音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ Kempff ケンプ の平均律第 2巻 3番 前奏曲はLondonmanuscript & その深い意味■

2013-07-07 00:31:45 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Kempff ケンプ の平均律第 2巻 3番 前奏曲はLondonmanuscript & その深い意味■
                                2013.7.7  中村洋子

 


★2回にわたって、Valery Afanassiev 

ヴァレリー・アファナシエフ(1947~)の本

「 ピアニストのノート 」 講談社選書メチエ を、ご紹介してきました。

今回は、 Wilhelm Kempff  ヴィルヘルム・ケンプ ( 1895~1991) についての、

Afanassiev の記述です。

★[ 30年以上前、ブリュッセルで聴いた Wilhelm Kempff
ヴィルヘルム・ケンプ のリサイタルを、思い出す。
演奏には、さまざまな瑕があったが、にもかかわらず、
その知恵と偉大さには、いささかの疑いもない
一人の音楽家を前にしているのだと、私は感じた。

若者至上主義のスターたちの、いかなる壮挙よりも
このリサイタルの方を、好ましいと思っていると、
わざわざ明言する必要があるのだろうか?

もし現代の若手演奏家が、70年代にこのリサイタルを聴く機会に、
恵まれていたとしたら、おそらく、彼らは「 失敗のコンサート 」と、
決めつけていただろう。
彼らは、私がいまなお感動とともに思い起こす、
あの儀式が終えられるよりも、はるかに前に、
ホールから出て行っていたに違いない。
彼らにとっては、ミスタッチの数だけが、
ピアノ演奏の価値を決める唯一の基準なのだ。]

★ Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ( 1895~1991)を、

理解するには、聴く方にも、

それ相応の、音楽を理解する力が必要である、

といえます。

彼の演奏は、難解とはほど遠く、音楽を真に愛している人にとっては、

暖かく、分かりやすいものです。


★日本の CD解説者のように、ミスタッチに気が付いて、

鬼の首を取ったようにあげつらうのは、

「 恥 」 であるばかりか、

その解説者が、どんなに低いレベルであるかの証明、あるいは、

その解説者の音楽的レベルを判断できる、

材料といえます。

 

 


7月 9日に、KAWAI 表参道で開催します、

「 Wohltemperirte Clavier Ⅱ 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 

analyze アナリーゼ講座 」 で、 「 第 3番 Cis-Dur 」 を勉強しますが、

Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ (1895~1991)は、

この 「 第 3番 Cis-Dur 」 を、1980年に録音しております。

平均律クラヴィーア曲集 第 1巻、第 2巻からの、

抜粋を集めた CDに、収録されています。


Kempff は、この 「第 3番 Cis-Dur 」 の prelude については、

「 London Manuscript 」 で、演奏しています。

「 Altnickol アルトニコル写本 」  を、採用していません。


★ちなみに、この「 第 3番 Cis-Dur 」の prelude につきまして、

「 London Manuscript 」 と

「 Altnickol アルトニコル写本 」

(大半の実用譜は、これを採用しています)

とは、左手の 8分音符が、かなり、異なっています。

 

★左手部分で異なるのは、1、4、6、7、9、10、

18、19、20、21小節です。

右手部分で異なるのは、13、24小節のみです。


★ 「 London Manuscript 」 は、1739年から 1742年にかけて、

Bach 本人と、妻のアンナ・マグダレーナ Anna Magdalena Bach

(1701~ 1760) とによって、書かれたものです。

日本では  “ ロンドン写本 ” という呼び方に、なっていますが、

私は、 “ 写本 ” という語に、違和感を感じます。

厳然たる Bach の自筆譜、オリジナル楽譜であることに、

変わりないからです。


★「 Altnickol アルトニコル写本 」 は、Bach の女婿

Christoph Altnickol アルトニコル (1719~1759) が、

1744 年に、 Bach の楽譜を写したものです。


★現在、ほとんどの実用譜は、アルトニコル写本を基にして、

出版しています。

その理由は多分、 ≪ 「 Altnickol アルトニコル写本 」 は、

「 London Manuscript 」 より、年代が新しいため、

Bach がいろいろと推敲した末の楽譜を、そのまま写譜したものであり、

決定版に近い。

一方、「 London Manuscript 」 は、アルトニコル写本より古く、

初期稿とみられるため、アルトニコル写本のほうが、価値がある  ≫

という考えでしょう。

 

 


しかし、果たして、「 London Manuscript 」 を、

無視していいものでしょうか。

初期の楽譜とはいえ、大作曲家の作品は、

その時点で完結、完成しているのです。

Bach はたくさんの、いろいろなレベルのお弟子さんがいた訳ですので、

そのお弟子さんのレベルに合わせ、さまざまに、

完成した楽譜を変化させているのは、当然です。

後になればなるほど、その作品の完成度が増すと思うのは、

作曲を知らない人の、妄想でしょう。


★具体的に、「 第 3番 Cis-Dur 」 の prelude を、見てみます。

1小節目 左手は、

「 London Manuscript 」 : [ gis  gis ] [ eis eis ] [ gis gis ] [ h h ]

「 Altnickol アルトニコル写本 」 : [ gis gis ] [ cis1 cis1 ] [ h h ] [ h h ]
                                    
