梅雨の真っただ中の日本列島は、連日報じられる各地の大雨被害と
苦悩する日本外交が、多くの日本人の心に将来に対する不安を抱かせ
もうすぐ訪れる猛暑の日々と共に来年に迫ったオリンピックすら
忘れさせる程憂鬱な毎日と成っています。
今回行われた参議員議院選に、どれだけ多くの国民が期待していると
言えるでしょうか。確かに、日本の将来を決める大切な選挙とは言え
今回に限らずこれまで多くの国政選挙が行われて来ましたが、果たして
選挙の結果日本国民の多くが納得できた選挙であったと言えるでしょうか。
若者たちの選挙だけでなく多くの高齢者でさえ、国政への不満と不信を
募らせていているものの、選挙によって自分たちの思いが政治に反映され
より豊かな生活が出来たと言う記憶がなく、選挙の重要性は解っていても
会場への足取りはいつも重くなりがちなのです。
それにしても選挙になった途端、多くの政治家は満面の笑みを称えながら
出来もしない公約を並べるのでしょうか。
それまで国民に背を向けていたのに、選挙となった途端に、まるで救世主
であるかのような言動と振舞いで、まるで親族であるかのようです。
しかしながらこの様な歯の浮くような弁舌も、当選するまでの試練
我慢と言うのか、政界に入った途端、あの演説とは程遠い国民の為と
目を輝かせ主張していたのと同じ人なのかと目を疑うような変貌振りを
数多く見てきました。国民に対する最大の仕事は選挙とばかりに、
当選すればあっという間に踵を返してわが欲望にまっしぐらと言う輩が
珍しくないのです。
彼らの特性は、満面の笑みを浮かべ応対をしても国民の思いは後回し、
自分達の利益を最優先という政治活動が見え見えです。
戦後の日本社会における彼ら政治家の活動を冷静に見て行くと
高度成長期もその後のバブル崩壊まで、更には現代の苦悩の日々まで
国民の期待に応えると言うより、常に膨大なる利益が第一の目的と
成っていて、国民の疑問には、平気で居直ったり想定外を口にする
あくどい詐欺師のような方々が如何に目に付いたか、毎回の選挙で
口にした国民を煙に巻く饒舌が腹立たしくさえ思えます。
とは言うものの、この日本社会の現実は伝統であるとも言えますが
かといって私達庶民は、彼らの横暴を野放しにする気は有りません。
誰もが多くの不満を持っているのは明らかなのですが、その怒りを
如何に国政に反映させていくかの力を失いつつあるのが問題です。
私達の生活は便利で豊かに成っていると思いがちですが、
この豊かさは、一部の富裕層の方々を豊かにするた為のもので有り
経済的に豊かに成ったように見えて、多くの国民は常に消費を
求められ、余裕のないぎりぎりの生活を強いられているのです。
他人と比較する事で幸せの価値観を感じられる様に教育された
日本人の多くは、どんなに働き多くの所得を得ても、満足を
他人の基準に委ねる事でいつも欲求不満の状態にあり、
いつまで経っても自分が本当に求めている幸せを得られません。
経済の活性化の為と言うより、日本社会を動かしている層の
思い入れにまんまと利用されていると言っても良いのです。
必要でないものを多く求め無駄に消費していく生活は、
まるでゴミ屋敷の様に多くの生活物資で溢れかえった生活を
強いられる事と成っているのです。
また、そんな国民を常にコントロールする為に、国民の意識や
行動をガラス張りにすることも忘れません。
国民総番号制度、つまりマイナンバーは便利なようで、国民が
全て番号入りの囚人服を着せられたのと何だ変わりません。
支配する側とされる側が益々顕著になり、される側は、どんなに
頑張ったとて本当の幸せは得られない様になっているのです。
今や世界経済も世界人口のほんの数パーセントの人々が牛耳り
戦争も飢餓も環境異変も彼らが起こしていると言っても良いのです。
この事は、決して現代社会の問題と言う事ではなく、これまで
人類が築き上げてきた歴史の全ての根源もここに有ります。
人間の欲望が生み出した不幸であり、この社会構造が多くの諍い
戦争を生んできた事も事実なのです。
動物はお腹がいっぱいに成ればそれ以上獲物を殺したりはしません。
常に食物連鎖のバランスを保ちながら種を長らえて来たのです。
そんな地球の摂理に有って、人類だけが自分の欲望のみで生き
地球資源全てを搾取しようとして来たのです。
この我儘で横暴な人類の歴史が今後も繰り返される事は避けられない
とは言え、今やそんな横暴が許されない新たなる時代と成っています。
異常気象のみならず私達が生きて行くための命の糧が世界的に激減し
人間のあらゆる英知を使っても、未来に全く光が見いだせないのです。
問題は、この非常事態を人類の殆どが理解していない事です。
世界的な経済大国であり近代国家と言える日本社会で有っても
殆どの人がその切迫している危険性を感じていないのです。
と言うものの、それは日本人が無知で有ると言うのではなく、
