■ ピアティゴルスキーとラヴェルのピアノ三重奏曲について ■
09.2. 3 中村洋子
★モーリス・ラヴェル(1875~1937)が作曲した、
「ピアノトリオ」(1915年)の演奏は、
アルトゥール・ルービンシュタインと、ヤッシャ・ハイフェッツ、
グレゴール・ピアティゴルスキーの3人よる、
1950年録音のCDで、愛聴しております。
CD番号:BMG 09026-63025-2
★このCDに出会うまでは、「ピアノトリオ」を聴くたびに、
「楽譜を読むと、大変な傑作なのに、どうして、
こんなにつまらない曲に、聴こえるのかしら?」と、
いつも、疑問に思っておりました。
ラヴェルを「フランスの印象派」ととらえ、線の細い、
ひ弱で、神経質な演奏に数多く出会いました。
音楽の喜びがほとんど、感じられないのです。
以前、このブログでも書きましたが、
ラヴェルは決して、冷たく、そっけない、
皮肉っぽい曲を、書いたわけではありません。
このCDを聴いて、ようやく、胸がスッとしました。
★昨年夏、私のピアノ三重奏を、ベッチャー先生、
ヴァイオリンのガブリロフ先生、ピアノ・ボーグナー先生に
弾いて頂いたとき、ヴァイオリンとチェロが、
同じメロディーを、2オクターブ離れて、
同時に、演奏する所がありました。
とても、美しく響き、私とベッチャー先生の二人とも、
思わず、「 Maurice Ravel Piano Trio !!! 」と、
口に出し、目を見合わせたものでした。
★ラヴェルの、このピアノトリオの特徴は、
旋律を、心から歌わせるところにあります。
その歌わせ方に、彼の作曲技法が、
尽くされているのです。
力の足りない演奏家ですと、作曲技法、
あるいは、演奏技法に足をとられ、心の底から、
歌い上げるところまで、なかなか到達しません。
★このCDの演奏は、3人のマエストロが、
(人間関係としては、いろいろとあったようですが)、
彼らの音楽の、最も素晴らしい部分を、全開しています。
特に、ピアティゴルスキーのチェロは、一度聴いたら、
忘れられない、素晴らしさです。
チャイコフスキー作曲のピアノトリオOp.50も、併せて、
収録されていますが、彼の故国ロシアの作品でもあり、
おそらく、これ以上の演奏は、望めないでしょう。
★不思議なことに、「ピアティゴルスキー」の名前を、
検索し、その結果として、私のこのブログに到達される方が、
ほぼ、毎日いらっしゃいます。
ピアティゴルスキーが、商業的に宣伝されるわけでもなく、
“過去のチェリスト”であるはずなのに、なぜ、これほど、
彼の音楽が、人々に求められているのでしょうか。
彼の演奏を録音したものが、とても少なく、
音楽を真に愛する人が、彼を、彼の音楽を渇望して、
探し求めている、としか考えられません。
★商業主義によって、いくら“天才”という虚像が
作り上げられても、メッキは剥げるものです。
その“天才”を煽る宣伝に釣られ、
“スターチェリスト”といわれる演奏家の
コンサートに、かつて、出掛けたことがあります。
演奏曲目として、チェリストにとっては宝物のような作品が、
並んでいましたが、
その“天才”は、なんと、暗譜すらしていませんでした。
★譜面台を、自分の右側と左側に、二つも置き、
それを“盗み見”しながら(当然、姿勢も乱れます)、
弾いていました。
これは、演奏家の真の評価、音楽会と宣伝との関係などを
考えるうえで、とても、貴重な経験でした。
このような“スター”や、“スター”になりたい予備軍の演奏に、
さらに、その宣伝に、辟易されている、
本当に音楽を愛する方が、
ピアティゴルスキーを、求められているのでしょう。
★いま、読んでいますピアティゴルスキーの自伝では、
彼は、ベルリンフィルの首席チェリストに在籍中、
自分のチェロパートを、完全に暗譜しているだけでなく、
自分以外のパートも覚え、あるいは覚えるように
努力していた、と書いています。
