音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■7月28日は、BachとVivaldiの命日です■

2019-07-28 22:08:33 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■7月28日は、BachとVivaldiの命日です■

~ゴルトベルク変奏曲に、VivaldiのViolin協奏曲が流れ込んでいる~            

           2019.7.28   中村洋子        

 



                          手水鉢から空を見上げるカエルさん

 

★本日7月28日は、 Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750) と

 Antonio Vivaldi アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)のお命日です。

偶然の一致ですが、二人には、それだけではない接点があります。

 

Bachが若い頃、Weimar ヴァイマルのcourt organist 宮廷オルガニスト

であった頃、おそらく1713年~14年にかけて、

Vivaldiの協奏曲を編曲した作品が、数曲残っています。

Bärenreiter ベーレンライター出版の楽譜

「Keyboard Arrangements by Bach 1: 6 Concerti BWV 972-977

バッハによるクラヴィーア独奏編曲Ⅰ 協奏曲BWV972~977」 に

この曲は収録されています。

https://www.academia-music.com/products/detail/130543

 

 

 

 

 

★Vivaldiの原曲と、Bachの編曲作品を比較しますと、

この二人の天才の個性を、如実に実感することができます。

★一例としまて、Vivaldiの Violinヴァイオリン協奏曲Op.7 Nr8(RV299)

の第1楽章冒頭を見てみましょう。

編成は、独奏violinと弦楽合奏、それと鍵盤楽器による通奏低音です。


 

 

 

★この曲は、イタリアの爽やかな、抜ける青空のような曲です。

それをBachは、鍵盤楽器(おそらくチェンバロ)独奏のために、

このように編曲しました。

 



 

Brandenburgブランデンブルク協奏曲が、出てきそうです。

この曲で、さらに注目されますのは、3楽章(全64小節)終結部の

59~64小節です。

Vivaldiは、58小節アウフタクトから始まる、58、59小節目を、

このように作曲しました。

独奏violinと独奏celloの二重奏です。

 

 

 

★Bachは、この部分を、こんなに充実した音楽に編曲しています。

 

 

 

58小節目上声の旋律は、どこかで聴き覚えがありませんか?

そうです。この3度のジグザク進行は、「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

第17変奏の主要 motif モティーフの一つです。

 

★「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」の第17変奏には、そのまま、

Vivaldiの3楽章58小節目のViolinソロの旋律が、現れます。

 

 

 

Bach編曲 3楽章58小節目下声の6度のジグザク進行は、

「Goldberg-Variationen」第17変奏の5、6小節目をはじめとし、

各所で、第17変奏の主要 motif モティーフとして、大活躍します。

 

 

 

★「ゴルトベルク変奏曲」の出版は、1741年~42年にかけてですので、

実に、30年近くの後に、VivaldiがBachに結実した、ともいえましょう。

この第17変奏に、イタリアの輝く太陽の光が射し込んでいます。

 

★今日は、Bachのお命日です。

随分昔、当ブログで書きましたBachの命日についての記事を、

再掲載いたしますので、是非、もう一度お読み下さい。

 

 

 

 

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 ■7月28日は、J. S. BACH バッハの命日です■                        

                            2011. 7.  28    中村洋子

 https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/1deb5d1b98ef0bb927ef07818456db63  

 

 

 

 

★本日は、J. S. BACH  バッハの命日です。

1685年  3月  21日に生まれ、

1750年 7月 28日に、亡くなりました。

天変地異の続く日本に、住んでいますと、

人間にとって、地球はかけがえのないものですが、

地球にとって、人間は本当に、

かけがえのない存在であるのか、疑問を感じる毎日です。

 

★環境を破壊し、傍若無人に振舞っている人類ですが、

負の部分ではない、真の価値は何か、と考えれば、

「 私たちは、バッハの音楽をもっている 」 ということです。

 

   ★250年以上前に、亡くなった作曲家とはいえ、

その命は、ますます、輝きを増しています。

チェリストの「Pablo Casals パブロ・カザルス」は、

「 これまでの 80年間、私は毎日毎日、その日を、同じように始めてきた。

ピアノで、バッハの平均律から、プレリュードとフーガを、 2曲ずつ弾く。

ほかのことをするなんて、考えられない 」

 

★ 「 Schumann シューマン、Mozart モーツァルト、

Schubert シューベルト・・・

Beethoven  ベートーヴェンですら、私にとって、一日を始めるには、

物足りない。Bach バッハでなくては。どうして、と聞かれても困るが。

完全で平静なるものが、必要なのだ。

そして、完全と美の絶対の理想を、感じさせるくれるのは、

私には、バッハしかない 」

 

★ 「 私は絶えず、練習しています。

まるで、千年も生きるつもりでいるみたいだなあ(95歳の時)」

(カザルス 鳥の歌 ジュリアン・ロイド・ウェッバー編 筑摩書房 )

と、語ったとされています。

 

 

 

 

★また、別の本では、カザルス家のお手伝いさんが、

毎日、カザルスが弾くピアノを耳から聴いて、覚えてしまい、

平均律クラヴィーア曲集のテーマを、口ずさむことができた、

と、書いてありました。

 

  ★ここから、分かりますことは、二つあります。

一つは、カザルスの天才は、毎日のたえまざる勉強と練習、

そして思考の上に、維持され、深化していった、ということです。

 

★もう一つは、バッハの音楽は、音楽教育を、おそらく受けて

いない人にとっても、親しみやすく、つまり、覚えやすく、

好きになれる音楽である、ということです。

決して、玄人にしか分からない、のではないのです。

 

★クラシックの名曲、特に名曲のテーマは、

一度聴いたら、忘れない力強さをもっています。

「 名曲のテーマに、共通するものは何か・・・を、示したのが、

バッハの作品である 」ということが、私には分かってきました。

 

 

 

 

  ★よい演奏をする、よい作品を作曲する、あるいは、

真に、音楽を聴いて楽しむことができる 「 耳 」 を、

養うためには、カザルスのようにはできないまでも、

毎日、バッハを勉強する、以外にはない、と思います。

  

★尊敬する Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生が、

「üben und  üben 、 practice and practice (練習そして練習)」と、

おっしゃっていたのを、思い出します。

  

★ただし、その練習もやみくもにするのではなく、

方法論が必要であることは、論を待ちません。

バッハを学び続けることで、その方法論を、

自ら獲得するしか、方法はないのです。

 

 

 

※copyright © Yoko Nakamura                  

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■「アンダンテ・カンタービレ」の、心を奪われる転調の源は「Bach・Matthäus-Passion」にある■

2019-05-17 18:19:00 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■「アンダンテ・カンタービレ」の、心を奪われる転調の源は「Bach・Matthäus-Passion」にある

     ~Borodin Quartet で Tchaikovsky「Andante cantabile 」を聴く

                   2019.5.17 中村洋子

  

 
                               牡丹

                    

★10連休も通り過ぎ、風薫る五月

≪牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片(にさんぺん)≫与謝蕪村(1716-1784)

牡丹に次いで、芍薬しゃくやく、金雀枝えにしだ、苧環おだまき、紫蘭しらん・・・

初夏の花が咲き乱れます。

  


                                      苧環
 

★この10連休中に来日した「Borodin Quartet ボロディン弦楽四重奏団」で、

Tchaikovsky チャイコフスキー(1840-1893)作曲、String Qaurtet No.1

弦楽四重奏第1番 D-Dur Op.11(1871年)と、

Borodin ボロディン(1833-1887)作曲 String Qaurtet No.2

弦楽四重奏第2番(1881年)を、聴きました。

★「D-Dur」は、音がよく鳴り響く佳い調ですね。

このTchaikovskyのString Qaurtet No.1 第2楽章は、

有名な「Andante cantabile アンダンテ・カンタービレ」です。

★私はこの曲を、Borodin Quartet のCD

【CHANDOS Historical CHAN9871(2)】で愛聴しています。

といいましても、1944年に結成されたこの弦楽四重奏団の、

最初期の録音CDで、録音年代は不詳です。

当然、現在のBorodin Quartet は、メンバーが全員

入れ替わっていますが、この四重奏団の醸し出す美点は、

失われていないようです。
 

  

                                      芍薬

★ところで、この曲の魅力は何処にあるのでしょうか?

そして、どうしてこれ程、人口に膾炙したのでしょうか?

第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」は、全184小節の曲です。

80小節目から「mf」になるのですが、88小節目から直ぐに

「diminuendo」となり、90小節目は、もう「p」です。

それ以外のところは、ほとんど「p(ピアノ)」か「pp(ピアニシモ)」です。

★その上、冒頭1小節目から四人の奏者(第1、第2violin, viola, cello)の

楽器すべてに、「con sordino 弱音器を付けて」と指示されています。

繊細で密やかに語りかけるような音楽です。
 

 

 

★更に、54~96小節目までの43小節間、チェロは弦を指で弾(はじ)く

「pizzicato ピツィカート」奏法です。

弓で弦を弾(ひ)く朗々とした響きではありませんので、

静けさは弥増しに、あたりを支配していきます。
 

 

★しかし、「p」や「pp」、「 sordino(弱音器)」の使用だけで、

この独特の雰囲気を説明できる訳ではありません。

この2楽章Andante cantabile のみ単体で演奏されたり、

聴いたりすることも多いので、案外気付かれていないのですが、

先ほど書きましたように、この弦楽四重奏第1番は、「D-Dur」です。

 

★勿論、第1楽章はD-Dur

そして、終楽章の第4楽章もD-Durです。

そして、「第2楽章 Andante cantabile」は?

D-Durから見て、遠隔調ともいえる「B-Dur 変ロ長調」です。

第3楽章「Scherzo スケルツォ」は、d-Moll 二短調

d-Moll 二短調は、第1、4楽章D-Dur の同主短調です。

第2楽章の「B-Dur 変ロ長調」のみが、D-Dur やd-Mollの

近親調から、ポツンとかけ離れています。

★それでは、第1楽章 D-Dur と 第2楽章 B-Dur とは、

どのような関係で、どうしてTchaikovskyは、

その調を選択したのでしょうか?

D-Dur と B-Dur は、近親調ではありませんので、

両者の関係は、意外性を秘めたものと言えます。
 


                                      白牡丹


この第1、2楽章の調性を工夫なく並べた場合、互いの関連性が

見出し難く、空中分解しかねません

それを避けるため、Tchaikovskyは、第1楽章の冒頭を、

このように始めています。



  

D-Dur の主和音を優しく(dolce)で、囁くように反復します


 

 

この音型は、第2楽章の50~53小節目の4小節間、

第2violinに引き継がれていきます。

この4小節目、第1violin、viola、celloは、休止しています。




★その後、前述しましたように、54小節目からcelloの印象的な

ピツィカートが始まります。

Tchaikovskyは、この50~53小節で、第2violinのソロにより、

第1楽章の冒頭を思い起こさせ、第1楽章D-Dur 、第2楽章B-Durの

遠隔調による空中分解を避けています。

第1楽章のD-Dur から第2楽章のB-Durに転調すると、

聴く人に、意外性をもたらします。

その意外性はさらに、夢の中のような静かで深い、円やかな世界へと

沈潜していきます。

★作曲者は、現代のように第2楽章だけが爆発的人気を呼び、

単独で演奏されることが多々あるとは、想定していません。

ですから、この第2楽章がどんな曲であるかを知るためには、

やはり、この弦楽四重奏第1番の全体を知る必要があるのです。

★では、そうまでして意外性を秘めたこの転調は、

Tchaikovsky が初めて考え出したものでしょうか?

そうではありません。
 

 
                                                     白糸草

 

★甘く、密やかなB-Dur 変ロ長調で始まる第2楽章Andante cantabileは、

50~53小節目の第2violinのソロを経て、54小節目からは、

Des-Dur 変ニ長調に、転調します。

Des-Dur は、第1楽章のD-Durニ長調より半音低い長調です。

D-Dur とDes-Dur は、大きな隔たりのある遠隔調です。


 

第1楽章の D-Dur から最も遠い調に行き着きました。

さて、第2楽章冒頭のB-Durと54小節目からの Des-Dur との

関係に、もう一度目を向けますと、

実は、これはBachの≪Matthäus-Passionマタイ受難曲≫

第1曲最後の和音と、第2曲目の調との関係と同じなのです。

第1曲目は、e-Moll ホ短調なのですが、

終止和音は、「ピカルディのⅠ」、即ち、短三和音ではなく、

主和音の第3音が、半音上行して長三和音になります。





 

第2曲目は、G-Dur ト長調です
 



≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫ の第1曲最終和音と、

第2曲の和音の関係は、各々が長三和音で、根音同士が短3度です。

 

 
 

★Tchaikovskyの「Andante cantabile アンダンテ・カンタービレ」の

第1小節目B-Dur 主和音と転調した54小節目の Des-Dur 主和音も、

各々が長三和音で、根音同士は短3度です。




★私は、この関係の適切な日本語を、日本の書物で見たことがありません。

ドイツ語では、「Nebenmedianten ネーベンメディアンテン」と呼びます。

この「Medianten」につきましては、また、詳しくご説明する機会が

あるかと思います。

まずは、このような調性同士の関係や、

和音同士の、この「3度の関係」を耳で覚えてみましょう。



★Tchaikovsky の「Andante cantabile アンダンテ・カンタービレ」

第2楽章の、心を奪われる転調の源流も「Bach」にあるということを、

耳と心に留めることこそ、大切でしょう。

★この「3度の関係にある和音」につきましては、

私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫の、



276ページでも、ご説明していますので、併せてお読み下さい。


 

                           鯉のぼり

 

 

★le 1er Mai nous offrions du muguet comme porte bonheur.

C’est donc avec plaisir que nous vous offrons virtuellement
celui de notre jardin.

5月1日はフランスのメーデー、この日に鈴蘭を贈りますと、

鈴蘭は幸せをもたらしてくれるそうです。

フランスの知人がお送りくださったお庭の鈴蘭の写真。

 

 

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■フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集は、平均律の初稿であると同時に、独立した作品でもある■

2019-02-19 14:02:16 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集は、平均律の初稿であると同時に、独立した作品でもある■

               2019.2.19 中村洋子

 

 

★2月19日は「雨水」。

立春から数えて15日目です。

雪が雨に変わり、氷が水になります。

これから降る雪は、春の雪。

梅の花も咲いています。


★≪二もと(ふたもと)の梅に遅速を愛す哉≫蕪村

早咲き、遅咲きの梅二本。

順に咲くので、長く花と香りを愛せます。

蕪村の愛した梅は、どのような木だったのでしょう。

富貴な門人のお庭に咲く、手入れの行き届いた樹木?

