ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ゴシケーヴィチ生誕200年

2014-03-16 |   イオシフ・ゴシケーヴィチ
 2014年3月16日はゴシケーヴィチ生誕200年に当たります。(2015年生まれ説や4月4日が誕生日という説もありますが・・・。)
 ベラルーシを初め、ロシアや函館などゆかりの地で、さまざまな記念行事が予定されています。

 ゴシケーヴィチについて詳しくはこのブログ内の記事をご覧ください。
 カテゴリ「ゴシケーヴィチ

 このようなわけで今年はゴシケーヴィチ関連の行事が1年かけて行われます。
 すでに3月16日にはミンスク市立第1図書館内で、研究者が集まり第1回発表会を行いました。私も出席し、帝政ロシア領事館が創った通称「ロシア病院」について調べたことを発表しました。
 これはロシア領事館が函館に入港してきていたロシア海軍の軍人のために開いた病院なのですが、日本人の患者にも解放されており、人種に関係なく、診察料、入院費、薬代、全て無料だったのです。
 医者はロシア人だったため、患者との問診の際にはゴシケーヴィチ領事自らが通訳をしていました。
 予算がロシア帝国から出ていたとは言え、幕末に日本人がただでロシアの医療を受けていたなんて、信じられないですよね。

 さらにおもしろいのはこの病院に新島襄が通院していたことがあり、また新島襄の写真をゴシケーヴィチが撮影していたかもしれない、という説がある、ということです。
 新島襄はアメリカに密航して、その後プロテスタントになりますが、正教の影響が強いベラルーシでは新島襄のことはほとんど知られていません。でもベラルーシ人のゴシケーヴィチと同志社大学創立者が函館で結びつきがあったかもしれない、と想像するだけで楽しいですよね。

 さて、3月21日には在ベラルーシ日本大使館とベラルーシ大学国際関係学部共催の学術会議が行われました。ベラルーシ、日本、ロシアから参加者が集まりました。私も出席し主にゴシケーヴィチの領事時代、函館で行ったさまざまな活動について話したかったのですが、あまりに範囲が広いので、ロシア病院と当時領事館で働いていたイワン・マホフが作成したロシア語の子供向け教科書「ろしあのいろは」について調べたことを中心に発表しました。

 「ろしあのいろは」は1861年に函館で発行されたのですが、その後何度か復刻版が出ており、そのうちの1972年度復刻版が1部、日本文化情報センターの所蔵文献として保管されているのです。
 「ろしあのいろは」1861年オリジナル版は日本国内、ロシア国内の歴史資料館などで保管されています。しかし私が知っている限りではベラルーシにはないようで、復刻版も弊センターにあるのが現時点ではベラルーシ国内唯一みたいなのです。
 「ろしあのいろは」は本当におもしろいですよ。和とじの本で150年前の人がこれを手に取ったら、「わあ、何だろう、この本!」と興味津々だったろうなあ、と思います。子どものときにこんな本をもらったら、宝物にしていますよ。ロシア語と日本語が入り混じった本は当時とても珍しかったと思います。

  3月20日からはミンスク市内の歴史文化博物館で、ゴシケーヴィチの生涯と日本文化を紹介する展示が行われており、ミンスクのあとはロシアのサンクト・ペテルブルグ(6-7月)、パリ(9月)、函館(10月)などに巡回展示される予定です。
 函館の会場は、函館市地域交流まちづくりセンターです。

 4月5日にはベラルーシ大学歴史学部とミンスク州学習メソッドセンター共催の学術会議が予定されており、これにも私は出席予定です。
 また秋にはベラルーシ科学アカデミー主催の円卓会議もあるそうです。

 日本文化情報センターでもゴシケーヴィチ生誕200年記念テーマ展示を開催中で、「ろしあのいろは」も公開しています。

 このような関連行事を通じて、ベラルーシでも日本でももっとゴシケーヴィチの業績が広く知られるようになればいいと思います。

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 追記です。

 2014年3月21日に行われたゴシケーヴィチ生誕200年記念学術会議に出席したとき、発表した論文が、10月28日、ベラルーシ大学国際関係学部発行の「国際法と国際関係」誌2014年第3号に掲載されました。
 その後、ネット上で閲覧できるようになりましたので、ここでもご紹介いたします。
「函館でのイオシフ・ゴシケーヴィチの活動」(ロシア語)
 会議にはたくさんの発表者がいましたが、論文が掲載されたのは私を含め2人だけでした。
 内容が掲載に値すると認められたようで、とてもうれしいです。