僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 母の 「 引越し 」

2007年12月26日 | 日常のいろいろなこと


先月27日に母が施設に入所してからほぼ1ヶ月が経った。
それまで、約1年間、入院生活が続いていた。

あれは昨年の11月17日のことだった。
数年前に父が亡くなってから一人暮らしをしていた母は、老人会のカラオケ中に脳出血で倒れ、救急病院に運ばれた。右半身が麻痺し、医師からはその場で「これからずっと車椅子生活になるでしょう」と言われた。そのとき母は78歳であった。

そして、約1ヶ月経って、救急病院からT病院に移った。

T病院では、母はずっとリハビリを続けていたが、現状を維持するのが精一杯で、回復の見込みは極めて薄い…と、そこの医師からもそう言われていた。

母の意識ははっきりしており、言葉も普通に話せる。時々つじつまの合わないことを言うが、認知症というほどのものではない。といっても、母がどこまで自分の病状を認識できているのか、よくわからない部分もあるけれど…

入院先では、母は最初の頃は家に帰りたがったりしたが、やがて環境に順応してきたのか、無理なことは言わなくなった。

記憶や思考がやや曖昧になっていたことが、むしろ母の心の中に、ほっこりとした空間を生み出したようにも見える。体の半分が動かなくなったというのに、決して現状を嘆いたり、駄々をこねたりしないのが、僕から見て不思議だった。これまでは、すぐ悲観的になり、感情の起伏も大きかった母だったけれども、そういうところが影を潜めてしまった。自分がこんな不自由な身体になって入院していることをひどく苦痛に感じている…というようには見えなかった。僕としては、これは、せめてもの救いであった。

しかし、それとは全く別の、重要な問題もあった。

当然のことだけれど、いつまでも入院をしていられるわけではなかった。
いつかは病院を出なければならない時が来る。
その際、母の一人息子という立場にある僕は、どう対処するべきなのか。

これについては、病院に入ったときから、担当の人から、
「今から次の段階のことを考えておいたほうがいいですね」
という意味のことを言われていた。
次の段階というのは、退院したあとの母の身の振り方である。
「退院」といっても病気が治って退院できるわけではあるまい。
要介護度4~5、という重い症状は、これからもほとんど変わることはない。

「自宅で介護されるのか、あるいは施設に申し込むのか、ということで…」
と担当者は淡々と説明をしてくれた。
言われるまでもなく、それは母が倒れた日からずっと考えてきたことだ。

わが家での介護は、現実の問題として、どう考えても不可能である。
老人ホームなどの施設でお世話をしてもらう以外に選択肢はない。
「施設入所については、相談に乗ってくれるのですか?」
そのとき、病院の担当者に、そう尋ねた。
「できるかぎりのことは…」
担当者の言葉から、何とかしてくれそうな雰囲気を、感じ取ることができた。

老人の入院患者を多く抱えるこの病院は、退院後の患者の処遇には一定の指針を持っているようであった。そして、入院した当初から、この近辺にある3つの特別養護老人ホームの存在を教えてもらった。

一般に、特別養護老人ホームは、簡単に入所できないと言われている。
要介護老人がどんどん増えて、定員の「空き」を何年も待つのが普通だそうだ。
それでも、少しでも早く入所できることを願って、3ケ所全部に申し込んだ。

…僕たちは運がよかったのだろう。
今年の7月に、3つの施設のうちのひとつから電話があり、
「間もなく入所できそうです」ということが伝えられた。
施設の場所も、自転車で10分以内で行けるところで、とても便利である。

そのあと、少し行き違いがあって「間もなく」だったはずが、夏を過ぎ、秋になっても連絡がなく、ちょっと不安になったけれど、専門的な知人を介して施設側に確認をしてもらったりして、ようやく先月(11月)の27日に、母は、病院を退院し、特養施設に入所することができたのである。

最初の施設への申し込みから、住民票の異動その他役所への諸届けなど、入所に関する一連の手続きや母の入所の際の付き添いなどは全て妻が一人でしてくれた。

そんなことで、最も大きな課題だったことが一応落ち着き、安堵している。

4年前に父が亡くなり、母の一人暮らしが始まったときは心配が多かった。
「話し相手がいない」「寂しい」「面白くない」「夜、眠れない」
母は、いつも愚痴をこぼしていた。

しかし、母はそこに40年以上住んでおり、近所付き合いも多かった。
元気なうちは、1人でもそこで暮らすことが最善であったと思う。
僕もあまり親孝行とは言えず、母の家を訪ねる回数は多くなかった。
しかし、常に心配なことは心配であった。

老人の1人暮らしは何が起こるかわからない…
そんな不安が、ここ数年の間、ずっとつきまとっていた。

こんな結果になってしまったことは、決して良いとは思わないけれど、
施設に入った母は、毎日安全に暮らしていることは間違いないのだ。
それに、ニコニコと機嫌よく過ごしていることも事実である。

母に関する心の負担がずいぶん軽くなった、というのが、今の正直な感想である。

 

コメント (4)
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