それとも京の裏町、蕪村が住む長屋の僅かな庭の梅、

案外、お弟子さん差し入れの鉢植えかもしれません。


★≪我を厭ふ隣家寒夜に鍋を鳴らす≫ 蕪村

蕪村と仲の悪い長屋のお隣さん、嫌がらせです。

ピアノを弾いている皆さまも、思い当たる節があるかもしれません。

現代的な句。


★≪歯あらはに筆の氷を嚙む夜かな≫ 蕪村

炭も乏しく、筆先が凍ってしまう程寒い冬を過ごした蕪村には、

心底、喜ばしい春の訪れです。

 

 


★新聞によりますと、先ごろ来日したドイツのメルケル首相が、

日本の大学生と討論会をしました。

AIの活用について問われた際の、メルケルさんの答えは、

《AI活用について問われたメルケル氏の答えは「どこまで人は、
その人らしさを保てるか」という問い掛けで始まった。彼女はこう説く。「義足をつけたり臓器移植を受けたりしても、同じ人間のままだ。しかし、私が脳にチップを埋め込み、より早くうまく考えられるようになっても、同じ私と言えるだろうか。私の人間性はどこで終わるのか。AIのおかげで遅かれ早かれ、他人の考えていることを読み取れるようになるだろう。しかし、誰にでも人に言えないことはある。他人とすべてを知り合ってしまうことで、殴り合いや殺し合いが増えるかもしれない。AIに倫理的な歯止めをかけなければならない」。(2019.2.11 東京新聞社説)


★AIなど、今後の社会のあり方に大きな影響を及ぼす問題について、

外国の若い学生さんと率直に、知的な討論会をするメルケルさんの

態度に感心します。


★私の家にテレビはありませんので、時々ラジオを聴きますが、

ニュースが始まって暫くしますと、いつも野球やらテニスやら、

スケート、相撲など、スポーツの話が、割り込んできます。

本来、メルケルさんの発言のように深く、重く、考えさせられる話は、

まず、流れてきません。

こういうお話こそ、ニュースで流すべきと思います。


★日々劣化しています日本の現状をみますと、

立派な音楽を聴くことに、人間の最も尊い感情と思考が求められる

クラシック音楽が、日本で下火になっていくことが、納得させられます。

しかし、諦めずに一歩一歩、勉強と探求を続けて参りましょう。

 

 

 


★前回ブログの宿題です。

「teldec」の「The Complete Bach Edition(154 CDs)」の

Nr.127収録の「Preludes BWV846a、847a、851a、855a」

について、


846a=平均律1巻1番 C-Dur Prelude の初期稿

 847a=平均律1巻2番 c-Moll Prelude の初期稿

 851a=平均律1巻4番 d-Moll Prelude の初期稿

 855a=平均律1巻9番 e-Moll Prelude の初期稿 です。


★4曲とも、Klavierbüchlein für Wilhelm Friedemann Bach

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための
             クラヴィーア小曲集の中の曲です。


表題ページの日付は、1720年1月22日です。

平均律クラヴィーア曲集1巻序文の日付は、1722年です。

上記4曲の他に、平均律第1巻の1番から12番のうち、

7番 Es-Dur を除く11曲の前奏曲が、この曲集に含まれています。


★私は、この11曲を平均律第1巻の「初稿」としての位置付けで

勉強してきました

Bachがそれをどう推敲し、平均律第1巻の空前の曲集に

昇華させたか、という興味からでした。

 

 


★しかし、Olivier Baumont オリヴィエ・ボーモン(1960-)の、

846a、847a、851a、855a の演奏を聴きますと、これらはまた、

別の魅力をもった独立した作品として、成立していることに

驚きました。


★例えば、BWV855a、Praeludium 5 は、

平均律第1巻10番 e-Moll の、前奏曲Praeludium の初稿です。

フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集のe-Moll

プレリュードが、5番で、平均律第1巻が10番となっていますのは、

平均律が「C-c-Cis-cis D-d」と、調性を「C」から半音ずつ上げていく

配列なのに対し、フリーデマン・バッハのほうは、異なる配列

「C-c-d-D-e・・・」だからです。


★平均律BWV855 の、上声の旋律は、このように典雅に装飾されて

います。
                  

 

★それに対し、フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集

(BWV855a)の上声は、平均律第1巻10番の装飾された旋律の

基となる、和音が、各小節1、3拍目のみにポツンポツンと、

奏されます。

 

 

Bachの頭の中には、当然、平均律第1巻の装飾された旋律が

あった筈ですが、長男フリーデマンに『様々な装飾』をさせて

弾かせていたと思われます。

この和音のみが1、3拍目に配置される、というパターンは、

21小節目まで続きます。

その後、22、23小節で、このようにあっさりと曲を閉じます。

 

 

 

平均律第1巻10番は、23小節からテンポが「Presto プレスト

(急速に)」と表示され、41小節目まで、上、下声ともに、

絶え間ない16分音符で疾風のように、駆け抜けていきます。

 


 

 

★曲の長さも、BWV 855a は23小節、BWV 855 は41小節ですので、

倍近く長く、上声も、BWV855a のものは、単純な三和音に対し、

平均律の方は、典雅な旋律であるというように、

その個性は全く異なります。


BWV855a を、ボーモンの演奏で聴きますと、とても魅力的で、

こちらも一つの独立した作品として、味わうことができました。


★皆さまも、是非このフリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集

の楽譜を、勉強なさって下さい。

小さなお弟子さんには、大バッハの顰に倣って、この曲集を

レッスンに取り入れてください。

大バッハは、インヴェンションとシンフォニアの前に、

この11曲の平均律第1巻前半の Prelude を、長男フリーデマンに

レッスンしています。

 

 

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■Schumannの言葉「名人の演奏家より、楽譜と付き合いなさい」

2018-12-22 13:13:56 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■Schumannの言葉「名人の演奏家より、楽譜と付き合いなさい」
~シューマンの言葉を実感したドイツ・カンマ―フィルのSchubert「ザ・グレート」~
      ~上野の森美術館「Vermeer フェルメール」展

          2018.12.22   中村洋子

 

 


★≪シクラメン花のうれひを葉にわかち≫ 久保田万太郎(1889-1963)

シクラメンは春の季語ですが、年末クリスマスのお花屋さんを、

華やかに彩る紅の花は、寒さに縮こまりそうになる身体と心を、

ほのかに暖めてくれそうです。

今日は冬至です。


銀供出令出づ ≪かんざしの目方はかるや年の暮≫

同じく万太郎の句。

女性のおしゃれの楽しみである「簪(かんざし)」のわずかな銀でさえ、

戦争のために供出させられた年の暮れ。

こんな年の暮れが二度と、来ないことを願うばかりです。

 

 


★12月は心に残る展覧会とコンサートに出かけました。

上野の森美術館で開催の「Vermeer フェルメール」展。

https://www.vermeer.jp/pictures/

https://www.vermeer.jp/ 

氷雨に近い冷たい雨がそぼ降る夕方、会場は鑑賞者が少なく、

静かにじっくり、見ることができました。


★8点のVermeer フェルメール(1632-1675) のうち3点、

「リュートを調弦する女(1662~63年頃)」、

「真珠の首飾りの女(1662~65年頃)」、

「手紙を書く女(1665年頃)」、

それぞれ「メトロポリタン美術館」、「ベルリン美術館」、

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」所蔵作品です。


★並んだ3点を同時に拝見できるとは、またとない機会でした。

制作年代も、フェルメール30~33歳です。

光沢のある黄色い上着を身に着ける若い女性。

豪華な毛皮で縁取られ、フカフカと暖かそう。

3点とも、同一人物でしょう。

「真珠の首飾りの女性」については、私の著書「クラシックの真実は

大作曲家の自筆譜にあり」の95~96ページをご覧ください。

 


★「光あれ!Es werde Licht ! Und es ward Licht !」の

光の世界と、この3枚に共通している「ネックレスの輝き」、

「イアリングの真珠の輝き」、「光る椅子の鋲」、

それらによる点の「Composition」。


point counter point 点対点の対位法を楽しみました。

この若い女性が大切にしている真珠のネックレスやイアリング、

日本の女性の簪と同じでしょう。

戦争に使うという名目で、「供出」という名の、

事実上の強奪により、取り上げることは本当に呆れます。

アクセサリーは、女性を飾るためだけに使うものですね。

 

 


★「Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen

ドイツ・カンマ―フィルハーモニー管弦楽団」、

Franz Schubert フランツ・シューベルト(1797-1828)の

Sinfonie Nr.8 C-Dur D944  “Die Große”

シューベルト交響曲第8番「ザ・グレート(ディ・グローセ)」は、

名演でした。

指揮は、Paavo Järvi パーヴォ・ヤルヴィ(2018.12.12 東京オペラシティ)


★私の座席は、1階の前から3列目の左端でした。

この席は、舞台から聴こえる音のバランスは決して良くありませんが、

目の前は、3人のコントラバスの定位置でしたので、

シューベルトの bass バス 声部の凄さを、勉強できました。


チェロとコントラバスが分離して作曲された場合、

オーケストラがどのような和声の響きを形成するのか、

この答も、今回のような名演を聴くことにより、

会得できるものなのですね。


★例を挙げますと、まず第1楽章冒頭、7小節間はホルン二人のみで、

心を鷲掴みするような旋律が奏されます。

 

 


★この1、3、4小節の中から、モティーフである「c²-d²-e²-f²-g²」の

音階が形成され

 

 

2、3小節の中から、モティーフである音階「a¹-h¹-c²-d²-e²」が、

形成されています。

 

 

この1~4小節までの 4小節間は「二声」で書かれた、

とも言えます。

更に凄いのは、この2つのモティーフである音階を繋げますと、

「C-Dur」の音階が形成されることです。

 

 


★このように、「モチィーフを組み合わせることによって、

音階を形成する作曲技法」の源は、勿論バッハなのですが、

8月23日、9月11日の当ブログ、

『チャイコフスキー「四季」の真正な楽譜のみ分け方』の

「四季」にも効果的に、用いられています

是非、探求してみて下さい。

 

 


★お話をシューベルトに戻しますと、

この「二声」を読み解くカギは、アクセント記号「>」にあります。

シューベルトが何故、そこにアクセントを付けたのか ?

クラシックの名曲は、必ず豊かな counterpoint 対位法 によって

作曲されています。

シューベルトも、チャイコフスキーも例外ではありません。


二本のホルンが、ピアニッシモppで「c²」の全音符を

奏している8小節目、弦楽器が密やかにホルンに呼応します。

 

 

★チェロとコントラバスを、もう少し詳しくみますと、

8~16小節の間、両者はこのように全く同一です。

 

 

★コントラバスは記音(記譜された音)より、実音(実際に鳴る音)は、

1オクターブ低いので、

 

 

実は、チェロとコントラバスは互いに1オクターブ音程の幅がある

unison ユニゾンを形成しています。

 

 

★名曲のオーケストラスコアをご覧になりますと、

このように作曲されていることが、多いと思います。

しかし、シューベルトの「Die Große(ディ・グローセ) ザ・グレート」は、

チェロとコントラバスが分離して、各々独立しているところが

とても多いのです。

例えば、17~28小節目までは、

 

 

チェロとコントラバスだけで、これだけ美しい対位法を築いています。

大譜表に書き直してみますと、このようになります。

 

 


★このチェロとコントラバスの上に、更にヴァイオリンⅠとⅡ、ヴォオラが

加わるのですから、まさに“天上の美しさ”です。

皆さまも是非、スコアでチェロとコントラバスの「妙なるDuo」の数々を、

探し出し、楽しんでください。

この名曲を世に出すことに尽したRobert Schumannロベルト・シューマン

(1810-1856)が、「Musikalische Haus-und Lebensregeln

家庭と生活での音楽ルール」の中で、子供たちに語っているように、

「大きくなった時、名人の演奏家と交際するよりは、楽譜と付き合いなさい」

ですね。


Robert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)の

音楽評論については、私の著書

「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり」の256~258ページに、

最も大切な部分を、私が訳して掲載しておりますので、

どうぞ、お読み下さい。

 

 


★なお、Schumannシューマンの弟子ともいえる、 Johannes Brahms

ブラームス (1833-1897)が、この交響曲をどんなに深く、

勉強していたかが、聴いていて実感できました。

“あそこにも、ここにも”と、ブラームスが顔を出すのです。


★この「Die Große (ディ・グローセ)ザ・グレートは」、

「長い曲だ、長過ぎて繰り返しも多い」と、世に喧伝されていますが、

それは演奏が良くないからでしょうね。


★前回ブログで、オリ・ムストネンのPaul Hindemith パウル・ヒンデミット

(1895-1963)が素晴らしい名演で、一瞬のことのように思えた、と

書きましたが、この「Die Große ザ・グレート(ディ・グローセ)」も、

些かも飽きることなく、気が付いたら、終わっていたというような

幸せな音楽体験でした。

オーケストラの皆さんの顔も、音楽をする喜びに溢れていました。


★このシューベルトの「Die Große ザ・グレート」は、コンサートの第2部

でしたが、第1部は、 Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750) の

Konzert a-Moll für Violine und Orchester BWV 1041

ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調と、同第2番 BWV 1042 E-Dur ホ長調

を、2曲続けての演奏でした。


★大好きなこの2曲、楽しみに出掛けたのですが、

なんとも退屈で、長く感じられました。

独奏のヴァイオリニスト Hilary Hahn ヒラリー・ハーンは、

美しい容姿で、流麗にサラサラ演奏されるのですが、

和声の裏付けのある色彩感に乏しく、対位法による構成も貧弱。

 

 


Schumanの「大きくなった時、名人の演奏家と交際するよりは、

楽譜と付き合いなさい」とは、このことだと実感しました。

もし、この演奏で初めて、Bachを聴いたお子さまがいたとしましたら、

Bachを好きにはならない、のではないかと危惧しました。

まず「スコアで勉強することが大切」というのが、

Schumannの考えでしょう。


オーケストラメンバーのお顔の表情も、Bachのヴァイオリン協奏曲の時と、

シューベルト「Die Große ザ・グレート」の時とでは、

随分と違って見えました。

心の奥底から湧き上がる音楽を創り出すときには、人の顔は、

フェルメールの「真珠の首飾りの女性」のように、光に向かって、

幸福感に満たされた、輝く顔になるのですね。

 

 

 

 

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■お正月、放哉と青空、Bachカンタータと四声体コラール、ジョン・ケージ■

2018-01-07 13:29:39 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■お正月、放哉と青空、Bachカンタータと四声体コラール、ジョン・ケージ■
 
                  2018.1.7      中村洋子

 

 

