めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

スマホゲームの力

2016-07-25 16:37:50 | ゲーム

昨日の日曜日、いつものように渋谷にでも行こうと
準備していると、妻が部屋でスマホを眺めています。
覗いてみると、いま流行りのポケモンGOです。

妻と息子がスマホにダウンロードをして遊んでいるのは

知っていましたが、外で頻繁に見かける若者たちの光景が
我が家でも見られるとは、ネットによる流行の凄さを
まじまじと感じました。

そこで、この日は、渋谷まで、歩いて行こうと言う事に

なりました。
目黒川を歩き中目黒から代官山を通り渋谷までのコースです。
2キロほどしかありませんが、ただ歩くのとは違って
様々なキャラクターを探してのウォーキングです。

時折妻が立ち止まり、画面を見入る様にして指を動かします。

覗き込むと、目の前の景色の中に、アニメの怪獣キャラが映され
その場にいる様です。

代官山周辺は、観光地としても有名で、若者たちでいつも賑わい

普段でも多くの人があふれているのですが、この日は、朝方から
ふらふらとスマホ片手に歩く若者たちや、サラリーマン風の人
学生のみならず、中高年の姿も多く見られます。

代官山から坂道を下っていくと渋谷の街となります。

日曜日とあって、駅前からものすごい人込みです。
しかし、目に付くのはスマホ片手に歩く若者たちです。
その画面は殆ど渋谷の地図が映っています。
もちろん、妻も同じくポケモン探しです。

中でも、ポケモンが多く出没する場所なのか、モヤイ像の周りは

スマホを覗く若者で一杯です。
一夜にして世界中の人々の行動を変えてしまうこのゲームの凄さは
いかにネット社会が世界を変えてしまうのかが解ります。

考えてみると、世界中の人々が今や熱中していると言う事です。

戦争をしている国同士も、戦火を逃れながら、どこか安全な場所で
お互いにポケモンを楽しんでいるとは不思議な世界です。

しかし、様々なトラブルがあるとはいえ、良いこともあるようで、

世代の溝が深まっている若者と高齢者が一緒に楽しんでいる姿は、
何をもってしても合い入れない両者の溝を簡単に埋めてしまうと言う
思ってもみなかった現象が出てきているのです。

かつて歌や芸術、スポーツは国境を越え、すべての人々を幸せにすると

言われてきましたが、新たに、ゲームが世界中の人々の心を捉える
新しい時代となったように思われます。


ポケモンGOの脅威

2016-07-23 16:04:39 | ゲーム

ポケモンGOと言うゲームが昨日から日本に配信され
昨日から今日にかけ、街を歩く人々のなかに、何やら
怪しげな行動をしている人たちを見かけます。

東京を訪れる観光客や、地方から遊びに来た人たちが

街を眺めながらうろうろとするのは、日常茶飯事であり
珍しい事ではないのですが、今日も街を歩いていると、
学生から大人まで、妙にふらふらと歩いている人や
グループが目に付きます。

アメリカで配信されて、国中が大騒ぎとなっていると
ニュースで伝えられていましたが、まるで、伝染病が突然
海を越えて来たかの様に、街を歩く人々の様子が変わりました。
当然、彼らはスマホを片手に、キョロキョロと頻繁に辺りを
見まわしながら、どこかへ行くと言う訳でもなく、さまよい
歩く姿は異様です。

