電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

午後の秋風が涼しい〜サクランボ果樹園の施肥

2022年09月15日 06時00分57秒 | 週末農業・定年農業
秋は翌年の実りを準備するために、果樹が肥料を必要とする時期です。サクランボの場合、収穫を終えた直後の7月に一度肥料を散布しますが、今の時期、秋の施肥が本命です。日差しはまだまだ暑いのですが、秋風が涼しい午後、サクランボ果樹園で肥料散布を実施しました。まずは N-P-K-Mg-Mn-B を配合したペレット状の肥料を 100kg ほど散布。空になった袋が風で飛ばないように、重しを載せて作業をすすめ、写真は最後の一袋を散布するところです。肩掛け式の散布器具は、1回でおよそ15kgを散布することができます。背中にずっしりと重みを感じながら、果樹園内を散布してまわります。ただし、こういう化学肥料だけでは土が痩せていくようで、この他に堆肥を散布する必要があります。お値段は堆肥のほうが圧倒的に安価ですが、散布作業は段違いの労力が必要になります。これから合間を見て作業をしますが、私もしだいに年を取ることを考えると、長い目で見て経営規模を縮小=本数を少しずつ減らし、さまざまな作業の負担を軽減していくことが重要になると考えています。



堆肥といえば、窒素・リン酸・カリという肥料の三要素を明らかにしたリービッヒが自説に自信を持つあまりに堆肥など有機肥料不要論を唱え、農芸化学などを通じて19世紀末〜20世紀初頭の頃にだいぶ影響を与えていたようです。当然のことながら、明治大正昭和の初期まで、学者は土壌を測定して必要な化学肥料を計算し投入することを重視、現場の百姓は伝統的な堆肥を重視するという落差があったようです。計算した結果に従って化学肥料を投入し米の良好な収穫が得られるところが、化学肥料の購入が負担となって借金経営になり、さらに肝心の稲穂が倒伏してしまうという弊害が出ます。現代の目でふりかえるとチッソ過多で倒れるケースもあったでしょうが、堆肥に含まれる「窒素・リン酸・カリ」以外の成分、例えばケイ素やホウ素などの微量栄養素が不足し、風で倒れてしまいやすい弱い稲になってしまう面もあったようです。現代の「堆肥+化学肥料」というやり方は、この弊害を踏まえた上で、農家の経験と農芸化学の知見を組み合わせたものと言えるのかも。

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10日遅れで白菜苗を植え付ける

2022年09月14日 06時00分45秒 | 週末農業・定年農業
桃の収穫・出荷が終わり、一休みしたところで思い出しました。まだ白菜を植えていない! 例年、8月末〜9月初旬に白菜苗を植え付けていた(*1)のですが、今年は妻が膝の痛みを訴え、白菜苗の植え付けを頼める状況にはありません。お天気と非常勤の勤務の合間を縫って、休ませていたジャガイモ畑を耕耘し、堆肥と苦土石灰を入れ、もう一度しっかり耕耘して準備しておいたところへ、白菜苗用の畝を立て、植え付けを行いました。いつも苗を購入する「農家の店」に売れ残っていた白菜苗は、葉っぱが育ちすぎて植え付け時に一株ごと分けるのに引っかかってしまい、葉柄をポッキリ折ってしまわないかと気を使います。例年よりも10日も遅いわけですから、苗が育ってしまっているのも当然でしょうか。やっぱり苗は小さいうちのほうが何かと作業しやすいです。



結局、ナスの隣の区画に@11株×3列、サクランボの樹に隣接する区画に@7株×5列、計68株を植え付けました。毎年、漬物や冬中の野菜の中心として食べていますので、60株ほど消費します。ご近所非農家へおすそ分けしても充分な量でしょう。あまり遅くなると結球しなくなるおそれがあるのだそうですが、知らぬが仏、取らぬタヌキの皮算用をしながら植え付けた白菜苗を眺め、これでこの冬は一安心だなと自己満足です。おおよそ10日後、21日〜22日頃に追肥を計画中。リンゴ「紅つがる」の収穫はまだ大丈夫かな。

(*1): 先週の農作業〜野菜苗の植え付けなど〜「電網郊外散歩道」2021年9月桃の収穫は一段落で白菜を植え付け〜「電網郊外散歩道」2020年8月

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マルチユーザーとシングルユーザー

2022年09月13日 06時00分52秒 | コンピュータ
MS-DOS から Windows3.1 に変わったとき、一番嬉しかったのは拡大自由な TrueType フォントの表現力でした。当時、普及しつつあったインクジェットプリンタのおかげもあり、全角・倍角・四倍角といった文字の制約から離れ、マウスドラッグで拡大・縮小も自由自在。MS-Works 等の便利なツールを使いながら、Windows の作法に慣れていきました。平成の初期の時代です。