★長らく、絶版になっていました
ピアティゴルスキー著「チェロとわたし」(白水社)が、
この1月に、重版されました。
大変に興味ある本で、また、折にふれ、面白いところを
ご紹介しますが、彼が西側に亡命する前、モスクワで、
ラヴェルのピアノ三重奏曲を、ロシア初演した
チェリストでも、ありました。
★ラヴェルがこの曲を作った後、あまり、
間をおかずに、初演したことになります。
亡命後の1923年秋、ベルリンで、シェーンベルクの、
あの「ピエロリュネール」の、初演に参加しています。
予定されていたチェリストの、代役でしたが、
ピアノのアルトゥール・シュナーベルをはじめ、
ベルリンフィルの名人たちとともに、3週間かけて、
20回の練習を全員、無報酬でしたそうです。
★ピアティゴルスキーは、そのとき、お金がなく、
練習会場のシュナーベル家から出される、サンドイッチとお茶が、
その日の唯一の食事であることが、多かったそうです。
ホテルに泊まるお金もなく、
ベルリンの「動物園」(Zoologischer Garten)の
ベンチで野宿したり、近くの「ツォー」駅で、
夜を明かしたりしたそうです。
★昨年、ベッチャー先生が、私のチェロ組曲を演奏してくださった、
「ヴィルヘルム皇帝記念教会」は、まさに、この動物園や、
ツォー駅とは、目と鼻の先にある教会です。
第二次世界大戦中、1943年の空襲で、
破壊される前の、その教会の尖塔を、
ピアティゴルスキーは、どんな思いで
見上げていたことでしょう。
●グレゴール・ピアティゴルスキー:
1903年 ロシア・エカテリノスラフで生まれる。
1976年8月6日 ロサンジェルスで没。
1919年 ボリショイ劇場首席チェリスト、
1924年~28年 ベルリンフィル首席チェリスト、
1929年 アメリカデビュー、
1946年 ルービンシュタイン、ハイフェッツとトリオを組む。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.2. 3 中村洋子
★モーリス・ラヴェル(1875~1937)が作曲した、
「ピアノトリオ」(1915年)の演奏は、
アルトゥール・ルービンシュタインと、ヤッシャ・ハイフェッツ、
グレゴール・ピアティゴルスキーの3人よる、
1950年録音のCDで、愛聴しております。
CD番号:BMG 09026-63025-2
★このCDに出会うまでは、「ピアノトリオ」を聴くたびに、
「楽譜を読むと、大変な傑作なのに、どうして、
こんなにつまらない曲に、聴こえるのかしら?」と、
いつも、疑問に思っておりました。
ラヴェルを「フランスの印象派」ととらえ、線の細い、
ひ弱で、神経質な演奏に数多く出会いました。
音楽の喜びがほとんど、感じられないのです。
以前、このブログでも書きましたが、
ラヴェルは決して、冷たく、そっけない、
皮肉っぽい曲を、書いたわけではありません。
このCDを聴いて、ようやく、胸がスッとしました。
★昨年夏、私のピアノ三重奏を、ベッチャー先生、
ヴァイオリンのガブリロフ先生、ピアノ・ボーグナー先生に
弾いて頂いたとき、ヴァイオリンとチェロが、
同じメロディーを、2オクターブ離れて、
同時に、演奏する所がありました。
とても、美しく響き、私とベッチャー先生の二人とも、
思わず、「 Maurice Ravel Piano Trio !!! 」と、
口に出し、目を見合わせたものでした。
★ラヴェルの、このピアノトリオの特徴は、
旋律を、心から歌わせるところにあります。
その歌わせ方に、彼の作曲技法が、
尽くされているのです。
力の足りない演奏家ですと、作曲技法、
あるいは、演奏技法に足をとられ、心の底から、
歌い上げるところまで、なかなか到達しません。
★このCDの演奏は、3人のマエストロが、
(人間関係としては、いろいろとあったようですが)、
彼らの音楽の、最も素晴らしい部分を、全開しています。