★穏やかな「2018年」の年明けでした。

≪針の穴の青空に糸を通す≫ 尾崎放哉

私の好きな放哉の句です。

季語の無い自由律俳句ですから、季節は分かりません。


★放哉の句によく見かけられる「空」は、哲学的な意味を

含んだ語かもしれません。

しかし、私は、この小さな針穴から、広大無辺な青空に一本の

細い意図を通すという行為、

心が開放され、かつ収斂する様は、

新年にこそ相応しいという、気持ちがします。

 

 


★かつて、新春は「フーテンの寅さん」の新作映画が、

毎年、封切られていました。

美しい女性にまたもや失恋し、淋しい旅の空の寅さん。

故郷の葛飾柴又では、妹のサクラの手に、寅さんからの葉書。

寅さんの懐かしい声が、ナレーションで流れてきます。

柴又の江戸川河川敷では、無心に凧揚げに興じる子供たち。

正月休みでスモッグも無い、青く澄んだ冬の、東京の空です。


★今年も広大無辺な音楽の青空に、妥協することなく、

極小の針穴に、糸を通す努力、営為を続けていきたいと、

願っております。


★お正月休みにいただいたお便りです。

私のCD「無伴奏チェロ組曲3、2番」(Wolfgang Boettcher

ヴォルフガング・ベッチャー演奏)に、収録されています、

小品二曲のご感想が書かれていました。



『冬の庭』は、誰も足を踏み入れていない静謐な、
白一面の庭を想起させてくれます。
冷えた地ではあるけれど、その奥底には確かなエネルギーが
息づいているようでもあり…。

 『夜色楼台図』は、ベッチャー先生のうなりが
所々入っているのもあり、峻厳さや孤高といったものを
より強く感じます。
鳥となった蕪村が漆黒の雪雲を、
その小さな身体で懸命にまとっている、
そんな画も浮かんできます。


★このように深く聴き込んで頂き、感謝しております。

なお、このCDは、アカデミアミュージック

銀座・山野楽器銀座本店で、お求め頂けます。


★私の年末年始は、いつもの日常と変わらず、

淡々と仕事を続けていました。

その間、一曲仕上げることができました。

 


★ここ数日は、Nikolaus Harnoncourt
              ニコラウス・アーノンクール(1929-2016)指揮の、

Bach「J.S.Bach: Great Cantatas 」という、
https://wmg.jp/artist/harnoncourt/PKG0000018970.html

カンタータをたくさん集録したCDを、毎日、聴いていました。

大変に納得のいく、優れた演奏と思います。


★このカンタータボックスは、7枚組ですが、

1枚目に、教会カンタータ「Es erhub sich ein Streit BWV19

戦いが起きた(教会暦 聖ミカエル祭 1726年9月29日初演)」

が、集録されてます。


★≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫の初演が1727年。

その一年前の曲です。

このカンタータの最後の曲である「コラール」を、聴いてみてください。

1~5小節目の合唱部分は、こうです。

 

 


★これを大譜表に書き直しますと、こうなります。

 

 

★続く6~9小節目も、大譜表では、こうです。

 

  

★10小節目以降もソプラノだけ書き写しますと、

 

Bachが、異なった四声体和声をつけた「コラール」は、

Bachの没後、息子の「C.P.E Bach」と、「Johann Philipp Kirnberger

ヨハン・フィリップ・キルンベルガー(1721-1783)によって編纂された

≪371 vierstimmige Choräle für ein Tasteninstrument
                                                    (Orgel,  Klavier, Cembalo) 
  371 Four-Part Chorales for one Keyboard Instrument
                                                   (Organ, Piano, Harpsichord)
 鍵盤楽器(オルガン、クラヴィーア、チェンバロ)のための
                    371の四声体コラール≫

https://www.academia-music.com/shopdetail/000000052660/

にも、掲載されています。

 

 

 この371曲の「四声体和声」を弾き、学ぶことは、

Bachの和声を身につけるために、とても役立ちます。

お薦めいたします。

 

 


Robert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)も、

子供たちに、幼い頃から「四声体和声」を身につけて欲しいと、

願っていました。

 

 

★「Album für die Jugend Op.68 ユーゲントアルバム」の

第4番が、実は、このコラールです。


★この「Album für die Jugend ユーゲントアルバム」につきましては、

現在、大変幸せなことに

①初稿 Klavierbüchlein für Marie
https://www.academia-music.com/shopdetail/000000030094/

②自筆譜浄書譜
https://www.academia-music.com/shopdetail/000000030258/

③初版譜ファクシミリ
https://www.academia-music.com/shopdetail/000000031072/

④大作曲家Gabriel Fauré ガブリエル・フォーレ(1845-1924)
                            の校訂版
https://www.academia-music.com/html/page1.html?q=%EF%BC%A6%EF%BD%81%EF%BD%95%EF%BD%92%EF%BD%85%E3%80%80%EF%BC%B3%EF%BD%83%EF%BD%88%EF%BD%95%EF%BD%8D%EF%BD%81%EF%BD%8E%EF%BD%8E&sort=number3,number4,number5&searchbox=1&o=0

の4種類が、易々と入手可能です。


★これ以上は、もう必要ないのではないか、と思うくらい、

この「ユーゲントアルバム」については、

私たちは恵まれた状況にあります。


フォーレの校訂版は、読み込み方を理解しますと、

曲の構造と演奏法が、しっかりと身につきます。

 

 

それにつきましては、また、稿を改めてお話いたします。

 

 


1月20日(土)に、「平均律第1巻第1番」アナリーゼ講座
https://www.academia-music.com/new/2017-10-26-151213.html

開催いたします。

今回は、休憩を含めて4時間の講座ですので、

じっくりお話が出来ると思います。


Bachにとって、「Prelude」 とはなんであったのか?

それを、「無伴奏チェロ組曲」の「Prelude」 と、

「平均律第1巻 C-Dur Prelude」との対比から、

解き起こします。


★その影響は、アメリカの作曲家 John Cage

ジョン・ケージ(1912-1992)にまで、深く浸透していることも、

ご説明する予定です。


ケージは、Arnold Schönberg アルノルト・シェーンベルク

(1874-1951)の下で、20代に、

Bachの 「counterpoint 対位法」を、学んでいるからこそ

大きな革新を打ち出せた、ともいえます。

シェーンベルクの「12音技法」とは、

バッハの対位法を、拡大発展させた作曲技法です。


★そのケージの作品を、形だけ真似しましても、

フワフワとマシュマロのような「現代」音楽しかできないでしょう。

実体がないのです。


★それを理解しますと、Bachを弾くこと、学ぶことが

更に楽しくなります。


Cello チェロのマエストロ、Wolfgang Boettcher

ヴォルフガング・ベッチャー先生から、新年のお便りを頂きました。

「Enjoy life and music !」と、先生はおっしゃっています。

「life」を、どう訳しましょう。

「人生と音楽を楽しんでください」でしょうか。

この言葉を、皆さまへの新年のご挨拶といたします。

「Enjoy life and music !」

 

 


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■ケンプのCD「平均律1巻(抜粋)」の偉大さ、曲順がBachの作曲意図を完璧に示す■

2017-06-12 23:29:23 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ケンプのCD「平均律1巻(抜粋)」の偉大さ、曲順がBachの作曲意図を完璧に示す■
~14日(水)、KAWAI名古屋「平均律1巻6番d-Moll」アナリーゼ講座~
   
                                 2017.6.12   中村洋子

 

 

★梅雨の季節になりました。

ドクダミが白い花を咲かせています。

清楚です。

ドクダミという名前は、気の毒な命名です。

花の付いた茎を摘み取り、浴槽に数本浮かべますと、

清潔感ある香りが漂います。

葉の緑が鮮やか、皮膚がツルツルになります。


★庭の薔薇の花びらを、浮かべても、素敵です。

もちろん、農薬はかかっていません。

巷に溢れる人工香料には辟易します。

気分が悪くなることもあります。

自然の香りは、馥郁として、

この季節ならではの楽しみです。


★先日、当ブログの内容をそのまま、自分のブログに貼り付け、

そのうえ、All Rights Reservedと、著作権まで主張しているサイトを、

複数も発見しました。


★あるサイトは、金銭まで要求するようです。

私が、心血を注ぎ、すべて自分で考え、孫引きせず、

発見し、当ブログを通じて皆さまにお伝えしていますことが、

このように、悪用されていることに、驚き呆れ、不快です。

 

 


★音楽の真髄の探求からは、宇宙の端から端までの距離ほど、

離れている行為でしょう。

私の講座や、当ブログの内容は、

言われてみれば、「なるほどその通り!!!」と、

ごく普通に、納得されることでしょう。

しかし、その結論に至るための「着想(idea)」を得るには、

勉強、勉強、勉強という、長く苦しい道程が横たわっています


この「着想(idea)」、あるいは「発見」を生み出すことの重み、

価値について、理解されていない方も多いようです。

 

 


日本で出版されています楽譜の校訂について、

海外の優れた楽譜、特に、絶版になっていたり、

品切れになっている楽譜など、

人目に触れることが少ない楽譜の、校訂アイデア(着想)を、

あたかも、ご自身の着想のように装って、

しかも、その一部だけを、木に竹を接ぐかのごとく、

散りばめているものが多いのを、

以前、指摘いたしました。

そうした楽譜が、出版されよく売れていることとも、

共通しているかもしれません


そうした楽譜は、ツギハギの分析をパッチワークのように

貼り合わせ、趣旨一貫していないため、

それによって演奏しようとしますと、

「ピアノは好きだけれど、この楽譜では、どう弾いたらいいか、

分からなくなってしまいます」と、

真面目に勉強しようとしている多くの方々を惑わせ、

音楽を演奏し、聴き、学ぶ楽しみから、

次第に、引き離していくのです。

 

 


6月14日(水)のKAWAI名古屋での

「平均律1巻6番d-Moll  Prelude & Fuga」アナリーゼ講座では、

そのような“まがい物”ではない、真正な校訂楽譜を皆さまにご紹介し、

勉強方法をお伝えいたします。


Bachの「平均律クラヴィーア曲集1巻」を勉強するには、

何はさておき、「Bachの自筆譜を勉強する」に、尽きるでしょう。

それをいたしませんのは、怠慢。

前記の真正ではない校訂楽譜に、足をすくわれることは、

せっかくの「音楽人生」にとって、時間の大いなる損失。

とても残念なことです。


★私はいま、近く出版されます

「Bärenreiter平均律クラヴィーア曲集第1巻」の、

≪校訂者(Dürr)前書きの翻訳≫、

≪その前書きに対する、訳者(中村洋子)の注釈≫

さらに、

≪Bach「序文」の翻訳と、「序文」の中村洋子解釈≫の、

ゲラをチェックしています。


★出版はもうすぐです。

そこでは、「Bachの序文」が、本当は何を意味したかったか・・・

ということを、徹底的に分析し、解説いたしました。


Bachが、平均律1巻の冒頭に、自分で書きましたこの「序文」、

その分かり難さについては、文章で説明する能力が、

彼の音楽能力に比べ、それほど優れていないせいかと、

これまでは思っていました。


★しかし、平均律1巻の「自筆譜」をすべて、

手で書き写して勉強しますと、そうでないことが

はっきり分かりました。


Bachは、この謎めいた「序文」を書くことにより、

“私が言わんとすることを、あなたは自分で考えてごらんなさい。

そうすれば、私の音楽を正しく理解できます」と、

言っている、と思います。


★「序文」を読んだ人に、考えることを要求しています。

その意味がやっと、私にも分かりました。

これが着想(idea)であり、剽窃ではない価値のある営為であると、

私は、思います。

 

 


★さて、この「序文」の意味を理解しますと、

Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)が、

1975年に録音しました

「Das Wohltemperierte Klavier  1.Teil (Auswahl)」
  平均律クラヴィーア曲集 第1巻(抜粋) POCG90105
                         
の偉大さに驚きます。


★特に、演奏曲順の凄さに、唸ってしまいます。

Bartók Béla バルトーク(1881-1945)校訂版の楽譜も、

平均律1、2巻全48曲を、Bartókが考え抜いた曲順で、

配列し直しています。


★この Kempff のCDは、1巻から12曲を選び、

以下の順に演奏しています。

➀1番 C-Dur ②2番 c-Moll ③17番 As-Dur ④3番 Cis-Dur

⑤8番 es-Moll  ⑥7番 Es-Dur⑦15番 G-Dur ⑧16番 g-Moll

⑨21番 B-Dur ⑩22番 b-Moll ⑪6番 d-Moll ⑫5番 D-Dur


Kempff は、この曲順によって、

Bachが「序文」で言わんとしていたことを、

すべて完璧に説明している、と思います。

すべて、見通しています。


★14日のKAWAI講座は、「6番d-Moll」を勉強しますが、

これは、 Kempff のCDでは、第11番目に置かれ、

最後の「5番D-Dur」の前に配されます。


★これは、遥か「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」まで、

見通せる配列です。

Kempff の眼は、Bachの意図を透徹し、全てを見抜いていた、

と言わざるを得ません。


★このCDは、幸い現在でも入手可能です。

「Manuscript Autograph 自筆譜」ファクシミリを見ながら、

是非、勉強をしてください。


★ Kempff の演奏は、Bach自筆譜を譜面台に置いて弾いた、

と錯覚するほど、Bachの意図(序文も含め)を分析し貫き、

その上に、 Kempff オリジナルのファンタジーを、

羽ばたかせています。

 

 


★≪Bartók校訂の平均律1巻≫では、

第1曲目が「2巻第15番G-Dur」。

この「6番d-Moll」は、第2曲目として登場します。

プレリュードは、とても詩的に始まります。



1、2拍目は、2拍目上声の16分音符4つ目の「f¹」まで、

ペダルを踏み続けます。

静かな湖にさざ波が立つような始まりです。

Quieto(♩=70)と、表示しています。


★そして、このペダルが終わった2拍目上声、

16分音符4番目の音「f¹」で、ペダルが離され、

 

3拍目上声1番目の「b¹」が奏される直後まで、




ペダルは踏まれていません。


★すなわち、ペダルの空白域、2拍目上声16分音符5番目の「d¹」、

6番目「d²」、3拍目上声16分音符1番目「b¹」の、この三つの上声

「d¹ d² b¹」が、湖面から浮かび上がるように、

聴こえてくるのです。




★この浮かび上がる上声音は、

Bartókのアナリーゼの基本となります。






名古屋で詳しくお話します。


Bartókは、脚注(フットノート)で、さりげなく、

「Manuscript Autograph 自筆譜」ファクシミリを見ていることを、

告白しています。


★それなのに、何故か、最終小節26小節目、最後の2分音符主和音の

「fis¹」の、「♯」を脱落させ、「f¹」にしています。





Bachが「fis¹」と書いているのに、

あえて、それを変更したのは、何故か?

