08.1.3
★穏やかな年明けとなりました。
年末年始は、作曲で忙しく、賀状を書く余裕がなく、失礼いたしました。
★前回、ラヴェルに対して「2つの誤解」があることをお話いたしました。
今回は、“作風がスイス時計のように精緻で正確だが、
冷たく、暖かみに欠ける”というもう一つの誤解について、
ご説明いたします。
★ラヴェルが自演した「ソナチネ」第1楽章を、例にとります。
「ソナチネ」は、初心者用のクーラウやクレメンティの
「ソナチネアルバム」のイメージが強く、
容易に弾ける曲、と思われがちです。
しかし、ラヴェルに限っては、見かけは簡単でも、
最高度の音楽性を、要求されるかもしれません。
★少々、脱線しますが、ラヴェルなら「水の戯れ」、
ドビュッシーなら「花火」しか弾かないピアニストは、
果たしてこの二人の作曲家を、本当に理解しているか疑問です。
「花火」は、前奏曲集1巻、2巻を通して、一番最後の曲です。
この曲に、ドビュッシーは「カデンツァ」の意味を与えています。
★前奏曲集1巻の第1曲は、「デルフォイの舞姫たち」で、
前奏曲集全体にとって、とても大切な曲です。
ドビュッシーは、この曲の自演をロールピアノで録音しています。
「デルフォイの舞姫たち」は、見かけはとても簡単そうですが、
ラヴェルの「ソナチネ」と同様に、勉強してもし尽くせないほど
奥深いものがあります。
★バッハの平均律第1巻の1番が、
1、2巻全48曲を束ねる肝心要の曲である、のと同じです。
ドビュッシーは、それを意識し、
「デルフォイの舞姫たち」と平均律一番とは、
類似点がたくさんあります。
それについては、別の機会にお話いたします。
★「花火」しか弾かないピアニストは、それに気付かないのでしょうから、
よいピアニストであるための、最初の関門を通り抜けられないのです。
★「ソナチネ」第1楽章では、第1テーマ(全3楽章にわたって展開される)が、
冒頭の3小節で、提示されます。
そして、3小節目の「第2上拍」から、5小節目の2拍目頭まで、
「確保」として、もう一度、奏されます。
その「確保」は、スビト ピアニシモで、密やかに奏され、さらに、
第5小節の第2上拍から、第7小節の最後まで、こんどは、
「推移」の開始部分として、第1テーマが3回目の反復を行います。
★1回目、2回目の反復は「ファ→ド」へと
完全4度の下行であるのに対し、
3回目の反復(第5小節目の第2推移)は、
「ファ→ド」まで、完全5度上行します。
ラヴェルの自演は、3回目の反復をメゾフォルテで弾いています。
憧れに満ちたような、聴く人に、熱い思いを感じ取らせる名演です。
★ですから、この冒頭部分を聴くだけで、
そのピアニストの質が分かる、ともいえそうです。
ご自分で演奏なさる場合でも、
この「3回目」をどう弾き分けるか、
重要なポイントとなります。
★展開部の56小節は、tres espressif
(とても表情豊かに)となっており、
先程の、第1テーマの「確保」のメロディーが展開されます。
ただし、メロディーの冒頭で、ド♯の倚音(いおん)が付加され、
アクセントも付け、ラヴェルは、とても情熱的に表現しております。
★さらに第7小節では、passione(情熱的)という表示があります。
ラヴェルが自分の曲に、この表示を使うのは、極めて珍しいことです。
★このように見てまいりますと、この第1楽章だけでも、
ラヴェルの心の動きそのもののような、
豊かな感情が脈打っているのです。
“作風がスイス時計のように精緻で正確だが、
冷たく、暖かみに欠ける”という評価は、
全くの誤解である、といえます。
★誰かがそのように書き、孫引きが孫引きを呼んだのでしょう
逆に、第1楽章を冷たく、小役人風に
小器用に弾いている演奏でしたら、
第2楽章まで聴く必要はないかもしれません。
★余談ですが、ヤマハが出版しております
<デュラン社オリジナル版>には、第2楽章に誤植があります。
68小節の右手の冒頭装飾音「シ・ナチュラル、レ・ナチュラル」を、
ヤマハ版では、「シ♯、レ♯」にしています。
デュラン社の本来の楽譜では、この部分の印刷が少々かすれています。
それを、ヤマハは、誤って“訂正”したのかもしれません。
お気を付けください。
(私のヤマハ版は1999年版ですので、現在は訂正済みかもしれませんが)。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
