■ワルトシュタイン・ソナタ、バックハウスの極めつけ名演■
~和声、対位法が立体的に浮かび上がる~
2015.12.5 中村洋子
★当ブログ「音楽の大福帳」を本として出版するため、多忙の毎日です。
発売は、来年2月初めの予定ですが、校正などで超多忙です。
この本には、ブログでは書き切れなかった自筆譜の細部など、
細かい楽譜を、たくさん入念に掲載していますので、
勉強の手引きとして、末永く、ご利用できることと思います。
★忙中閑ありで、先日、笹本恒子さんの写真展に参りました。
「戦後70周年記念、笹本恒子101歳展」。
日本初の女性報道写真家、百歳を超えるご高齢で、
最近、かなり有名におなりになっている方です。
★戦後直後から高度成長期にかけ、活躍していた主に女性たちの写真、
素顔のポートレートが素敵でした。
展示の巻頭は、「坪井栄」さん、1949年(昭和24年)撮影。
「二十四の瞳」の作者としてのみ知っておりましたが、
優しさの中に、何事にも動じないような独立不羈の心構えが、
伝わってきます。
笹本さんの自信作と思います。
写真説明も笹本さんが全部、ご自身でお書きになっています。
≪東京・中野のご自宅は簡素で清潔。「もう戦争は、許しません、
絶対に」。穏やかに語られる中に凛とした気迫を感じたことを覚えている。≫
★私が好きになりました写真は「室生犀星」1961年(昭和31年)撮影。
≪夏の軽井沢。室内撮影の後、「ちょっとお庭で・・・・・・」との
お願いに、和服の上にレインコートを羽織った粋な姿で現れた。
湿った黒土に山ぼうしの白い花びらが絶妙なコントラストをつくっていた。≫
柴の庵戸の傍らに、大きなコウモリ傘を脇に抱え、山高帽、下駄履、
夏というのに、レインコートまで着こんだおじいちゃんが、
笑いをかみ殺すように立って、こっちを見ています。
いい顔です。
★きっと、美人カメラマンの注文に喜び、
自分で自分を、振付けてきたのでしょう。
夏というのにレインコート、
大衆演劇の役者さんが楽屋から舞台に、いそいそと現れてきたような感じ。
本当に微笑ましい。
★笹本さんの説明がなければ、
季節違いの変な装いであることは、分かりません。
私はよく講座で「作曲家はウソをよくつきます」、
「自伝を信じてはいけません」と、お話していますが、
犀星は“自分をこのように見せたい“、という格好に、
変装したのでしょう。
大詩人・犀星も、こうやって“ウソ”をつくのですね。
この犀星の含み笑いを逃さず、画面に記録した笹本さんも見事。
★いま、 Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827) の
Klaviersonate Nr.21 C-Dur Op.53 Waltstein ワルトシュタインを、
「Manuscript Autograph 自筆譜」を見ながら、
Wilhelm Backhausヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)
の演奏で、聴いています。
極めつけの名演です。
★Backhausバックハウスの Beethovenは、
Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)と同様、
偉業です。
★私は、最近の Beethovenの演奏には辟易しています。
いくら技巧があっても、平板、のっぺらぼーでは聴く気がおきません。
Backhausの演奏は、3Dの映画を見ているような「立体性」があります。
★「立体性」とは、作曲家が張り巡らした和声と対位法を、
正確に再現することです。
譬えれば、次のように言うことができます。
法隆寺の五重塔があります。
現代のベートーヴェン演奏は、五重塔の「絵葉書」です。
奈良に行き、五重塔を自分の目で眺め、感動するのが、
Backhaus の演奏を聴くことです。
★ Backhausバックハウスは、Bösendorfer
ベーゼンドルファ―・ピアノを、愛した人です。
このワルトシュタインのCD(UCCD9156)の表紙ジャケット写真は、
バックハウスがピアノの前に座り、弾いている写真です。
しかし、右手の手首から少し先からは、黒くぼかされ、
指は全く見えません。
変です。
ピアノの銘も、かろうじて「sendorfer」という字が薄く、
判読できるだけです。
指が見えない、ピアノの銘もほとんど読めない・・・、
なんらかの意図があったのでしょうね。
★彼の素晴らしい演奏と、Bösendorfer
ベーゼンドルファーの響きを聴いていますと、
Beethovenがこういう響きを聴いていたのではないかと、類推できます。
それは、Beethoven の時代の楽器を再現したり、使ったりして、
現代人が演奏することとは、意味が違うのです。
そうした演奏の多くが、先ほどの“絵葉書”の一つであると、思います。
★それは、バックハウスが獲得していた和声と対位法を基にした、
作品の読み込みがあるか、ないかの差なのです。
考証をし、古い楽器を使って弾いても、設計図の読み込みがないとしたら、
平板なのっぺりとした“絵葉書”となるのです。
★それでは、具体的にどうワルトシュタインを勉強すべきか?