それは、平均律1巻での、Chopinの書き込みにも見られる、

大作曲家の共通項、とも言えるのです。



 

その理由も、講座でご説明いたします。

 

                   (麦秋)

 

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■「ゴルトベルク変奏曲」の白眉「第25変奏」は、同じg-Mollの第15、21変奏で準備されている■

2017-05-11 01:56:03 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■「ゴルトベルク変奏曲」の白眉「第25変奏」は、同じg-Mollの第15、21変奏で準備されている■
  ~5月13日、第8回「ゴルトベルク変奏曲・アナリーゼ講座」~
           
             2017.5.11   中村洋子

 

 

 

★≪ちりてのち おもかげにたつ 牡丹かな≫

与謝蕪村の名句です。


★満開だった牡丹の花が、花びらを一枚一枚

散らしていきます。

結実した雌蕊が盛り上がっています。


★あの豪華だった花が、幻影のように、

浮かんでいます。

 

 


★「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」は、

主題である「Aria」の後、30の変奏曲が繰り広げられます。

一抹の淋しさを漂わせた最後の第30変奏「Quodlibet」の後に、

静かにもう一度、「Aria」が奏されます。


★私は、この「Aria」が終わりますと、

静寂の中に、幻のように、

「Aria」と30の変奏曲の全体像が、浮かんできます。

ちょうど、蕪村のこの句のように。


★5月13日の「ゴルトベルク変奏曲・アナリーゼ講座」は、

第22、23、24変奏です。

この第24変奏で、遂に1オクターブのカノンに辿り着きました。


★ゴルトベルク変奏曲では、曲の番号が3の倍数に当たる変奏は、

すべて「カノン」です。


★それも、

第3変奏は、1度(同度)のカノン、




 

第6変奏は、2度のカノン、


 

  

第9変奏は、3度のカノン、







第12変奏は、4度のカノン、






 

 第15変奏は、5度、ト短調g-Mollの反行カノン、

 



第18変奏は、6度のカノン、第22変奏と相関関係にあります、

 





第21変奏は、7度のカノン、2回目のト短調、

 




第24変奏は、8度(1オクターブ)のカノン、

 

 


第27変奏は、9度のカノンです。

 

 

★第30変奏は「Quodlibet」は、二つの民謡を基にした、

二重対位法ですから、第6~27変奏の厳格なカノンとは、

性格を異にしています。


第12と21変奏は、1段鍵盤か2段鍵盤か、

指定されていませんが、1段鍵盤が妥当でしょう。

はっきりと「a 2 Clav. 2段鍵盤で」と書かれているのは、

第27変奏だけです。


それ以外の第6、9、15、18、24変奏の5曲は、

「a 1 Clav. 1段鍵盤で」と指定されています。


★第27変奏以外は、1段鍵盤で演奏する、ということは、

どういう意味でしょうか?


★それは、音色の異なる2段鍵盤での、豊かな色彩感を

Bachは要求したのではない、ということです。

言い換えますと、音色に頼らず、カノンを弾き分けなさい、

ということでしょう。

 

 


★第24変奏を例にとりますと、

ソプラノと内声のカノンに、バス声部がプラスされている・・・

というとらえ方では、Bachの意図に迫ることはできないでしょう。


★ソプラノだけの1声部に見えます上声を、

本当にソプラノ1声部なのか?・・・と、

考えることから、本当の演奏は始まります。

この点につきましては、講座で詳しくお話いたします。

 

★ゴルトベルク変奏曲の中で、

その三分の一を占める「カノン」が、大きな柱であることは、

間違いありません。


★また、ト長調(G-Dur)の曲集でありますが、

ト短調(g-Moll)が、3曲あります。

それは、第15、21、25変奏ですが、

そのうちの2曲、第15、21変奏がカノンであることも、

見逃せません。


★詰まるところ、

このゴルトベルク変奏曲の白眉である

「第25変奏 ト短調(g-Moll)」を、

第15、21変奏で準備しているとも、言えましょう。

  

★アナリーゼ講座は、

http://www.academia-music.com/new/2017-02-21-142146.html

 

 

  

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■次回「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座お知らせ■

2017-01-22 22:25:18 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■次回「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座お知らせ■
 ~第19、20、21変奏曲、19変奏は≪花の影に隠れた“大砲”(対位法)の曲≫~
              2017.1.22   中村洋子

 

 


★昨21日、第2期1回「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

アナリーゼ講座を、開催いたしました。

大寒の中、たくさんの皆さまにご参加頂き、ありがとうございました。


★この第16、17、18変奏曲について、

Bachの音楽の背景を成すであろう Antonio Vivaldi 

アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)や、

Bachと同い年で当時、スペインの王朝で活躍していました

Domenico Scarlatti ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)や、

Bach自身の作品群から、この変奏曲の背景を探りました。


★それにより、チェンバロという楽器を借りて、

Bachがイメージしたであろう、豊かな色彩で、

豪奢な音色を想起する手段を、お話いたしました。


★また、変奏曲を「四声体」化し、作曲中のBachの頭の中では

“このような声部で聴こえていた”であろうことを、

解説いたしました。


★前回のブログで問題にしました「第17変奏曲」の

29小節目1拍目下声の「h」音の改変についても、

講座では以下のように、補足してご説明いたしました。


★この29小節目1拍目下声の「h」音、≪要の中の要の音≫であり、

第18変奏曲のある二か所の音、第19変奏曲のある一点の音、計4ヶ所で、

冬の夜空に、煌々と輝く4つの「一等星」のように、

巨大な星座“大四角形”を形成していく、というお話をしました。

この「h」音が「g」になりますと、“大四角形”はあり得ません。

「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」全体の骨格が崩れます。

Bachの構想の壮大さに、感動します。


★≪要の中の要の音≫が、推測により、

恣意的に改変されているということには、とても当惑しております。

 


★私の講座では、地道に一つ一つの変奏曲を徹底的に、分析します。

法隆寺や桂離宮の美しさも、細部をまず検証することから始まります。

その後、全体の大きな骨格、構想、美しさが理解できると思います。

倦まず弛まず、この地道な作業を続けていきたいと、思います。


Bachの作品は、どんな細部であろうと、その細部のすべてに、

目に見えない柱や梁、桟が張り巡らされており、

揺るぎない力学構造によって支え合っています。

たとえ一点一画でも、間違って手直しされますと、

大伽藍が一気に崩落してしまうほどの、緊密さです。

Bachの考えに考え抜いた技法が、血管と神経のように、

隅々まで走っています。

その洗練さに感嘆するばかりです。


★これが、西洋クラシック音楽の根本原理なのです。

私は、日本音楽もずいぶんと聴いたり、勉強も致しました。

民族音楽も大好きです。

どの音楽も、固有の原理と構造を持っています。

これらに優劣はないでしょう。

 

 

★しかし、西洋クラシックを勉強するのであれば、その根本である

Bachを徹底的に勉強しなくてはならないでしょう。

Bachの基礎となるのが「counterpoint 対位法」なのです。

優れて「論理」の世界です。

そこに、日本的な情緒や情念、雰囲気は関係ないでしょう。


第17変奏曲の「h」音の重要性を認識することから、

巨大な“大四角形”の星座の勉強が始まっています。

つまり、ここで既に、第19変奏曲の構造分析が始まっているということです。


第19変奏曲は、Robert Schumann

ロベルト・シューマン(1810-1856)が、

Frederic Chopin ショパン(1810-1849)の曲を評するのに、

形容した文を模しますと、

≪愛らしく、可愛らしい曲のように見えますが、

花の影に隠れた“大砲”(対位法)である≫とも言えましょう。


次回の第2期第2回アナリーゼ講座は、3月18日(土) 13:30~16:30です。

 

 

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■第2期第2回「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座

・メヌエットのような優美で愛らしい第19変奏曲
・交差する両手が所狭しと鍵盤を転げまわる第20変奏曲
・半音階とシンコペーションが憂愁に閉ざされて沈むト短調の第21変奏曲


「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」の第2期第2回は、
第19、20、21変奏の三曲です。

 

 

第19変奏曲は、暮れそうで暮れない春の一日のように、明るく、穏やかな曲です。
いつまでも踊っていたくなるようなメヌエットです。
しかし、その構造は実に堅固です。
主題Ariaがそこここに顔を覗かせてきます。

第20変奏曲は、8分音符の上行モティーフ、
それを反行形で追いかける16分音符の下行モティーフ、
さらに、3連符の音階や分散和音が絡み合います。
いっせいに春の花が咲くかのように、鍵盤上を転げ回ります。

第21変奏曲は、明るく華麗な世界が一転し、同主短調のト短調に暗転します。
15変奏に続く二度目の短調です。
あの明るいインヴェンション1番と同じモティーフを使いながら、
このように暗澹とした深い嘆きに満ちた主題へと変容させる
バッハの天才に驚かされます。

※本講座は、初版譜ファクシミリ(Fuzeau出版社)を基にして進めます。

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■日時:2017年3月18日(土) 13:30~16:30

■会場:文京シビックホール、多目的室(地下1階)

■申し込み先:アカデミアミュージック・企画部
        ℡:03-3813-6757
        E-mail : fuse@academia-music.com  (日曜は定休)

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■「ゴルトベルク変奏曲」 アナリーゼ講座 今後の予定
日時: 5月13日(土)、7月8日(土)  各回 13:30~16:30
会場:文京シビックホール 地下1階 多目的室

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■講師:作曲家  中村 洋子

東京芸術大学作曲科卒。
・2008~09年、「インヴェンション・アナリーゼ講座」全15回を、東京で開催。

・2010~15年、「平均律クラヴィーア曲集1、2巻アナリーゼ講座」全48回を、
東京で開催。
自作品「Suite Nr.1~6 für Violoncello無伴奏チェロ組曲第1~6番」、「10 Duette für 2Violoncelli チェロ二重奏のための10の曲集」の楽譜を、
ベルリン、リース&エアラー社 (Ries & Erler Berlin) より出版。

・2014年、自作品「Suite Nr. 1~6 für Violoncello無伴奏チェロ組曲第1~6番」のSACDを、Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー演奏で発表 (disk UNION : GDRL 1001/1002)。

・2016年、ブログ「音楽の大福帳」を書籍化した ≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫~バッハ、ショパンの自筆譜をアナリーゼすれば、曲の構造、演奏法までも分かる~(DU BOOKS社)を出版。

・2016年、ドイツのベーレンライター出版社(Bärenreiter-Verlag)が刊行したバッハ「ゴルトベルク変奏曲」 Urtext原典版の「序文」の日本語訳と「訳者による注釈」を担当。

 

 

 

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■「Für Elise エリーゼのために」 Henle新版に、重要な音符変更あり■

2016-12-29 21:57:21 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■「Für Elise エリーゼのために」 Henle新版に、重要な音符変更あり■
~ヤマハ銀座に「自筆譜特設コーナー」、私の著書も推薦図書として展示~

             2016.12.29   中村洋子

 



★ことしもあと2日となりました。

このところ、ベルリンのトラックテロ、糸魚川の大火、

昨日の茨城県での震度6弱の大きな地震と、

痛ましい出来事が続いています。


★ベルリン・トラックテロの現場近くにあります

「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」は、以前、Wolfgang Boettcher

ヴォルフガング・ベッチャー先生が

私の「無伴奏チェロ組曲第1番」を演奏してくださいました教会です
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/0aaa14093e0d4061a0750cff23504bb8

演奏後、教会の牧師さまからも、心のこもったお手紙をいただきました。

「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」は、 第二次大戦中の1943年、
ベルリン大空襲により、広島の原爆ドームのように大きく崩れました。
戦後、戦争の酷い実態を記憶に留めるため、 破壊された教会をそのまま残し、
横に、 超モダンな新しい教会を建て、二つを並立させています。
新しい教会は、青紫色のステンドグラスで覆われ、 幻想的で美しい建物です。
その対比が見事です。 繁華街クーダム(Kudamm)にあり、ベルリン市民には
「虫歯」というあだ名で親しまれ、ベルリンの観光名所にもなっています。
 教会の写真:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E6%95%99%E4%BC%9A


★テロの後、ベルリンの知人にメールで問い合わせいたしましたが、

皆さま、当然ですがご無事で、悲しい出来事を悼んでいらっしゃいました。

「Musikverlag Ries&Erler Berlin リース&エアラー社」の

社長Andreas Meurerさんのお便りは、

「事件が起きた所は、会社から3キロしか離れていません。

GEMA(ドイツ著作権協会)で名誉職の仕事をしており、そこに行くため、

月に何回も現場を通っています。犠牲者の方々を悼みます」。

皆さま、ごく身近で起きたこととして、深く悲しんでおられました。







★明るいニュース:ヤマハ銀座店3F 楽譜・音楽書売場特設コーナーで

26日から「3大作曲家特集~バッハ・モーツァルト・ベートーヴェン~」

が、始まりました。

≪自筆譜や初版譜を複製し出版したファクシミリを通してバッハ、モーツァルト、
ベートーヴェンの真髄に近づいてみませんか?≫
http://www.yamahamusic.jp/shop/ginza/event/3f_fair_information/three-major-composers.html

●お薦め:ファクシミリ楽譜
J.S.バッハ:アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア練習帳
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op.132/アンドラーシュ・シフ 序文
Beethoven:String Quartet a mainor op.132/Pre.Shiff
モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 KV504「プラハ」
Mozart:Sinfonie Nr.38 D-dur,KV504 'Prager

●お薦め:書籍
クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!
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私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫は、

Beethoven 「Für Elise エリーゼのために」の草稿ファクシミリの脇と、

さらに、もう一ヶ所にも展示されています。


★ブログではよくお話していますが、大作曲家の自筆譜のファクシミリを、

実際に手に取って、ご覧になれる機会は少ないと思います。

1月末まで、開催されています。

大作曲家のエネルギー、筆の走り、息づかいが迫ってきます。

“音楽”まで実際に、立ち昇ってくることでしょう。

銀座「山野楽器」2FクラシックCDフロア―でも、

私の新作CD、ギターによる「夏日星」が展示されています。

「銀ブラ」の途中にお立ち寄りになり、是非、ご覧下さい。



★私の著書がことし2月発売されました後、

ヘンレ版「Für Elise エリーゼのために」が改訂され、

新しい版として発売されました。


★校訂者も≪spring 2016/ Joanna Cobb Biermann≫に代わりました。

これまでの版は≪Klavierstück a-Moll WoO59(Für Elise)≫でしたが、

新版は≪Bagatelle a-Moll WoO59(Für Elise)≫

というタイトルになりました。


★新版でも、重なった音の記譜法は、相変わらず“串刺し”になっていますので、

 

 

やはり、自筆譜の草稿(Für Eliseは草稿の一部しか残っていませんが)を見て、

じっくりと勉強する必要があることは、変わりません。

“串刺し”表記は、幾つか重なった音の符尾の方向をまとめ、

一つの方向に揃えてしまいます。

その結果、重なった音は「一つの和音」として、とらえられてしまいます。

しかし、Beethoven(に限らず、大作曲家は皆そうですが)は、

重なった音の各音ごとに符尾を付けています。

それは、単なる和音ではなく、ソプラノ、アルト、バスなど、

各声部の流れの一環としての音である、ということを、

各々の符尾で表現しているのです。





★この新版で注目すべき点があります。

旧版では、29小節目左手の部分が




でしたが、新版では



と、改訂されています。

 

 


旧版では、8分の3拍子の1、2拍目の左手は、

C-Durの「Ⅰ」の第2転回形、

右手1、2拍目も「c²」の4分音符ですから、

すべて「和声音」となり、小奇麗にまとまっています。






3拍目下声は「g f¹」、上声は「d² h¹」で、これを全部合わせますと、

「C-Dur ハ長調」の「属七」となり、

まことに明確で、分かりやすい和声でした。






★しかし、2016年改訂ヘンレ版は、

下声4番目の音が「e¹」から「f¹」に変更されています。

そうしますと、この29小節目1、2拍目の、前述しました分かりやすい

「主和音の第2転回形」の中に「非和声音」が入り込むことになります。

これにより、どのようなことが起きるのでしょうか?