現代社会がそのような危機を感じさせない様に出来ているからです。
あらゆるメディアを通して、いかに日本社会が安全で有り
世界でも有数の近代国家であり、欲しいものは何でも手に入ると
言う考えを植え付ける情報操作を行っていると言えます。
何でも開示されているとするテレビや新聞週刊誌であっても
シッカリと情報操作が行われている現実を国民は知りません。
日本社会を支え豊かな経済力を得ている方々は、自分達の
権力経済力を維持する為に、国民に不信不安を与えないよう
政治家をも利用して国民を思うが儘に利用していると言えます。
人間社会の在り方は、太古の昔も現在も基本的には変わっていなくて
より豊かな生活が出来て我儘が出来る人達が世の中を支配できる
と言うのが歴史的事実と言えるのです。
選挙で世の中が国民の思い通り変わらないのは当たり前で有り、
社会的地位を持った人たちが不正をしたり想定外と言ってうそぶく
のは当然と言えるのです。
つまり選挙は社会を変える力は無いと言うのが正解です。
何故なら、選挙演説をするこ時、彼らの中に在る社会観は
日本人が多く持つ社会観と変わらないからです。
たまたま、国民の中から同じ考えの人達が政治を志している
と言う事ですから、誰が立候補し政治家に成ったとしても
基本的に社会は変わらないのです。
ならば、選挙など意味がなく、自分達の生活はどんなに頑張っても
思い通りならないと言うのではなく、本当の選挙は、自分の心に
在るのです。
何故世の中が変わらないかと言うより、自分自身が世の中の
システムにいつの間にか迎合しているのが問題があるのです。
日本人の考え方の多くが、自分の答えが常に他人や社会に有り
自分が本当に思っている事考えている事を自覚できないのです。
幸せの基準も自分自身と言うより社会的な価値観で決められ
経済的社会的に世の中の人々が認める幸せを自分の幸せに
置き換えてしまう事です。
多くの方が何をするにしてもその答えを自分自身に持って
いません。教育を通してメディアを通して、自分自身の
答えを自分の答えにできない日本人が実に多いのです。
しかもその答えは、メディアの情報が変わったり社会の
流行が変わればあっという間に価値を失ってしまいます。
正しいと思う事も本当に確信を持つことが出来ず、常に
自分の考えは不安に満ちているのです。
自分自身も他人を信じられず、人からも信じてもらえず
誰もが不安不信の気持ちが払しょくできないのです。
ただ便利だから、世界的に経済が豊かな国だからと言って
自分達が本当に幸せでない事を自覚出来なければなりません。
アジア諸国の中でトップクラスの生活をしているから
と言って本当に心から幸せを感じている日本人が
どれだけいるでしょう。
ただ人と比べて経済的に豊かな生活をしているから
学歴が高いからと言った比較する事でしか自分の価値を
感じられなくなっていないでしょうか。
まず大切な事は、自分自身が自分の思いを大切にする事が
出来る事が大切です。これは我儘と言うのではなく、自分の
思いと気持ちを周囲の人に知らせる為でもあるのです。
どんなに些細な事でも、自分の心から生まれた考えや行動は
唯一無二であり、他人からも信頼を得られる基本なのです。
社会的に協力し合い生活する事が大切ですが、誰もが同じ
考えや行動をする事ではなく、一人一人の考えの違いが
尊重され、お互いに理解し合った結果、全体の思いと力に
発展して行く事が重要なのです。
一人一人が自分の存在価値を認められている社会が有ってこそ
国や地域の繋がりが生まれ本当の幸せが得られるのです。
選挙に行っても自分の生活が良くなると思えず、自分一人が
何を言っても世の中は変わらないとする方々が多いのです。
私達日本人は、自分達の未来を政治家に託してはならないのです。
日常的にも、何をする時も自分の考えで行動し、しかも
出来るだけ時間を置かず、すぐに実行する習慣を付ける事です。
日々誰もが一日の内何十回となく様々な事を考え決定している
はずなのですが、多くの方が、その自分の考えや決定を先送りにし
誰かに託しているのが現実です。
そして思いを決定する条件は、社会的地位や経済力だと思い込み
自らは誰かが世の中を変えてくれると思うだけです。
しかし、社会的な望み以上に問題なのは、自分自身の生活が
全く進展しない事です。
実は自分自身の生活が選挙に於いても期待を持てない原因と
成っているともいえるのです。
日本は世界的に見て優柔不断で自分の意志を主張できない国
と言われています。常にアメリカの傘に身を委ね、日本外交は
国内外から批判の矢面に立たされる結果を生んでいるのです。
日本人の持つ幸せを誰かに託すような生き方が、現実には
自分だけでなく多くの人達の不安と不信を生むことに成って
日本人の立場を悪くしているのです。
社会や他人に幸せを託するのではなく、まず自らの思いを
はっきりと現実のものと成るように努力する事が
一番大切と言えるのです。