電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

文具店と書店探訪の成果は

2011年12月16日 06時02分14秒 | 手帳文具書斎
先の週末に、行きつけの文具店で、フリーマガジン「BUN2」をもらってきました。ついでに、文具等をいくつか購入。

(1) B6判キャンパスノート(A罫、40枚)、5冊
(2) クツワの鉛筆補助軸 (RH004-200)、2本入り
(3) 付けペン用の軸 Tachikawa T-25
(4) プラチナの preppy 万年筆、黒インク



プラチナの preppy は、プラスチック透明軸の廉価な鉄ペンですが、一応ちゃんとした万年筆です。今まで使っているのは、ほとんどが中字~太字なので、細字の黒を用意したものです。インクの流れは、まずまず良好。書き味は、金ペンのようなわけにはいきませんが、付けペンを思えば、十分に実用的に使えるレベルです。



さらに、別の書店にまわり、中公文庫で高橋義夫著『眠る鬼~鬼悠市風信帖』と、雑誌の『Goods Press』を購入してきました。



驚いたことに、こちらもニンジン色の万年筆が付録に付いていました(^o^)/
なんと、この日は万年筆やペンにご縁のある日らしい。よく見ると、どうやらウォーターマンのインクカートリッジが適合するようです。これで、青インクの補助万年筆ができました(^o^)/
もともと付録に付いていた小型インクカートリッジは、「Always」のミニサイズ万年筆に転用することにしましょう。

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アタシの幸せ

2011年12月15日 06時05分16秒 | アホ猫やんちゃ猫
アタシの幸せは、あったかい膝の上に登って、ゴロゴロ喉を鳴らしながら一眠りすることなのよね~。アタシが生まれたばかりのころは、お姉ちゃんたちも高校生くらいだったから、それはそれは大事にされたものよ。みて、アタシの兄弟姉妹!



ママもこんなふうに心配してくれたしね~。



でもね~、だんだんアタシが大きくなって、



居心地良さそうなダンボール箱に入ろうとすると、



ママは、こんな顔をするようになったのよ~。



まるで『シンデレラ』みたいじゃない?悲しいわ~。猫の一生って、こんなふうなのかしら。
それでも、お姉ちゃんたちが家にいたころは、こんな優雅な生活だったのよ。



最近は、中年オヤジの膝の上でしょ、やんなっちゃうわ~。くしゃみはするし、聴いている音楽は音が大きいし、寝てるところをカメラで写真に撮ったりするのよ。



でもね~、外は寒いでしょ、紋次郎みたいな野良猫も大変よね~。最近は、これがアタシの幸せなのかも、って思うようになったの。少しはオトナの猫になったのかしら。

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妻のパソコンを更新の予定

2011年12月14日 06時03分25秒 | コンピュータ
このところ、妻のパソコンの調子が悪いようです。もうそろそろ10年近くなりますので、無理もありません。富士通の FMV のノートですが、よく動いてくれたほうでしょう。

更新の理由はもう一つあり、茶の間でもネットが使えるように、ということです。自宅でせっかく無線 LAN が使えるようになっているのに、今の機種では一般的な無線 LAN のカードが対応していないらしい。せっかくですから無線で使いたい、という希望は理解できます。来客待ちのときなども、茶の間で利用できますし、台所でレシピを調べるにも便利ですからね(^o^)/

ざっと条件を整理してみると、

(1) OS は使い慣れた Windows であること
(2) 映画を見ることもあるので、DVD ドライブが使えること
(3) 大きさは、あまり小型でないほうがよい
(4) もっぱら AC 電源で使うので、電池での使用時間はそれほど問題にならない

などでしょうか。それなら、標準的なノート型で大丈夫なようです。
ふむふむ、なるほど、それならここらがよさそうだ。
ということで、先日ポチッと申し込んでしまいました。年末ですが、何日くらいで届くでしょうか。このあたりも、興味深いところです。

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高橋義夫『狼奉行』を読む

2011年12月13日 06時02分57秒 | 読書
文藝春秋社刊の単行本で、高橋義夫著『狼奉行』を読みました。平成3年(1991)、第106回の直木賞受賞作品だそうです。

