僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

柔道団体 無念の「銀」 ~パリ五輪~

2024年08月04日 | スポーツの話題

今は8月3日、いやもう日付が変わって8月4日の午前2時過ぎです。

たった今、テレビで柔道団体の決勝、日本対フランス戦を見終えたところです。
日本は好調なスタートを切り、3勝1敗としてあと1勝すれば優勝というところまで行きながら

2連敗して3勝3敗のタイとなり、最後は日本の斎藤が敗れて万事休す。

東京五輪に続いて、またも柔道団体決勝でフランスに屈しました。

残念無念。

では、寝ます。
ちょっと神経が高ぶっていて、
すぐに寝られるかどうかわかりませんけど。

 

 

 

 

 

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モミィ 成人式の前撮り写真を撮影

2024年07月30日 | 日常のいろいろなこと

モミィは今年10月に19歳になり、来年10月に20歳の誕生日を迎えます。

最近、法律で成年年齢が18歳に引き下げられ、成人式も18歳を対象に行うのではないの? という見方もあるようですが、式を開催するのは各市町村で、ほとんど式の対象年齢は、これまでどおり20歳を対象に行われているようです。

ということで、モミィは再来年の1月に成人式を迎えるわけですが

一昨日、モミィが成人式の「前撮り」というのに行きました。
場所はあべのキューズモールというところにあるお店です。

「前撮り」というのは、僕も妻から聞くまで知らなかったのですが、成人式当日に振袖の着付けや写真撮影をするというのは、撮影時間や場所が限られており、なかなか大変なので、それなら事前に写真撮影だけはしておく、という意味で、「前撮り」と言われているそうです。

で、その日はお店のスタッフの方に、髪型やメイクをしてもらったり、振袖を着せてもらったりしたあと、中にあるフォトスタジオで写真を撮ってもらう、ということでした。そしてモミィだけではなく、家族揃っての写真も撮るので僕も一緒に行ってほしい、と妻から頼まれた。お店に行く時間は午前11時で、長男(モミィのパパ)もその店へ直接来るという。

前撮り、ねぇ。そういうのが、あったんだ。
モミィも友達が多いのでいろんな情報を持っている。
僕らから見ると早過ぎる「前撮り」ですけど(笑)、そういう友だちが割に多くいるようです。今の若い子の感覚は僕にはわかりましぇ~ん。

で、僕も一緒に行くことになったので、最近はほとんど着ていない背広とネクタイ姿で、暑い中を阿倍野へ向かった。

そしてあべのキューズモールの2階にあるお店に行き、長男と合流し、あとはスタッフの女性に、モミィが髪型を丁寧に整えてもらい、メイクもしてもらって、さらにどこかの部屋に行って振袖を着せてもらったりとしている間、僕らは何もすることがなく、その辺の椅子に座ってただ待っているだけだった。

そうこうするうちに、振り袖姿のモミィが現れ、スタッフの方に案内されてフォトスタジオに入り、モミィがいろんなポーズで撮影をしてもらい、最後は4人の家族写真を何枚か撮ってもらった。

ようやく撮影が終わり、また長い間待った後、スタッフの女性が戻ってきて沢山撮った写真の出来上がりを全部見せてくれた。それらの写真を見せてもらいながら、最終的にアルバム載せる10枚前後の写真を僕たちで選んだのです。

お店に着いたのが午前11時頃でしたが、
すべてが終わった時には、午後3時になっていました。

み~んな、お腹ペコペコだったので、4人でお店を出てキューズモールのレストラン街へ行って1軒の店に入り、やれやれ、と一息ついた次第です。

 

★フォトスタジオでの光景です。 

 



ところで、これで思い出したのですが、モミィが10歳の時に、
「2分の1成人式」ということで、隣接市のフォトスタジオで
こんな写真を撮ってもらったことがあります。

 

  2分の1成人式。モミィ、満10歳。
  2015年10月の写真です。
  これこそ前撮り中の前撮り?(笑)

 

 

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いよいよパリ・オリンピックが開幕!

2024年07月25日 | スポーツの話題

いよいよパリ・オリンピックが始まりますね~

開会式は、日本時間では明日の真夜中というか、つまり日付は明後日の27日になりますが、午前2時か3時かそのあたりから行われるようです。
その開会式、これまではず~っとスタジアムで行われていたのが、今回はオリンピック史上はじめて、スタジアムの外、つまり街の中で行われるのだそうです。