ところが、便利な Windows3.1 は、意外に短命に終わりました。原因は、Windows95 と WindowsNT の普及です。1995年の晩秋、行列を作るほど期待された Windows95 でしたが、使い慣れるほどその安定性に懸念を持ちました。何か新しいソフトウェアや周辺機器を導入すると、デバイスドライバ等の問題なのかブルースクリーンが頻繁に発生します。こうなるとリセットするしか手段がなく、表計算で作業途中だったりすると、それまでの苦労が水の泡になってしまうのでした。そんなとき、WindowsNT は堅牢なOSとしてしだいに評価を高めていきます。当時、Windows95 は確かに手軽で便利だけれど、LAN で業務に使うのならば安定性の高い WindowsNT を使うほうが良い、と言われたものでした。見た目の印象では、WindowsNT 3.5 は画面デザイン的に Windows3.1 的なイメージが残りましたが、WindowsNT 4.0 になると Windows95 のイメージを取り入れ、かなりスマートになりました。しかし、堅牢な安定性は DEC の技術者だったデヴィッド・カトラーが率いたチームが Windows95 のチームとは独自に開発したものであり、滅多なことではブルースクリーンは発生せず、「NTをクラッシュさせるほど凶悪な」などという揶揄が通用するものでした。



マイクロソフト社は、Windows95/98 系と WindowsNT 系の統合を目論みます。当初は、Windows2000 でこれを実現しようと考えたようですが間に合わず、WindowsXP で一応の実現をみます。WindowsXP Home が Windows95/98 系の流れをくみ、Professional が NT系の流れを組むような印象を持ちますが、商品化の仕方が違うだけで(※)、技術的な中身はあまり変わらなかったようです。
※Professional は Active Directory で管理しやすいが、WindowsNT サーバでドメインで管理するのであれば Home でも Win98 系でも同じだったはずです。

では、Windows95/98 と WindowsNT とはどこが違っていたのか。基本的に、Windows95/98 系はシングルユーザー志向で、WindowsNT 系はマルチユーザー対応を謳っていたようです。マルチユーザーOSというと、厳密には同時に複数のユーザーが利用できるという意味であり、Windows は本来シングルユーザーOSなわけですが、そういう技術的な意味合いではなく、実際の使われ方の観点で見るとそうなる、ということです。つまり、WindowsNT が普及していく時代には、職場の各セクションごとに何台かの端末が設置してあり、必要に応じて利用者が業務用LANにログインして使う、というイメージです。誰がどんな操作をしたかを把握する意味で、利用者にはIDとパスワードが与えられ、権限に応じてアクセスできるフォルダに制約がある、といったイメージです。こういう使い方の場合、管理者(Administrator)が設定した権限を越えて操作することはできません。

Windows95/98 系でもユーザーを作ることはできましたが、フォルダごとにアクセスを制限することは出来ず、親の使っているパソコンのブラウザの閲覧履歴やダウンロードしたフォルダの中身が子供にぜんぶ見られるといった悲喜劇もあったとか。結局、業務用の WindowsNT 系のパソコンを導入することはあまりなく、親も子も一人一台のパソコンを購入し、各自で勝手に管理して使う、という形に落ち着いたようで、XP で両系の統合が実現しても、それは変わらなかったようです。同様に、一般的な事業所でも、現在のように一人一台のコンピュータを使うならば、むしろシングルユーザーで使ってもらうほうが扱いやすいということなのでは。

つまり、マルチユーザーかシングルユーザーか、といった違いは、一時の過渡的形態に過ぎず、結局大勢は個人がコンピュータを占有使用する「パーソナルコンピュータ」という本質が優先された、ということなのでしょう。大型コンピュータをタイムシェアリングで分割利用した時代(*1)から、ミニコンやワークステーションのような中型・小型コンピュータを分散利用する時代を経て、結局は個人が専有して使用するという形に落ち着いた。このあたりは「集中から分散へ」というキーワードが当たっていると感じます。そして、ごく専門的な、高度のセキュリティを要求される分野では、利用の仕方を制限し管理する必要から、業務用の利用形態が残っている、ということなのでしょう。

一時、Linux はマルチユーザーOSだから Windows よりも優れていて、といった議論がありましたが、そんなことで普及が決まるのではないだろうと私は感じています。確かに、複数の利用者が同時にアクセスするサーバ用途、特に Google のサーバ群のような巨大な分散ファイルシステムなどでは Linux 機のメリットは大きいでしょうが、一般ユーザーが端末用途で使うには、Windows と Linux とにあまり違いはなさそうです。違いがあるとしたら、利用者数の少なさからくるウィルス等の攻撃の少なさ、システムの安定感などのメリットと、年賀状ソフトがないなどのちょっとした不備、でしょうか。

(*1): サーバ依存型サービスとユーザーの自衛法〜「電網郊外散歩道」2009年3月

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山響第303回定期演奏会でウェーバー、シューマン、ブルッフ、ヒンデミットを聴く