主人公、祝靱負(ゆきえ)は、羽州上山藩の主君、山城守信亨の側近である中村新左衛門に将来を嘱望され、栄達の道を歩むはずでした。ところが、秋の役替えで実際に発令されたのは、上山から十里余も離れた飛び地の山奥の木戸番勤めでした。雪の山道を歩いて着任した祝靱負は、郡奉行支配の山代官出役として、黒森館で生活を始めます。賄賂は許さない、酒の接待なども要求しないという堅物さは、逆に村人には好感を持たれたようです。

ところが、実家に残してきた華奢で幼い妻が自害したこと、主君の側近であった中村新左衛門が幽閉され、関わりの合った者たちが蟄居閉門など迫害されているらしいことなどが伝えられます。そうしているうちにも、かつての朋輩二名が、ともに江戸へ出て直訴しようと誘いにやってきますが、館の地侍である十兵衛やマタギの勘のう等により阻止され、かろうじて藩の内紛に伴う難を逃れます。

自己嫌悪と絶望から、すっかり無気力に陥った靱負の身のまわりを世話するために、みつという娘が館にやって来ます。勘のうの娘として育ったみつは、物怖じせずはっきりとものを言い、生命力あふれるタイプです。しだいに気力を取り戻し、戦国時代から伝わる十兵衛の棒術を、雪の中で習得するうちに、靱負は再起します。今度は、佐藤三郎助という男の罠にも嵌らず、うまく逃れたかに見えました。

そこへ、狼の狂犬病が流行し始め、野生動物だけでなく、家畜や人間にも被害が出始めます。森の動物がみな死に絶えることを恐れる勘のう等のマタギたちと力を合わせ、村人も動員して、大規模な追い落としによる狼狩りが展開され、見事に成功します。

ところが、みつと結ばれた靱負が山中の館でじっと生活を続けるうちに藩の内紛が再燃し、木戸を破ろうとした若者を逃した罪で、佐藤三郎助が与力を連れて靱負を捕えに来ます。しかし、十兵衛とともにこれを倒します。これで、藩命に背くものとなってしまいますが、みつの一言:

「勘のうのところへ行こうよ。勘のうに頼めば、山奥のどこでだって生きて行ける」

が行く道を照らします。



かつて、月山の南東に位置する西川町で生活したことがある著者らしく、豪雪の中の暮らしの描写はかなり的確です。厳しい自然の中で生きる姿と、内紛・政争の中で生きる厳しさとが対比され、野性の生命力が肯定されます。本作品の読後感は、好ましいものでした。

本書は、ほかに「東洋暗殺」と「厦門心中」の二篇を収めていて、文庫版とは一部構成が異なるようです。表題作「狼奉行」とは異なるジャンルの小編ですが、どちらも印象的です。

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NHK-FMでヨゼフ・スーク追悼番組を聴く

2011年12月12日 06時02分39秒 | クラシック音楽
雪の日曜の朝、何気なくラジオでNHK-FMを選んだところ、聴きなれたドヴォルザークの「四つのロマンティックな小品」(*)が聞こえて来ました。ヨゼフ・スークの追悼番組でした。諸石幸生さんと石川静さんが対談する形で、ヨゼフ・スークのエピソードを紹介します。熊のような太い指で出てくる音は、大きなヴィヴラートであったこと、演奏会では、この曲の三番と四番の順序を入れ替えて演奏することもあったことなどは、たいへん印象的な話でした。それにしても、この曲のこの演奏!今更ながら、聴き惚れてしまいます。

石川静さんは、スークの代役でブラームスの協奏曲を演奏したこともあったわけですので、ご縁の深いヴァイオリニストと言えます。スークと石川静のデュオで、タルティーニのトリオ・ソナタも素敵な演奏です。1995年の録音時には、レディ・ファーストで紳士で、でも収録時に女性同伴で来たりしたのだとか。今だから話せるエピソードでしょうか。弦の国と呼ばれるチェコには、弦楽器の演奏家の伝統があり、馬車で移動したという、ラファエル・クーベリックのお父さんのヤン・クーベリックの演奏旅行の話などは、正しく時代を感じさせます。