特に、生まれた時からコンピューターが存在していた世代にとって

ゲームが日常に当たり前にあり、しかも、そのゲームがアウトドアと
なる事に依って、まるで現実でアニメキャラと遊ぶかのように
興奮してしまう様です。

一部では、様々なトラブルや事故も報告されてはいますが、

彼らにとって、心の躍動を得られる新しい世界が広がったことで
私達、アナログ世代では、想像もできない程の喜びなのでしょう。

かつて、タマゴッチというゲームが流行った時もそうでしたが、

現実ではありえないようなことを、ネットの中で育った世代にには
ごく自然に受け入れられていくのでしょう。

とは言え、面白い事に、国々によって、その国の歴史や特性がある中で、

ゲームを感じる感覚は、まったく誰もが同じであり、たとえ戦争をして
憎しみ合っていても、ゲームの上では同じ感覚を有しているのです。

人類が共通に思う事の中に、私たちを育ててきた大自然に対する気持ちが

あることが挙げられます。
地球の様々な恩恵にあずかることに関しては、人種の差も世代の差も
生きている環境の違いがあっても同じなのです。

つまり、私たちを育ててくれた大自然に対しては、人類は共通の感覚で

その存在の重要性を感じているのです。
この長きにわたって人類に共通の念を抱かせてきた感覚に新たに加わった
ネットと言う共通情報手段から得られる社会が、すべての人に共通の感覚を
新たに抱かせるようになったのです。
今回のゲームにしても、長年人類が大自然に抱いてきた気持ちと同じものを
感じさせ、世界中の多くの人々に共通の喜びを感じさせているのです。

歴史の中で、多くの人々に共通の理念を植え付け、共通の感覚を抱かせる様

作られたのが宗教であり、この力は、人類をいくつかの宗派に分ける程
強いものです。
しかしながら、同じ宗派においては成り立っても、違う宗派にとっては
全く違う価値観となり、お互いにいがみ合う原因ともなっているのです。

ところが、ネットの普及は、人々のその隔たりをも無くしてしまうほどに

一瞬にして世界中の多くの人々の心をつかんでしまうのです。
いかに、ネットを通じた情報が現代社会に生きる人々に大きな影響を与え
人類の未来を変えてしまう可能性があるかと言う事です。

しかし、楽しいゲームと言う共通事項は受け入れられても、これが狂気となると

もはや、だれも止められない、人類だけでなく、地球全体の生き物たちをも
瞬時に消し去ることも可能となるのです。

今や、世界に有る核兵器は、人類を何十回も死滅させるほどの量と言います。

もし、この兵器が、実際に使われる事と成れば、一瞬にして、ゲームの様に
世界中の人々を地獄に陥れることもできるのです。

今日も世界中でテロが頻発し、様々なところで、多くの人々が殺害されています。

銃器を使ったピンポイントのテロがほとんどですが、この銃器が核兵器と
なったとしたら、考えただけでも恐ろしい事態です。

テロで、数十人が殺されたとしても、国が亡びる事はありません。

しかし、核兵器が使用されるように成れば、数百万の命が一瞬に亡くなり
国としての存在すらあや生まれる可能性があるのです。

ポケモンゲームの様に、一瞬で多くの人々を喜ばせることもできるのですが、

一瞬で多くの人々を殺める事が出来る世の中となっているのです。
地震や台風と言った自然災害はともかく、人類自らが滅亡する方向に
誰が進むことは絶対ないと言えるでしょう。

地球の長い歴史の中で、様々に進化し、様々な種類で反映してきた地球上の

かけがえのない命を、私たち人類の過ちで絶ってしまってはならないのです。
人類が地球の歴史で最悪の生き物とならないよう、心から願いたいものです。


地震が頻発しています

2016-07-22 13:36:26 | 東京

地震の予知と言うのは、今までの例を見ても
殆どの場合不可能と言っていいものなのですが、
その前兆現象と言うのは、近年の、日本を襲った
数々の大地震の前に、多くの人々によって体験され
後に沢山の資料として残されています。

どれも科学的根拠は述べられていないのですが、

大地震の惨禍に見舞われた地域のそれまでの数か月で
異常ともいえる現象が記録されています。
多くの動物の異常行動、異常気象が頻発し
地震の数か月または数年前から、様々な職種の人から
今に伝えられています。

特に、空の様子、海の様子の変化は、多くの人の

不安をあおり、その現象がいかに特異であるかが
記録から伺えます。
しかし、これらの記述は、地震の後で、そう言えば
こうだったと思い返す事が多く、実際に遭遇しても
その時は差ほど感じないのが普通のようです。

この前兆現象は、阪神淡路大震災の時の記録にも

多く載っていて、あの日の数日前から異常な現象が
多くの方々によって感じられていて、この時は、
昔の大地震で伝えられていた前兆現象が、カメラで
しっかりと収められていて、前日の夕方に見られた
異常にねじれた雲も多くの人が撮っていました。