2022年09月12日 06時00分11秒 | -オーケストラ
中秋の名月を過ぎたばかりの日曜日、早朝から河川愛護で堤防の草刈りに出役、秋の朝の爽やかな空気の中で汗をかいた後、午後は山形交響楽団の第303回定期演奏会に出かけました。写真は開場直後のホール内の様子ですが、開演前にはほぼ満席に近い状態まで埋まりました。開演前のプレトークでは、西濱事務局長と指揮の鈴木秀美さんが登場、8月の「メサイア」に続き9月にも登場と出番が続いた山形の印象を紹介した後、今回の曲目の解説を中心に、イッサーリスさんを紹介します。意外にもほぼ同年代なのだそうで、ビートルズの国からやってきたイッサーリスさんは、彼らのうちの一人がチェロを奏しているような面もあるのだそうな。表現力豊かな演奏をお聴きくださいとのこと。休憩時には11月発売予定のイッサーリスさんの新しいCDを先行販売するとのことで、ラッキー!



さて、今回の曲目は、

  1. ウェーバー:歌劇「オベロン」J. 306 序曲
  2. シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 作品129 スティーヴン・イッサーリス(Vc)
  3. ブルッフ:コル・ニドライ 作品47     同上
  4. ヒンデミット:バレエ音楽「気高い幻想」組曲
      鈴木秀美 指揮、山形交響楽団

というプログラムとなっています。なんと言っても、今回の来日では山響としかオーケストラとの共演がないイッサーリスさんとのシューマン「チェロ協奏曲」、実演ではめったに聴けないヒンデミットの「気高い幻想」に注目していましたが、考えてみればブルッフの「コル・二ドライ」のオーケストラ版での演奏も貴重な機会なのかもしれません。

1曲め、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。ステージ上には左から第1ヴァイオリン(8)、チェロ(5)、ヴィオラ(5)、第2ヴァイオリン(6)、左手後方にコントラバス(3) という配置になっている 8-6-5-5-3 の弦楽5部が乗ります。コンサートマスター席には犬伏亜里さん。正面後方には、フルート(2)、オーボエ(2)、クラリネット(2)、ファゴット(2) の木管楽器、その後方には、左側にホルン(4)、右側にトランペット(2)、トロンボーン(3) の金管楽器、中央にバロック・ティンパニが並びます。ホルンはナチュラル・ホルンを使っていましたが、トランペットはいつもの井上さんの席にスキンヘッドの奏者が座り、あれ、井上さんが頭を丸めたのかな、それともお休みで客演の方なのかなということばかりが気になり、楽器の方まで確認できませんでした。オペラグラスを持っていけばよかった(^o^)/
演奏は、ナチュラル・ホルンの響きもあり、鬱蒼とした黒い森での暗鬱な出来事ではなく、明るい光も差し込む白い森における夢のような出来事のよう。

2曲めはシューマンのチェロ協奏曲です。Op.129、作曲されたのは1850年、デュッセルドルフで。交響曲第3番と同時期の作品ということになります。右手の人差し指が不自由で徴兵検査の際に銃の引き金を引けずに失格した記録が残されているそうですから、ピアノは弾けなくてもチェロの弓はなんとか持てるでしょう。左手はだいぶ自由に動かせることを活かし、若い頃に演奏していたチェロを使った協奏曲を書いたのかも。楽器編成は、Fl(2), Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(2), Tp(2), Timp. と弦楽5部ですが、この頃は楽器もしだいに進化してホルンもバルブ付きのものが使われるようになっていたことから、現代ホルンの採用です。ただし、ティンパニは音抜けの良いバロックタイプ。本日のソリスト、スティーヴン・イッサーリスさんが登場します。
第1楽章:Nicht zu schunell, あまり速くなく。冒頭から、憧れというのか懐かしい回想というのか、低音域から高音域までのチェロの響きをいっぱいに使いながら、ロマンティックでやわらかな優しい響きを奏でます。イッサーリスさん、弓を持つ右手の手首が白鳥の首のようにやわらかく動きます。第2楽章:Langsam, ゆるやかに。演奏に集中する様子は「没我」の一言、sensitive なやりとりが、独奏者とオーケストラの間で交わされます。第3楽章:Sehr lebhaft, きわめて溌溂と。活発に動き始める独奏チェロに、オーケストラも充実した響きで応えるフィナーレです。演奏が終わってからしばらく余韻にひたり、大きな拍手が送られました。フライング拍手のないこのあたりの呼吸が、いかにも山響定期らしいものです。



ここで15分の休憩。ホワイエで先行発売のCDを購入して戻るときに、関西から来県の某さんに会い、当ブログや農作業の様子など、しばらく立ち話をしました。

3曲めはブルッフの「コル・二ドライ」、通常はチェロとピアノとの二重奏で演奏されるケースが多いのでしょうが、今回はオリジナルのオーケストラ版です。そういえば、以前、新倉瞳さんと山響の共演で一度だけ聴いたことがあります(*1)から、今回で二度目となります。楽器編成が Fl(2), Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(4), Tp(2), Tb(3), Timp., Harp というもので、鈴木秀美さん曰く「演奏時間が短いのにホルンが4本とかハープが必要とか、不経済な曲」なために取り上げられにくいのだとか(^o^)/ でも、ひそやかに始まる音楽に独奏チェロが祈りの歌のように加わると、そんな揶揄はすっかり忘れて音楽に聴き入ってしまいます。聴衆の皆さんも、演奏が終わってイッサーリスさんの弓が完全に下りるまでじっと無音のまま余韻に浸り、やがて大きな拍手に変わりました。シューマンもブルッフも、その表現力が素晴らしかった! そして、それを見事にバックアップした山響も素晴らしかったです。

