米国から新駐日大使として日本へやって来たキャロライン・ケネディさんが、皇居まで馬車に揺られて沿道の人々に手を振る光景を見ていると、今は亡き英国のダイアナ妃が来日された時のことを思い出す。あの時もずいぶんフィーバーしたけれど、キャロラインさんも「ケネディの娘」というだけで、大変な人気である。改めてジョン・F・ケネディという人の偉大さを知らされた思いがする。
それにしてもキャロラインさんはお母さんのジャクリーンさんと瓜二つである。僕たちの世代にとっては、それがまた「若き日をなつかしむ気持ち」に繋がり、今回の大使としての来日を喜ぶ気分を、より一層盛り上げているように思う。
そして今日、11月22日は、ケネディ大統領がテキサス州のダラスで暗殺された日だという。1963年のことだから、ちょうど50年目の日となるわけだよね。
(しかもその日は今日と同じ金曜日だった)
しかし50年とは… あれからもう半世紀も経った!
…50年前といえば僕は14歳で中学生だった。その日のことはよく覚えている。何人かの友達と一緒にどこかの学校へ模擬試験を受けに行った日だった。試験が終わって学校の門を出ると、道路のあちこちに紙切れが落ちていた。当時は店のオープンの宣伝チラシや新聞の号外などは、小型飛行機で空からまき散らされていたのである。(今そんなことをしたらエライことですよね。まだ街の美化という概念がなかった時代です)。
「何やろね?」とか言いながら、友達と地面に点々と落ちている紙の1枚を拾い上げてみると、号外だった。「ケネディ大統領暗殺!」という太い文字が目に飛び込んできた。…それが、50年前の今日のことだった。
ついこの間のことのように思える出来事だった。
(光陰矢のごとし…。年取るわけですよねぇ~)
ダラスといえば、4年前にアルゼンチンへ旅行したとき、ダラス空港で乗り換えだったので、数時間空港で過ごした。そのとき、外の景色を眺めながら、この地でケネディ大統領が暗殺されたのだったなぁと、ひと時の感慨に耽った。今でもダラスといえばケネディ暗殺のこと以外は思い浮かばない。
映画「ダラスの熱い日」では、ケネディがパレードの途中で凶弾に倒れる瞬間の実写フィルムが挿入されていたが、すぐ隣に座っていたジャクリーン夫人の驚きの表情と、ショックで全身を震わせ、顔を覆い、悲痛な叫びを上げる姿が、とても痛々しかった。
11月22日はわが国では、語呂合わせから「いい夫婦の日」ということになっているようだけれど、ケネディ夫妻にとっては「最悪の日」となってしまった。
ニュース報道で、ジャクリーン夫人そっくりのキャロラインさんを見るたびに、あの映画の衝撃のシーンを思い出してしまうのです。
後列がケネディ大統領とジャクリーン夫人。
1963年11月22日のダラス。暗殺直前の写真。