亡くなったヨゼフ・スークのお祖父さんも同名のヨゼフ・スークで、こちらは作曲家です。その奥さんがドヴォルザークの長女だったそうですので、ドヴォルザークはいわば祖母方の曾祖父にあたるという関係です。ですから、ヨゼフ・スーク作曲の「四つの小品」と表記されていても、どちらのスークかわからないですね~、NHK さん。

大柄なスークはヴィオラも得意とし、石川静さんはクーベリック・カルテットで共演したそうです。ヴァイオリンとヴィオラと、柔軟にボウイングも変えていたそうで、そういえば、モーツァルトの弦楽五重奏曲では、スメタナ四重奏団にスークがヴィオラで加わっていました。スークは楽器もたくさんコレクションしており、ストラディヴァリウスのほか、シュピルレンという新しいのも使っていたそうです。

続くドヴォルザークのピアノ四重奏曲第2番の第2楽章は、ホールの音が独特のものでしたが、どこか大聖堂のようなところで録音したものらしい。なるほど、と納得でした。

スーク・トリオを率いて室内楽を演奏していたのは、ソロを演奏していたのだけではできない、音楽の醍醐味を感じることができるから。演奏会の後でも楽器を手にしていろいろ試してみることもあったとか。

ベートーヴェンの「大公」トリオは、1970年代のデジタル初期の録音ではなく、1983年の録音を放送していました。このころは、DENON のデジタル録音も安定していましたからね~。

その後は、妻の「お茶だよ~」の声で茶の間に移動し、一時帰省していた娘と老母とアホ猫と一緒に「お茶しました」ので、聴き逃してしまいましたが、番組の大半は聴くことができました。ヨゼフ・スークも亡くなりましたが、たくさんの録音が残されました。私の手元にも、相当数のLPやCDがありますので、折に触れて接することができます。記憶に残るだけではなく、音楽が心に残る演奏家でした。

(*):ドヴォルザーク「4つのロマンティックな小品」を聴く~「電網郊外散歩道」2008年7月
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R.シューマン「女の愛と生涯」を聴く

2011年12月11日 06時03分41秒 | -オペラ・声楽
通勤の音楽は、このところ大きなオーケストラ曲が続きましたので、声楽曲に手が伸びて、R.シューマンの歌曲集「女の愛と生涯」を聴いております。CDはグラモフォンの「シューマン歌曲大全集」からの一枚で、エディット・マティス(Sop.)とクリストフ・エッシェンバッハ(Pf)による録音です。

この作品の作曲年代は、「歌の年」として知られる1840年で、作曲者自身がクララとの結婚を認められた、まさにその年に当たります。歌詞はシャミッソーの詩によっており、全部で8曲からなります。

1 あの方にはじめてお会いして以来
2 どんなひとよりもすばらしいお方!
3 なにがどうなっているのかさっぱりわからない
4 わたしの指にはまっている指環よ
5 手伝ってちょうだい、妹たち
6 親しい友、あなたは
7 わたしの心に、わたしの胸に
8 あなたはわたしにはじめて苦しみをお与えになりました

歌詞の内容は、あまりにも作詞者の自己賛美、自己陶酔が過ぎると感じられて、思わず肩をすくめるところですが、音楽の場合はいささか事情が異なります。最初の第1曲と最後の第8曲が、単なるピアノ後奏にとどまらず、同じモチーフを反復する形で意味づけられているという工夫。連作歌曲集と言う詩的な関連性だけでなく、音楽的な意味でも、始まりが繰りかえされ、深められて、詩情の中に終わります。夫を失った妻の嘆きは誰にでも理解されるもので、その逆であっても同じでしょう。後奏を聴きながら、静かに余韻にひたります。

