音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■■ ケンプの「シューベルト・ピアノソナタ全集」と、古今亭志ん生 ■■

2007-12-20 00:05:36 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■■ ケンプの「シューベルト・ピアノソナタ全集」と、古今亭志ん生 ■■
2007/3/2(金)

★ケンプの演奏した「シューベルト・ピアノソナタ全集」

=Deutsche Grammophon COLLECTORS EDITION= を聴いています。

7枚CDセットで、ピアノソナタが18曲、収録されています。

シューベルトのピアノソナタ全曲ではありませんが、有名な作品はほとんど網羅されています。

特に名高い最後のピアノソナタ変ロ長調D960は、いろいろな名ピアニストの録音を聴きましたが、

どれもいまひとつ、もの足りなく感じていたところ、やっと、究極の演奏に出会えた気がします。

この演奏法については、4月15日のアナリーゼ講座で、お話できる時間があれば、と思っています。


★私の好きなイ短調D845(Op.42)は、グルダの演奏を愛聴していましたが、

演奏の方向性が違うとはいえ、ケンプの深さには脱帽です。

私が自分で弾いてみますと、単調な一本調子な演奏になってしまいます。

ケンプは、あたかも、声楽家がするような微妙なリタルダンド、

アッチェレランド、ポルタメントをつかい、多声部を弾き分けています。

何声部の音楽だったのかと、唖然とします。

(どうして、シューベルトは対位法が苦手だった、と言うことができるのでしょうか)

休符のもつ意味の恐ろしさは、モーツァルト譲りでしょう。

ケンプが告白しているように、若いころ、彼がこの曲に耽溺したのも納得します。

口幅ったいったい言い方ですが、この凄さを理解するには、

聴く方にも、それなりの勉強や感受性が必要かもしれません。

何度も聴いて、得るものが多い演奏です。

いま流行の「すぐ分かる、華やかな」演奏とは、正反対です。


★付録の解説に、ケンプが「Shubert's hidden treasures 」という一文を寄せています。

彼は若い頃(第一次世界大戦前)、このイ短調 D845(Op.42)に、深く傾倒しました。

ケンプは、シューベルトが後の作曲家に与えた影響についても、

「これは、私自身の経験によるものだが」と前置きし、

ブラームスや、ショパン、さらにブルックナーにまで言及しています。

ケンプの演奏や、ルービンシュタインの演奏が、かくも深く、

いつまでも私たちの心を離さないのは、残念なことであるのですが、

彼らが、第一次、第二次世界大戦を経験していることがかなり大きいと、私は思います。

この素晴らしいCDが、録音されたのは、1965年から69年にかけて、ケンプの全盛期であると同時に、

“戦後”が終わり、安定した世の中となり、生と死について、あらためて

自ら深く思いを馳せている時期だったからかもしれません。


★シューベルトは31歳の若さで亡くなり、20代はほぼ病気との闘い、共存の時期でした。

青年らしい明るさや、希望、激情とともに、病や死への恐怖と背中合わせに生きていました。

それが、シューベルトの音楽を深く、普遍的にした大きい要素かもしれません。


★一昨晩、NHKラジオの深夜便で、古今亭志ん生の落語「大工調べ」を偶然、聞きました。

母親と長屋に二人暮しで、家賃を滞納している大工、その親方、大家の3人のお話です。

仕事は丁寧、腕はいいが、世事にうとく、万事にのろいため、小馬鹿にされている大工。

大家は、支払いが滞った家賃のかたに、大工道具を取り上げてしまいます。

そのために何日も仕事ができない大工、それを何とかしたいと思う親方。

お奉行所で、三人三様の言い分を面白おかしく並べ立てます。

奉行所のお役人は、大工に家賃の支払いを命じますが、

大家が質草のように大工道具を取り上げたのは、「質屋の鑑札をもっていないのに、

不届きである」として、「その間の利子を大工に払え」、

しかも、「家賃以上の額を支払え」と、大工に味方する大岡裁き。


★家賃払わないと、道具を取り上げられる。

道具がないと仕事ができず、家賃も払えない。

親方も、助けてやりたいと思いながら、内心では、

“腕の良いこの大工は、少々トロいので安く使え、儲けが多い、

この男が働いてくれないと、自分が損する”と思っています。

大家も親方も、小ずるく、うまく立ち回ろうとする人たちで、

しかも、どこか憎めない人たち。

志ん生の噺は、大笑いしているうちに、面白い“サゲ”であっという間に終わってしまいます。

聞き終えた後、これはいまの世でも、あちこちで起きているお話、

さらに、いつの世も、世の中とはこのように動いている、という重い感慨にひたらされます。

志ん生は、各登場人物に共感をもって、その性格、心理までくっきりと浮かび上がらせます。

顔付きまで浮かぶようです。

志ん生の凄さです。


★なにも現代の難しい「不条理劇」を見なくても、

同じような話は、江戸時代から、延々と現代まで続いているのです。

近頃、狂言もよく見ますが、狂言は“サゲ”すらなく、

太郎冠者、怖い女房、大名が三つ巴となり、いつまでも、

言い争いをしながら、楽屋に走り去って行きます。

狂言も同じことを言っているのだ、と思います。


★ケンプは、小さな旋律一つにも、それがソプラノ歌手の歌なのか、

フルートの響きなのか、チェロの朗々としたメロディーなのか、

聴衆に分かるよう、音色と歌い方に変化を与えて演奏しています。

ケンプのシューベルトを聴いた後は、オーケストラを聴いたような感じがします。

指揮者ケンプが繰り出す音楽は、実は、

本当に「作曲家」でもあったケンプの美しい創造物でもあったのです。


★志ん生も、第二次世界大戦中、中国に渡り、九死に一生を得た人ですが、

とうとう中国での苦しい体験は、一言も語らなかったそうです。

しかし、戦前、才能は評価されながらも、しくじりを重ね、

不遇の落語家であった彼は、戦後に大化けし、亡くなった現在でも、

越えることのできない存在として、いまだに人気は尽きることがありません。

ケンプ、ルービンシュタイン、志ん生のもつ、人間の大きさ、芸術の偉大さは、

そうした人知れない苦労を、芸術に転化し得たことにもあるのかもしれません。


★ケンプは「Shubert's hidden treasures 」で、

シューベルトのピアノソナタについて、こう書いています。

「大部分のピアノソナタは、巨大なホールの光輝くライトの下で演奏されるべきものではない。

これらのソナタは、とても傷つきやすい魂の告白だからです。

もっと正確にいいますと、独白だからです。

静かに囁きかけるため、その音は、大きなホールでは伝わりません。

(シューベルトは、そのピアニッシモに、自分の心の奥底の秘密を託しているのです)


★このケンプのCDは、外盤ですが、7枚で7000円弱のお値段でした。

お求めになることを是非、お薦めいたします。



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