今朝の羽鳥慎一さんのモーニングショーによると、セーヌ川を「パレード」するということです。

これはそのテレビ画面を撮ったものです。


 これがパリオリンピック入場パレードの略図です。

ルーブル美術館やノートルダム寺院、コンコルド広場、グラン・パレなどを見ながら、最後のエッフェル塔の前のトロカデロ広場までの6キロをパレードするという。


 
 こういうイメージなんだそうです。

オリンピックの競技ももちろん大いに楽しみですが、この開会式のパレードも楽しみです。
パリは、僕が海外で一番好きな街なんですものね。

これまで海外旅行には何度か行っていますが、一番多く訪れたのがパリです。
数えてみれば、計5回、行っています。
初めて行ったのは、大阪府の市町村職員海外研修というのがあって、そこに参加させてもらってパリへ行きました。その時は40歳代でしたが、オランダ、オーストリア、スイス、フランスの4か国を歴訪し、中でもフランスのパリには最高に魅せられました。

それで翌年、妻と2人でパリ旅行をし、50歳ちょうどの時は、長男(モミィのパパ)も連れて3人で行き、その後も妻の姉と3人で、さらに今から5年前にはその3人にモミィを加えて4人でパリへ旅行したのでした。

そんな、僕にとって馴染みの深いパリ。
ここでオリンピックが開かれるのは実に100年ぶりで3回目だそうです。

これから、連日、エッフェル塔をはじめ、パリの有名なスポットが目に入って来るのを、今から楽しみにしている僕です。


 
 これは2008年に妻と義姉と3人で旅行した時の写真です。
 現地の人にお願いして、撮ってもらいました。
 

 

 

 

 

 

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体操女子の宮田選手が五輪出場を辞退

2024年07月21日 | スポーツの話題

連日、相変わらずいろんなニュースが報じられていますけど、
このニュースには大きなショックを受けました。

体操女子のパリ五輪日本代表でキャプテンを務める宮田笙子(しょうこ)選手が、喫煙と飲酒を行ったとのことで、パリ五輪の出場を辞退することになった、というニュースです。

 
  宮田笙子選手(19歳)。

僕は高校生の頃からオリンピックマニアですけど、この女子の体操競技は、その華麗さにおいて最高に素敵な競技で、大好きなんですよね。初めて五輪に夢中になった東京五輪と、それに続くメキシコ五輪の体操女子で、計7個の金メダルを獲得したチェコのチャスラフスカ選手に魅了されたのが始まりでした。その圧倒的な美しさには、目が眩(くら)みそうでした。


 
  ベラ・チャスラフスカ選手。
  8年前に74歳で死去されています。

この種目での日本女子は、昔の東京五輪の団体で銅メダルを獲ったのが唯一のメダルだったようですが、今回のパリ五輪では、この宮田選手が中心になってかなりの活躍をするのではないか、と期待をしていたところです。

その宮田選手が、まさかの「飲酒、喫煙」で出場辞退とは

宮田選手は19歳。モミィより1歳上です。
日本では20歳未満の人の飲酒、喫煙は禁じられているわけですが、関係者の人たちのコメントを聞くと、本人に大変なプレッシャーがあって、それが喫煙・飲酒につながったのではないか、とされています。お酒の好きな僕としては、わからなくはない話ですけど。でも、規則は規則ですから、仕方ないのかなぁ。

「1964年東京五輪銅メダル以来、60年ぶりの五輪団体メダルを目指す体操日本女子代表」
と期待されていた矢先に、こんな信じられないニュースが流れたわけで。

パリ五輪で彼女の姿が見られないとは
本当に残念でなりません。

 

★蛇足

日本では20歳未満の人の喫煙が禁じられているわけですが、昨日の某テレビ局のニュースで、あるアナウンサーが、
「日本では20歳以下の人の飲酒、喫煙が禁じられています」
と言ったので、「え?」と思った僕でした。

「20歳以下」というのは、20歳を含んでいますよね。とすると、この表現なら20歳の人も飲酒、喫煙が禁じられている、ということになります。
しかし「20歳未満」であれば、20歳は含まず、19歳までの人を言うわけで、それが日本の法律ですよね。
ということで、「未満」と「以下」の使い方を、このテレビ放送では間違っていたわけです。しばらくして、「先ほど20歳以下と申し上げましたが、正しくは20歳未満でした。お詫びして訂正いたします」とアナウンサーが頭を下げていました。まぁ、ややこしいといえば、ややこしいですけど。

 

 

 

 

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ダラスの熱い日 ~ケネディ大統領暗殺事件~

2024年07月16日 | ニュース・時事

今日のニュースでも、トランプ氏の銃撃事件に関することが詳細に取り上げられていた。
ワイドショーでは「これでトランプ氏が(大統領選に)有利になる可能性があります」とコメントしている人もいた。

ところで、昨日のブログで、バイデンもトランプも高齢なのによく頑張っているわ、と書きましたが、それでも「歳には勝てない」という部分もありますね。

ご承知のように、少し前、バイデンさんがスピーチの中で、ウクライナのゼレンスキー大統領のことを「プーチン大統領」と言ったり、自分の腹心であるはずのハリス副大統領を「トランプ副大統領」と言ったり、と、「言い間違い」のニュースが繰り返し報じられています。
ちょいとボケてきた? な~んて言われています。

