いま日本全国には783の市があるそうだ。
「平成の大合併」で新しい市が続々誕生するとともに、市の名前のつけ方にも大きな変化が表れてきた。最も顕著な傾向は、ひらがな表記の市名が増えたことである。僕にはこれが、どうもしっくりこない。なんで漢字ではなく、ひらがなの市名をつけるのだろうかと、ず~っと疑問に思ってきた。
ざっと調べた結果だが、漢字が混じったものも含め、ひらがなの市名には次のようなものがある。
つがる市 (青森県)
むつ市 (青森県)
にかほ市 (秋田県)
いわき市 (福島件)
かすみがうら市(茨城県)
つくば市 (茨城県)
つくばみらい市(茨城県)
ひたちなか市 (茨城県)
さくら市 (栃木県)
みどり市 (群馬県)
さいたま市 (埼玉県)
ふじみ野市 (埼玉県)
いすみ市 (千葉県)
あきるの市 (東京都)
かほく市 (石川県)
あわら市 (福井県)
いなべ市 (三重県)
たつの市 (兵庫県)
南あわじ市 (兵庫県)
さぬき市 (香川県)
東かがわ市 (香川県)
うきは市 (福岡県)
みやま市 (福岡県)
えびの市 (宮崎県)
いちき串野市 (鹿児島県)
南さつま市 (鹿児島県)
うるま市 (沖縄県)
…とまあこういう感じである。
ひらがなの市名は、僕の目にはなんとなく間が抜けているように見える。
漢字だと一定のイメージが湧くが、ひらがなではそれが希薄になる。
これとよく似た例で、市議会議員らの選挙の時の立候補名のひらがながある。
たとえば「大橋一郎」という候補者が、立候補届出名を「大はし一郎」としたり、「若山二郎」を「わか山二郎」としたり、「中尾三郎」を「なかお三郎」としたり…。難解な文字だとやむを得ないが、普通の漢字ならそのままほうが読みやすいように思う。また、漢字と仮名が混じると、「わか山二郎」なら、苗字が「わか」だと勘違いをされ、投票用紙に「わか」の2文字しか書かれない恐れもある。なぜそんな表記をするのか、これも昔から不思議な感じがしてならなかった。
市名の話に戻るが、「むつ市」や「いわき市」「えびの市」などは長い歴史を持ち、それなりになじみがある。しかしそれ以外は、この21世紀に入ってから誕生した市が大半だ。ひらがなの市名が、一種のブームになっているようにも見える。この傾向は、2001年に浦和市、大宮市、与野市が合併して「さいたま市」と名付けたことから始まったものだと思う。あれ以降、どんどんひらがなの市が増えてきた。「さいたま市」も、ずいぶんロクでもないことを先駆けたものである。
漢字は、それ自体に意味を持ち、その土地の長い歴史が反映されている。ひらがなの市名は、そんな地名の歴史や由来を、まるで無視したものと言わざるを得ない。
「つがる市」はなぜ「津軽市」ではいけないのか。「津軽」という漢字2文字にはさまざまな郷愁が漂う。それを、わざわざ、ひらがなにする意図がよくわからない。「かすみがうら市」などは、ひらがながダラダラと並ぶだけの印象しかない。「つくばみらい市」も、市名というよりイベント名のようであり、しかも取ってつけたようなわざとらしいひらがな表記で、いかにもモチャモチャしている。
「さぬき市」も、なぜ「讃岐市」にしないのだろうか。「さぬき市」なんて書かれると、まるでスーパーの、さぬきうどんの市(いち)の広告みたいである。
「にかほ市」「いすみ市」「うきは市」などは、字を見ただけでは何のことやらさっぱりわからないし、頭の中にどんなイメージも描くことができない。
「あきるの市」など、住んでもすぐあきるのではないか…というダジャレの一つも飛ばしたくなるほどだ。う~む。これはおやじギャグでしたね。失礼しました。
また、「さくら市」や「みどり市」という市名に至っては、どこに市の独自性があるのか。「さくら」とか「みどり」とかは、土地がどこであろうと無関係な名で、地域性ゼロである。住民から募集したのか、誰かが決めたのかは知らないが、こんな市名が良いと考える人たちの神経を疑う。そこにあったはずの古来の地名は、どこへ行ってしまったのだ。
地名は過去と現在を結ぶ無形の財産であり、こうした地名の歴史的側面は、大切にしなければならない。
たしかに現代は、あらゆるところに、ひらがなの「親しみやすさ」を求めようという空気が底流にあることは事実である。ひらがなにしておけば、何となくソフトなイメージがあるという漠然とした感覚が、そういう風潮を育ててきたと思われる。しかし、だからと言って、人の名前や各種の愛称ならばともかく、正式な市名にまでひらがなを使おうというのは、明らかに行き過ぎではないか。
作家の重松清氏もこう書いていた。
銀行の「りそな」や「みずほ」、あるいは「もんじゅ」
や「ふげん」もそうだけれど、ひらがなの愛想の良さで
とりあえず丸め込もう…という人をナメたもくろみが
そこに感じられないか?
