僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

いざ、ランニングの世界へ

2010年01月29日 | 読書

今年は国際読書年ということである。
今、この言葉を入力したら、「国際毒初年」と変換された。
相変わらず、おバカなわが家のパソコンである。

さて、最近、ある1冊の本を読んで、どひゃ~んというほど強い刺激を受け、ばし~んっと顔を張り飛ばされたような厳しい気合を入れられた。

その本というのは、黒木亮という人の書いた「冬の喝采」。600ページを超えるぶ厚い本で、著者の若き日の自伝である。つまり、小説ではなく、ドキュメントである。

この本は、僕が自分で買ったのではなく、じゃいさんから送っていただいたものだ。
僕は、そういう本があったことも知らなかったし、黒木亮という作家の存在も知らなかった。したがって、この作家が「え~っ? そういう人だったの?」ということも、まったく知らなかった。この本を読んで、初めて知らされた。

では、どういう人だったのか…?

「冬の喝采」は、北海道出身の著者が、中学3年生から陸上競技を始め、高校1年生の時にインターハイに出場するも、その後、足の故障で何度も挫折を繰り返したあと、早稲田大学に入学、1年生の終わりに長かった故障から抜け出して、競争部に入部し、3年生、4年生の2年間、箱根駅伝に出場する、という感動の実話である。

当時の早稲田大学の駅伝は、知る人ぞ知る、あの中村清監督が率いていた。
そして、その早稲田の長距離のエースが、瀬古利彦であった。
もっとも瀬古は、この頃は早稲田というより、すでに日本のエースになっていた。

著者の黒木亮は、本名、金山雅之、1957年(昭和32年)生まれで、瀬古利彦と同年齢であった。昭和54年1月の箱根駅伝で、早稲田の2区の瀬古が先頭に立ち、3区にタスキを渡す。そのタスキを受けたのが、黒木亮→金山選手であった。

「冬の喝采」は、金山が、瀬古から「頼んだぞ、金山!」とタスキを受けるその場面から始まり、やがて金山の中学生からの回想が始まって、陸上競技一色だった高校・大学における彼の日々が綿々と綴られて行くのである。4年生での箱根駅伝を終え、陸上競技に終止符を打つところで、物語は終わるのだが、エピローグで、著者の両親に関わる驚くべき話が挿入され、読後の感動をさらに大きくする。

600ページ以上ある本だけど、短期間で読了してしまった。

僕はかつて瀬古選手の大ファンでもあったことから、その瀬古が、ごく普通の学生として物語の中に随所に出てくるのが余計に興味深かった。そして、奇人変人そのもの、と言ってもいいほど常識はずれの指導者・中村清の狂気に満ちた言動の描写もすさまじい。著者自身が直接体験したことであるだけに、迫力満点である。

この本は、著者の当時の練習日誌に基づいて書かれたものであろう。
数十年前のことだけど、何月何日に何キロを走る…ということが、延々と細かく綴られているのは、練習日誌がなければでき得ないことである。
比較にならないことは百も承知だけれど、僕もせっせと練習日誌を綴っていた。
今もそれが何冊か本棚に並んでいる。
しかし、当然のことだが、それに命を賭けるような人生は送っていない。
あくまでも、余暇、レジャーのマラソンであった。

でも、次に生まれて来た時は、箱根駅伝に出るようなランナーになりたい。そういう夢を見ることはある。苦しいだけのことかも知れないけれど…。

毎日毎日、走ることばかり…
そんな日々を、この本によって疑似体験することのできた僕は、これを読み終えたあと、いや、読んでいる途中から、すでに自分の心の中に、大きな変化が起こりつつあるのを感じ取っていた。

やっぱり自分も、走りたい。今よりも、もっともっと走りたい…
去年の退職後も、時々タラタラと犬の散歩のような超スローペースで、近所の大和川の堤防のコースを走っていたが、それも思いついた時だけである。人から、「好きなことは?」と聞かれて「走ることです」と胸を張って言えるようなものではない。

33歳の時に初めてフルマラソンを走ってから、51歳の時に走った赤穂100キロマラソンまで18年間、マラソンを趣味にしてきたが、考えてみれば、レースに出なくなってから、すでに10年の歳月が経過している。7年前、最初の発作性心房細動(不整脈の一種)が発症してからは、さらに走らなくなった。しんどいジョギングよりも、手軽にできるウオーキングのほうに重点を置きはじめたりした。

でも、やはり歩くことよりも、走ることのほうが自分の性に合っている。

「冬の喝采」から受けた衝撃を大切にしたい。

最近は、走る量をなんとか増やしつつある。
そんな時、アナザービートルさんが、ここのコメント欄で、シティマラソンにエントリーしませんか、と書いていただいたのを、今朝見たところである。嬉しかった。

大会は4月下旬だから、まだ3ヶ月ある。よ~し、がんばるぞ。10年ぶりのマラソン大会への出場をめざして、気合を入れなおそ~。

やはり、日常生活に新鮮な刺激や健全なストレスは必要である。
伸びきったゴムみたいに、手応えのない日々は送りたくないもんね。

走ろう。
記録なんてもちろん望まないし、また望むような歳でもない。
気分だけでも、風のように、軽やかに舞うように、走れるようになればいい。

 

 

 

 

 

 

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4 コメント

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走りましょうか-。 (アナザービ-トル)
2010-01-29 19:08:08
走りましょうか!
エントリーしておいてくださいね。(確か10キロのシニアの部ですかね?)
私はまだエントリーはしてませんが-。お互いの
詳細の連絡は時期が来て、それからでいいかと思います。今日も10キロ走っていました。まあ4月29日までにはなんとかなるとは思います。
 スポーツのドキュメントは色々あるのでしょうね。あまり読んだことはありませんが--。
 体を壊さず無理せずに走って下さいね。
自分にも言い聞かせる私のお願いです。
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走りたいと思ったときは (コバヤシ)
2010-01-29 22:46:25
走るべきと最初は思いました。身体のリスクがどうなっているか、わからないときに本当に走っていいのだろうか。その後思いました。走る決心に、水を注してはいけないとも思いました。のんさんのことだから、走ることに万全の体制で臨まれるとおもいます。しかし、無理は絶対してほしくない。のんさんは走る事の経験豊富なので、大丈夫だと自分に思いこませてます。(今日は気持ちが揺らいでいます)。
変なコメントですみません。
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走ります (アナザービートルさんへ)
2010-01-30 07:29:27
はい。ネットで調べて、エントリーします。

アナザービートルさんは10キロ走っているのですね。
僕も、昨日張り切っていたのですが、大和川の堤防コースはとても風が強くて、身体がすくんでしましました。

焦らないように、ぼちぼちとやらなければ…と自分に言い聞かせています。
本に刺激されて、居ても立ってもいられなくなる僕ですが、抑えなければ。

スポーツドキュメントは、好きな分野です。
特に、瀬古、有森や高橋尚子ら、マラソンランナーのドキュメントはいいですね~
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はい、無理はしませんので… (コバヤシ君へ)
2010-01-30 07:36:40
その昔のコバヤシ君の激走ぶりは、今でも脳裏にうかびます。
長居の駅伝大会で、僕らのチームのA組とB組で、一緒に1区を走ったこともありましたね。
僕が競技場内に入ったとき、コバヤシ君がすでにホームストレッチの直線を激走していた姿も懐かしいです。

これからは、無理はしません(←というか、できない)ので、ご心配なく。
調子、悪そうなのに、コメントくれて、ありがとうね。
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