一方トランプさんのほうも、以前から、人の話をロクに聞かず、自分の主張だけを一方的に押し付ける傾向がある、と言われています。これもまぁ、加齢とともにその傾向が強くなっていく、というのは、日本でも言われていることです。むろん性格にもよるのでしょうけど、やはり、高齢は高齢で、それなりにいろいろと問題点があるのかも知れませんね~


さて、昨日、ケネディ大統領の暗殺のことを書いたのですが…
同大統領は1993年にテキサス州のダラスという街で暗殺されました。
その暗殺から10年後、『ダラスの熱い日』という映画が公開され、僕も映画館へ見に行ったのですが、当時のニュース映像などが入ったドキュメンタリー風の映画でとても興味深く見たものです。なので「ダラス」という地名は、いつまでも頭の中に残っていたのです。

そして
僕が退職した年、義姉の次男が住んでいるアルゼンチンへ妻と義姉の3人で行ったのですが、その行程はかなりハードでした。

まず、伊丹空港から国内線で成田空港へ。
そして成田から国際線でアメリカへ。
さらに、アメリカからアルゼンチンのブエノスアイレスへ。

空港での待ち時間を入れて30時間以上かかったのですが、アメリカで飛行機を乗り換えたのが、テキサス州のダラスだったのです。あの、ケネディ暗殺事件が起きたダラスです。

ダラス空港で約4時間、待ち時間がありました。
僕は空港内をうろつきながら、「ここがダラスか、あの、ダラスか」とつぶやいていました。

もちろん、アルゼンチンから日本へ帰る時も同様に、ダラス空港で数時間過ごしました。

 
    ダラス空港(2009年9月)。

「ダラス」
その名前を耳にするだけで、
あのケネディ大統領暗殺事件が思い出されるのです。

そしてまた、今回の事件で、「ダラス」の3文字が浮かび上がりました。

と、まぁ、これが昨日の話の続きです。
お粗末さまでした~

 
 ダラス市内をパレードするケネディ大統領夫妻。
 この直後に大統領は射殺されたとのことです。

 

 

 

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トランプ前大統領が銃撃される!

2024年07月15日 | ニュース・時事

テレビで「トランプ前大統領が銃撃される!」のニュースを見た人、ビックリしましたよね。
で、どうなったかというと、右耳にけがをした程度で、犯人はシークレットサービスによって射殺されたそうです。
まぁ、軽い怪我で済んでよかった。

さて、
今は米大統領選挙に関するニュースが頻繁に報じられていますね。

それにしても、81歳の現大統領バイデンと、78歳のトランプが戦っているのを見ると、政治能力はよくわからないけれど、2人ともよ~くこの年齢までがんばっているな~と感心します。

日本だと、もう「後期高齢者」として、社会の「お荷物」みたいに扱われているような年齢なのだけど、米国のこの2人は大統領の座を取り合うのですから、その点ではすごいなぁ、と心底思うのです。

ところで、今回のトランプ前大統領の襲撃事件のニュースに接した時、やはり、僕らのような古い年代の人間は、「大統領暗殺」といえば「ケネディ暗殺」の事件を思い浮かべます。ま、トランプは軽いけがで済みましたが、ご承知のようにケネディ大統領は暗殺されました。

僕はそのときのことを、今、思い出しています。
1963年、というから、東京五輪が行われる前の年。
僕は中学生でした。
いま、スマホで検索すると、1963年(昭和38年)の11月22日に起きた事件のことだったようです。

その日、僕は友だちと一緒に大阪市内の学校(どこか忘れた)へ行って模擬試験を受けました。そして、受け終って、みんなで学校を出たちょうどその時、上空で小型飛行機が舞い飛び、そこから沢山のビラがパラパラパラ~と風に揺られながら落ちてきました。

今はそんなことは禁止されていますが、昔は小型飛行機からいろんなビラが舞い落ちてきたものです。

で、なんだろう? と思って、みんなでそのビラを拾って読んでみたら…

「ケネディ米大統領が暗殺される」

ということが書かれていたのです。
ケネディ大統領は日本でも、僕ら中学生の間でも、「カッコいい~」とすごく人気のある大統領でした。だから、このビラを見てビックリしました。

……………………………………………………………………………

今から60年も昔の話で、最近は、そんな出来事も、すっかり頭の中から消えてしまっていました。

しかし、今回のトランプ襲撃事件のニュースを見て、あの日のことがまた鮮明に記憶に蘇ってきたのです。

と、ここまで書いてきましたが、夜も更けてきました。
眠くなってきたので、そろそろ寝ます。

おやすみなさ~い。


★また次回、この続きを書きます。
   そんな面白い話でもありませんけど(笑)

 

 

 

 

 