エディット・マティスのソプラノは、美しく伸びやかな高音で、エッシェンバッハのピアノは、「詩人の恋」ほどではありませんが、思いがけない音を強く響かせたりして、少し主張をしているところがあります。録音は、エディット・マティスのものは1979年9月と1981年10月に収録されているとクレジットされていますが、どれがどの時期のものか、個別の記載はありません。ミュンヘンのアルター・ヘルクレスザールにおけるアナログ録音です。
もう一枚、ヴィエラ・ソウクポヴァーによるLP(DENON OX-7100-ND)では、アルトの深い声で歌われます。伴奏は、ヤン・ホラークです。上品ですが、説得力あるピアノで、曲のドラマ性を支えます。録音は1976年12月11~12日、日本コロムビア第一スタジオでのPCM/デジタル録音で、同レーベルの初めての独唱曲のレコードでした。

ソプラノによる「女の愛と生涯」は、夫を失った若い妻の物語に聞こえますが、より低い声域のアルトによる「女の愛と生涯」は、結婚生活もある程度年月を重ねた妻が、働き盛りの年代の夫を失った物語のように聞こえます。二人の妻の嘆きの深さを比べることはできませんが、声域と声質により、受ける印象はずいぶん違います。にもかかわらず、シューマンの音楽の本質は、聴き手にしっかりと伝わります。演奏の優劣を論ずる気にはなれません(^o^;)>poripori

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野菜畑の近況

2011年12月10日 06時03分29秒 | 週末農業・定年農業
老母が丹精している野菜畑は、現在だいぶ成長しております。写真は10月上旬のものですが、はじめはごくたよりない、小さな葉だったのが、ぐんぐん成長していきました。

そして現在は、立派なホウレンソウじゃなかったアスパラ菜の畑に。



こんなふうです。同じ場所を、同じ角度から撮影しましたので、成長の様子がよくわかります。

なるほど、これは面白い。作物が育つのは、老母でなくてもうれしくなります。これを収穫して、寒い夜に鍋などで一杯やるのはこたえられません。なんとなく、亡父の楽しみも理解できた気がします。

老母の右手の骨折も、痛みがなくなってきているようで、あと一週間ほどの辛抱のようです。元気を回復してくると、また漬物の心配を始めました。おかげで、今年もおいしい漬物が食べられそうです。

【訂正】
ホウレンソウだと思ったら、そこはアスパラ菜なのだとか。私の週末農業も、野菜作りの分野はまだまだですね(^o^;)>poripori

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記事の重複を避けるための工夫

2011年12月09日 06時04分56秒 | ブログ運営
すでに持っている音楽CDで、また同じものをうっかり重複して買ってしまうことがあります。これは、自分の記憶力の問題で、アホだな~と笑ってすますことができます。ですが、ブログ記事で同じ曲の同じCDの記事を、重複して投稿してしまったりしたら、逆に皆さんに笑われてしまうことに(^o^)/

そこで、当ブログを始めてしばらくした頃に、投稿済みの音楽記事について、作曲家別にリストを作り、曲名を追加していくようにしました。以後、どの曲が記事として掲載済みで、どの曲がまだなのか、すぐにわかるようになりました。また、リストを眺めていると、ブログを始めてから、どんな作曲家を好んで取り上げているかも、手元でわかります。A4判両面印刷で二つ折りにして、ブログ記事ネタ帳兼備忘録にしている Systemic のカバーノートにはさんでおくと、なかなか便利です。

ただし、この方式は、作曲家と曲名や、著者と書名だから分類可能なのであり、雑多な身辺雑録的な題材で重複管理することは困難かと思います。したがって、季節の話題や懐古記事では、何度も似たような話題が登場してしまいます。平凡な日常ですから、それはそれでやむを得ないことでしょう(^o^;)>poripori

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田之倉稔『モーツァルトの台本作者~ロレンツォ・ダ・ポンテの生涯』を読む