この時は、私も、二日前に、江の島の近くで見た

伊豆の方向の異常な夕焼けが印象的で、今でも
その写真は不気味としか言いようがありません。

所で、この様な文を並べたのは、少し気になる事が

有ったためです。
ここ数か月の間に、茨城方面で震度4前後の地震が
連発しています。
この事に対する学者の見解は、要注視と言った感じで
大地震の可能性を全面否定とはいかなかったのですが、
最近、あの近辺に何度か釣りに行っている息子が、
首を傾げる事がありました。

茨城の震源地近くの管理釣り場で、ルアー釣りを

していたのですが、最近二度に渡って魚の影がありません。
管理釣り場と言うのは、人工的に池を作り、大量に
魚を投じて釣らせるものですが、高い料金を取ることもあり
普通は、足元から魚がうようよといて、初心者でも
苦も無く釣れるのが当たり前です。

ところが、二回にわたって、水面近くに魚の影が

見られないどころか、沢山の釣り人の竿が曲がりません。
一日釣ってもボーズです。
管理釣り場の人も、まったく魚の気配がないのには閉口して
天気のせいか、気圧のせいか全くわからないと言うそうです。

しかもこれが何日も続き、二回目行った時も同じく

全く魚の気配がなく、釣りのプロでさえ釣れない始末です。
数千匹の魚が入っている池に魚の気配がないと言うのは
管理ににとっては初めての事のようです。

今までの地震の前兆としてこのような事がいくつかあって

後からそうだったのかと思ったようです。
とはいっても、この事が地震につながるとは言い難く
たまたまその周囲で最近地震が多いだけかもしれません。

都内の地震対策関連グッズを売っている店では、最近

またその手の商品が多く売れているとも言います。
備えあれば憂いなしと言いますが、いつどこで起こるか
その時自分はいったいどこで被災するかが解らない限り
わが身の安全は、神のみぞ知ると言うのが本音です。


マスコミに扇動され踊らされる選挙戦

2016-07-21 14:21:15 | 社会

参議院議員選挙が終わってた途端、人々の記憶は薄らぎ、
この選挙で国政がどれほど変わっていくと期待する人は
数少ないものです。
選挙と言うのは、本来、新しい流れを期待し、私たち庶民の
未来を照らすものなのですが、単に頭数の調整と、派閥の
テリトリーを確保するぐらいしか感じられません。
たとえ、18歳から選挙権を得られるとして、どれ程この国の
政治が良い方向に変わって行くとは言えないのです。

その為、選挙が終わった途端、国民の多くは、自分たちの
未来に期待することなく、毎日の生活にしか関心が無くなって
政治家たちの欲望の世界と一線を引いているのです。

所で、前回の選挙においても、人々の関心は、マスコミ等の
メディアを通じで得られる知識で大きく変化していきました。
テレビ、週刊誌等の情報は、人々の関心の方向を簡単に変え
立候補者やその支援者や支持団体支持政党は、この影響力を
巧みに利用し、人々の気持ちを洗脳していきました。
もうすぐ行われる都知事選に関しても、この傾向は非常に強く
マスコミを通じて、いかに自分の印象を高めるかに、立候補者も
その後援者たちも躍起です。

テレビ番組を通じて討論させたり、一般の人々の意見を画面上に出し
いかに印象付けるかに苦慮しています。
しかしながら、前回の参議院議員選挙の時もそうでしたが、
自分の主義主張は述べても、自分たちが行わなければならない
国民に対する義務とマニュフェストが見えてきません。

討論にしても、お互いに優位になる為の議論でしかなく、
見ている私たちをどれほど幸せにしてくれるのかが解りません。
今や、選挙と言うのは、国政や都政に働く人を決めるだけであって
たとえ誰が当選しようと、その人に本当に思いを託す人は
ほとんどいないのです。
国政を都政を動かすための人材を選んでいるに過ぎず、彼らが
私たち庶民に、更には、世界に何をしようとしているのかが
全く見えないのです。

とは言え、この冷めた国民の気持ちを増長しているのが、
他でもないマスコミ情報です。
確かに、私たち国民は、マスコミからの情報によって、
立候補者の人となりを知ったり、経歴を知ったりすることにより
誰を選ぶかの参考にするのですが、この、戦略の方法が、
芸能人の情報を流すときとまったく同じ手法を取られることに
いささか苛立ちを感じます。