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10人きょうだいと一人っ子

2024年07月11日 | 日常のいろいろなこと

妻の姉が亡くなって1年が経った。
妻とは本当に仲が良く、僕も加わって3人で、ラスベガス、ハワイ、パリ、カナダ、そして姉の次男が住むアルゼンチンなど、海外旅行へも行った。さらに一番最近では5年前、モミィも入れて4人でローマ、パリ旅行へ行った。


  
  5年前の4人での旅行。パリのルーブル美術館をバックに。
  写真の一番右が義姉です。

その義姉が去年の7月に亡くなったことは、このブログにも書きました。

妻は、実は10人きょうだいの末っ子、つまり10番目で、仲のよかった姉は8番目でした。

「10人きょうだい」なんて、今の少子化の時代、考えられませんよね。
しかし、10人のうち、3人は、生まれて間もなく亡くなったとのことで、実質的には7人きょうだい、ということになるんですが。

亡くなった姉さんは妻より6歳年上でした。二人の間にはもう一人男の子がいたそうですが、その子は前述のように生まれて間もなく亡くなっています。だから、その姉さんが妻のすぐ上の姉、ということになるんですよね。

思い返してみれば
僕たちが結婚した頃、大阪市内の妻の実家へよく遊びに行ったのですが、年2回、兄さんや姉さんたちが集まる会が開かれていて、そこで賑やかに楽しい時間を過ごしたものでした。
僕は一番年下だったので可愛がられたものです(えへへ)。

「もう1年なんや。早いねぇ」
と、昨晩も妻と食事をしながら、義姉のことを偲び、さらにそんな昔の話などを交わしました。

それにしても、
妻は10人きょうだいの末っ子なんですが、
では僕は、といえば、一人っ子なのです。

10人きょうだいと一人っ子 

こういう組み合わせって、珍しいですよね。

だから僕は、「きょうだい」というのがどういうものなのか、肌で感じたことはないんですよね、当然のことながら。
兄や姉、弟や妹。もしそういう存在がいれば、自分は今とはまた違った性格の人間になっていたのかなぁ、という思いにも耽ることがあります。

と言っても、
「なら、一人っ子で育ったあんたは今、どういう性格やねん?」

と訊かれたら、それはそれで返答に窮しますけどね~。

だいたい自分の性格なんて、自分で説明できませんし(笑)

 

 

 

 

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東京都知事選をめぐるいろいろ

2024年07月07日 | ニュース・時事

いつも日曜日の午後8時からといえば、大河ドラマ「光る君へ」を見ているか、録画をして翌日に見ているか、とにかく楽しみにしている大河ドラマでしたが

今日はその大河ドラマは無し。来週に持ち越しです(残念!)。

理由は、東京都知事選の投票が締め切りが午後8時ということで、そこから開票が順次始まるから、ということでした。

それで、その8時にNHKテレビを見ていたら、早々と、
「小池百合子氏の3選が確実になりました」と言った。
まだ開票も始まっていないのに。

まぁ、そうだろうなぁと、別に驚きもしませんでしたが。

しかしね~
投票が締め切られたとたんに当選者を伝えるってねぇ。
まだ1票も開票されていないのに。
まぁ、「出口調査」の結果だということだそうですけど。

僕も昔、市役所に勤めていた頃、臨時で選挙の担当になったことがありました。あれは大阪府知事の選挙だったと思います。僕はある地区での投票事務に携わっていて、そして時間になって投票時間が締め切られ、集まった票を車に積んで中央の開票場所(市立体育館だと思う)へ運んでいる途中、車のラジオから「大阪府知事選挙は〇〇さんが当選確実となりました」という言葉が流れてきて、ビックリしたことがありました。

まだ、票は中央に届いていないし、もちろん数も誰がどれだけ取ったのかもわからない。なのに、まだ未開封の票を運んでいる最中に、ラジオでは当選者が発表されているんですから、この時はビックリしました。

まぁ、今回の小池百合子さんもそうですけど、開票する前から当選は確実、と見られていましたよね。それで、マスコミが「出口調査」というものをして、早々に当選者を発表するという仕組みになっているわけで、もうこれはかなり以前から行われていたことで、驚くことでもありません。でも、僕は毎回、今日のようなマスコミの発表を聞いて、昔の、未開封の票を運んでいる途中にテレビやラジオで「当選確実」の報道が流れたのを不思議に思ったことを思い出しているわけですよね。

そりゃ、出口調査の結果は100%の確率かも知れませんが、あまりに早い報道というのが、毎回気になります。


今回は「光る君へ」がこのために放送中止になったことが残念で、

言っても仕方ないことですけど、ついつい愚痴っちゃいました。

それにしてもこの都知事選。
56人も立候補者が出ていたそうです。
別に立候補する人が多いからどうっていうことはないんですけど、ヘンな人たちも結構出ていましたよね。

それで、ふたを開けてみれば小池さんの圧勝。

まぁ、この結果は、ほとんどの人たちが予想していた結果でしょうけど。

 

 

 

 

 

 

 

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今年も半分終わりました ~入院やモミィの一人暮らしなど~

