昨日は4月1日。新しい年度がはじまった日である。
外出すると、桜の開花で急に華やいだ周辺の風景が目に入る。
僕にとっても「毎日が日曜日」状態になって、1年がたった。
人生はよくマラソンにたとえられるが、僕も常にその意識がある。
大阪女子マラソンのスタート・ゴール地点でもある長居競技場をご存知の方も多いと思う。その競技場のゲートを出ると、長居公園内の周回コースがある。この周回コースの1周が約2.8キロあり、これを15周するとちょうど42.195キロのフルマラソンの距離になる。その昔、ランニング仲間と、このコースで練習するため、毎週のように土曜日になると長居公園に出向いたことが懐かしく思い出される。
実際、毎年2月にこのコースを15周する陸連公認の「長居マラソン」も行われており、僕がフルマラソン自己最高記録である3時間28分というのも、この大会で出た記録だった。
そんなことを思い出しながら、去年に定年退職してからちょうど1年がたった昨日は、やっと長居周回コースの最初の1周を走り終えたような気分になった。フルマラソンのゴールは、まだあと14周と、はるか彼方にあるけれども、これから、1年1年、この周回コースを走る感じで過ぎてゆくのだろうと思う。(15周終わってまだ生きていたら、…そのあとは、もう知らんわ)
自由に生きていけるというのは素晴らしいことでもあるが、反面、目標や課題、あるいは義務感というようなものを失うと、つっかえ棒をはずされたようにつんのめってしまう。この1年は、喜びと戸惑いとが交錯しながら、充実したようで中途半端な、何だかよくわからないままに過ぎてしまった1年間であったような気がする。やはり、どんな生活にも、目的意識を持たなければならないことを、さすがにのんきな僕も、最近、気付いたのだ。
そこでいろいろと考えてみた。
人生は、この年になれば、言うまでもなく下り坂だ。
しかし、上り坂より下り坂の方が、楽なことには違いない。
自転車旅行で、長い長い峠の上り坂を、自転車をエンヤラヤっと押しながら、早く下り坂をスイスイと下りた~い、と思ったあの時の気分。あれが、今実現したのだ…と喜ぶべきであろう。
下り坂を、大いに楽しんで行きたい。
そのためには「上手な老い方」についてケンキュウしなければならない。
「死生学者」という肩書きを持つアルフォンス・デーケンという人は、定年後の人生は第三の人生だと言う。第一の人生は社会に出るまでの青年期。第二の人生は社会人として働く壮年期。そして、退職して第三の人生を迎えるとのことで、「第三の人生は、人生の収穫期です。定年後に何を持つかではなく、どんな人間であるかが大切です」ということだそうである。
そ~か、第三の人生か…。
デーケンさんはこういうことも言っている。
「日本人は第三の人生のために、経済面では随分熱心に準備しますが、心の準備がおろそかになっているのではないでしょうか。イギリスにはサードエイジ(第三の人生)大学が全国にあり、3万人以上の定年退職後の人たちが学んでいる。第三の人生は、人生の収穫期であると同時に、自分の限界と不完全さを悟り、再び旅人として歩き出すときでもあります。だからこそ、こころの準備が必要なのです」
自分の限界と不完全さを悟り、再び旅人として歩き出すとき…
ふむ。やっぱり死ぬまで向上心を忘れない…ということなんでしょうね。
ちょっと気に入りました、この言葉。
もうひとつ、かつて90歳を超えても現役の棋士を続けられたある方の「上手な老い方」の言葉にこんなものがあった。
五持つ(ごもつ)で生きていくのがよろしいでしょう。
五持つとは…健康、目的、友人、趣味、お金の五つを持つということ。
でも、お金は少しでいいのです。
あとは、くよくよしないこと。過去は過去。
失敗したらしたで、もう仕様がないと割り切って、愚痴は言わない。
それよりも、将来に目を向けることが大切ではないでしょうか。
この言葉も、ちょっと心にとどめておこう…
まあ、そ~ゆ~ことを、春眠の中でウダウダと思った年度の初めでした。
それは励みになりますね。
今までの経験をしっかりとおさらいしながら、
今後に生かせたら言うことないですものね。
それを肝に銘じて、ぞ~
年を取ると記憶力は落ちるけれども、
今までの経験を今後に生かす能力、
言語操作能力などは逆に伸びるそうですよ。
年のことは気にせずがんばりましょう。