左手の「f¹」が打鍵された時、それまでの調和が破れるような、

何か大きなエネルギーを感じます。

この「f¹」の音は、不協和音で「anticipation 先取音」といいます

次に続く和音の音を先取りする音です。






★即ち、次に現れる3拍目「属七の和音」の第7音「f¹」を

先取りした音になります。

この「f¹」は、第7音ですから、2度下の「e¹」に解決(進行)しようとする

大きな方向性をもっています。






音を一つ変えるだけで、

調和した和声音のみの音楽であった29小節目から、

大きなエネルギーが沸き上がり、先へ向かって突き進む音楽へと

変貌します。

 

 


★それでは何故、「f¹」にしたのでしょうか?

「Für Elise エリーゼのために」は、1小節目から29小節目までは、

絶え間なく「16分音符」の動きが続いていますが、

この30小節目からは、

右手上声がさらに細かい「32分音符」に変わります。

29小節目下声6番目の音(最後の音)「f¹」と、

30小節目下声冒頭音「e¹」によって形成されるモティーフは、

30小節目下声2番目の音「f¹」と、3番目の音「e¹」によるモティーフで、

反復されます。






★これは一種の「canon カノン」であるとも、言えます。






この「f¹」→「e¹」のカノンにより、29小節目までの「16分音符の流れ」と、

30小節目で突如出現する「32分音符の動き」が、

唐突ではなく、無理なく、理にかなってつながれていく、

とも言えます。

その「f¹」→「e¹」のモティーフの前触れとしての

anticipation先取音」「」は、重要な音です。




★言葉を換えますと、

「非和声音」が29小節目に入り込むことで、

この「32分音符の動き」を、唐突に始めるのではなく、

ある意味で、理にかなった演奏に成り得ます。

29小節目から30小節目への動きが、

途絶えることのない大きな流れの中に、位置付けられるからです。

 



★現在の実用譜のほとんどは、ヘンレ旧版と同じです。

小奇麗な和声音から、急に「32分音符に移行」する楽譜では、

29小節目と30小節目の間が断絶しかねません。

事実、29小節目の後に、ごく僅かな間を置いて、30小節目から

また新しい音楽の始まりのように弾く演奏も、時々聴かれます。

しかし、Beethoven の意図はそうではなかったのでしょう。

音が一つ変わるだけで、こんなにも“音楽の風景”が変わる、

という、いい具体例です


★この「Für Elise エリーゼのために」は、

Beethovenが生前に出版した曲ではありませんので、

作品番号も付けられていません。

「WoO」は「Werk ohne Opuszahl= 作品番号なしの作品」の意です。


★ヘンレ新版のPrefaceには、残念ながら、

「e¹」から「f¹」に変更された理由については、書かれていません。

脚注に、

≪according to all sauces:changed to e¹ in most later editions≫
 
と記されているだけです。

 
なお、私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり≫
Chapter1 では、

1) 「エリーゼのために」の7小節目「ミドシ」は誤り、「レドシ」が正しい
2) 「エリーゼのために」がなぜ名曲か& ケンプの名演
3) 「エリーゼのために」の手書き草稿は、声部ごとに符尾の方向を変えている
4)  ベートーヴェンの自筆譜は、指摘されているように乱雑なのでしょうか?
 
      など、「Für Elise エリーゼのために」を、詳しく分析しています。

 
★是非、ピアノで音を出してご自分で体験してください。

皆さまにとって、2017年がよいお年でありますよう、

お祈り申しあげます。

 

 

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■Reincken ラインケンの Hortus Musicus(音楽の花園)は、Bachの源流の一つ■

2016-12-11 23:57:34 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■Reincken ラインケンの Hortus Musicus(音楽の花園)は、Bachの源流の一つ■
~ラインケンを編曲したBachは、そこでも縦横に禁則を破り傑作を創る~
             2016.12.11    中村洋子

 

 


★冬至が近づき、寒い寒い毎日です。

朝はベッドから離れるのもつらいのですが、

ベートーヴェン「音楽ノート」岩波文庫≫にあります、

ベートーヴェンの言葉を思い起こします。


★『毎日5時半から朝食まで勉強すること』 P38

ヘンデル、バッハ、グルック、モーツァルト、ハイドンの肖像画が

私の部屋にある。-それらは、私が求める忍耐力を得るのに助けと

なるだろう P37


★ベートーヴェンは、過去のマエストロが日々積み重ねていた努力を、

我がものとするため、肖像画に励まされていたのですね。


★私も、仕事部屋に「Wilhelm Backhausバックハウス(1884-1969)

 Wilhelm Kempff ケンプ(1895-1991)、

Artur Schnabel シュナーベル(1882-1951)」の肖像写真が掲載された

来年のカレンダーを飾りました。

 

 


★今朝は、NHKラジオ第1放送「音楽の泉」で、

Beethoven のピアノソナタ「告別」と「熱情」を放送していました。


★「告別」Es-Dur Op.81a は、 Wilhelm Kempff ケンプ、

「熱情」f-Moll Op.57 は、Emil Gilels、エミール・ギレリス(1916-1985)

の演奏でした。


★久しぶりに Kempffの演奏を聴きました。

このソナタが完璧に分析され、そのうえに、各々のmotif モティーフが

全く異なる色彩で歌われ、「何とカラフルな演奏か」と、驚きました。

 Kempff という指揮者により、motifが百花繚乱、立体的に配置されます。


Gilelsギレリスの演奏は、 Kempff とは違うアプローチでした。

確かに驚くばかりの技巧ですが、もしそれに対して「ブラボー」を叫びましても、

イタリアオペラのAriaへの大声の「ブラボー」にも似ているような思いです。


★それは、Beethovenの作曲の方法に対し、それを演奏によって解釈し、

再構築する、という演奏行為とは少し異なるようです。

あまり、楽しめませんでした。


★しかしながら逆に、対照的な二人のピアニストのBeethovenを

聴き比べることにより、より鮮明に、Beethovenのソナタの本質を理解する

手掛かりにもなりそうです。

 

 


★Beethovenが過去の大作曲家を尊敬し、創作の源泉としていたように、

Bachも当然のことですが、先輩の大作曲家から深く学んでいました


★その一人が Johann Adam Reincken ラインケン(1643-1722)です。

ラインケンはハンブルグの聖カタリーナ教会を拠点にして活躍した、

作曲家であり、オルガンやチェンバロなど鍵盤音楽の大家でした。

Dieterich (Dietrich) Buxtehude ディートリヒ・ブクステフーデ
                        (1637頃-1707)

とともに、北ドイツでのオルガン音楽の隆盛を支えた人でした。

聖カタリーナ教会には、当時最も有名な素晴らしいオルガンが

据えられていました。


15歳だったBachは、ラインケンのオルガンを聴くため、

当時住んでいましたリューネブルクから、ハンブルグまで

何度も、歩いて行ったほどです。

約50キロの道のりをものともせず、歩いて聴きに行く少年Bachの熱意。

それだけ、ラインケンの音楽と演奏が、天才少年Bachを魅したのでしょう。

帰る途中、お金が無くなり空腹でフラフラとなって歩いているBach少年に、

貴族が金貨を恵んだという逸話もあるそうです。

 

 


★Bachは後年1722年(平均律第1巻が完成した年)にも、

ハンブルグに赴き、Reincken ラインケンや名士の前で、

オルガン演奏を披露しています。

コラール「An Wasserflüssen Babylon バビロンの流れのほとりで」を基に、

要望に応え、30分以上も即興演奏を続けたそうです。

自身が即興演奏の名人であったラインケンは、

「この技はもう死んでしまったものと思っていたが、あなたの中に

それがまだ生きていることが分かります」と、絶賛したそうです。

嫉妬するタイプの人であったラインケンが賛辞を評したことは、

予想外のことと周囲は受け止めました。

さぞ感動的な演奏だったのでしょう。


Bachは、Reincken ラインケンのトリオソナタ集
https://www.academia-music.com/academia/s.php?mode=list&author=Reincken%2CJ.A.&gname=%BC%BC%C6%E2%B3%DA

<Hortus Musicus 音楽の花園 1687年>を、

独奏チェンバロ作品に編曲しています。

楽譜は<Klavierbeabeitungen fremder WerkeⅢ

バッハ以外の作曲家の作品に基づく鍵盤編曲作品第3巻
                  ベーレンライター BA5223>
https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=1501275041


Sonata a-Moll BWV965 は、Hortus MusicusⅠをほぼ全曲編曲

Sonata C-Dur BWV966 は、Hortus MusicusⅢの
              Prelude、 Fuga、Adagio、Allemandeを編曲

Fuga B-Dur  BWV954 は、Hortus MusicusⅡのAllegroを編曲


Reincken ラインケンは、17世紀ドイツの最高の作曲家の一人です。

このヴァイオリンⅠ、Ⅱ+ヴィオラ・ダ・ガンバ+通奏低音のソナタも、

とても美しい曲で、Bachの先駆的作曲家としての位置付けだけで

とらえるのは、誤りです。


★Beethovenが室内に Händel、Bachの肖像画を

掲げていましたのと同様に、

Bachの心の中に、Reincken ラインケンの肖像が大きく

掲げられていたのは、間違いありません。


★そして、Reincken ラインケンの<Hortus Musicus 音楽の花園>と、

Bachの編曲作品は、各々独立したマスターピースとして、

扱われるべきでしょう。

 

 


★Reincken ラインケンへの入門として、格好のCDは、

<バッハ以前のドイツ室内楽集 ムジカ・アンティクヮ・ケルン>
                         (PROC 1103/5)です。

このCDには、ムジカ・アンティクヮ・ケルンの演奏による、

ラインケンの<Hortus Musicus Ⅰ 音楽の花園>Sonata a-Moll

ソナタ イ短調と、それをBachが編曲した Sonata a-Moll BWV965 が、

並べて収録され、原曲と編曲作品とを聴き比べることができます


★<Hortus Musicus Ⅰ 音楽の花園>Sonata a-Moll の、

冒頭1小節目は、ヴァイオリンⅠ、Ⅱとヴィオラ・ダ・ガンバ及び通奏低音で

このように開始されます。

 

 

★このAdagioは、ノーブルにして緻密な構成、

憂愁に閉ざされた花園のような、とても美しい曲です。

Bachは、これを独奏鍵盤楽器(おそらくチェンバロ)のために、

このように編曲しました。

第1楽章です。

 

 


★Reincken ラインケンの19小節のシンプルなAdagioを、

Bachは技巧を凝らし、華やかに華やかに、装飾しています。

ラインケンの第1小節目は、a-Moll の主和音(トニック)だけです。

Bachの第1小節目は、ソプラノ声部を

「このようにも装飾できるんですよ!」といえるような好い例です。


★先月の KAWAI 金沢でのアナリーゼ講座

「Italienisches Konzert イタリア協奏曲第2楽章」で、

お話いたしましたことと、深く関連付けられます。

Bachは、イタリア協奏曲の第2楽章で、装飾音で表記できる音もすべて、

細かく音符で書き込んでいます。

この Sonata a-Moll BWV965 も同じように、Bachは書き込んでいます。


★これは、当時の慣習に則った凡庸な装飾で演奏されますと、

作品がダメージを受けますので、それを避けるとともに、

装飾によって生まれる旋律を、新しく motif モティーフとしてとらえ、

曲全体の構造を作っていく役割を持っています。

 

 


★12月16日の KAWAI 金沢「Italienisches Konzert イタリア協奏曲

アナリーゼ講座、第5回最終会」では、

第2楽章の装飾された旋律を、新たな motif モティーフとして、

どんな輝かしい「第3楽章」が生まれ出たかを、詳しくお話いたします。


★もう少し、Bachの編曲について書きますと、

第2曲目の「Fuga」 冒頭16小節目くらいまでは、それなりに、

“おとなしく”Reincken ラインケンの Fugaに則って編曲されています。


★17、18小節目で、Bach独自のアイデア「バス声部のh音の保続音」が、

出現した後は、もうBachの筆が止まりません。

 

 

Bachの“スポーツカーのような Fuga”が、疾走します。

Chopinが、誤りの多いチェルニー校訂「平均律クラヴィーア曲集」の楽譜に、

自ら訂正を書き加えているうち、思わず、 Chopin独自の音楽を創り、

書き込んでしまったのと同じです。


★「16小節目までは、おとなしくラインケンを編曲した」と、書きましたが、

そうではありませんでした。

もう8小節目では、決してReincken ラインケンが書かないような

「gis¹とg²の対斜(false relation 又はcross relation)」を、

わざわざ、作っています。




★「対斜 false relation」は、「counterpoint 対位法」 の教科書では、

禁則、掟破りなのです。

Bachの面目躍如です。

37小節目の「対斜 false relation」も、とても素敵です。



★編曲の元の素材が素晴らしいと、

“どうにも止まらない・・・”ように、縦横に、

Bachの技法、能力が爆発していきます。


★皆さまも是非、楽譜を手に、この両者の深い音楽を

味わってください。

 

 

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■Bachが自ら付した装飾音は、重大なモティーフを示している■

2016-11-22 00:03:11 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■Bachが自ら付した装飾音は、重大なモティーフを示している■
 ~BrahmsとClaraの往復書簡でも、Bachの装飾音に言及~
 ~イタリア協奏曲第3楽章・アナリーゼ講座のお知らせ~
        2016.11.21  中村洋子