2024年07月01日 | 日常のいろいろなこと

今日から7月ですね。
早いなぁ、もう7月。

毎日、猛暑だったり大雨が降ったりと、天候に振り回されますね~

さて、今年もちょうど半分が終わりました。
今年の前半は、わが家では2つの大きな出来事がありました。

一つは僕自身の体調のこと。
昨年末から不整脈が悪化して、これまで通っていた病院から別の病院に移り、診察を受けたのですが、正月も調子が悪く、カテーテル手術を受けることを決意しました。そして2月21日に入院し、翌22日に手術を受けたのでした。

それ以来、瞬間的に心拍が乱れたり、何となく心臓がだるいような症状はありますが、以前のような不整脈は出なくなりました。さすがに手術の成果は大きいです。

そんなことで、入院から始まった今年なんですけど、もうひとつの大きなことと言えば、モミィが大学に入り、梅田で一人暮らしを始めたことでした。それが4月からでした。

モミィにとって頼りになるのはうちの妻だけだったので、最初の頃は、妻にしょっちゅうLINEや電話でいろんなことを言ってきたようですが、最近は友だちもたくさん出来て、コミュニケーションには不足しなくなったようで、以前なら妻に相談していたことを友達同士で話し合ったりすることもあるようで、最近はLINEや電話がめっきり減りました。

妻もやれやれ、といった様子ですが、それでも、今もスーツケースを引きずって洗濯物を取りに行き、わが家に持ち帰って洗濯をし、乾かして、またそれをスーツケースに入れてモミィのマンションに持って行く、ということをしています。

モミィのマンションは女子大学生が主な入居者で、個々の部屋には洗濯機がなく、別に洗濯室というのがあって、そこで入居者たちが共同で使うのですが、乾燥が終わるまでかなりの時間がかかり、しかも洗濯機や乾燥機は数えるほどしかなく、いつでも空いているわけではないそうです。
で、モミィが面倒がるので妻が家に持ち帰って洗濯をするというわけ。

ま、そんなことですが、モミィはいつも週末には帰ってきています。
「お、来たか。いらっしゃい」と僕が行ったら、モミィは憮然として、
「いらっしゃい、と言わんといて。お帰りって言うて」
な~んて、こまっしゃくれたことを言います(笑)。

そのくせ、僕が一人で買い物に行く時は、
「行ってらっしゃい」ではなく、「バイバ~イ」とか「あばよ!」な~んて面白がって言うんですわ。
どんな女子大生や。

わけ、わからん子ですわ。
まぁ、そんなことで、
モミィはいなければ寂しいし、返って来たらうるさいんでよすね~(笑)

まぁ、僕の入院手術はいい思い出ではありませんが、モミィの一人暮らしが始まったことは今年前半の一番の出来事、というふうになりますね。

さて、今日から始まる今年の後半には、
どんなことが起きますことやら。

 

 

 

 

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モミィは「お菓子作り」が大好き

2024年06月26日 | 日常のいろいろなこと

モミィが1人暮らしを始めて3ヵ月近くが経ちました。

基本的には、金曜日にわが家へ帰ってきて、2泊して日曜日に戻って行くというパターン。金曜日の夕方はモミィがずっと通っていた近くのECCで講師のアルバイトをしているので、家に戻るのはそれが終わってからで、少し遅くなります。

土曜日は昔からの友だちと会ったり、妻と買い物に出かけたりしています。

そして日曜日は夕方から、大阪市内のスタバでのアルバイトがあるので、昼過ぎには出て行きます。つまり2泊3日と言っても、家にいる時間はあまりないというのが実情です。

で、特に予定がない時は、妻に手伝ってもらいながら家でケーキやお菓子を作るのも楽しみにしているんですよね。大学で知り合った友達グループで、お互い自分たちが作ったお菓子を交換しながら食べたりするんだそうで、今はこの「お菓子作り」にかなり力を入れている様子です。

ということで
最近では、先週の日曜日(23日)の午前中のこと。

妻とモミィの二人がキッチンでお菓子作りをしていました。作ったのは、パウンドケーキとフロランタンというもので、小麦粉や卵、リンゴ、牛乳、アーモンドスライス、パウダーシュガーなどなど、いっぱいの材料を山のように積み上げて下地を作り、手でこねて形を作り、いったん冷蔵庫に入れて冷やして固め、それをオーブンで焼き

というのを僕は横で見ていました(チラチラっとですけど)。
卵を割って黄身と白身を分ける、程度の手伝いはしましたけどね(笑)

で、その時の写真がこれです。

 
  これは「パウンドケーキ」というものです。

 
  カリっと焼きあがりました。

 
  それを切っているモミィ。
 
 
 

  切ったらこんな感じです。見た目は玉子焼きみたい(笑)


 
  そしてもうひとつ作ったのは、フロランタン。

フロランタンとは、ネットで調べると
「クッキー生地にキャラメルでコーティングしたアーモンドをたっぷりのせて作るフランスの伝統菓子」
というふうに書かれていました。

「たくさんあるから、のんちゃんも食べてや」
と、モミィがこのフロランタンも切って、僕にくれました。

 

「お酒のつまみ」には造詣の深い僕ですが(笑)、
甘いお菓子類にはほとんど縁がなかった。

しかし
これをカリリっと口に入れたとたん、あまりの美味しさにビックリ仰天でした。

うま~~~~い、フロランタン!

