■■ 私のクリスマス休暇とお正月休み ■■
2006/12/28(木)
★ことしもあと、数日となりました。
私のことしのクリスマスは、素晴らしいものを二つ観ました。
■【榎並悦子写真展】 Paris ー刻(とき)の面影ー (東京Canon Gallery)
榎並さんは、私の尊敬する写真家・野町和嘉さんの奥さまであり、
ギターの斎藤明子さんのポートレートも撮影されています。
一見、シャンソンが流れるパリのいかにもの写真ですが、
よーく見ますと、人物やパリの建物の窓、ベンチ、空、セーヌ川、エッフェル塔の影、
物乞いをする犬、美女のポッケからひょっこりと顔をだす子犬・・・など
一幅の絵画のような構成感、モノクロームの処理が秀逸でした。
1月には名古屋、2月には大阪のCanon Galleryで、この展覧会を見ることができます。
★人形劇団プークのクリスマス公演【12の月のたき火】を観ました。
スロバキアの民話。吹雪の森に、王様の命令で「イチゴ」を探しに言った少女マルーシャの物語。
1月から12月まで、12人の森の精霊に助けられ、無事にイチゴを見つけ、やさしい青年と結ばれます。
勤労の喜び、継子いじめ、権力者からの無理難題、<見てはいけないものを見てしまった>者の運命。
<約束を守ることによって得る幸せ>は、日本をはじめ世界の民話に伝わっています。
私は、この人形劇を小さいときに観て、このたび、何十年ぶりかで再び観ました。
内容をほとんど覚えていたことに大変、驚きました。
上記のテーマが、どんな人間社会でも起きることだからでしょうか。
森の自然を描写する日本語の科白が、とても美しく、宮沢賢治の詩のようでした。
美しい正確な日本語で、深い内容の物語を、幻想的な人形劇で幼少時に観ることの計り知れない影響。
★客席は100人ほどの小さな劇場でしたが、幼稚園、小学生のお客様たちは、
皆さん実にいい顔をされて、舞台に熱中し、食い入るように観ていました。
この劇場に連れてこようとするお父さん、お母さんの暖かさ、知性が伺われます。
12月23日の東京新聞で、35周年を迎えた「プーク人形劇場」の紹介記事が掲載されました。
「ファンはなかなか増えてこない」
「経営は苦しくなっている。国からは、建物の運営など演劇環境に対する助成が全くない」
私は、子供の心を育てるこのような文化活動こそ、一番求められ、支援すべきことだと思います。
★お正月休暇は、次の2冊を読みたいと思います。
横道萬里雄 著「能にも演出がある」 檜書店
この本の序文である「はじめに」は、含蓄に富む内容です。
要約いたしますと・・・
★能は「舞う」と表現します。舞踊的動作の少ない演目でも「舞う」といいます。
≪俊寛を舞う≫といいますが、歌舞伎の≪寺子屋を舞う≫、狂言の≪棒縛を舞う≫とはいいません。
能には、「型付ケ」という演技譜があり、「型付ケ」どおりに演ずれば、
それで充分という感覚が「舞う」といわせているではないでしょうか。
歌舞伎や狂言は、型そのままになぞっても、さまになりません。
能の鑑賞者は、昔は殿様や、謡や仕舞のお弟子さんが中心であったため、それでよかったのでしょう。
しかし、現在は、演能会の在り方が変わり、観客層も広がっています。
さまになってはいないが、強固な訴えがある能のほうが成功することもありえます。
能役者よ、能を舞うな、能は演ずるものである。
★横道先生は、この序文で、次のようなことをおっしゃりたかったのでしょう。
どんな伝統的芸術でも、時代の変化、要請に敏感になるべきで、変革は必要である。
昔どおりのものを墨守しさえすればいい、という態度からは、創造は生まれない。
型をなぞって舞うだけでは、人々の心は捉えられない。
★「横道先生のように能五流のすべてに通じていらっしゃる方はもう、
いらっしゃらないでしょう」と、いわれています。
※横道先生については、ブログの8月24日「横道萬里雄の能楽講義ノート」でも触れております。
★もう一冊は、東洋文庫「良寛詩集」入矢義高 訳注
平凡社の新刊です。
漢文で書かれた、良寛さんの飄々とした詩の世界が、現代日本語訳に翻訳されています。
味わい深い詩のひとつをご紹介します。
■私は一生、身を立てようという気にはなれず、
のほほんと天然ありのままの生き方だ
頭陀袋には米が三升
炉ばたには薪が一束
悟りだの迷いだの、そんな痕跡なぞどうでもよい
名声だの利益だの、そんな塵芥なぞ我れ関せずだ
雨ふる夜に苫のいおりのなかで
両の足をのんびりと伸ばす
★皆さま、よいお年をお迎えください。来年が平和で明るい、希望に満ちた年でありますように。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽
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2006/12/28(木)
