お久しぶりでございます。
暑くなりましたね~。
ずっと休んでいましたので、お題も「日はまた昇る」から「日はまだ沈む」に変えて、もうしばらく沈んだままでいるか…と思案していたほどです。でも気合を入れ直して、また、ぼちぼちとこのブログを更新していこうと思っています。
皆様、お変わりございませんか?
僕は、夏バテはしていますが、まあまあ、そこそこやっております。
浮き沈みの激しいこの時代に、1ヶ月半もブログを休んでいたら、すっかりその存在を忘れられてしまったのではないかと、いくぶん悲観的な予測をまじえて、控えめに「再開宣言」をする僕です。ちょうど大阪方面では梅雨明け宣言がされたばかりですから、梅雨明け宣言のついでに便乗宣言です。宣言も、どさくさにまぎれて「みんなですれば怖くない」っていうところでしょうか。
宣言…というのは何か格好いいですね。独立宣言とか世界人権宣言とか平和宣言とか、格調があり、重みがあります。個人的にも「なんとか宣言」する人はよくいます。宣言することで人生が突然変わるかのような気がするから不思議です。「関白宣言」という歌も、むかしヒットしましたね(古ぅ!)。日本人は「宣言」が好きなのです。僕も「禁酒宣言」は、これまでの人生で何十、いや何百回したことでしょう。僕の友人は5月31日の「世界禁煙デー」の日に、毎年「禁煙宣言」する律義者ですし、知人の中には、禁酒も禁煙も何回宣言してもすぐに失敗するので「今後何の宣言もゼッタイしない宣言」をした超苦労人もいます。それぞれに格調があり重みがあり、その格調と重みに押しつぶされそうになります。げげげえ~。
しかしまぁ、最近では梅雨明け宣言にしても、控えめですね。…というか「梅雨が明けたように思われます」とか「梅雨が明けたものと見られます」な~んて、いま流行のボカし表現、婉曲表現みたいなものを使っています。ふつうは「○○地方で梅雨明け宣言がされました」と言い切る表現だったと思いますが、まぁ、言い切っても外れることが多かったから同じようなものですけれど…。「思われます」とか言っておけば「梅雨はまだ明けていなかったぞ」と後で責められたとき、「明けたと思っただけですよ~ん」と反論する余地がありますからね。気象庁もいろいろと苦労して智恵をしぼっていますよね。
話は脱線しますが、いつも不思議に思うのは電車に乗ったとき、車掌さんが「ドアが閉まりますのでご注意くださ~い」と車内放送で告げる言葉です。
あれって、どう考えてもおかしくないですか?
ドアを閉めるボタンを押すのは車掌さんだから、ドアが勝手に閉まるのではなく、車掌さんがボタンを押すからドアが閉まるのです。ですから…
正確には「ドアを閉めますので、ご注意ください」と言うべきですよね。
そうでないと責任の所在がなんとなく不明確になってしまいます。ドアが閉まった拍子に何らかの事故が発生した場合、「ドアを閉めます」と言った人の責任が重いように感じられ、「ドアが閉まります」のほうが責任を逃れやすい、という考え方が底流にあって、それでそういう表現になるんじゃないかなぁ、と思うのです。
で、なんの話でしたっけ…???
ふむ。僕は夏バテだけではなく、夏ボケも始まっているようです。
あ、そうそう。
「梅雨が明けたものと思われます」という表現を聞いて、この電車のドアの放送の話を思い出したのです。とにかく今は、あいまいというか、うやむやというか、そういう言葉や表現が、個人間の会話だけではなく、公共の場でも増えつつあります。そういうことを言いたかったのでした。
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以上、昨日の夜までに書いたものですが、きょう未明から明け方にかけて、どしゃぶりの雨と強烈な雷鳴で、怖ろしいほどでした。最近ずっと雨が降らなかったのに、「梅雨明け宣言」したとたんに雨が降りました。
…やっぱり。
*直近のブログに、コメントを数多くいただき、ありがとうございました。
皆様のご厚意溢れるお言葉の数々に胸を熱くしていました。
心から感謝します。