アンコールは、これ。弓を持たず、フレットのないギターのように指ではじいて音を出します。こうなると、もうピツィカートというよりも別の奏法というべきでしょう。びっくり楽しい音楽に、お客様も大喜びで大拍手!



4曲めはヒンデミット「気高い幻想」組曲。ステージ上は正面最奥部でバロック・ティンパニから現代ティンパニに交代し、8-6-5-5-3 の弦5部に Picc, Fl, Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(4), Tp(2), Tb(3), 左側のパーカッションがバスドラム、スネアドラム、テナードラム、グロッケンシュピール、トライアングル、シンバルと賑やかに並びます。もちろん実演は初めてですがCDも持ち合わせず、かすかな記憶でも若い頃に NHK-FM で聴いたことがあるかな、という程度です。晦渋な音楽の印象が強い作曲家ではありますが、指揮者の鈴木秀美さんがメインに据える曲目なのですから、期待大です。1曲め、Einleitung Rondo というと「序奏とロンド」の意味でしょうか。やはり重苦しい始まりで、鳴り物も控えめに。2曲め、Marsch und Pastorale 「行進曲と牧歌」くらいの意味か。やや軽やかに始まりますがしだいに力強さも加わり、スネアやバスドラムなども出番が増えます。ピッコロに続く低弦の重苦しい対比とか、印象的なシーンも多いのですが、なかなか一筋縄ではいかない。3曲め、Passacaglia 「パッサカリア」ですね。金管のファンファーレに続き、1st-Vn と木管に他の弦や Hrn が加わり、さらに金管も、という具合に増えて力強さが増して来た後に、再び静かに木管のトップによる四重奏に Vla とグロッケン、弦楽が加わり、再び盛り上がりますが、前と同じではない。このあたり、いかにもヒンデミットらしいひねりの効いた構成です。そして鳴り物もフル動員の迫力のフィナーレへ。ストレートではないけれど、なかなかカッコいい音楽ではないですか。貴重な経験、良かった〜!

山響でヒンデミット。考えてみれば、この先おそらく「気高い幻想」組曲に実演で接することは稀だろうと思いますが、いやいや世の中どう変わっていくかわかりません。どんなふうに変わっても大丈夫なように、頭と体を柔軟に保っていきたいものです。

(*1): 山響第245回定期演奏会でエルガー、ブルッフ、ヴェルディ等を聴く〜「電網郊外散歩道」2015年5月

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パーソナル・コンピュータにおけるインストールや諸設定の権限

2022年09月11日 06時00分09秒 | コンピュータ
ブログ「パソコン悪戦苦闘記録」において、先日、「アドミニストレータアカウントの必要性」という記事(*1)がありました。そういえば私も、若い頃 WindowsNT や Windows 2000 の時代はちゃんと Administrator と自分用の User を分けて設定し、普段は User で使用するようにしていたことを思い出しました。職場のパソコンも同様で、システム管理者の真似事をしていたため、何か必要な設定やインストールをしたり、例えばプリンター周りなど雑多なトラブルのたびに呼び出されたりしていたので、上司に複数のシステム管理者を任命してもらい、負担の軽減とともに相互牽制の形(*2)を取るようにしていました。

当時、一般ユーザーは Windows95/98/Me などを使っていましたので、自宅でも使い慣れていた人は自分で自由に設定変更やインストールできない不自由さ(*3)をこぼしていたものです。それに対して、職場での LAN 管理やセキュリティ面での必要性を説明し、特に某 Nimda ウィルス感染への機敏な対応(*4)などで皆さんの信頼を得ることが出来、専門的教育を受けたわけではない「なんちゃってシステム管理者」ではありましたが、なんとか役割を果たすことが出来たと思います。



ところで、本当は Windows95/98 系とNT/2000 系とが統合されるはずだった WindowsXP では、Professional と Home に分けられ、Pro のほうが本格的で Home のほうは簡易版のような印象を持ちましたが、実際は Home にも Administrator は存在し、パスワードが設定されていない丸腰の状態で隠されているだけだ(*5)ということがわかり、驚いたものでした。

Home と Professional に別れたというのは、一般ユーザーからのシステム管理者への苦情や反発が大きく、また職場で同じように仕事をしているシステム管理者の雑多で過重な負担も見過ごせないレベルになるため、専門的な管理者を置くことができる一定規模のネットワークを除き、「本当にいいの?」と確認する形で各ユーザーに勝手に対応してもらうようになっていったためだろうと想像しています。

