僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「速記」が僕の人生を作ってくれた

2022年12月09日 | 日常のいろいろなこと

先日、朝日新聞の「国会ネホリハホリ」というシリーズの記事で、
「国会に欠かせぬ『速記』のスゴ技」という記事が掲載されていました。

国会での本会議や各委員会の議員たちの発言は、すべて議事録に保存されているけれど、そこで欠かせないのが、膨大な発言を特殊な技術で書き取る速記者であり、その技はすごい、という紹介記事でした。

今はデジタル化が進み、音声を自動認識するシステムもあって議事録作成にも導入されつつあるが、やはり最後は人の耳や目が重要となり、速記者の高度な技術は捨てがたい、という内容の記事でした。

 
   国会での速記者。


 
  速記の一例です。


久しぶりに「速記」という言葉に出会ったのですが、僕はこの記事を読み、速記と自分の人生との大きな関わりを、改めて思い起こしたのです。

大学生の頃、文章を書くのが好きだったので、当時ちょっとしたブームになっていた速記というものに興味を持ち、「速記学校にでも行ってみるか」と軽い気持ちで決めたのがそもそもの始まりだった。そこで、大阪環状線の玉造駅の近くにあった「早稲田速記学校」の夜間部に通うことになった。19歳の時だった。そして、その速記学校の同じクラスにいた女性と知り合って付き合い始め、数年後(大学を卒業する直前)に結婚した。つまり今の妻との出会いがこの速記学校だったのです。えへへ。

結局、速記学校は3級の資格を取ったところでやめたんですけど。

大学卒業後、就職先を数ヵ月で辞め、8月に職員を臨時募集していた松原市役所の試験を受け、採用されました。
履歴書を書く時、妻から「資格欄に速記のことを書いておいた方がいいよ」と言われたので、「速記3級」と書き込んでおいた。それがまた、僕の公務員人生に大きな影響を与えることになるとは、その時は想像もできなかった。

市役所に入り、最初は「市史編さん室」という部署に配属され、2年後に税務課へ。そこも2年でまた次の部署に異動になった。
「2年ずつで異動って、なんのこっちゃ?」
と少しひがみましたね。

さて、3つ目の部署は「議会事務局」というところでした。
ここの仕事は種々雑多だけど、ひと言でいうと、「議会が円滑に運営されるように議長をはじめとする議員をサポートする仕事」です。

仕事の中には会議録の作成もありますが、本会議には本職の速記者が来て発言内容を書き取り、僕らはその原稿をもらって録音と照合し、間違いないかをチェックする。そして委員会では速記者は来ず、僕たち事務局職員が記録を取り、あとでまた録音を聞きながら会議録を作るのですが、その時に僕は速記が役立ちました。

この部署に来たとき、上司が僕に、
「君は速記の3級の資格を持ってるそうやな」
と言ったので、なるほど、それで議会事務局へ来たのか、と。

そしてその議会事務局では、16年間も在籍しました。
26歳から42歳までそこで仕事をし、そのあと総務課と広報課の2つの部署を巡った後、50歳から60歳の定年退職までの10年間、また議会事務局で仕事をしたのです。つまり38年間の公務員生活のうち、26年間を議会事務局で過ごしたわけです。自分では、ここの仕事がとても合っていたように思います。職場の上司や部下にも恵まれ、特に後半の10年間は本当に仕事が楽しかった。

それも、元はと言えば履歴書に「速記3級」と書いたのが発端でした。
あそこに書いていなければ、議会事務局に呼ばれることもなかったはず。

速記を習いに行って妻と知り合い、市役所では「速記3級」のおかげで議会事務局で26年間も仕事をさせてもらったわけです。

速記学校へ行ったのは、ふとした思いつきに過ぎなかったのですけどね。
それが僕の人生の流れを作ったんだなぁ

新聞で「速記」の2文字を久しぶりに見て、
そんなことを身にしみて感じているところです。

 

 

 

 

 

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