候補者が名を連ねると、各人の情報を流すとともに、お互いに

選挙による白熱ぶりを演出し、更には、その背後の後援会
政治団体等の役割を、さも戦闘態勢に付く軍隊の様に誇張し
争いに拍車がかかるように仕向けます。
それぞれの能力をざまざまな分野から演出し、立候補者の
有能振りを誇張します。

しかし、この事があまり世間で話題にならないとすると

次の一手は、一斉にスキャンダルを探し始めます。
出来るだけ持ち上げておいて、次に落とす事に依って世間の
関心を高めようとします。
芸能人の結婚報道と離婚報道がいかに彼らにとって美味しいか
選挙戦においても何だ変わりはありません。

つまり、マスコミにとって一番大切なのは、自社の売り上げであり

選挙で誰が勝とうが誰が負けようが、日本の政治がどうなろうと
それは二の次なのです。
出来るだけ世間が騒ぎ立て、マスコミの報道に注目するかに
掛かっているのです。

そのことを解っているのかいないのか、立候補者たちも、

マスコミの宣伝効果を狙って盛んに企画に乗ってしまうのですが、
残念ながら、その時点で、マスコミの手のひらで踊らされていて
自分たちの真の政治への意欲は薄められているのです。

この傾向が非常に強いのがアメリカの政界であり、選挙ともなれば

マスコミや経済界がいかにそこに利益を見出すかを競います。
相手候補を罵倒し、様々な手を使って引きづり落とそうとすることは
当たり前であり、選挙で勝つには、どれだけ金を使い、マスコミを
牛耳ったかに掛かってきます。

こうなると、国民も少しでも自分が利益を得る事が出来る候補を支持し、

国全体の幸せと言うより、独占型の利益を望むようになってしまいます。
この典型的な社会が今のアメリカであり、多くの闇を抱え、世界中から
憎しみを買ってしまう事と成っているのです。

そもそも、政治と言うものは、様々な考えを持った人々を出来るだけ

平等に幸せにするためにシステムです。
能力の差があるとはいえ、同じ国同じ地域の人間に、お互いが幸せを
感じるような社会を作り上げる事です。
一部の人たちの独占的幸せを作る為ではないのです。

何でも手に入る便利な国と思える日本も、本当に心から幸せに感じ

心が安らぐ生活を得られている国民がどれほどいるでしょう。
住む事、食べる事、教育を受ける事等、この国で生きるすべての事で
悩み苦しんでいる国民が絶対的に多いのです。
多くの国民が一生懸命背伸びをして、外見的には幸せの様にみせているに
過ぎないのです。

そのことが解っていない、坊ちゃんお嬢ちゃんの議員が多すぎです。

つまり、自分の事しか考えられない人が議員になったとて、しょせん
国民の本音には気づかないのです。

今月末には、次期東京都庁の椅子に誰かが座ることが決まります。

街のいたるところにポスターが飾られ、誰が立候補するか知らせています。
しかし、その顔を見て、自分の生活、未来に希望を持つ人がどれだけ
いるでしょうか。

国民の義務として、都民の義務として、選挙を行う人も多いでしょう。

しかし、この人たちが入れた票によって、自分が選ばれたと思うのは
早計です。ただ、東京都都知事としての肩書をもらっただけなのですから。
これから数年後、また、選挙が行われます。
その時、知事の座を明け渡すとき、後ろ指を指されない事を
心から願いたいものです。


 


お祭り騒ぎの都会、お通夜のような田舎

2016-07-20 17:28:03 | 東京

東京を修学旅行で初めて訪れた若者たちが
渋谷でインタビューを受けているのを、
たまたま人との待ち合わせで近くに立っていて
聞くことが出来ました。

定番のディズニーランド巡りを兼ねていて、
少し素朴な感じの学生たちでした。
東京に来て驚いたことは、人の多さであり
毎日お祭りがおこなわれているようだと
声を揃えて答えていました。

しかし、印象に残ったのは、東京に来て、
田舎のコンビニと同じコンビニが在ったことに
驚くとともにホッとしたという意見でした。

初めて東京を訪れた人たちがまず思う事は、
人の多さであり、私が30年前に上京した時も
同じような思いがあったのを思い出します。
しかし、今の子供たちの思いは、それだけでなく
田舎に有る店の代表がコンビニだと言う事です。

つまり、東京と同じコンビニが全国にあり、
同じ商品が売られていると言う事です。
そして、彼らは、その商品を地元の商品として
感じていると言う事です。

この事は、確かに日本中に流通が行き届いていて
日本どこでも同じ物が手に入るという点では
素晴らしい事でもあるのですが、その反面
どの地方においても、地元の産業が衰えていて
外部資本が地方経済を牛耳っている現状が
浮き彫りにされているのです。

私の故郷も、ここ10数年来、中央のコンビニが
幾つも進出し、東京で売っていた商品と同じものが
田舎で同じセールとして売られているのに驚きました。
夜遅くも煌々と光り輝く店の明かりは、真っ暗の
田舎の夜道に浮かび上がり、一日中若者たちや
地元の方々でにぎわっています。

しかし、古くから営業している商店は、日が落ちると
殆ど店を閉めてしまい、真っ暗な街並みから、
少し離れた暗闇に光るコンビニが異様な光景です。
何でも手に入って、ほとんどの物を手に入れらえる
とあって、地元の人たちも、頻繁に利用することで、
新参者とは言え、結構一年中流行っていていたのですが、
この事が、地元の商店の閉鎖に拍車をかける事ともなって
今や、大きな問題となっています。

中央一極化が叫ばれる日本に於いて、地方産業の疲弊は
将来の日本にとってもいい事とは言えません。
地元での職が減ることで若者たちは都会へと集まり、
更に、地元に住む人たちの資本は、中央の大手産業に
吸い上げられていく構造は、日本社会の崩壊につながり、
国民の生活をますます厳しくさせていく事と成るのです。

大手企業からの後ろ盾による政治は、中小企業には厳しく
大企業には甘くという、官民癒着の賄賂汚職への悪政へと
続いていく過去の例が幾つもあります。

幾つも政党が作られ、様々な政治家が日本を立て直そうと
努力してきましたが、当選した当初は、輝いていた眼も
月日が経つに連れ大きく見開くと言うより、片目をつむったり
時には両目をつむり、両手を差し出して催促すると言った
国民不在の個人的欲求を満たす政治屋に変身していった
多くの議員を見てきたものです。

日本全体では、日々の暮らしに苦慮している方々が多くいる一方
莫大なる資本の元、何不自由ない生活をしている方もいます。
当然民主主義、自由競争社会の中にあるのですから、それぞれの
所得の差は否めません。
しかし、常に、低所得者から高額所得者へ財が流れる世の中の
システムは、一方的な利益を生むのみで、ほとんどの国民の利益とは
程遠いものです。

今や、富める者はより豊かになり、貧しい人々は、より貧しくという
同じ国に住んでいても、大きな心の格差が生まれているのです。
この事は、今の世界経済も同じ事が言えて、発展途上国と先進国の差は
テロと言う世界を震撼させる問題を生んでいるのです。

戦争は、力による圧制であり、多くの人々が傷つき、沢山の資産資本が
強奪される事により、勝者と敗者の差を見せつけるものですが、
経済的に豊かな人と貧しい人を作り上げる事は、真綿で首を絞めるような
陰湿な戦争にも匹敵する人々への弾圧ともいえるのです。

民主主義社会で、法的に正しい方法で行っている事だから許されると言った
合法的搾取が日本全体を息苦しい社会にしているのです。
世界各地で起こる争いも、多くが大国のエゴが原因であり、争いに関わる事で
多くの利益をもくろむことが目的である事から、戦火が消える事は決してなく
貧しい国はいつまでも貧しく争いはなくなることは無いのです。

今や、日本で問題となっている事は、世界の問題と本質は同じなのです。
国と国との争いも、しょせん、いかに利益を得るかが最大の目的であり
どんな口実正論を述べようと、その裏には、はかり知れない欲が渦巻き
それが無くならない限り、どこでも多くの人々が苦しみ、トラブルは
永遠に尽きないのです。