                     となっています。


★「 London Manuscript 」 の  [ gis   eis ] の動きは、

右手冒頭 [ eis1 - gis1 - cis2 ] の  eis1 - gis1 の反行形です。

[ eis と gis ] の Motiv を、countepoint として、ここから、

曲を発展させているのです。


★「 Altnickol アルトニコル写本 」 の  [ gis ]  [ cis ] は、

右手冒頭 [ eis1 - gis1 - cis2 ] の中の [ gis1 - cis2 ] の模倣です。

[ gis と cis ] の Motiv を countepoint として、

曲を発展させています。

つまり、 「 London Manuscript 」 と 

「 Altnickol アルトニコル写本 」 とは、

countepoint の出発点が、少し異なっている、といえます。


★「 London Manuscript 」 と 「 Altnickol アルトニコル写本 」 も、

ともに、右手の声部、左手の声部が、

緊密にして、意味のある Motiv を形成し、

prelude 全体を構築していく 「 提示部分 」  と、なっています。


★この点については、講座で詳しくお話いたしますが、

どちらが優れているか、ではなく、

両者がそれぞれ、素晴らしく魅力的なのです。


従いまして、ここで大切なのは、「 London Manuscript 」 と

「 Altnickol アルトニコル写本 」 を、絶対に、

気ままに合成、混合してはいけない、ということです。

Ekier エキエルによる Chopin 校訂版のように、

text を、恣意的に混合させることは、

厳に、慎まなければなりません。

音楽が、変質してしまうからです。

 

 


★しかし、残念ながら、現代の校訂者は、「 London Manuscript 」 を、

 ≪ 決定稿 ≫ と見ていないせいか、

「 第 3番 Cis-Dur fuga 」 を見ますと、

「 London Manuscript 」 には存在するものの、

「 Altnickol アルトニコル写本 」 には見当たらない音符を、

「 Altnickol アルトニコル写本 」 を基にした実用譜に、

勝手に、付け加えている場所があります。


★「第 3番 Cis-Dur 」 の fuga  32小節目 左手 3拍目 は、

「 Altnickol アルトニコル写本 」 では、4分音符で 「 Gis 」 のみ、

記譜されています。

しかし、「 London Manuscript 」 では、4分音符の Gis の上部に、

8分休符が、そして、それに続いて、

8分音符 fisis ( 重嬰へ音 ) が、書き込まれています。

これは、テノール声部と、見てよいでしょう。

そして、4拍目で、 fisis ( 重嬰へ音 ) は、

gis の 4分音符に、解決しています。

「 Altnickol アルトニコル写本 」 には、

この 4分音符 gis も、存在しません。


★最も、権威があるとされています 「 新 Bach 全集 」

Bärenreiter ( ベーレンライター版 ) では、この 32小節の下段に、

小さく、脚注のように、「 London Manuscript 」 の fisfis と gis の、

二つの音を、

資料 [ A ] (  London Manuscript )ではこうなっています・・・

というように、併記しています。


★ところが、私が所持しています 2007年新版の Henle版 では、

あたかも、 「 Altnickol アルトニコル写本 」 に、

もともと、存在していたかのように、

すまして、この 2音が記載されています。


★巻末の Comments を読みましたら、

While there is no doubt that [ B ※注 ]  is the later version,

the editor believes that Bach forgot to write the tenor part

on M32, beat 3-4  found in [ A ] と、書かれていました。

(※注 = Altnickol アルトニコル写本や、それ以降の写譜 のこと)
 

アルトニコル以降の写本 [ B ] は、

後のヴァージョンであることは、疑いがないので、

編集者は、「 London Manuscript 」 にあった、この二つの音

fisis - gis を、Bach が、1742 ~ 1744年にかけて推敲した際、

「 書き忘れた 」 と、信じている、

と書いています。


★Ekier エキエルによる Chopin 校訂版と、同様の、

text の混合が、ここでも、行われていました。

勝手に、「 Bach が書き忘れた 」 と信じて、それを書き加え、

混合させたのです。

 

 


★作曲する際、 “ 紙を惜しんだり ” 、 “ 書き忘れたり ” と、

いやはや、 Bach は、ずいぶんと軽く、見られているのですね。

ケアレスミスとは異なり、

音楽の骨格、構造にかかわる部分で、

書き忘れるということは、

Bach のような大作曲家で、起こりうるのでしょうか。

Bach が、意図をもって、

音符を書かなかった可能性が、大いにあるのですから、

決して、編集者の独断で、

混合すべきでは、ないのです。


★なお、Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプが録音しました

 Wohltemperirte ClavierⅡ平均律クラヴィーア曲集 第 2巻

「 第 3番 Cis-Dur 」 は、

 prelude につきましては、前述のように、

「 London Manuscript 」 で、演奏していますが、

fuga については一見、「 Altnickol アルトニコル写本 」 で、

演奏しているように、聴こえてきます。

そこにこそ、まさに、Kempff ケンプの偉大な叡智が、

隠されていると思います。


★Afanassiev アファナシェフは、

そういうところを見抜き、30年たっても、

いまだに、 Kempff ケンプの演奏に感服している、

と表明しているのです。

私も Afanassiev の意見に、

同感です。

この点につきましても、講座でご説明いたします。

 

 


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コメント (3)
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