かなり困難ですが、できれば、Beethovenの
「Manuscript Autograph facsimile 自筆譜」を入手し、
Beethoven の“肉声”を聴きます。
そうしますと、驚くべき発見がたくさんあります。
★その後、素晴らしい校訂版である、
Artur Schnabel版(Curci)と、Claudio Arrau(Peters)版を勉強します。
その勉強法は、
Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー(1886-1960)版によるBach 、
Claude Debussy クロード・ドビュッシー (1862~1918)版のChopin
に対する方法と同じです。
★つまり、 ≪Fingeringによるアナリーゼ≫ということです。
Schnabel版もArrau版も、 Fischerや Debussy と同じ考え方で、
校訂版を作っています。
★皆さまが最も信頼されている「Henle版」ですが、
2012年の改訂新版をお持ちでしょうか?
これは、Norbert Gertsch と Murray Perahia による編集、
Fingeringは、Perahia です。
★以前の版は、Bertha Antonia Wallner編集、
Conrad Hansen のFingeringでした。
このため、ほとんど別物になっているといえます。
★Fingeringは、上記の二巨匠を見るべきですが、
ヘンレ新版は、自筆譜に則り、かなり改善されたところがあります。
例えば、第1小節目について、以下のように自筆譜、新版、旧版と、
見比べてください。
★自筆譜は明らかに、バス声部とテノール声部の双方が≪pp≫である
という意志ですが、旧版は大雑把に右手の部分に一つだけ
≪p≫が付けられています。
新版は、右手左手部分に≪pp≫が、自筆譜どおりに付けられており、
これは改善です。
★Beethoven は、1拍目の始まる直前に、
あたかも≪pp≫が1拍目であるかのように、≪pp≫を大きく、
存在感溢れるよう、符と同等の大きさで見事に“描いて”います。
★これは、打鍵する前に、頭の中で≪pp≫の世界に浸ってから、
1拍目を弾きなさい、という指示です。
ヘンレ新版は、右手、左手の部分に≪pp≫を付けています。
それは前進ですが、自筆譜の両手同時が≪pp≫という世界の、
迫力は伝わってきません。
★また Beethoven は、ワルトシュタインで「スタッカート」を記す際、
「・」ではなく、細長い縦の小さい線で表しています。
旧版は「・」でしたが、新版は自筆譜のように記しています。
自筆譜どおりですと、視覚的に鋭く感じられます。
★このため、楽譜としては、新ヘンレ版と二人の巨匠の版を、
じっくりと読み込むといいでしょう。
しかし、新版には残念なところもかなりあります。
例えば、第16小節目で、上声の符尾がすべて上向きになっています。
★Beethoven は、下向きに書いています。
新版は、記譜の常識的手法を当てはめ、直してしまっているのです。
これを本来の下向きにしていましたら、この楽譜を使う人は、
どれほど大きな発見をしたことでしょう!
残念です。
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