 



★11月18日は、 KAWAI 金沢で

Bach「Italienisches Konzert イタリア協奏曲」第2楽章・アナリーゼ講座

を開催しました。


右手による上声部旋律は、第2楽章の4小節目から始まりますが、

その冒頭音「a²」に Mordent モルデントが付されて、

「a² g² a²」となります

その「a² g² a²」が、いかに重要な motif モティーフであるか、

装飾音で書かれていても、決して看過できない重要 motifであることを、

第1楽章との関連からも併せて、ご説明しました。


★ここ数日、楽しみながら

 Johannes Brahms ブラームス (1833-1897)と、

Clara Schumann クラーラ・シューマン(1819-1896)との往復書簡集

『クララ・シューマン ヨハネス・ブラームス 友情の書簡』
           B・リッツマン編、 原田光子編訳 みすず書房 を、  

読んでいましたところ、1855年8月20日の Brahmsの手紙に、

装飾音についての彼の考えが、書かれていました。

≪僕はもともと、Bachのモルデントや顫音(せんおん=Trillerのこと)は、

装飾音符として扱わず、また、レッジェーロ風でなく

(特にレッジェローが適する個所のほかは)、

昔の力の弱いクラヴィーアで必要だったように、

むしろ装飾音符を強調すべきだと考えています≫

 



★1833年生まれのBrahmsが、20歳の時の1853年9月30日、

初めて Robert Schumann ロベルト・シューマン (1810-1856)に会い、

作品を見てもらいました。


★Brahmsの考えは、22歳のBrahmsの考えですが、それは、

私が第2楽章の4小節目のモルデントについて、書きましたことと、

同じことを言っていると言えます。


★私風に解釈しますと、

≪Bachの Mordent モルデントや Triller トリラーは、

その記号が付いた音を、ただ軽やかに飾り立てるためのものではなく、

実は、その装飾音や Triller によって作り出される音、即ち、

イタリア協奏曲第2楽章では、単音としての「a²」ではなく、

Mordent モルデントにより形成される「a² g² a²」こそ、

motif モティーフを形成する大切な音であり、強調すべきである≫

ということになり、私もそう思います。


★ちなみに、イタリア協奏曲第2楽章7小節目は、

上声2拍目の「b¹ a¹ g¹」の真ん中の音「a¹」に Triller が付いています。

これによって、まさにこの「b¹ a¹ g¹」が、

いかに重要な motif モティーフであることかを、思い知らされるのです。  


★なぜ重要であるのか、については、前回および前々回の当ブログで、

説明しています。

Bachは、無駄な装飾音は一つも書いていません。

何故、Bachがそこに装飾音を記入したかを考えることが、

演奏の第一歩となるのです。

 

 


★また、この書簡集では、Brahmsがこの時期、

どのような楽譜を所持していたか、

演奏会などで、どういう曲を弾いたかが、明確に、

伝わってきます。

これは素晴らしい記録といえます。


★例えば、1855年11月25日のClara宛手紙では、

Friedemann Bach ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710年-1784)の

二台のピアノのソナタを、買いました≫と、書いています。


★同じ手紙で、Brahmsが以前にClaraと論じ合った

「BachのTriller トリラーの後に、補助音を付けるべきか」についての、

Brahmsの考えとして、Carl Philipp Emanuel Bach

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-1788)の著書の一節を、

書き写して送っています。


★1855年12月11日の手紙では、友人の家で弾いた曲について、

≪Bachのフーガを弾いた≫と、書いてあります。

また、1856年2月5日には、≪友人の誕生日に、 Emanuel Bach の

Violin Sonata を弾いた≫とあります。


★1859年1月27日Brahmsは、Gewandhausorchester Leipzig

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でのコンサートで、

自分の Piano Concerto第1番二短調を演奏しましたが、

拍手はわずか二、三人しかなかったそうです。


★また、≪ライプツィヒの教会で「Bachの Weihnachts-Oratorium

クリスマス・オラトリオの第二部を聴いたが、平凡な演奏だった≫

とも書いています。

 

 


★この書簡集の一部を読みました感想は、

Brahmsは、1853年(20歳)の頃から、1859年(26歳)の間に、

第一級の作曲家として飛躍しました。

大Bachはもちろんのこと、息子のFriedemann Bachや、

Emanuel Bachの作品を怠りなく、研究し尽している、

ということです。


★この本は、戦争中の訳とは思えないほど立派な訳ですが、

少し残念な点もあります。

手紙の冒頭にはいつも、「Lieber Johannes」、「Liebe Clara」と

書かれていますが、そこを「愛するヨハネス」、「愛するクララ」と

訳されています。

Lieber や Liebeは、恋愛関係にあるのではなく、

ごく一般的に、親しい人に対する呼びかけで、

英語の「dear」に近く、訳としては「親愛なる」ぐらいが、

妥当と、思われます。

「愛するヨハネス」、「愛するClara」と書かれますと、

特別な恋愛関係と、誤解されしまう恐れがあると思います


★書簡集を読みながら、そのようなことを考えていましたが、

イタリア協奏曲第2楽章4小節目の「a²」につけられた

「Mordent モルデント」の motif モティーフが、実は、

第3楽章でも、さらに重要な役割を果たしているのです。

「Italienisches Konzert イタリア協奏曲」第3楽章・アナリーゼ講座は、

12月16日(金)に、開催いたします。

 

 

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■中村洋子 Bach《イタリア協奏曲・第3楽章》アナリーゼ講座
  ~生命力のみなぎった第3楽章の音階は、 ピアノでどう弾くべきか・・・~

●日  時 :  12月16日(金)  午前10時~12時30分
●会  場 :  カワイ金沢ショップ 金沢市南町5-9 
      (尾山神社前 南町バス停より徒歩3分 有料駐車場をご利用下さい)
●予 約 :  Tel.076-262-8236 金沢ショップ

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★「Italienisches Konzert イタリア協奏曲」3楽章は、生命力と喜びに満ち溢れた楽章です。Edwin Fischer エドウィン・フィッシャーは、3楽章の 3、4小節ソプラノのモティーフについて、「Bach のOrgelbüchlein オルゲルビュッヒライン≪ In dir ist Freude! あなたの中に、喜びがある! ≫BWV615の主題から来ている」 と、注釈しています。        
   
★それに続く下声のF-Dur音階は、あたかもギリシア神話のアポロンが日輪めがけて天空を駆け登るかのような迫力です。Bachが生涯追及したことは、「音階」をどう harmonaize 和声付けし、それを楽曲の中心に据えるかという課題でした。その美しい解答は、≪平均律第1巻1番フーガ≫のC-Dur音階、≪Matthäus-Passionマタイ受難曲≫ 第1曲目のe-Moll音階に見られます。このF-Dur音階も、それに勝るとも劣らないエネルギーを蓄えています。  
                                             

★≪ In dir ist Freude! あなたの中に、喜びがある! ≫は、1715~6年にかけて、作曲されているようです。「Italienisches Konzert イタリア協奏曲」出版の、約20年前です。

★「イタリア協奏曲」は、Bach が何歳の時の作品か? と問われた時、きっと、若々しい青年期の作品であろうと、答える方が多いと思います。横溢した生命力と、音楽の楽しみに満ち溢れているからです。音楽の初心者にとっても、この曲は親しみやすく、ある意味で、取り組みやすい、シンプルな曲というイメージさえ、抱かれます。
                 
★しかし、「イタリア協奏曲・第1、2楽章」講座で、一見明快な第1楽章が、実に精緻な counterpoint 対位法と、Bach後期の複雑な和声によって作曲されていることを、勉強いたしました。イタリア協奏曲は、何十年もの周到な勉強と準備、熟成を経て初めて、1735年に花開いたのです。Bach はそういう作曲家です。古い作品の断片を、寄せ集めたのではないのです。 
                                                       

★第3楽章の1、2小節上声、それに続く下声の scale音階についても、Fischer は「the scales full of fire、first in the treble、then in the bass 火のような音階、最初はソプラノ、次いで、バスで」としています。 この意味は、どういうことでしょうか。上記1、2小節の音階と、3、4小節の「In dir ist Freude」のモティーフから成る主題を「as if Bach's high trumpets were rejoicing at the theme」 とも記しています。つまり、トランペットが歓喜の歌を高らかに鳴り響かせるように弾きなさい、と指示しています。  
                           
★講座では、これらのことを、分かりやすく、ご説明します。真珠のネックレスのように、ただ美しく、粒を揃えて弾くべきではないということは、Bach の作曲意図からして自明の理です。

 

 


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■講師: 作曲家  中村 洋子

東京芸術大学作曲科卒。
・2008~09年、「インヴェンション・アナリーゼ講座」全15回を、東京で開催。

・2010~15年、「平均律クラヴィーア曲集1、2巻アナリーゼ講座」全48回を、東京で開催。
 自作品「Suite Nr.1~6 fur Violoncello無伴奏チェロ組曲第1~6番」、
 「10 Duette fur 2Violoncelli
チェロ二重奏のための10の曲集」の楽譜を、ベルリン、
   リース&エアラー社 (Ries & Erler Berlin) より出版。

・2014年、自作品「Suite Nr. 1~6 fur Violoncello無伴奏チェロ組曲第1~6番」の
    SACDを、Wolfgang Boettcher
ヴォルフガング・ベッチャー演奏で発表
   (disk UNION : GDRL 1001/1002)。

・2016年、ブログ「音楽の大福帳」を書籍化した
   ≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫

   ~バッハ、ショパンの自筆譜をアナリーゼすれば、曲の構造、演奏法までも分かる~
                                                                         (DU BOOKS社)を出版。

・2016年、ドイツのベーレンライター出版社(Barenreiter-Verlag)が刊行した
   バッハ「ゴルトベルク変奏曲」
Urtext原典版の「序文」の日本語訳と
   「訳者による注釈」を担当。

   CD「Mars 夏日星」(ギター独奏&ギター二重奏、斎藤明子&尾尻雅弘)を発表。

★SACD「無伴奏チェロ組曲 第1~6番」Wolfgang Boettcher
       ヴォルフガング・ベッチャー演奏や、「Mars 夏日星」は、
    disk Union や 全国のCDショップ、ネットショップで、購入できます。
       http://blog-shinjuku-classic.diskunion.net/Entry/2208/

 

 


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■フォーレ最晩年の「ピアノ三重奏」、Trio George Sandoの名演■

2016-11-13 23:23:20 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■


■フォーレ最晩年の「ピアノ三重奏」、Trio George Sandoの名演■
~11月18日、カワイ金沢でイタリア協奏曲第2楽章・アナリーゼ講座~
            2016.11.13   中村洋子

 

 


★先週11月7日は、東邦音楽大学での公開講座でした。

Bach「Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集」、

「Inventionen und Sinfonien インヴェンションとシンフォニア」、

「Clavierbüchlein für Anna Magdalena Bach
           アンナ・マグダレーナ・バッハのクラヴィア小曲集」、

それに、Beethoven ベートーヴェン(1770-1827)の

「Piano Sonata No. 14  Cis-Moll Op. 27-2, "Moonlight"
                    嬰ハ短調 月光」 などについて、

参加者の皆さまに、「Manuscript Autograph 自筆譜」facsimile を、

見て頂きながら、お話をいたしました。


★実用譜のみでの演奏と、

自筆譜によって得られるものを活かした演奏が、どのように違うか、

実際にピアノの音で体験していただきました。


実用譜のみによる演奏を“お茶漬け”のように、

サラサラした演奏と名付け、一方、

自筆譜を基にした演奏、つまり、

各 motif モティーフががっちりと手を結び、引っ張り合う途方もない力で

構成されている演奏を、“杵で搗いた、グーンとよく伸びるお餅”に譬え、

解説しました。


★参加者のお一人が「私の演奏はお茶漬けね・・・」と、

おっしゃっていたようです。

自筆譜facsimileをお見せした時の、若い方々のキラキラと輝く目が

印象的でした。

余談ですが、最近の若い世代は、

お茶漬けをほとんど、召し上がらないそうです。

お餅も、機械搗きはギューとは伸びず、

比喩としては分かりづらかったかもしれません。

時代を感じます。


11月18日は、KAWAI金沢で、

「Italienisches Konzert イタリア協奏曲」の、

第4回目アナリーゼ講座です。

今回は、第2楽章を勉強いたします。

 

 


★その準備で忙しいのですが、逆にいい演奏のCDを聴きたくなります。

銀座「山野楽器」のクラシックCDフロアーに、

「女性作曲家コーナー」があります。

私の「無伴奏チェロ組曲全6曲」
 (Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー演奏)や、
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/90dba19dc2add7098619b7d971f74fb7



ギター作品「Mars 夏日星」(斎藤明子、尾尻雅弘演奏)も、

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/1e78896e6562f681fa405d88fb1fae60


置いていただいております。

 

★そのコーナーで求めましたCDがいま、お気に入りで、

何度も聴いております。

「RAVEL  FAURE  BONIS」 Trio avec piano / Trio George Sando
      ラヴェル フォーレ メル・ボニス 近代フランスのピアノ三重奏作品」
                トリオ / ジョルジュ・サンド
                                                                        (ZZT 120101)



★このうちMel Bonis メル・ボニス(1858-1937)の小品二曲:

「Soir Op.76」、「Matin Op.76」 (1907年)が、大変に美しく、

気に入りました。


★この Bonis ボニスの作品を挟んで、最初の曲は、

 Maurice Ravel モーリス・ラヴェル(1875-1937)の

「Trio pour piano,violon,violoncelle」Op.76 (1914年)、

そして最後は、 Gabriel Fauré ガブリエル・フォーレ(1845-1924)の、

「Trio pour piano,violon,violoncelle」Op.120 (1923年)です。

この曲は、大変に素晴らしい演奏です。


Fauré後期の作品の演奏につきましては、

どこか“構え”て、サラサラと流れるような、

やや色彩感に乏しい演奏が多いように、見受けられます。

しかし、フォーレ後期の和声は、万華鏡のように、次から次へと、

新鮮で豊かな響きを湛えています。

それを臆することなく、歌っていけばいいと思います。

その点で、このTrio George Sandoの演奏は生命力が溢れ、

優れていると思います。

 

 