実は、21世紀に入ったばかりの頃に職場で起こった Nimda ウィルス騒ぎで、LAN サーバに使っていた Windows NT サーバの IIS、また Windows 標準添付の OutlookExpress というメーラのセキュリティ面での脆弱さに気付かされ、自宅では前から興味を持っていた Linux に注目することとなりました。その頃に自分でインストールして試していた Slackware や RedHat、あるいは Vine Linux などでは、root (管理者) と一般ユーザーははっきり分けられており、adduser コマンドなどでユーザーを作成することになっていました。この当時は、Windows でも Linux でも、強い権限を持つ管理者と権限が制限される一般ユーザーとを明確に分けることを当然のこととしていることがわかります。

では今は? 例えば私のサブノートPCの Windows8/10(Home?) では、Administrator は明示されません。デスクトップPCの Ubuntu Linux 20.04 でも、起動時に root は表示されません。代わりに、Windows では「管理者として実行」やインストール時に「システムに変更を加えようとしているが、本当にいいのか?」というような確認メッセージが出ます。Ubuntu Linux では su - コマンドで root になる代わりに、sudo コマンドで root のようにインストール等を実行することが出来ます。このあたりは、Windows Home と共通の発想のようです。

むしろ、Windows95 と WindowsNT とを区別する考え方として、「シングルユーザーOS」と「マルチユーザーOS」という考え方があったけれど、今の目で見ると実はどうなのか、ということが興味深いです。(この項続く)

(*1): アドミニストレータアカウントの必要性〜「パソコン悪戦苦闘記録」
(*2): システム管理者は、技術的には同僚や上司の閲覧や通信内容を覗き見ることも可能です。システム管理者の悪意を防ぐには、複数を任命することで相互牽制できる形にすることが重要だと考えていました。
(*3): 新しい職場の事情からLaTeXのオンラインサービスにたどり着く〜「電網郊外散歩道」2020年4月
(*4): 日常業務と添付ファイル、ウィルス感染時の危機管理〜「電網郊外散歩道」2015年6月 の後半部分、解説●最悪のワームNimdaの教訓〜日経XTech
(*5): 満身創痍のお下がりパソコンを起動しログインに成功〜「電網郊外散歩道」2009年1月

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新しい「農作業メモ」ノートを使い始める

2022年09月10日 06時00分38秒 | 手帳文具書斎
これまで使ってきた「農作業メモ」ノート、先日6冊目を使い始めました。先月中にすでに準備していた(*1)のですが、それまで使っていた文庫本サイズのA6判からB6判に変更し、5冊目として使い始めたのが2019年の4月で、はじめは野菜中心、文庫本サイズの4冊目を使い終えた冬からは果樹の内容も含め、80枚をほぼ3年半近く使った(*2)ことになります。



表紙を開くと、表見返しには農協や農業関係店舗等のカード類を入れるポケットを付け、農協の電話番号や付箋などを準備しました。本文のページには、従来は手書きで転記していた各種情報、例えば農協の出荷番号や口座番号、あるいは修理を依頼する時に必要となる農機具の型番、さまざまな届け出をする歳に必要な畑の地番と面積などをワープロソフトで文書化し、レーザープリンタでB6判3頁相当に印刷してはじめの数ページにまとめて切り貼りし、一覧性を高めています。これは機密性が高い情報ですので省きますが、その他に新たに苗木を植えた園地の略図や農協の集荷予定を貼り付けました。



また、日々の作業記録などを次のように表形式で書き込むようにしました。

月/日(曜) 天気 AM PM 作業内容                自宅裏 園地2
9/6(火) 晴れ 3.5   桃収穫直後の防除            ◯  ◯
9/7(水) 曇り   1  野菜畑耕耘、苗購入           ◯
 〜

以前は、日付と時刻、場所と作業内容をダラダラと数行にわたって書き込んでいたのでしたが、必要事項が表形式にまとまっていたほうが一覧性が高くわかりやすいことから、残りページ数が少なくなった今年の夏あたりからこのような書き方に改めたものです。



最後に、ちょっとしたメモ紙片や領収書などを仮に保管するポケットを付けましたので、当座の用途には間に合うでしょう。B6判B罫の50枚、なんとか工夫して2024年頃までは使いたいものです。

(*1): 「農作業メモ」ノートの更新を準備する〜「電網郊外散歩道」2022年8月
(*2): 「農作業メモ」ノートをB6判にして正解だった〜「電網郊外散歩道」2020年6月

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こんどの山響定期は鈴木秀美+イッサーリス!