そして、もうひとつ、パウンドケーキもメチャおいし~~い!

これまで作っていたのはほとんど普通のケーキかクッキーばかりだったのに、今回の二つはなんとも美味しい。

ちょうどお昼時になっていたので、
冷蔵庫からワインを出し、2種のお菓子をアテにグイ~っとやりました。

なんとまぁ、ワインにもよく合うこと。
おいし~~い!

陰の声
 何でもお酒のアテにしたら、あきまへんで。
 お医者さんからお酒を控えるように言われているのに。

 

 

 

 

 

 

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藤井寺市出身の辰巳ゆうと君をよろしく~

2024年06月20日 | 映画の話やTVの話など

僕は小学生の頃から歌謡曲が好きで、特に橋幸夫や舟木一夫の若い頃の歌は今でも1番から3番まで歌詞を見ないでも歌えます(笑)。

そんな歌番組は、昔は前田武彦と吉村真理が司会の「夜のヒットスタジオ」とか、久米宏と黒柳徹子が司会の「ザ・ベストテン」などの時代が全盛でした。
僕もこれらの番組をどれだけ楽しみに見ていたでしょうか。

さて、
あれからずいぶん年月が経ちました。
今ではテレビはほぼBSでしか、古い昔の歌は放送されない。
地上波では、歌番組自体はあっても若い子らの歌ばかりで、歌手のグループ名も英語が多いから、曲名なのかグループ名なのかもわからない(笑)。

そんな中で、地上波では火曜日夜に放送される「うたコン」だけは楽しめるんですよね。古い歌手も沢山出てきますからね。

ところで
古い歌手しか関心がなかった僕ですけど、今は若手の演歌歌手に声援を送っています。その名前は、辰巳ゆうと君(26歳)です。

大学生の時に演歌歌手とデビューしたそうですが、その当時、各家庭に配られる広報誌(つまり「広報藤井寺」ですけど)の表紙に辰巳ゆうと君の写真が大きく載って、「誰、この人?」と思いながらページをめくったら、
「藤井寺出身の歌手、辰巳ゆうと君を応援しましょう」
という記事が載っていたのです。へぇ、藤井寺出身でこんな歌手がいたのか、と広報を見て驚きました。

それで僕は彼の存在を知ったのですが、そのあと、歌番組にもちょこちょこ出ていたので、「あぁ、これがわが藤井寺の辰巳ゆうと君や」と妻と話していました。でも、演歌なので少し地味で、ちょっと彼のキャラと会っていないかな~と思っていました。

それが、
先週の火曜日の「うたコン」で辰巳ゆうと君が出てきて、「迷宮のマリア」という歌を歌ったのですが、この歌は、これまでの演歌とは違い、まるであの西城秀樹が蘇ってきたような情熱的な歌で、思わず聞き惚れてしまいました。

まぁ、そんな話ですが、先日、藤井寺の駅の向こう側の商店街、(わが家から見て駅の手前はイオンなどいろんな施設ができてますが、向こう側は今やすたれてしまった商店街です)。そこを久しぶりに歩いたところ、この辰巳ゆうと君のポスターがあらゆるところに貼られていたのでした。

 
  お店のシャッターにもこのポスターが。

 

 
  ここのお店の入
り口にも。

 

 
  ポスターをアップにしました。

それから、最後になりましたが、この辰巳ゆうと君をウィキペディアで調べたところ

おどろいたことに、ゆうと君の誕生日は1月9日でした。
実はこれ、僕の誕生日と同じなんですよね。
え~~~~~!
そうか、藤井寺市出身だけではなく、誕生日もいっしょなんや。

もちろん、生年月日の「月日」だけですけどね。
(当たり前やろ~)

でも、ますます深い縁を感じましたわ。

 

 

 

 

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自転車旅行 出発の日

2024年06月17日 | 思い出すこと

きょう6月17日は思い出の日です。
毎年この日が来ると「あの時のこと」を思い出し、感慨に浸ってます。

これまでもブログに書いてきましたが、今年もまたそのネタです(笑)。

1969(昭和44)年、20歳の学生時代。自転車で東日本一周の旅に出発したのが6月17日でした。

大阪から福井~石川~富山~新潟~秋田~青森と日本海側を走り、北海道を時計回りに1周して本州に戻り、今度は下北半島から岩手、宮城、茨城、千葉、東京、名古屋と太平洋側を走り、大阪に帰って来たのが8月25日。70日間の自転車一人旅だった。あれからなんと55年の歳月が経ちました。
改めて「早いなぁ」と驚きます。