★Ravelのトリオは、以前ご紹介しましたように、

Arthur Rubinstein アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)、

Piatigorsky ピアティゴルスキー(1903-1976)、

Heifetz ハイフェッツ (1901-1987)による“王道を往く”ような

良い演奏が、数多くあります。


★しかし、Fauré の最後期のこの作品は、なかなか良い演奏には

巡り会いません。

大昔のことですが、NHKの第1放送で、声楽家の故河本喜介先生が、

Fauré 最後期の「 L'horizon chimerique 幻想の水平線 Op. 118」を、

何度か取りあげ、詳しく解説されていたのを思い出します。


★この曲は、誰もが好きになるフォーレの若い頃の作品

「Lydia  リディア Op.4-2」、「Après un rêve 夢のあとに Op.7-1」

などとは異なり、極限まで切り詰めた少ない音で作曲され、

聴く人の胸をかきむしるように迫ってくる・・・、

優しい語り口の名解説が、いまでも耳に残っています。

そして、やはり、この曲の名演奏が少ないと、

河本先生は、嘆いていらっしゃいました。

私はこの曲を、Gérard Souzay ジェラール・スゼー(1918–2004)で、

愛聴しております。

 

 


★このフォーレ「Trio Op.120」の、第1楽章は、d-Moll 二短調で、

書かれています。

最初の2小節はピアノソロで「mezzo p」と指定され、

密やかな「a¹」と「f¹」のトレモロです。




★3小節目から、そのピアノを伴奏として、Celloが「mezzo p」と

「cantando(歌うように)」で、声をひそめるように、

歌い始めます。

そして、このCelloの“歌”は、22小節目まで続きます。


★23小節目からは、同じメロディーをこんどはViolinが

「mezzo p」と「cantando」で同様に、

密やかに歌います。


フォーレの晩年の作品は、「創作力が枯渇した」と、

よく誤解され勝ちですが、決してそうではありません。

全く新しい世界へと踏み出していった、といえます。

内面に尽きぬ火を灯しつつ、遥かかなたを凝視しているような、

静かで美しい世界です。


★この時期、フォーレは、Beethovenと同じように、耳の疾患に

悩まされていたのですが、作品に影響を与えているとは

全く言えないでしょう。


★3~6小節目のCelloの旋律を見ますと、

冒頭の「d」と6小節目の「d」により、この4小節目が、

双方から、あたかも万力によりギュッと締められているような、

イメージが浮かびます。

 




★Celloの旋律から始まる3小節目からは、

Celloの旋律の上方の音域に、さざ波のようなピアノの8分音符が

続きます。




★3小節目Celloは、「d」で始まり、

(d - a - b - g - f - d)を経て、

6小節目の付点2分音符「d」で、4小節から成るフレーズを閉じます。




★3小節目と6小節目の「d」で、両方から強い力がかかり、

圧縮されたようなフレーズです。

お餅のイメージです。




★7、8小節目の2分音符を「1単位」として、

9、10小節目は、それを5度上行で同型反復します。



★12小節目から始まる上行形は、13、14小節目で

半音階上行形となります。

物凄いエネルギーで、15小節目の頂点へと、向かいます。

まさに、お餅をグーンと伸ばしたようです。




★15小節目の頂点から、フォーレは、テノール記号で記譜しています。

それだけ、Celloにとっては高音域である、ということです。




★19小節目から、徐々に静まり、21小節目はバス記号(ヘ音記号)に

復帰します。




★23小節目からは、また、「mezzo p」「cantando」に戻り、

こんとはViolinが、Celloの3小節目からの旋律を引き継ぎます。



 

★以前は、Fauré の楽譜は選択肢が限られていましたが、

現在、この「Trio pour piano,violon,violoncelle」Op.120

の楽譜につきましては、

ベーレンライターの楽譜がベストと、思います。

https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=1501647965







私はいつも、古い録音をご紹介していますが、

それは、古いものに良い演奏があるという、単純な理由に過ぎません。

しかし、このCDを録音した女性奏者のトリオ「George Sand」のように、

現代でも、素晴らしい奏者は当然、いらっしゃいます。


古い録音でいまでも残っているのは、淘汰された結果、

良い演奏のゆえに残った、ということです。

現代でも、コマーシャリズムに毒されていない演奏家を、

じっくりと探しますと、

このような素晴らしい演奏に巡り会うことができる、とも言えます。


★このCDは、解説も分かりやすいいい解説です。

 

 

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■マリナー&ベッチャーによる Brahmsダブルコンチェルトの名演■

2016-10-04 23:17:56 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■マリナー&ベッチャーによる Brahmsダブルコンチェルトの名演■
~Academy of St. Martin-in-the-Fieldsのネヴィル・マリナー逝去~
            2016.10.4  中村洋子

 

 

★Academy of St. Martin-in-the-Fieldsの指揮者

「Sir Neville Marrinerネヴィル・マリナー死去」が、

報道されました。

-------------------------------------------------------
Sir Neville Marriner 
15 April 1924 - 2 October 2016
     http://www.asmf.org/sir-neville-marriner/
The Academy of St Martin in the Fields is deeply saddened to announce the death of Sir Neville Marriner, Founder and Life President of the Academy of St Martin in the Fields.

Sir Neville Marriner passed away peacefully in the night on 2 October.

Born on 15 April 1924 in Lincoln, Sir Neville Marriner studied at the Royal College of Music and the Paris Conservatoire. He began his career as a violinist, playing first in a string quartet and trio, then in the London Symphony Orchestra. It was during this period that he founded the Academy, with the aim of forming a top-class chamber ensemble from London’s finest players. Beginning as a group of friends who gathered to rehearse in Sir Neville’s front room, the Academy gave its first performance in its namesake church in 1959. The Academy now enjoys one of the largest discographies of any chamber orchestra worldwide, and its partnership with Sir Neville Marriner is the most recorded of any orchestra and conductor.

Honoured three times for his services to music in this country – most recently being made a Companion of Honour by Her Majesty The Queen in June 2015 – Sir Neville Marriner has also been awarded honours in France, Germany and Sweden.

As a player, Sir Neville Marriner had observed some of the greatest conductors at close quarters. He worked as an extra under Toscanini and Furtwängler, with Joseph Krips, George Szell, Stokowski and mentor Pierre Monteux. Sir Neville began his conducting career in 1969, after his studies in America with Maestro Monteux. There he founded the Los Angeles Chamber Orchestra, at the same time as developing and extending the size and repertoire of the Academy. In 1979 he became Music Director and Principal Conductor of both the Minnesota Orchestra and the Südwest Deutsche Radio Orchestra in Stuttgart, positions he held until the late 1980s. Subsequently he has continued to work with orchestras round the globe in Vienna, Berlin, Paris, Milan, Athens, New York, Boston, San Francisco and Tokyo. In 2011 Sir Neville was appointed Honorary Conductor of the newly formed I, Culture Orchestra which brings together the most talented young musicians from Eastern Europe. Sir Neville was Music Director of the Academy from its formation in1958 to 2011 when he became Life President and handed the baton of Music Director to violinist Joshua Bell.

Academy Music Director, Joshua Bell said: “I am deeply saddened by the news of Sir Neville Marriner’s passing. He was one of the most extraordinary human beings I have ever known. I will remember him for his brilliance, his integrity, and his humor, both on and off the concert platform. Maestro Marriner will always be the heart and soul of the Academy of St Martin in the Fields, and we musicians of the orchestra will miss him dearly.”

Chairman of the Academy, Paul Aylieff said: “We are greatly saddened by today’s news. Sir Neville’s artistic and recording legacy, not only with the Academy but with orchestras and audiences worldwide is immense. He will be greatly missed by all who knew and worked with him and the Academy will ensure it continues to be an excellent and fitting testament to Sir Neville.”

The Marriner family are very touched by all the messages of sympathy from people reminding them how much fun it was to be with Neville.
(Sir Neville Marriner、 1924年4月15日 - 2016年10月2日)

 

 


★ Marriner マリナーが指揮した曲の中で、

私は、Brahms Doppelkonzert + Weber Fagottkonzertを、

よく聴きます(Brahmsは1980年録音)
                (CAPRICCIO 10496)


★Brahmsの Doppelkonzert ダブルコンチェルト

「Cocerto for violin, cello and orchestra Op.102」の独奏チェロは、

Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生が、

弾かれています。

ヴァイオリンは、Ulf Hoelscher さんです。


★Johannes Brahms ブラームス (1833-1897)が1887年に作曲し、

同年10月初演の作品です。

規模の大きなオーケストラ作品としては、この曲が最後です。


★第2ピアノ協奏曲が、1881年作曲初演、

第4交響曲が1884~5年に作曲され、85年初演。

この二作品に続く曲です。


★この曲の第1楽章冒頭4小節は、オーケストラの前奏です。

前奏といいましても、冒頭4小節間に、この曲の全ての要素が含まれる、

という手法は、Bach、Beethoven と同じです。

それが ≪名曲の要件≫とも言えます。

 


 


★この4小節間を Piano reduction

(オーケストラの総譜を一人で演奏できるよう、ピアノ用楽譜に編曲すること)

してみましょう。


★1、2小節は、一番上の音を「e³ d³ h²」 「c³ h² e²」とする

ユニゾンの tutti(総奏)です。


3、4小節は、フルートと第1、第2ヴァイオリンがユニゾンです。

 

フルートと第1ヴァイオリンの3小節目は、

「fis² gis² a² gis² a² h²」、

4小節目は「a² h² c³ d³ e³ f³」です。





ともに、大地に足を踏みしめるような3連符です。





5小節から25小節までの21小節間、

オーケストラはピタリと鳴り止みます。

4小節目後半の「d³ e³ f³」を、5小節の独奏Celloが、

「D E F」のカノンで引き継ぎ、

低く、深く、朗々と 歌い始めます。



★5小節目の「D E F」は、8小節目に1オクターブ高い「d e f」で、

カノンを形成します。





その8小節目は、「d e f」を下声とする二声です 。

その上声は「f¹ e¹ d¹」となり、「d e f」の反行形(逆行形も同じ)です。


★独奏Celloの15小節目「e¹ d¹ h c¹ h e」は、





冒頭1、2小節目の、

オーケストラのユニゾンの中で、Fagott、Viola、Celloで奏される

「e¹ d¹ h c¹ h e」の変形です。





(このe¹ d¹ h c¹ h eは、最初の掲載譜に赤字で書かれた声部です)


★更に、16小節になりますと、「e¹ d¹ h」は、縮小形となり、





畳み掛けられてきます。

これが、Brahmsの 「counterpoint 対位法」 です。







★前回のブログ「Italienisches Konzert イタリア協奏曲」1楽章で、

ご説明しました技法と同じであることに、お気づきでしょう。


★ Boettcher ベッチャー先生と Marriner マリナーの演奏を

CDでじっくりと聴きながら、Brahmsの作品に宿る Bachについて

考えることができました

それは、演奏が素晴らしいからです。


★この曲 Doppelkonzert ダブルコンチェルト

「Cocerto for violin, cello and orchestra」は、

1楽章はいま分析した通りですが、

3楽章も、独奏Celloがオーケストラの伴奏を伴って、

冒頭から11小節目まで軽やかに歌います。

11小節目から、独奏Violinが、その旋律を2オクターブ高く

模倣します。

ここでもCelloが主導しています。


★Brahmsの師とも言える Robert Schumann 

ロベルト・シューマン(1810-1856)の晩年の傑作

「CelloConcerto Op.129」が、彼の脳裏に焼き付いていた

のであろうと、私は思います。

 

 

★このように、深く考察できますのは、

演奏が、楽曲のもつ 「counterpoint 対位法」を、

明確に、指し示しているからでしょう。


★音楽に集中しますと、絵画の本を読みたくなります。

いま、Henri Matisse アンリ・マティス(1869-1954)の、

「マティス 画家のノート」(みすず書房)を、再読しています。


★学生時代、何度も読んだ本ですが、当時、図書館で

借りて読んでいました(みすず書房の本は高価すぎました)。

近年、「書物復権」企画として、再び出版されました同書を

求めました。


★特に、印象に残った所を一部ご紹介します。

マティスは「セザンヌを尊敬している」とインタビューアーに、

正直に語りました。

インタビューアーは「それを言うのは危険ではないか」と、問いただしました。

マティス「それに堪えられるだけの力を持たない人たちには気の毒だが、

仕方ない。影響にめげずに堪えられるだけの逞しさがないというのは、

無能の証拠です」(91ページ)


★これは、BachとBrahmsの関係と同じですね。

Brahmsの中に、いくらBachの影響を読み取りましても、

それは100パーセント Brahmsの音楽であり、

Bachの音楽ではないでしょう。

どんなに深く、Bachから影響を受けていても、

Brahmsの個性は、Bachを咀嚼し、Brahmsにしか書けない

Brahmsの音楽を作曲したのです。

 

 

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■ブーレーズ死去、音楽のアイデアが溢れんばかりに湧き上がる人でした■

2016-01-10 18:32:57 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ブーレーズ死去、音楽のアイデアが溢れんばかりに湧き上がる人でした■
      ~ブーレーズの本領は、オーケストラ作品に~
     ー金沢アナリーゼ講座「Moonlight Sonata Op.27 No.2」 ー

                               2016.1.10          中村洋子

 

 


★2016年初めてのブログです。

ことしのお正月は、山積みになったお仕事を、

淡々とこなす日々、それなりに充実したお正月でした。


★元旦の東京(中日)新聞、「平和の俳句」という欄、

昨年一年間の中での、五つの秀句が掲載されていました。

「平和とは/一杯の飯/初日の出」、という18歳の男子の句。

暖かい美味しいご飯を食べる、元気よく食べてさあ行こう!