2022年09月09日 06時00分22秒 | クラシック音楽
こんどの土日は、山響こと山形交響楽団の第303回定期演奏会です。今回は、

  • ウェーバー:歌劇「オベロン」J. 306 序曲
  • シューマン:チェロ協奏曲 イ短調 作品129
  • ブルッフ:コル・ニドライ 作品47
  • ヒンデミット:バレエ音楽「気高い幻想」組曲

というプログラムもさることながら、指揮が鈴木秀美さん、チェロがスティーヴン・イッサーリスさんという豪華コンビ。世界的なトップ・チェリストの一人であるイッサーリスさんが今回の来日では山響とだけ共演するという背景には、指揮が敬愛するチェリストである鈴木秀美さんだから引き受けた面もあるらしい。とりわけイッサーリスさんのソロでシューマンのチェロ協奏曲を聴けるのは貴重な機会です。また、ヒンデミットのバレエ音楽「気高い幻想」を生で、というのも貴重な機会。これは万難を排して行くべき演奏会でしょう。



それには、農作業も着実に進めておく必要があります。畑の野菜苗の植え付け、リンゴ「紅つがる」の管理、桃の落果処理、サクランボの施肥、草刈り、うわー、いっぱいあるなあ。でも山響定期のためならエーンヤコーラ (^o^;)>poripori

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「果樹園」は英語で何というの?

2022年09月08日 06時00分13秒 | Weblog
過日、非常勤の職場に出荷できないキズものの川中島白桃を提供したらたいへん喜ばれましたが、若い米国人の同僚に説明するときに、そういえば「果樹園」を英語で何というのだろう?と疑問に思いましたので、聞くは一時の恥とばかりに質問してみました。

What do you say "Kajuen" in English?

そうしたら、「orchard」だと教えてくれました。many trees だそうですから間違いありません。そうか、オーチャードか。サクランボ果樹園なら cherry orchard だし、桃の果樹園なら peach orchard ということになります。私はさしずめ fruit farmer だな(^o^)/

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「山響クロニクル〜50年の軌跡」(18)重い空気(19)霧が晴れるように

2022年09月07日 06時00分34秒 | クラシック音楽
地元紙「山形新聞」に連載されている「山響クロニクル〜50年の軌跡」の第18回「重い空気」(8/23付)と第19回「霧が晴れるように」(8/30付)は、飯森範親さんのもとに音楽的成果を着実に積み上げながら、しかし経営危機に陥っていた時期を描きます。2010年から園部稔さんが理事長に就任していましたが、直接的にはリーマン・ショック(2008年)や東日本大震災(2011年)の影響で景気後退が顕著になり、それまで冠コンサートなどでスポンサーになってくれていた企業の後援・協賛が減少したことにあったのでしょう。もう一つ、大きな背景として、少子化が進む中で学校が小規模化し統廃合は進まない時期のため、スクールコンサートの収益が減少していたこともあげられるでしょうか。2013年からは楽団員のボーナスもカットされるようになったそうで、賞与は業績次第とはいうものの、勤め人の立場から言えばこれは痛い! 定年制の導入や営業担当を置くなど、経営面の改革が図られます。




このころの印象的な出来事として、西濱秀樹さんが専務理事・事務局長として招かれたことが挙げられます。とにかく明るい。雰囲気がパッと明るく軽やかで、苦労も「そのうちなんとかなるだろう」と思ってしまうような登場(*1)でした。西濱さん、いろいろ聞こえてきたところによれば、関西フィルを再建した辣腕事務局長として有名だったのだそうです。ところが、なにかのいきさつで「もうオーケストラの仕事はしない」と決めて勇退したのだそうですが、音楽とは別の仕事をしているうちにもいろいろな挫折や印象的な経験があり、山形で素晴らしいオケが苦労しているという話に心を動かされ、再建に一肌脱ごうかと決めて山形に来られたのだとか(*2)。開演前のプレトークが明るくオシャレな雰囲気になったなあと感じました。




記事によれば、西濱さんは楽団員や指揮者、スタッフとの対話に四ヶ月をかけたのだそうです。同じ目標を持ち、同じ方向に歩き出すと、経費削減のためにそれまでの2回を1回に減らしていた定期演奏会を土日2回公演に戻し、魅力あるプログラムとゲスト招聘によって集客力もアップしていきます。楽団員のボーナスが復活しただけでなく、再び勢いのある山響が戻ってきた感じがしました。山新の伊藤律子記者による好感の持てる連載記事です。

(*1): 第244回定期演奏会で広瀬量平、チャイコフスキー、シューマンを聴く〜「電網郊外散歩道」2015年4月
(*2): 子どもたちへ、世界へ、届ける音色〜山形のオーケストラが見出した夢〜「山形会議」(藤庄印刷WEBメディア)


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ジョージ・セルは学校教育を受けていなかった

2022年09月06日 06時01分14秒 | クラシック音楽
マイケル・チャーリー著『ジョージ・セル〜音楽の生涯』(伊藤氏貴訳、鳥影社)を読んでいる中で、興味深い事実に気づきました。クリーヴランド管弦楽団を率いて20世紀の最高峰オーケストラの一つに育てた指揮者で、しかも帝王カラヤンが最も尊敬したという大指揮者ジョージ・セル(*1)の少年時代の話です。