「あの日」は朝から雨が降っていた。いざ出発という日に、いきなり雨とはなんやねん、と暗い気分になった。後から知ったが、この日が梅雨入りした日だったそうです。

それにしても、何も出発の日から雨が降らなくてもいいじゃないか、と、僕は天を恨んだ。だけど、その後の旅では、当然ながら何度も雨に遭い、この程度の雨でへこたれてるようではだめだと思い知らされたわけですが。

特に北海道の帯広から襟裳岬へ向かって走った時は、バケツをひっくり返したような大雨で、海岸沿いの道路は雨宿りする場所さえなく、ひどい目にあったものだった。大雨の中、僕はイヤホーンでずっとラジオを聴いていたのだけど、この時はちょうど、当時19歳だった和田アキ子の大ヒット曲だった「どしゃぶりの雨の中で」が流れていたのにはビックリしたものでした。(実に強烈なタイミングの歌でした。和田アキ子も19歳ですよ)。

70日間の旅はほとんど野宿という、いわゆる放浪の旅みたいなもので、そんな中でも、心温まる人々との出会いや、珍体験、爆笑体験、恐怖体験など、数え切れないほどのハプニングの連続で、その後の人生では決して体験できないことが沢山ありました。誠に濃密な70日間でした。


いつか曽野綾子さんの本のこんな文章を読んだことがあります。

若いうちから、楽しかったことをよく記憶しておいて、これだけ面白い人生を送ったのだから、もういつ死んでもいいと思うような心理的決済を常につけておく習慣をつけるといい。(中略)。やはり冒険はいいものだ。冒険は心の寿命を延ばす。若い日に冒険しておくと、たぶん死に易くなる。

いつまでも心に残る文章です。

とにかく、若い日に冒険しておくと「死に易くなる」そうなので、ちょっと楽な気分にもなりますね(笑)。

その思い出深い自転車旅行の出発の日が、6月17日でした。

あれから55年だなんてね~
今のこの気持ち、どう表現していいのかわかりません。

 

 

 

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来年は昭和100年ですね~

2024年06月14日 | 日常のいろいろなこと

来年は昭和100年だそうです。
100年ですよ、100年!

日本では元号と西暦の2つを使うので、ややこしいです。

「私は昭和35年生まれです」と言われたら、その人がいま何歳かすぐにはわからない。もちろん昭和の頃だったら引き算をすればすぐにわかるけれど、平成になり、さらに令和になった今は、頭の中で計算のしようがないもんね。

でも、西暦で「私は1960年生まれです」と言われたら、今は2024年だから64歳だということが計算すればわかる。

つまり、年齢に限らず、何かの出来事がいつ起きたか
たとえば平成5年に何か大きな事件や災害があったとしたら、それが今から何年前なのかも、西暦に置き換えなければわからない、という状態ですよね。

そんなこともあってか、最近はテレビなんかでは過去の出来事はほとんど西暦で表されるか、西暦と元号の2つを表記していますよね。

で、僕は平成が始まってから令和6年の今年まで、毎年「今年は昭和で言えば何年」というのを常に頭に入れていたので、昭和生まれの人の誕生年を聞くとすぐに引き算ができて年齢がわかりました。

まぁ、そういうことなんですが
今年は「昭和で言えば99年」ということになり、いよいよ来年、100年になるんですよね。「三ケタ」ですよ。

それで思い出したのですが、僕が高校生の頃、1月の新学期に最初に登校した日の朝礼で、壇上に立った校長先生が開口一番、
「諸君、新年おめでとう。さて来年は明治100年を迎えます」
という話から挨拶が始まって、僕は今もその言葉が記憶に残っています。
「へぇ、明治100年か。すごいなぁ」と思いながら、何がすごいのか、よくわからなかったことも覚えていますけど(笑)。

それから長い歳月を経て、今度は昭和100年ですからね~

そしてその次には平成時代。
「平成100年」ってのも、来ますよね、当然。
モミィは平成17年(2005年)生まれなので、
平成100年(2088年)には83歳になっています。
モミィ婆ちゃん!(ウフフ、どんなんやろ?)