平和だからこそ、美味しく食べられる、

ご飯を食べることができる、その当たり前さこそが「平和」。

力強い好感がもてる句です。


仏作曲家P・ブーレーズ氏死去、90歳 大統領府も哀悼声明
 1月6日、現代音楽の第一人者で実験的な活動を行ってきたことで知られる仏作曲家、指揮者のピエール・ブーレーズ氏が5日午後、独バーデンバーデンで死去した。
  [パリ 6日 ロイター] - 現代音楽の第一人者で実験的な活動を行ってきたことで知られるフランスの作曲家、指揮者のピエール・ブーレーズ氏が5日午後、独バーデンバーデンで死去した。90歳だった。家族が6日に発表した。

多くの世界的な主要楽団で指揮者を務めたほか、電子音楽の発展に寄与したことでも知られる。1960年にはフランスの植民地だったアルジェリアでの戦争に反対する抗議声明に署名。当時居住していたドイツからフランスへの帰国を禁止された。帰国禁止措置は解除されたものの、その後の人生の多くをドイツで過ごした。
  ブーレーズ氏の死去を受け、仏大統領府は哀悼声明を発表。「ピエール・ブーレーズ氏はフランス音楽に光を当てた。作曲家および指揮者として、彼は常に自身の時代を考察しようとしていた」と追悼した。

★ピエール・ブーレーズさん死去 仏の作曲家・指揮者
              2016年1月6日 朝日新聞

 世界的に知られるフランスの作曲家、指揮者のピエール・ブーレーズさんが5日、居住するドイツ西部バーデンバーデンで死去した。90歳だった。家族らが6日、声明で発表した。
 最先端の音響・科学技術、思想、哲学など、多くのジャンルをとりこんで表現し、現代音楽界を牽引(けんいん)した。25年、仏モンブリゾン生まれ。パリ国立音楽院で作曲家メシアンに師事。代表作に「アンセム2」などがある。教育者としても活動し、「現代音楽を考える」など論考を多数執筆。70年代、パリにIRCAM(音響・音楽の探究と調整の研究所)を創設、所長に。科学の最先端技術を作曲や演奏の世界と結び、現代音楽の潮流を作った。
 音の塊で聴衆を圧倒する傾向に背を向け、音楽の構造を冷静に分析し、緻密(ちみつ)かつ透明感のある響きで内側から熱狂させてゆくスタイルの演奏を貫いた。
 76年、気鋭の若手演出家パトリス・シェローを起用し、ワーグナーの殿堂であるバイロイト音楽祭で「ニーベルングの指環」を上演。産業革命の時代に舞台を置き換え、社会批判を鮮明に打ち出したことで、音楽界を超えるスキャンダルを巻き起こした。米クリーブランド管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニックなどで要職を歴任した。
 67年、バイロイト祝祭劇場初の日本公演のため初来日した。95年、東京で「ブーレーズ・フェスティバル」開催。89年世界文化賞、09年京都賞。(青田秀樹=パリ、吉田純子)

 

 


★Pierre Boulez ピエール・ブーレーズ

(1925- 2016年1月5日)が、亡くなりました。

海外の記事は、彼の政治的側面も報道していますが、

日本の記事は、音楽家としての側面しか紹介していませんね。

また、評価の焦点を、電子音楽に当てている記事が多いのですが、

彼の本領は、オーケストラ作品に発揮されていました。


★私の学生時代は、ブーレーズが作曲をしていた最後の時代でした。

彼の作曲が発表されますと、すぐに楽譜が出版されていました。

私はその楽譜とレコードを図書館から借り、貪るように勉強した

憶えがあります。

ブーレーズは、Olivier Messiaenオリヴィエ・メシアン

(1908-1992)の弟子でもあり、世間では、

難解な現代音楽を書く作曲家というイメージが強かったと

思います。


★私から見ますと、ブーレーズはFranz Joseph Haydn

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)のように、

音楽のアイデアが絶えず豊かに、沸々と湧き上がってくるような、

非常に才能に恵まれた人でした。

そして、そのアイデアを惜しげもなく、一つの曲の中で、

繰り出した人でした。


一般の方にとっては、その次々と繰り出す、繰り出し過ぎる

音楽のアイデアを覚えきれず、その結果、馴染みにくく、

漠然とつかみ処のない、難しい作曲家という

印象だったのかもしれません。


アイデアとは、次のように言えるかもしれません。

オーケストラが奏でるある一瞬、その独特な音の配列

(広い意味での「和声」でしょう)から、

非常に美しい響きが、流れ出てきます。

そして、驚くべきことに、全く別の美しい音の配列(アイデア)が、

次々と連続して、繰り出されてくるのです。

同じものではないのです。

メシアン譲りの、響きもうかがえます。

 

 

日本の武満徹もその頃、盛んに作曲活動をしていました。

ブーレーズの新作とその録音が出そろってから半年ほどしますと、

武満は、ブーレーズの溢れるばかりのアイデアのうちの

たった一つをピックアップし、それを変化、反復させて、

曲を作り上げていました。

それには、つくづく驚きました。


★日本人の真似をする能力は、高いのです。

武満が高度な技法をもちえ、

ブーレーズのアイデアをさらに展開していく能力があったならば、

ブーレーズを凌ぐことが、出来たかもしれませんが・・・。


★武満徹の死去後、NHKによる武満特集の番組を見ました。

あまり音楽を理解しているとは思えないような人たちが登場し、

号泣したり、美辞麗句を並べている中、

ブーレーズもコメントを求められていました。

彼は“そういう名前の人は知っているが、曲については知らないので、

コメントしようがない”という趣旨のことを、

冷たく言い放っていたのを、覚えています。


実は、ブーレーズはメシアン同様、西洋クラシックの基本である

「和声」、「対位法」、「フーガ」を徹底的に学んだ後に、

いわゆる“現代音楽”という様式の作品を書くようになったのです。

日本の現在の現代音楽のように、出来上がった現代音楽の響きや、

書法をなんとなく真似て、作曲してみるというのとは、

根本的に異なります。

エルメスのバッグを見ながら、それに近い物を作り上げる

ブランドコピー商品に似ているかもしれません。

エルメスのバッグは、長い歴史のなかから、

その設計を確立し、素材を厳選し、その結果として、

最良の物を製品としています。

同等の物を作りたいのでしたら、

その歴史を学ぶ必要があるでしょう。

そうでなければ、コピーはコピーのままでしょう。


★ブーレーズの楽譜は高価でしたので、当時の私は、

購入することができず、いま手元にございません。

以上の話は、私の記憶話です。

 

 


1月20日(水)にKAWAI金沢で開催します

「アナリーゼ講座」のために、

Beethoven の「Moonlight Sonata Op.27 No.2 月光ソナタ

の勉強を、続けています。


第1楽章冒頭の1~13小節目までの「自筆譜」は欠落していますが、

他の部分は、完全に残っています。

「初版」も、Beethoven の音楽的意図を完全に、

汲み取って作られており、素晴らしい楽譜になっています。

現代の実用譜がこうであったら・・・と、溜息が出るほどです。

音楽を本当に理解し、心から音楽を愛していた人が、

作っています。


★どうしてそんなに素晴らしいか、具体例を一つ。

「第58小節」が顕著です。

 

自筆譜を見ますと、当初、Beethoven は、

47~60小節目までを、1枚の紙に、4段で記譜していました。

47~49小節目 を1段目
50~53小節目 を2段目
54~57小節目 を3段目、

 

3段目が終わり、4段目は、現在の59小節目に相当する譜から、

始まっていました。


現在ある、この美しい「58小節目」は、Beethoven が後から、

書き加えたことになります。

57小節の後、いきなり59小節を弾いても、全く齟齬なく、

素晴らしい音楽となっているのは、驚嘆しますが。


そしてこの「58小節」の追加が、

この第1章の深みを、さらに増していくのです。

詳しくは講座でお話いたします。

「初版」は、この第1楽章を1ページ5段、

全3ページで記譜しています。

初版を作ったengraver(銅板に譜を彫る人)が、

この58小節の重要性を、鋭く見抜いていたのか、あるいは

Beethovenの指示通りに、忠実に彫ったのか、

結果は、

なんと、「58小節」が、3ページ2段目の真ん中、

つまり、最も視線が行く、コアの部分に、

鎮座しているのです。

見事です、感動します。

 

 

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■ワルトシュタイン・ソナタ、バックハウスの極めつけ名演■

2015-12-05 02:59:53 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ワルトシュタイン・ソナタ、バックハウスの極めつけ名演■
   ~和声、対位法が立体的に浮かび上がる~

                  2015.12.5 中村洋子

 

 

★当ブログ「音楽の大福帳」を本として出版するため、多忙の毎日です。

発売は、来年2月初めの予定ですが、校正などで超多忙です。

この本には、ブログでは書き切れなかった自筆譜の細部など、

細かい楽譜を、たくさん入念に掲載していますので、

勉強の手引きとして、末永く、ご利用できることと思います。


★忙中閑ありで、先日、笹本恒子さんの写真展に参りました。

「戦後70周年記念、笹本恒子101歳展」。

日本初の女性報道写真家、百歳を超えるご高齢で、

最近、かなり有名におなりになっている方です。


★戦後直後から高度成長期にかけ、活躍していた主に女性たちの写真、

素顔のポートレートが素敵でした。

展示の巻頭は、「坪井栄」さん、1949年(昭和24年)撮影。

「二十四の瞳」の作者としてのみ知っておりましたが、

優しさの中に、何事にも動じないような独立不羈の心構えが、

伝わってきます。

笹本さんの自信作と思います。

写真説明も笹本さんが全部、ご自身でお書きになっています。

≪東京・中野のご自宅は簡素で清潔。「もう戦争は、許しません、

絶対に」。穏やかに語られる中に凛とした気迫を感じたことを覚えている。≫

 

 


★私が好きになりました写真は「室生犀星」1961年(昭和31年)撮影。

≪夏の軽井沢。室内撮影の後、「ちょっとお庭で・・・・・・」との

お願いに、和服の上にレインコートを羽織った粋な姿で現れた。

湿った黒土に山ぼうしの白い花びらが絶妙なコントラストをつくっていた。≫

柴の庵戸の傍らに、大きなコウモリ傘を脇に抱え、山高帽、下駄履、

夏というのに、レインコートまで着こんだおじいちゃんが、

笑いをかみ殺すように立って、こっちを見ています。

いい顔です。


★きっと、美人カメラマンの注文に喜び、

自分で自分を、振付けてきたのでしょう。

夏というのにレインコート、

大衆演劇の役者さんが楽屋から舞台に、いそいそと現れてきたような感じ。

本当に微笑ましい。


★笹本さんの説明がなければ、

季節違いの変な装いであることは、分かりません。

私はよく講座で「作曲家はウソをよくつきます」、

「自伝を信じてはいけません」と、お話していますが、

犀星は“自分をこのように見せたい“、という格好に、

変装したのでしょう。

大詩人・犀星も、こうやって“ウソ”をつくのですね。

この犀星の含み笑いを逃さず、画面に記録した笹本さんも見事。

 

 


★いま、 Beethoven  ベートーヴェン(1770~ 1827) の

Klaviersonate Nr.21 C-Dur Op.53 Waltstein ワルトシュタインを、

 「Manuscript Autograph  自筆譜」を見ながら、

Wilhelm Backhausヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)

の演奏で、聴いています。

極めつけの名演です。


★Backhausバックハウスの Beethovenは、

 Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)と同様、

偉業です。


★私は、最近の Beethovenの演奏には辟易しています。

いくら技巧があっても、平板、のっぺらぼーでは聴く気がおきません。

Backhausの演奏は、3Dの映画を見ているような「立体性」があります。


★「立体性」とは、作曲家が張り巡らした和声と対位法を、

正確に再現することです。

譬えれば、次のように言うことができます。

法隆寺の五重塔があります。

現代のベートーヴェン演奏は、五重塔の「絵葉書」です。

奈良に行き、五重塔を自分の目で眺め、感動するのが、

Backhaus の演奏を聴くことです。

 

 


★ Backhausバックハウスは、Bösendorfer

ベーゼンドルファ―・ピアノを、愛した人です。

このワルトシュタインのCD(UCCD9156)の表紙ジャケット写真は、

バックハウスがピアノの前に座り、弾いている写真です。

しかし、右手の手首から少し先からは、黒くぼかされ、

指は全く見えません。

変です。

ピアノの銘も、かろうじて「sendorfer」という字が薄く、

判読できるだけです。

指が見えない、ピアノの銘もほとんど読めない・・・、

なんらかの意図があったのでしょうね。


★彼の素晴らしい演奏と、Bösendorfer

ベーゼンドルファーの響きを聴いていますと、

Beethovenがこういう響きを聴いていたのではないかと、類推できます。

それは、Beethoven の時代の楽器を再現したり、使ったりして、

現代人が演奏することとは、意味が違うのです。

そうした演奏の多くが、先ほどの“絵葉書”の一つであると、思います。


★それは、バックハウスが獲得していた和声と対位法を基にした、

作品の読み込みがあるか、ないかの差なのです。

考証をし、古い楽器を使って弾いても、設計図の読み込みがないとしたら、

平板なのっぺりとした“絵葉書”となるのです。

 

 


★それでは、具体的にどうワルトシュタインを勉強すべきか?

かなり困難ですが、できれば、Beethovenの

「Manuscript Autograph facsimile 自筆譜」を入手し、

 Beethoven の“肉声”を聴きます。

そうしますと、驚くべき発見がたくさんあります。


★その後、素晴らしい校訂版である、

Artur Schnabel版(Curci)と、Claudio Arrau(Peters)版を勉強します。

その勉強法は、

Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー(1886-1960)版によるBach 、

Claude  Debussy  クロード・ドビュッシー (1862~1918)版のChopin

に対する方法と同じです。


★つまり、 ≪Fingeringによるアナリーゼ≫ということです。

Schnabel版もArrau版も、 Fischerや Debussy と同じ考え方で、

校訂版を作っています。


★皆さまが最も信頼されている「Henle版」ですが、

2012年の改訂新版をお持ちでしょうか?

これは、Norbert Gertsch と Murray Perahia による編集、

Fingeringは、Perahia です。


★以前の版は、Bertha Antonia Wallner編集、

Conrad Hansen のFingeringでした。

このため、ほとんど別物になっているといえます。


★Fingeringは、上記の二巨匠を見るべきですが、

ヘンレ新版は、自筆譜に則り、かなり改善されたところがあります。

例えば、第1小節目について、以下のように自筆譜、新版、旧版と、

見比べてください。

 

 

 

 

★自筆譜は明らかに、バス声部とテノール声部の双方が≪pp≫である

という意志ですが、旧版は大雑把に右手の部分に一つだけ

≫が付けられています。

新版は、右手左手部分に≪pp≫が、自筆譜どおりに付けられており、

これは改善です。


★Beethoven は、1拍目の始まる直前に、

あたかも≪pp≫が1拍目であるかのように、≪pp≫を大きく、

存在感溢れるよう、符と同等の大きさで見事に“描いて”います。


★これは、打鍵する前に、頭の中で≪pp≫の世界に浸ってから、

1拍目を弾きなさい、という指示です。

ヘンレ新版は、右手、左手の部分に≪pp≫を付けています。

それは前進ですが、自筆譜の両手同時が≪pp≫という世界の、

迫力は伝わってきません。


★また Beethoven は、ワルトシュタインで「スタッカート」を記す際、

「・」ではなく、細長い縦の小さい線で表しています。

旧版は「・」でしたが、新版は自筆譜のように記しています。

自筆譜どおりですと、視覚的に鋭く感じられます。


★このため、楽譜としては、新ヘンレ版と二人の巨匠の版を、

じっくりと読み込むといいでしょう。

しかし、新版には残念なところもかなりあります。

例えば、第16小節目で、上声の符尾がすべて上向きになっています。


★Beethoven は、下向きに書いています。

新版は、記譜の常識的手法を当てはめ、直してしまっているのです。

これを本来の下向きにしていましたら、この楽譜を使う人は、

どれほど大きな発見をしたことでしょう!

残念です。

 

 


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