まったく同感である。
むやみにひらがなの市名をつけて、過去の財産を粗末に捨てていくというのは、自治体が率先してやるべきことではないだろう。
…と、まあ声を大にして叫んでも、
「大きなお世話や。ほっといてんか」
とその土地の人に言われたら、それでおしまいですけどね…。
もっと他に神経使えばいいのにと思います。
埼玉---さいたま-は、ひどいですね。
なんで、こうなるのでしょうか?
子供も漢字覚えられないし、突然何かの資料で埼玉--という文字が出てきたら、こんどは、さいたま、が定着してるから、多分、面食らうのでしょう。
わけわかりません。そんなことに気を使うなら、もっと他に神経を使えよと言いたくなります。気を使う箇所じゃ無いと思うのですが--。
この傾向には半ば口が開いて、開いた口がふさがりません。
重松氏の言うように、銀行などに関しては、そのような意図がみえみえですね。
いっそうのこと、藤井寺市を、ふじいでら市にしたら--。-----わけわかりませんわな。よくそこまで神経回ることやな、と思います。この傾向は、褒められたものじゃないでしょう。
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今日も朝から猛暑でした。
ジョギングに出ましたが、最初から走れずに、その辺を歩いて帰ってきました。(笑)
朝から昨日の野球のことを書いていたら、時間がなくなってしまいましたでござる。
明日の朝、お返事いたしまする。
ご免くだされませ。
反面、ひらがなにしてしまうと、ひらがなの字面からだけで由来を想像することは困難だと思います。また、従来存在していた場所に全く違う地名を持ってきても然りで、それが以前はどういう名称だったかを想像するのに苦労します。平仮名のものも含めてこのような名前の自治体が平成の大合併で一挙に増えてしまい、テレビで紹介されてもなかなかぴんと来ません。
それから、民間のテナント名で平仮名の名称をつけることも多くなりました。また、行政機関の広報でわざわざ自治体名を平仮名表記にしたり、年次計画やイベントにおいて単語を「みどり」「こども」「まち」「むら」のように表記することが多々あります。
実は、このように固有名詞は単独で見た場合はさほど感じませんが、日本語のように、特に昨今のように漢字そのものの使用頻度が減って片仮名語が増えてくると、平仮名の固有名詞というのは埋没してしまって非常に見づらいと思うのです。特に名前の頭が助詞と同じであったり、「~している○○」のような文章では、名前の頭の文字を助詞と混同する可能性もあります。例えばこのようなケースで「さぬき市」「かほく市」「もんじゅ」「のだ市報」などの文字を入れてみると分かりやすいですね。
ちなみに私は、文章を作成する際、紛らわしくないように片仮名の固有名詞の前には読点を付けたり、かぎ括弧でくくらざるを得ないことがあります。
いつもながら長々と失礼しました。
なんでも、ひらがな表記にすれば、わかりやすくて親切かというと、そんなこともないと思います。漢字だと、音だけではなくて、文字に込められた意味も伝わりますし、歴史を持つ街の名前なら、その由来をたどることもできますよね。
自治体の名前を決めるのは自治体の議会なわけで、そういうところに、政治家のセンスやレベルがでてしまうのではないかなあ、なんて思います。
そのひとつに、豊富な漢字を使わなくなり、使う語彙が乏しくなってきたことが挙げられています。若者言葉はさまざまなものが次々と生み出されていますが、まっとうな表現力は失われていく一方です。
テレビでは、クイズなんとかという番組で、さほど難しくない漢字やことわざも知らないタレントが「オバカ」を売り物に人気を博しているのが状況で、これでは国語の衰退も仕方のないことでしょう。加えて「ひらがな文化」の横行により、それがますます加速されていると思うのです。
おっしゃるように「みどり」「こども」「まち」「むら」などのひらがなが、今は全盛時代を迎えています。イベントや計画に中身がないので「見た目」でごまかす、という発想ではないでしょうか。
それと、自治体は、ひらがなと同様に、市民向けの施策やイベントに、横文字も頻繁に使っていますね。日本語で言えばいいのに、と思うような「外来語」をよく使っています。そのうち、日本語から漢字が消えるのではないかと思ったりしています。このテーマについては、もっともっと掘り下げて、今後も書いて行きたいと思っています。
で、浦和市にある高校へ通っておられたわけですね。
合併直前の浦和市の市役所に、出張で行ったことがあります。
そのとき、大宮、与野と合併した後の市名が「さいたま市」だと、浦和市の職員さんから聞いたときは、ちょっとびっくりしました。
「え…? さいたまと、ひらがなで書くのですか?」と聞きなおしたほどです。
思えば、あれが「ひらがな市名」を意識した始まりでした。
地名の漢字にこめられた地域の歴史というものを無視していますよね。
というか、「わかりやすければいい」ということを理由に、漢字を厭う若者たちに迎合しているのではないかとさえ思いたくなります。
これだけひらがなが氾濫してくると、みのもんた、という名前すらうっとうしく感じます(関係ないか…?」