音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ ヴィルヘルム・ケンプ、85歳、最後のコンサートと彼の言葉 ■

2009-02-11 00:01:02 | ■私のアナリーゼ講座■
■ ヴィルヘルム・ケンプ、85歳、最後のコンサートと彼の言葉 ■
               08.2.10  中村洋子


★2月17日の「第7回 インヴェンション・アナリーゼ講座」の

準備で、忙しい毎日です。

第7番は、インヴェンション、シンフォニア各15曲の、

真ん中に、当たる曲です。

第6番で、新しい出発をしたインヴェンションは、

ここから、さらに大きなスペクタクルが、忽然と開けてきます。


★このため、私の講座も、いままでの「アナリーゼ(分析)」から、

「アナリーゼ」の反対語である「シンセサイズ(統合)」へと、

舵を切って行きたい、と思います。

「統合」、即ち、分析したものを、演奏にどのように結びつけるか、

ということです。


★ただし、この弾き方しか駄目である、とか、

この装飾音は、この演奏法しか認めない、というような

狭量な方法は、とりません。

アナリーゼしたものを、どのように演奏に結び付けていくか、

一人一人が見つけていく、その方法を、

ご一緒に考えて行きたい、と思います。


★私の尊敬するピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプは、

彼の教授法を、次のように、語っています。

「どこでペダルを踏むか、踏まないかは、

その人その人の演奏によるものであって、

一般的な規則はないのです」。

「私のスタイルを真似ることなく、自分自身の方法を、

見つけてください」


★最近、ヴィルヘルム・ケンプの演奏で、シューマンを聴いています。

「シューマンのピアノ作品 CD4枚組セット」、

ドイツグラモフォンで録音したもので、ワーナーの発売です。

シューマンのピアノ曲に関しましては、奏者の陶酔感ばかり

目立つ演奏が、日本ではよく見受けられ、

辟易することも、時々あります。

このセットには、ケンプが70代になってからの録音も、、

数多く、含まれています。

一人の偉大な芸術家が、到達した最後の世界を、

居ながらにして体験できる、素晴らしいCDです。


★CDのブックレットに、ケンプへのインタビューを基にした

文章が、英文と独文とで掲載されています。

自己顕示のかけらも無く、音楽を、人間を、自然を愛した、

一人の芸術家の一生と、心構えが、

髣髴と、浮かび上がってきます。

本人が語った、生の言葉は強いですね。

味わい深い内容ですので、印象に残ったところを

ご紹介いたします。


★ヴィルヘルム・ケンプは、1895年12月25日、

プロシアのユーテボルクという町に、生まれました。

1991年5月23日、南イタリアのポジターノで、亡くなりました。

ドイツグラモフォンで、録音を60年にわたって続けました。

ベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を、

40年間にわたり、3回レコーディングしています。


★彼の先生は、ハインリッヒ・バルト Heinrich Barthで、

ケンプの言によりますと「indescribable technique

wonderfull intellect」な先生だった、そうです。

さらに、オイゲン・ダルベール Eugen d'Albert から、

大きな影響を、受けています。

「A phenomenon of nature 」というほどの、

大先生だった、そうです。


★また、フェルッチョ・ブゾーニ Ferriuccio Busoniの、

複雑な対位法の楽曲を、分かりやすくして、自在に操る

「transparante」な、技術と能力は、若いピアニストにとって、

「感嘆」の対象だった、と語っています。


★これら3人を、モデルにして、

ケンプは、20世紀のピアニストのモデルとなったのです。

1918年、アルトゥール・ニキシュ指揮のベルリンフィルで、

ベートーヴェンの第4ピアノ協奏曲を弾き、

実質的なデビューを、果たします。

1920年、ドイツグラモフォンから、最初のレコードを出します。

曲目:ベートーベンのエコセーズとバガテル OP33 。


★その後、演奏会とレコーディングで、世界中を回ります。

ドイツグラモフォンでの録音は、ベルリンで、

さらに後には、ハノーファーで、なされました。

1936年、最初の日本訪問をします。

1954年には、ヒロシマを訪れました。

これが、彼の記念碑的な訪日です。

「平和祈念の教会で、バッハのオルガン作品を弾きました」。


★作曲家のヤン・シベリウスは、彼のハンマークラヴィーア

の演奏後、楽屋で尊敬を込めて、こう言いました。

「あなたはピアニストのように弾かない。

ヒューマンビーイングのように弾く」。

彼の引退は、1980年代。


★彼の最後のコンサートについて、こう書かれています。

85歳のある日、親しい友人たちの小さなサークルで、

コンサートの最中、突然、彼は演奏を止め、

ピアノの蓋を閉め、目に涙をため、

哀しみに満ちた、小さな声で、

「私は、大変疲れました。私の全生涯を通して、

音楽によって、人々に喜びと愛をもたらそうと、

努めてきました。もはや、いま、私にはそれが、

もう出来ないのです」と、語りかけました。


★そして、南イタリアのポジターノに引退しました。

弟子の一人が書いていますが、

“美しい庭で、ケンプはすべての花、石、鳥の鳴き声、

夜星を眺めると、どの星座の名前も、

説明することができたのです”。


★インタビューは、1975年になされています。

「どこでペダルを踏むか、踏まないかは、

その人その人の演奏によるものであって、

一般的な規則はないのです」。

「私のスタイルを真似ることなく、自分自身の方法を、

見つけてください」

「レッスンを受けに、ポジターノへと来た生徒には、

そのように、お願いしているのです」。

「私はいつも、ヴィルヘルム・フルトベングラーが、

私に言った言葉、『自分が美しいと思う曲しか、指揮できない』

これを、心のなかで思っています」。


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