2011年12月08日 06時01分21秒 | -ノンフィクション
平凡社新書で、田之倉稔著『モーツァルトの台本作者~ロレンツォ・ダ・ポンテの生涯』を読みました。「天才芸術家の数奇な運命」「ウィーン宮廷で勝ち得た栄光、新大陸での孤独な最期、16世紀ヨーロッパ人の知られざるノマド的一代記」などのコピーが帯を飾ります。書店で手に取り、ぱらぱらとめくってみたら、どうも晩年はアメリカに渡っていたらしい。これは面白そうだと、さっそく購入してきたという次第です。

著者は、1938年生まれといいますから、現在73歳。演劇界には全くうといのですが、たぶん演劇評論家としては重鎮の方なのでしょう。

「たしかに、北イタリアの寒村からアメリカへと至るダ・ポンテの人生は、一篇の小説にも匹敵する物語であった。1819年『生涯の抄録』を発表するが、これはロンドンを離れるところで終わっている。ダ・ポンテについては、おおかたの関心はモーツァルトの台本作家として活動した時期に向けられるが、実は、ウィーン滞在はわずか10年に満たない。」(「序章」より)

たしかに、モーツァルトへの言及はごく少なく、オペラの台本を提供したあたりの事実関係と、ダ・ポンテ自身はモーツァルトをあまり高く評価していなかった節があるという程度かな。
それ以上に、ユダヤ系の出自を改宗で乗り越え、神学校を中退、行くさきざきで女性問題を引き起こしながら、台本作家として頭角をあらわしていくあたりは、文字通り波乱万丈です。そのあたりは自伝でもかかれていますが、問題はアメリカに渡って後の生活です。不遇の生活を某大学でイタリア語とイタリア文化を教えることで支えようとします。でも、当時のアメリカでは、イタリア語もイタリア文化も、どちらもさほどの重要性を持たなかった。「フィガロの結婚」も、実際は「何それ?」という程度の認識だったのでしょう。それは、日本でも同じことでしたが(^o^)/

コンパクトな新書に、モーツァルトの台本作家として後世に名を残した男の、思いがけない余生を描いた、興味深い本でした。
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焦点化すること

2011年12月07日 06時05分45秒 | Weblog
中学生の時、一枚の凸レンズを立て、ろうそくの炎をスクリーンに映す実験をしました。焦点が合ったときに、炎のゆらめきが、くっきりと逆位に浮かび上がりました。焦点を合わせるということの意味を、このとき実感しました。

何で読んだか忘れてしまいましたが、某リンゴ社のボスが、製品開発などでターゲットを焦点化することについて、興味深いことを言っていました。焦点化するということは、一つを取り上げて良いと言うことではなくて、999のものにノーを言い、残る1つにイエスを言うことだ、というのです。このとき、ろうそくの炎の実験のイメージで、納得できました。

「これではない、この音ではない。ニヒト・ディーゼ・テーネ!」このあたりが、プロ中のプロの厳しさなのでしょう。ただし、素人音楽愛好家である私の場合、音楽やその演奏が焦点を合わせるものを、シャープに受け止めているとはとても思えません(^o^;)>poripori

ですが、光学実験とは異なり、音楽表現の「焦点」の当て方には、きっとかなりの多様性があるのでしょう。そして、素人音楽愛好家ならではの平凡な幸せもあります。999の演奏を否定し、ただ一つの演奏だけを肯定するところでは、平凡な幸せとはかなり異なるもののようです。あれも良い、それも良い、ただこれはちょっと……くらいの、ほどほどに甘いフォーカスのほうが、楽しみに深さはなくても広さはあるのかな。

平凡な幸せを拒否するところから非凡は始まるのでしょうけれど、非凡というのは、傍目で見るよりも、なかなかにシンドイものなのかもしれません(^o^;)>poripori

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この植物の名前を知りたいと思って

2011年12月06日 06時02分24秒 | 散歩外出ドライブ
我が家の庭木の一つで、この植物の名前が知りたいと思っています。たぶん、キヅタかオカメヅタの仲間だと思うのですが、まだ確定はできていません。東北特有の緑色凝灰岩、いわゆるグリーンタフらしい石に巻きつき、根元はずいぶんな太さになっています。