ユダヤ人の両親のもとに生まれたセルは、幼い時期から音楽の才能を見出され、神童として早くから音楽の専門的な教育を受けますが、それは早くから個人レッスンの形を取り、集団の中に放り込まれる学校教育を受けたことがないようなのです。このことは、音楽を専門とする大人たちの中で注意深く純粋培養されるようなもので、専門的な才能を育て開花させるのには優れていても、同年代の子どもたちの中で洗礼をうける荒々しい人間関係の圧力や挫折を通じて身をもって知る手加減や優しさなどというものを、あまり思い知ることなく育った可能性がある、ということです。

何よりも音楽に最高の価値を置き、その実現のためには、例えばモーツァルトのニ短調協奏曲の録音の際にケンカ別れしたカサドシュのように、長年の友人関係がギクシャクする、あるいは破綻することをも厭わないという姿勢は、いったいとこから来るものだったのか。音楽に関して妥協を知らないいくつかのセルのエピソードの背景を理解する上で、説得力のある、あるいは納得できるものです。

(*1): カール・ライスターの「一番印象深かった録音」〜「電網郊外散歩道」2005年5月



ところで、YouTube よりセルの指揮ぶりやインタビュー等を探してみました。

まずは、彼の指揮ぶりです。ベートーヴェンの交響曲第5番のフィナーレを指揮しているところ。
Szell/Cleveland LIVE CONCERT FOOTAGE!!: Beethoven symphony no.5 finale (9分38秒)


次に、ジェイムズ・レヴァインたち3人の若い指揮者たちに対して指揮の指導をするジョージ・セル。
George Szell with Three Young Conductors (7分11秒)


デッカの名プロデューサー、ジョン・カルショウが著書『レコードはまっすぐに』でも触れているインタビュー。
George Szell interview with John Culshaw (56分)


ウィーンフィルとの演奏会(1966年、ウィーン芸術週間)、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番(Pf:グルダ)、ブルックナー「交響曲第3番」(1時間46分)
George Szell & Wiener Philharmoniker - Orchestra Concert of 1966 Wiener Festwochen


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今年の桃の収穫・出荷が終わった

2022年09月05日 06時01分14秒 | 週末農業・定年農業
今年の桃の収穫と出荷がぜんぶ終わりました。「あかつき」で5日間、「川中島白桃」で14日間かかりました。本当はもう少し早く、8月末で終わる予定だったのですが、諸般の事情で9月上旬まで延びてしまいました。最終的な結果と分析は精算伝票が戻ってこないとわかりませんが、出荷数量では「あかつき」は倍増、「川中島白桃」は約1.2倍に増加しています。このへんは、「あかつき」は満足できる結果でしたが、川中島白桃は写真でもわかるとおり、剪定が不足で枝の数が多すぎ、光合成量は確保できたものの、光の当たり方が均一でない。そのため摘花・摘果が間に合わずに小玉が多かったという面もあるようで、必ずしもバランスの良い結果とは言えません。今年の反省点です。



それでも無事に作業を終了できたことはなによりのことで、昨晩はビールで乾杯しました。我が家の果樹園の目玉は初夏のサクランボと夏〜初秋の桃ですので、あとは出荷に忙しい思いをすることはありません。秋に自家用と親戚等へ送るリンゴと、晩秋の柿が残る程度です。いやいや、放置気味の野菜畑の仕事があったなあ。白菜等の秋野菜の植え付けとサツマイモ、サトイモ等の掘り出しがありました。妻の膝に負担をかけないように、仕事の按配を加減する必要があるようです。

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ピーマンとトマトと生ハムのペペロンチーノでランチ

2022年09月04日 06時01分10秒 | 料理住居衣服
妻が用事でお出かけをしたある日、老母はそうめんを所望、私はそうめんを茹でる隣でパスタを茹でました。少ない材料と同時進行する手間を考えれば、ほぼペペロンチーノに決まりでしょう。老母にそうめんを供してから、オリーブ油ににんにくの香りを移し、細切りのピーマンを軽く炒め、パスタの茹で汁で塩味を調整して乳化、茹で上がったパスタを投入して乳化したソースと絡め、トマトと生ハムを載せてパセリを添え、ガリガリとコショウをきかせて食べました。スープはクノールのポタージュ・スープです。



ササッと簡単に、かつおだしを薄めた老母のそうめんと私のペペロンチーノと、それぞれ別々に食べたいものを食べる形になりましたが、まあ、これくらいなら手間を惜しむものではありません(^o^)/

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農作業時のヤブ蚊対策

2022年09月03日 06時01分01秒 | 週末農業・定年農業
これまで、農作業時のヤブ蚊対策には、日本手拭いを使った夜鷹スタイルに小型の蚊取りマットを使った「お出かけカトリス」を腰に下げるのが主でした。これに加えて、最近、行きつけの「農家の店」で腰にぶら下げるタイプの蚊取り線香の燃焼保持器具を見つけました。これは、点火した蚊取り線香をガラスウールのネットでサンドし、金属製の容器に固定して煙をくゆらせるものです。通常タイプの蚊取り線香だとおよそ7時間ずっと燃え続けるそうですので、ちょっと畑に行って作業する用途には長持ちしすぎるようです。では、およそ3時間くらい燃え続けるという小型の蚊取り線香はどうか。お値段はずいぶん割高に感じますが、これはこれで、便利なものです。