★穏やかな年明けとなりました。
年末年始は、作曲で忙しく、賀状を書く余裕がなく、失礼いたしました。
★前回、ラヴェルに対して「2つの誤解」があることをお話いたしました。
今回は、“作風がスイス時計のように精緻で正確だが、
冷たく、暖かみに欠ける”というもう一つの誤解について、
ご説明いたします。
★ラヴェルが自演した「ソナチネ」第1楽章を、例にとります。
「ソナチネ」は、初心者用のクーラウやクレメンティの
「ソナチネアルバム」のイメージが強く、
容易に弾ける曲、と思われがちです。
しかし、ラヴェルに限っては、見かけは簡単でも、
最高度の音楽性を、要求されるかもしれません。
★少々、脱線しますが、ラヴェルなら「水の戯れ」、
ドビュッシーなら「花火」しか弾かないピアニストは、
果たしてこの二人の作曲家を、本当に理解しているか疑問です。
「花火」は、前奏曲集1巻、2巻を通して、一番最後の曲です。
この曲に、ドビュッシーは「カデンツァ」の意味を与えています。
★前奏曲集1巻の第1曲は、「デルフォイの舞姫たち」で、
前奏曲集全体にとって、とても大切な曲です。
ドビュッシーは、この曲の自演をロールピアノで録音しています。
「デルフォイの舞姫たち」は、見かけはとても簡単そうですが、
ラヴェルの「ソナチネ」と同様に、勉強してもし尽くせないほど
奥深いものがあります。
★バッハの平均律第1巻の1番が、
1、2巻全48曲を束ねる肝心要の曲である、のと同じです。
ドビュッシーは、それを意識し、
「デルフォイの舞姫たち」と平均律一番とは、
類似点がたくさんあります。
それについては、別の機会にお話いたします。
★「花火」しか弾かないピアニストは、それに気付かないのでしょうから、
よいピアニストであるための、最初の関門を通り抜けられないのです。
★「ソナチネ」第1楽章では、第1テーマ(全3楽章にわたって展開される)が、
冒頭の3小節で、提示されます。
そして、3小節目の「第2上拍」から、5小節目の2拍目頭まで、
「確保」として、もう一度、奏されます。
その「確保」は、スビト ピアニシモで、密やかに奏され、さらに、
第5小節の第2上拍から、第7小節の最後まで、こんどは、
「推移」の開始部分として、第1テーマが3回目の反復を行います。
★1回目、2回目の反復は「ファ→ド」へと
完全4度の下行であるのに対し、
3回目の反復(第5小節目の第2推移)は、
「ファ→ド」まで、完全5度上行します。
ラヴェルの自演は、3回目の反復をメゾフォルテで弾いています。
憧れに満ちたような、聴く人に、熱い思いを感じ取らせる名演です。
★ですから、この冒頭部分を聴くだけで、
そのピアニストの質が分かる、ともいえそうです。
ご自分で演奏なさる場合でも、
この「3回目」をどう弾き分けるか、
重要なポイントとなります。
★展開部の56小節は、tres espressif
(とても表情豊かに)となっており、
先程の、第1テーマの「確保」のメロディーが展開されます。
ただし、メロディーの冒頭で、ド♯の倚音(いおん)が付加され、
アクセントも付け、ラヴェルは、とても情熱的に表現しております。
★さらに第7小節では、passione(情熱的)という表示があります。
ラヴェルが自分の曲に、この表示を使うのは、極めて珍しいことです。
★このように見てまいりますと、この第1楽章だけでも、
ラヴェルの心の動きそのもののような、
豊かな感情が脈打っているのです。
“作風がスイス時計のように精緻で正確だが、
冷たく、暖かみに欠ける”という評価は、
全くの誤解である、といえます。
★誰かがそのように書き、孫引きが孫引きを呼んだのでしょう
逆に、第1楽章を冷たく、小役人風に
小器用に弾いている演奏でしたら、
第2楽章まで聴く必要はないかもしれません。
★余談ですが、ヤマハが出版しております
<デュラン社オリジナル版>には、第2楽章に誤植があります。
68小節の右手の冒頭装飾音「シ・ナチュラル、レ・ナチュラル」を、
ヤマハ版では、「シ♯、レ♯」にしています。
デュラン社の本来の楽譜では、この部分の印刷が少々かすれています。
それを、ヤマハは、誤って“訂正”したのかもしれません。
お気を付けください。
(私のヤマハ版は1999年版ですので、現在は訂正済みかもしれませんが)。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