。思えば敗戦以来、今日に至るまで、東京裁判史観で頭脳を汚された、反日左翼学者たちが、こういう悪書を世間に溢れさせてきました。

 私のブログは、反日・左翼の学者が世に出した毒素を抽出し、大事な息子や孫たちが惑わされないよう、解毒剤の役目をすることに目的を置いています。ですから、田中氏のような保守の学者に出会うと、多少珍説を言われても惹かされてしまいます。過激派の左翼学者と戦うというのですから、頼もしい話です。こんな元気の良い保守の学者がいるとは、昨日まで知りませんでした。

 そこで、気合を入れ、氏の経歴を探してみました。

 「昭和39年、東京大学文学部卒業。昭和41年、同美術史学科卒業。」「昭和45年、国立西洋美術館研究員。」「平成4年、東北大学文学部教授」「平成8年、ローマ大学と、ボローニヤ大学にて、客員教授。」「平成18年、東北大を定年退官し、国際教養大学特任教授就任。」

 私は一つの学部を卒業するだけでも、努力が必要でした。親の貧しさを思うと、二つの学部で勉強するなど、とても考えられませんでした。本人も優秀だったのでしょうが、両親が裕福だったに違いありません。

 「平成13年9月より、新しい教科書をつくる会(つくる会)の会長を務めた。」「平成17年、『新しい日本史観の確立』において、日本近代史にのみ熱意を燃やす、つくる会」の運動に疑問を呈し、」「もっと幅広い、歴史観の見直しの必要性を主張している。」「つくる会の分裂後は、平成18年に設立された日本教育再生機構で、顧問を務めている。」

  新しい教科書をつくる会についてなら、私も知っています。藤岡信勝氏や、西尾幹二氏の名前は記憶していても、田中氏については知りませんでした。藤岡氏や西尾氏と同様、これからは田中氏についても、注目していきたいと思います。

 「氏は、日本国史学会の発起人の一人である。」

 ネットの情報がありましたので、日本国史学会についても調べてみました。

  「日本国史学会とは、日本の歴史学の研究団体である。」「日本学術会議協力学術研究団体の指定する、学術研究団体ではなく、日本歴史学協会にも加盟していない。」「日本学術会議などによる、学会名鑑にも登録していない。」

 胡散臭い団体ではないのかと、事情を知らない人間ならそう考えます。事情を知っている訳ではありませんが、これまで得てきた知識で推察しますと納得できます。

 秦氏がユダヤ人であったという、珍しい主張だけでありません。

 「戦後の日本の歴史学は、マルクス主義唯物史観で作り変えられ、本来の国史が忘れられてしまっている。」

 「唯物史観的な経済史観、階級闘争史観とは異なる、日本の国史を形成、議論するために学会を作った。」

 こんな意見を堂々と述べるのでは、国内の歴史学者に相手にされるはずがありません。歴史学者だけでなく、日本のほとんどの学者から異端視されます。反日とマルクス主義が、戦後の大学の主流ですから、これだけの事実を見ても戦ってきた氏の半生が伺われます。

 ネット社会の便利さとでも言うのでしょうか、一つのことを調べますと、次々と新しい事実を知ることにつながります。日本国史学会の発起人が4人います。田中英道氏が代表理事で、小堀桂一郎、中西輝政、竹田恒泰の各氏です。3人とも私が知っている人物ですが、このようなところでつながっていました。まだ大きな力にはなっていませんが、確かに各氏は戦う保守といえる人々です。

 反日マスコミには顔が出ませんが、ネットの世界では、顔と名前が売れています。今はマスコミに無視されていても、国民の多くが、歴史を見直す日が来たら、無視できない存在となるはずです。全てはこれからの話ですが、私にとって「田中英道氏の発見」は、今年最大の出来事の一つのなる予感がします。

 そういうことで、何となく、嬉しい今日でした。たまに、楽しいことがないと、私も生きている甲斐がありません。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする