人を信頼し愛し続けると言う事は、意外と難しいものです。
恋に落ちて、世界中が敵と成っても、この人を愛し守り続けると誓ったとて
月日が経つと、そんな言葉とは裏腹に、御互いに罵りあい辛い別れを
味わう方も多いものです。
しかし、そんなにも熱烈な愛を語らなくとも、人生に置いて、思いもよらない
嵐は訪れるもので、何もなく平穏に人生を終えられる人はまずいません。
世の中は常に喜びと悲しみが溢れているものであり、思う様に進まないのが
人生であると言っても過言では有りません。
夫婦に置いても、例え長年連れ添っていたとしても、時にどちらかが不義を
働けば、たちどころにその関係は地に落ち、怒り、不信、憤り、悲しみと
それまで思いもしない感情が心に渦巻きます。
最近、日本の芸能界も政界も、男女の不義が目に付きます。
今に始まった事ではないのですが、メディアを通して、私達の信頼を勝ち得ていた
有名人が、突然、疑惑の目を向けられ、更には、強烈なバッシングを受けるとなると
少なからず、一般の視聴者にも、不信感と落胆が感じられるものです。
彼らの行いは、決してほめられることではなく、社会的に影響を与える地位にあって
私達の信頼を落とす事は、本人だけでなく、その業界社会に対する様々な憶測を
呼ぶものでもあります。
しかし、この手の事件は、決して有名人に限った事とは言えず、一般社会に於いては
掃いて捨てるどの、珍しくも無い情報でもあるのです。
たまたま有名人であったことで、メディアが大きく取り上げたに過ぎず、その手の男女の
不祥事と言えば、日本中で常に起こっている事とも言えます。
我が国の婚姻率が下がっているにもかかわらず、相変わらず数字を伸ばしているのが
離婚率です。
周囲を見渡しても、離婚している方を見つける事は容易です。
その原因も、芸能人と同じ様な事も結構普通であり、メディアが大げさに取り上げなければ
日本社会の現状とも言えるのです。
しかしながら問題は、多くの場合、トラブルの後始末が上手く行っていない事です。
簡単に結びついた二人が、分かれると成ると、様々な障害が生まれ、別れたくとも
中々別れられない男女が多く、次の人生へのスムーズな出発が出来ない方も多いのです。
人は、人を愛し、慈しみ、一生を共にしたいと考える時期が有ります。
その時は、全てが自分たちの為にある様に思え、誰もが自分たちの未来を
祝福してくれるように思ってしまいます。
例え幾つもの障害があったとしても、それを難なく乗り越える力が二人の愛には有ります。
しかし、そんな強い絆が何時しか解れてちぎれてしまう事が有るのです。
この事は、芸能記者が喜ぶような出来事ばかりでなく、生きて行くうちに降りかかる
様々なトラブルがそうさせるのです。
99%素敵な人が、ある日、99%憎い相手と成ることもあります。
この時、多くの方が、この原因は相手に有ると思い、その事を詰り非難します。
でも、この99%の憎しみの原因は、相手に在ったたとしても、それを、自分の怒りに変え
攻める様になったのは、自分の気持ちが変わった事に有るのです。
一緒になる時、何が有っても相手の事を守り信頼し続けると誓った気持ちは無くなり、
憎しみの気持ちになってしまったのです。
確かに不義を働いた事は、社会的に見ても許される事では有りません。
しかし、その不義を働いたのは、それまで愛し信頼してきた相手なのです。
何よりも勝る深い愛が二人には有ったはずです。
全てを乗り越える海より深い愛情が在ったはずです。
もし、相手に不義が有るとしたら、1パーセントの部分であったはずです。
つまり、その怒りは、自分の相手に対する愛情が1パーセントの可能性に負けたと
言う事にもなるのです。
99%の愛と言うのは、実は、人生のあらゆる出来事に対して、相手を信頼すると言う
二人の未来を誓った数字でもあるのです。
男女の不義と言う週刊誌ネタの様なトラブルもありますが、長く生きて行くと、本当に
想像もしない様な出来事が起こるものです。
そんな、数多くのトラブルが起ころうと、二人の絆は無くならないと言うのが、
愛の誓いでもあるのです。
いえ、決して不義を弁護しているのでは有りません。
その事で、どれ程家族や周囲の人々を傷つけた事に対する報いは成されるべきです。
芸能人や政治家と言った多くの人々の注目を集める方々は、より社会的な制裁や
謝罪を求められるのは否めません。
しかし、その事で、その人の今後の人生を左右するものでは有ってはなりません。
特に、第三者や一般の方からの、野次馬的クレームは、何の解決にもなりません。
大人として、信頼し合っていたもの同士が、自分の思いとは違う不信感を味わった時
大切な事は、その行なったことに対する批判批評は行う事はまだしも、
人間的な差別や蔑視を行なうべきでは有りません。
この事は、当事者同士が一番感じる事であり、大人として未来へ続く結論を見つけ
円満に対処する事が重要です。
男女の問題で、どろどろの結末に苦労される方々の多くは、問題を解決するより
その行為の是非を問題にすることで、御互いにその先に進めないのです。
御互いに一人の大人の人格者として認め合い、御互いの次への道を理解する事が
男女の問題を早く解決する方法とも言えます。
私達は、誰かを好きになると、その人の全てが快く、とくに若い頃恋に落ちてしまうと
どんなことも良く見えてしまうものです。
恋は盲目と言いますが、本当は良くない事でも、頭の中で良いように解釈してしまい
好きな人を、人間としてもパーフェクトと感じてしまいます。
そして、その気持ちは一生変わらないと思うのですが、これは、相手がそうであるのでなく
自分の頭の中で思い込んでしまっている節が有るのです。
実は、その時点と、トラブルが起こった時と、相手は全く変わってはいないのです。
相手の行いで、あなたの頭の中が怒りに変わってしまったのです。
でも、怒りは、相手に大きなダメージを与えると思いがちですが、実際は、怒っている
自分自身が自分の心を痛めつける事が有るのです。
せっかく美しく優しい気持ちでいた心が、一時の憎しみや怒りで傷付けられるのです。
怒りは感情であり、事態を収拾する事にはならないのです。
本当に相手の事を想うと言う事は、自分の心に怒りや憎しみを生まないと言う事です。
長い蜜月の思い出が、二人の心を育ててきたのです。
第三者の私達にしても、様々な楽しい思いを画面を通して受け取る事が出来たのです。
でも、人の行いは、時に、私達の気持を裏切ったり傷つけたりするものです。
しかし、一時の思いでそれまでの気持ちを破棄する事は、自分自身の良い思い出も
捨ててしまう事と成り、自分の心に憎しみや悲しみを植え付ける事と成るのです。
長年連れ添った夫婦が、何だかのトラブルで分かれる事になっても、有名人が
突然の不義を起こして驚かされたとしても、その事で、自分の人生の中の楽しい部分を
否定する様では、自分自身の人生の信頼が薄らぎ、本当に後悔をしてしまうのです。
どんな人生を歩もうと、誰しも生きている限り先へ進まなければなりません。
道は違っても、御互いに、新たなる夢を持ち進めるようにすることが大切です。