特に、ピアティゴルスキーのチェロは、一度聴いたら、
忘れられない、素晴らしさです。
チャイコフスキー作曲のピアノトリオOp.50も、併せて、
収録されていますが、彼の故国ロシアの作品でもあり、
おそらく、これ以上の演奏は、望めないでしょう。
★不思議なことに、「ピアティゴルスキー」の名前を、
検索し、その結果として、私のこのブログに到達される方が、
ほぼ、毎日いらっしゃいます。
ピアティゴルスキーが、商業的に宣伝されるわけでもなく、
“過去のチェリスト”であるはずなのに、なぜ、これほど、
彼の音楽が、人々に求められているのでしょうか。
彼の演奏を録音したものが、とても少なく、
音楽を真に愛する人が、彼を、彼の音楽を渇望して、
探し求めている、としか考えられません。
★商業主義によって、いくら“天才”という虚像が
作り上げられても、メッキは剥げるものです。
その“天才”を煽る宣伝に釣られ、
“スターチェリスト”といわれる演奏家の
コンサートに、かつて、出掛けたことがあります。
演奏曲目として、チェリストにとっては宝物のような作品が、
並んでいましたが、
その“天才”は、なんと、暗譜すらしていませんでした。
★譜面台を、自分の右側と左側に、二つも置き、
それを“盗み見”しながら(当然、姿勢も乱れます)、
弾いていました。
これは、演奏家の真の評価、音楽会と宣伝との関係などを
考えるうえで、とても、貴重な経験でした。
このような“スター”や、“スター”になりたい予備軍の演奏に、
さらに、その宣伝に、辟易されている、
本当に音楽を愛する方が、
ピアティゴルスキーを、求められているのでしょう。
★いま、読んでいますピアティゴルスキーの自伝では、
彼は、ベルリンフィルの首席チェリストに在籍中、
自分のチェロパートを、完全に暗譜しているだけでなく、
自分以外のパートも覚え、あるいは覚えるように
努力していた、と書いています。
★長らく、絶版になっていました
ピアティゴルスキー著「チェロとわたし」(白水社)が、
この1月に、重版されました。
大変に興味ある本で、また、折にふれ、面白いところを
ご紹介しますが、彼が西側に亡命する前、モスクワで、
ラヴェルのピアノ三重奏曲を、ロシア初演した
チェリストでも、ありました。
★ラヴェルがこの曲を作った後、あまり、
間をおかずに、初演したことになります。
亡命後の1923年秋、ベルリンで、シェーンベルクの、
あの「ピエロリュネール」の、初演に参加しています。
予定されていたチェリストの、代役でしたが、
ピアノのアルトゥール・シュナーベルをはじめ、
ベルリンフィルの名人たちとともに、3週間かけて、
20回の練習を全員、無報酬でしたそうです。
★ピアティゴルスキーは、そのとき、お金がなく、
練習会場のシュナーベル家から出される、サンドイッチとお茶が、
その日の唯一の食事であることが、多かったそうです。
ホテルに泊まるお金もなく、
ベルリンの「動物園」(Zoologischer Garten)の
ベンチで野宿したり、近くの「ツォー」駅で、
夜を明かしたりしたそうです。
★昨年、ベッチャー先生が、私のチェロ組曲を演奏してくださった、
「ヴィルヘルム皇帝記念教会」は、まさに、この動物園や、
ツォー駅とは、目と鼻の先にある教会です。
第二次世界大戦中、1943年の空襲で、
破壊される前の、その教会の尖塔を、
ピアティゴルスキーは、どんな思いで
見上げていたことでしょう。
●グレゴール・ピアティゴルスキー:
1903年 ロシア・エカテリノスラフで生まれる。
1976年8月6日 ロサンジェルスで没。
1919年 ボリショイ劇場首席チェリスト、
1924年~28年 ベルリンフィル首席チェリスト、
1929年 アメリカデビュー、
1946年 ルービンシュタイン、ハイフェッツとトリオを組む。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