では、効果の方はどうだろうか。試してみたら、どちらでも大丈夫でした。特に、こんな工夫も効果的でした。

  • 通常サイズの蚊取り線香をポッキリ半分に折って、2回分にして使っても、ガラスウールのネットのおかげで支障なく使うことが出来ました。
  • 通常サイズの蚊取り線香の端から点火するのと同時に、渦巻きの中心部からも点火し、2方向から燃えるようにすると、時間が半分の3時間半になりますが煙の量も2倍になって、ヤブ蚊対策には効果的のようです。



室内では咳喘息の対策の意味もあって蚊取り線香は使わなくなりましたが、野外のヤブ蚊対策でお尻のところにぶら下げておくと、体の前方は「お出かけカトリス」、後方は蚊取り線香でガードし、しゃがんだ状態でもヤブ蚊は寄ってこないようです。



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「山響クロニクル〜50年の軌跡」(17)アマデウスへの旅〜記憶に強く残ります

2022年09月02日 06時00分51秒 | クラシック音楽
地元紙「山形新聞」に連載されている「山響クロニクル〜50年の軌跡」の第17回(8/16付)は、「アマデウスへの旅」を取り上げています。飯森範親さんが音楽監督に就任した2007年、生誕250年を迎えたモーツァルトの交響曲全47曲を8年かけてぜんぶ演奏するという「アマデウスへの旅」という企画がスタート(*1)します。このプロジェクトの記憶はたいへんに鮮明です。記事では「18世紀の音にこだわる」という見出しを付けて、ナチュラル・ホルンやバロック・トランペット、トロンボーン、ティンパニなどにオリジナル楽器を導入、また弦楽器もヴィヴラートを必要最小限に効果的にかけるようにつとめ、音程をきちんとあわせ純度の高い音を得るために、いわゆる古楽奏法を取り入れます。演奏会も黒一色のカラスの集団ではなく、男性奏者はややカジュアルなスタイルで、女性奏者はカラフルなドレス姿でステージに上がるという、華やかさを感じさせる演奏会となったことを紹介していました。



私も、特別な事情でやむなく欠席した回以外はほぼすべての演奏会を聴き通しましたが、馴染みの薄い初期交響曲が中心の回にも協奏曲や声楽を伴う曲なども盛り込み、毎回楽しみなプログラムが提供され、妻と一緒にいそいそと演奏会に通ったものでした。今、このときの成果はCD13枚による「モーツァルト交響曲全集」(*2)として発表され、私もすぐに入手し、ずっと愛聴しております。現在、演奏録音ともに高い水準の全集として内外で高い評価(*3)を受けるようになっています。

(*1): 飯森・山響のモーツァルト交響曲全曲演奏「アマデウスへの旅」第1回を聴く(1)同(2)〜「電網郊外散歩道」2007年8月
(*2): モーツァルト交響曲全集(13枚組)〜山形交響楽団ホームページ、オリジナルグッズ
(*3): 日本モーツァルト協会の紹介ページ飯森・山響のモーツァルト交響曲全集がレコードアカデミー賞(特別部門)受賞

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今日から9月〜備忘録ノートも秋に交代へ

2022年09月01日 06時00分40秒 | 手帳文具書斎
8月も終わり、今日から9月になりました。秋です。実りの秋、収穫の秋、食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、いろいろと都合よく解釈される秋です(^o^)/
というわけで、備忘録ノートも新たにA5判のツバメノート(A罫、100枚)を準備し、使い始めます。新しいノートを使い始めるときは、いつも学生時代のように新鮮な気分になります。さて今年の後半はどんな内容を書くことになるのか、70歳を過ぎても気持ちは変わりません。




田んぼの稲穂はだいぶ頭を垂れてきています。我が家の桃の収穫は遅れ気味ですが、なんとか終わりが見えてきました。最後は摘果不足が目に付き、ざくざく小玉が多い印象です。野菜畑は妻が膝の痛みを訴え、ちょいと放置気味となっておりましたので、急ぎマルチを外し、耕耘の準備をしました。白菜等の植え付けをする必要があり、これも急がなければいけません。




日中はまだまだ残暑が厳しい日が続きますが、朝晩は20℃前後の気温から少しずつ上がり下がりを繰り返して、徐々に15℃を切る温度まで下がっていきます。年間で前月比が一番大きいのがたしか9月(*1)ではなかったか。日中の残暑に騙されて朝晩の気温の低下を見落とすと、いわゆる「金縛り」現象(*2)を経験することになります。要注意です。

(*1): 寒さ対策はまず衣類から〜「電網郊外散歩道」2008年10月
(*2): 夜明け前の涼しさに〜「電網郊外散歩道」2005年8月

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