★ことしもあと、数日となりました。
私のことしのクリスマスは、素晴らしいものを二つ観ました。
■【榎並悦子写真展】 Paris ー刻(とき)の面影ー (東京Canon Gallery)
榎並さんは、私の尊敬する写真家・野町和嘉さんの奥さまであり、
ギターの斎藤明子さんのポートレートも撮影されています。
一見、シャンソンが流れるパリのいかにもの写真ですが、
よーく見ますと、人物やパリの建物の窓、ベンチ、空、セーヌ川、エッフェル塔の影、
物乞いをする犬、美女のポッケからひょっこりと顔をだす子犬・・・など
一幅の絵画のような構成感、モノクロームの処理が秀逸でした。
1月には名古屋、2月には大阪のCanon Galleryで、この展覧会を見ることができます。
★人形劇団プークのクリスマス公演【12の月のたき火】を観ました。
スロバキアの民話。吹雪の森に、王様の命令で「イチゴ」を探しに言った少女マルーシャの物語。
1月から12月まで、12人の森の精霊に助けられ、無事にイチゴを見つけ、やさしい青年と結ばれます。
勤労の喜び、継子いじめ、権力者からの無理難題、<見てはいけないものを見てしまった>者の運命。
<約束を守ることによって得る幸せ>は、日本をはじめ世界の民話に伝わっています。
私は、この人形劇を小さいときに観て、このたび、何十年ぶりかで再び観ました。
内容をほとんど覚えていたことに大変、驚きました。
上記のテーマが、どんな人間社会でも起きることだからでしょうか。
森の自然を描写する日本語の科白が、とても美しく、宮沢賢治の詩のようでした。
美しい正確な日本語で、深い内容の物語を、幻想的な人形劇で幼少時に観ることの計り知れない影響。
★客席は100人ほどの小さな劇場でしたが、幼稚園、小学生のお客様たちは、
皆さん実にいい顔をされて、舞台に熱中し、食い入るように観ていました。
この劇場に連れてこようとするお父さん、お母さんの暖かさ、知性が伺われます。
12月23日の東京新聞で、35周年を迎えた「プーク人形劇場」の紹介記事が掲載されました。
「ファンはなかなか増えてこない」
「経営は苦しくなっている。国からは、建物の運営など演劇環境に対する助成が全くない」
私は、子供の心を育てるこのような文化活動こそ、一番求められ、支援すべきことだと思います。
★お正月休暇は、次の2冊を読みたいと思います。
横道萬里雄 著「能にも演出がある」 檜書店
この本の序文である「はじめに」は、含蓄に富む内容です。
要約いたしますと・・・
★能は「舞う」と表現します。舞踊的動作の少ない演目でも「舞う」といいます。
≪俊寛を舞う≫といいますが、歌舞伎の≪寺子屋を舞う≫、狂言の≪棒縛を舞う≫とはいいません。
能には、「型付ケ」という演技譜があり、「型付ケ」どおりに演ずれば、
それで充分という感覚が「舞う」といわせているではないでしょうか。
歌舞伎や狂言は、型そのままになぞっても、さまになりません。
能の鑑賞者は、昔は殿様や、謡や仕舞のお弟子さんが中心であったため、それでよかったのでしょう。
しかし、現在は、演能会の在り方が変わり、観客層も広がっています。
さまになってはいないが、強固な訴えがある能のほうが成功することもありえます。
能役者よ、能を舞うな、能は演ずるものである。
★横道先生は、この序文で、次のようなことをおっしゃりたかったのでしょう。
どんな伝統的芸術でも、時代の変化、要請に敏感になるべきで、変革は必要である。
昔どおりのものを墨守しさえすればいい、という態度からは、創造は生まれない。
型をなぞって舞うだけでは、人々の心は捉えられない。
★「横道先生のように能五流のすべてに通じていらっしゃる方はもう、
いらっしゃらないでしょう」と、いわれています。
※横道先生については、ブログの8月24日「横道萬里雄の能楽講義ノート」でも触れております。
★もう一冊は、東洋文庫「良寛詩集」入矢義高 訳注
平凡社の新刊です。
漢文で書かれた、良寛さんの飄々とした詩の世界が、現代日本語訳に翻訳されています。
味わい深い詩のひとつをご紹介します。
■私は一生、身を立てようという気にはなれず、
のほほんと天然ありのままの生き方だ
頭陀袋には米が三升
炉ばたには薪が一束
悟りだの迷いだの、そんな痕跡なぞどうでもよい
名声だの利益だの、そんな塵芥なぞ我れ関せずだ
雨ふる夜に苫のいおりのなかで
両の足をのんびりと伸ばす
★皆さま、よいお年をお迎えください。来年が平和で明るい、希望に満ちた年でありますように。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽
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