僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

村上春樹は不滅です

2012年10月12日 | 読書

村上春樹氏ノーベル賞ならず…

昨夜のテレビやネットから今日の朝刊まで、
このニュースが大きく取り上げられていた。

日本時間の昨日の午後8時に発表されるはずだった。

ノーベル文学賞有力候補の村上春樹さんが栄誉に輝くかどうか…

僕もそれが気になっていたので、ずっとNHKテレビをかけていた。
午後8時、番組中にピポピポ~ンと速報音が入り画面上に字が…
「村上春樹さん、ノーベル文学賞受賞!」…と。

…そんな期待も、8時を過ぎると、とたんにしぼんでしまった。
速報が出なかったということは、受賞を逃したということだろう。

9時前のNHKニュースでそれを確認し、9時からのニュースで、
「今年こそと願っていたのに残念です」という沢山のファンの声を聞いた。

まぁ、負け惜しみではないが、まだまだチャンスはいくらでもあるし、
ノーベル賞を受けようと受けまいと、作品の価値が変わるわけでもない。

村上春樹氏も、性格的に、こういう名誉を欲する人ではない。
だから、それでどうということはないのであるが、
世間があまりに騒ぐものだから、村上さんも、
「やれやれ…」 という心境であろう。

村上さんの「1Q84」も、とても味わい深い小説である。

「青豆」という変わった苗字の女性と、
「天吾」という小説家をめざす男性が、
交互に登場しながら話が展開するのだが、
その小説の中で、こんな言葉が出てくる。

「精神の鋭利さが心地よい環境から生まれることはない」

主人公の天吾が、ある人物を評してこう表現するのだが、
村上さん自身、今回ノーベル賞など受賞してしまったら、
万が一…ひょっとして…心ならずも 「心地よく」 なって、
精神の鋭利さに翳りが出たら、ファンも困るだろうしね。

受賞を見送られて、むしろよかったのかも知れない。

 …………………………………………………………………

さて、ここからは蛇足ですが…

ご承知のとおり、日本人で初めてノーベル賞を受賞したのは、
1949年(昭和24年)の湯川秀樹氏で、物理学賞だった。
僕が生まれた年だったので、何となく縁を感じていた。

学生の頃、湯川秀樹の「旅人・ある物理学者の回想」という本を読み、
それまでイメージしていた堅苦しい学者先生という思いが取り払われ、
ちょっと内向的でもあり、魅力に富んだその人柄に一気に惹かれた。

そんなこともあって…

大学4年の時、就職活動のため提出した履歴書の
「尊敬する人物」 
の欄のところに、「湯川秀樹と桂米朝」
…と書いたら、担当の教授が、

「キミの好みはいったい何やねん」と首をひねりながら笑った。
(僕は当時全盛期の落語家・桂米朝も大好きだったので…)

でも、湯川秀樹を尊敬する気持ちには偽りはなかった。
その後結婚して出来た長男に、ヒデキと名づけた。

それが、まあ、今のモミィのパパですけど。

ちなみに、次男はナオキと名づけた。
ヒデキ…そしてナオキ。

もし次に3人目の男児が生まれていたとしたら…

たぶん 「ハルキ」 という名前をつけていたと思いますね。 

 

 

 

コメント (2)
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