ちなみに、明治100年は、東京オリンピック(64年)と大阪万博(70年)に挟まれた、日本が高度経済成長期だった頃でした。いい時代だったんですね~

来年の「昭和100年」も、当時と同じように、東京オリンピックと大阪万博に挟まれていますが、今回の場合は政治・経済情勢が低迷し、国民生活に暗雲が垂れ込めている状況で、何とか来年には明るい日差しが戻ればいいな、と陰ながら願っています。

でも、僕自身が「昭和100年」となる来年まで、生きているのかなぁ。
当然のことながら、それが僕個人としては一番大きなモンダイですわ。

 

 

 

 

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こむら返りはホントに痛~い

2024年06月10日 | 心と体と健康と

先月あたりから、多い時は週に2~3回「こむら返り」に悩まされていました。
朝、目が覚めてからしばらくベッドで仰向けになったまま、という時、左のふくらはぎがつって、激痛が走るのです。「いててててっ!」と、それはもう、筆舌に尽くしがたい痛みが約1分程度続き、それが過ぎると、少しずつ痛みは収まって来るのです。

これまでの長い人生で、こむら返りは何十年かの間に数回あったかな、という程度だったのに、それが先月からの数週間、前述のように週に2~3回も、朝の同じような時間帯に、ふくらはぎが激痛に見舞われるようになったのです。本当に、あの痛さと言えば、言葉に言い表せません。思っただけでも背筋が寒くなります。

それで1週間ほど前、近くのクリニックへ行き、先生にそれを伝えると、
「う~ん、そうですねぇ」とちょっと間を置いて、「こむら返りに有効だと言われている漢方薬があるので、とりあえずそれを処方しましょう」と言ってくれ、
その処方箋を持って薬局へ行きました。そしてもらった薬が、
「芍薬甘草湯(しゃくやくかんそうとう)というものでした。

そして、僕にとっては生まれて初めて漢方薬というものを飲み始めたわけです。
症状は朝に出るので、夜、寝る前に1包飲んでいます。

それ以降、朝のその時間帯に、少しふくらはぎに違和感を覚えることはありますが、あの痛い痛いこむら返りは起きなくなりました。

ただし、この漢方薬も強い副作用があるので、大量に飲んだり、何カ月も続けて飲むと、いろいろと体を悪くする原因となるそうなので、症状が落ち着いたら止めようと思っています。

そんなことで、持病だった心房細動(不整脈)はカテーテル手術のおかげで出なくなりましたが、腰痛が最近、ちょっとひどくなってきたようで、そのせいか、足がしびれたりしています。こむら返りがこの腰痛と関係しているのかどうかはわかりませんけど、まだまだ、体のあちらこちらに問題を抱えているワタシです。

ところで、
一昨日、図書館へ行って、こんな2冊の本を借りてきて、パラパラと読み始めています。

前述の漢方薬の副作用の話も、左側の本に書いてありました。

 
 

 

ホントは、もっと楽しい本を読みたいんですけどね~

 

 

 

 

 

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サイゼリヤは スマホで注文!

2024年06月05日 | 日常のいろいろなこと

先日、妻がモミィのパジャマや靴下を買いたいというので、バスに乗って近鉄八尾駅前にある「アリオ八尾」というところへ行った。

ここは多彩な専門店からなる大型ショッピングモールで、品数も豊富である。隣には元西武百貨店の専門店ビルもあり、その辺をうろうろするだけで、かなり歩けるし、冷房も効いているので、暑い太陽の下で歩くよりず~っといい。

で、そこで妻の買い物が終わり、ちょうどお昼時だったので、食堂のフロアへ行き、サイゼリヤに入った。

 

サイゼリアでは人気の辛味チキンやムール貝のガーリック焼き、エスカルゴのオーブン焼きなどを注文し、ワインも頼んだ。

しかし、その注文方法なのですが
これまでとは全く変わっていたのに、驚いたのです。

これまでは、各テーブルに置かれていた注文用紙に、メニューの番号と個数を書き込んで店員さんに渡す形だったのですが、この日は注文用紙が置かれておらず、その代わりに長方形の小さな札のようなものが置いてありました。

  これです 

 
  ネットから拝借した写真です。

テーブル番号の右側に「注文用QR」というのがあって、これを使ってスマホで注文する、という仕組みになっているという。
こういうのに弱いので一瞬ビビったけれど、ともあれスマホを出して、カメラでそのQRコードを読み取った。

すると、スマホに「何名様ですか」と聞いてきて、ピッピと記入すると「次へ進む」と出て、そこからスマホ画面で商品番号と数量を記入していき、僕も妻もなんとか注文が終わったら、しばらくして店員さんが次々と料理を持ってきてくれた、というシステムになっていたのです。

やれやれ。
今の世の中というのは、どんどんこんなふうになってきますよね~
もちろん、スマホで注文できない人はベルを押して店員さんを呼んで注文することもできるようですが、周囲を見ているとそういうお客さんはいなかった。

今はパネルを押して注文するのが普通になっていますけど、スマホで注文というのは僕たちにとって、初めての経験でした。

まぁ、モミィなんかはこういうことは自在にこなしているようですけど、これからは益々こういう傾向が強くなっていくのでしょうね。

サイゼリアはメニューが豊富だし、値段も安いし、ワインも美味しい。大好きな店ですが、こういう注文方法になっていたとはね~
ホント、びっくりしました。

まぁ、次回からは大丈夫ですけど(そらそうでしょ)。

 

 

 

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