写真には青いテープが巻きつけてありますが、これはカーポート工事の際に、切らないように注意してください、と巻いたもの。私が小さい頃にはすでにかなりの太さになっていましたから、間違いなく60年以上、おそらく百年くらいには達しているのかも。

毎年、同じ時期に、あまり見栄えのしない花を付け、虫たちがたくさん集まってきます。ハチがぶんぶん集まってくるのも特徴です。定年退職してたっぷり時間ができたら、こういう植物をじっくり調べてみるのもいいなぁ、などと、昔の科学少年の血が騒ぎます。あの見栄えのしない花に、どうして多くの虫が集まるのか、その理由も知りたいところです。

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村上もとか『JIN~仁~』第9巻を読む

2011年12月05日 06時04分28秒 | 読書
長崎にある幕府の養生所・精得館にて、ペニシリンをはじめとする新しい医術の指導を終えた南方仁先生は、坂本龍馬とともにユニオン号に乗船、途中の下関では高杉晋作と会います。村上もとか著『JIN~仁~』第9巻は、幕末の大動乱に突入する前のひととき、江戸の庶民の生活をもう一度描きます。

江戸に到着した南方先生が目にしたのは、大火で焼け野原となった材木町の様子でした。実際は、ある商家のゴタゴタから起こった付け火だったのですが、悪徳目明しのガマ親分は、お駒を犯人に仕立てることでモノにしようとします。助平親分とお駒の場面は、ちょいと青少年には見せられません(^o^;)が、これもお駒を助けに登場する火消の千吉の男らしさを引き立てるための作劇術でしょう。
跳ねっ返りのお駒は、素直に礼が言えなくて、千吉の好意を袖にしてしまいます。千吉は千吉で、自棄的な気分でフグ鍋を食いにいき、フグ毒に当たってしまいます。フグ毒の成分であるテトロドトキシンの毒を消すことはできなくても、人工呼吸を続けることで蘇生させることは可能と、南方先生の医術は江戸の人々にはやっぱりスーパーです。
回復した千吉と介抱したお駒の祝儀の席で、南方先生と咲さんの婚礼はいつだと話題になりますが、それはまったく当然の疑問でしょう(^o^)/

そして、有名な寺田屋襲撃事件。入浴中に捕り方に気づいたお龍さんの機転で、龍馬はなんとか脱出に成功します。現在の寺田屋は改築されたもののようですが、写真はその伏見の寺田屋。



さらに、勝海舟の家庭の事情と正妻の脳外科手術が描かれます。う~ん、海舟の妻妾同居は福沢諭吉に批判されているほどですが、こういう風に描かれると、やっぱりちょいと同情してしまいます。どっちに?いや、両方に(^o^)/
このへんのドロドロした部分よりも、軽業の一座のエピソードの方が、カラッとしていて良いですね~(^o^)/
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同窓生名簿について

2011年12月04日 06時03分28秒 | コンピュータ
来年は、某同窓会が開催される予定で、例によって名簿の仕事を引き受けています。たしか、まだ30代のうちに、一冬かかって同窓生の名簿をコンピュータ入力したのでした。当時はまだ MS-DOS マシンで、アシストカルクあたりで入力したような気がします。以後、何度か訂正を行い、CSV 形式で Approach などのデータベースに移して名簿データベースとし、宛名の出力や名札、部屋割りなどに便利に使いました。今回も、10年前のデータを昔の MO から探しだし、OpenOffice.org の Calc に移して、Linux 上で作業を行っています。ファイル名を 2011同窓生名簿.xls などとしていますので、いつの時点のデータかはすぐわかります。

まずは、開催予告をハガキで通知するところから。先年(*)新調したレーザープリンタが活躍します。文面さえ決まれば、宛名も直接ハガキに差し込み印刷してしまいます。これなら楽ちんです。言い換えれば、このデータのおかげで、同窓会の仕事から逃れられないことになるのですが、まあ、これも地元在住のコンピュータ・フリークの責務でしょうから(^o^)/

(*):モノクロ・レーザープリンタの使用感~「電網郊外散歩道」2010年9月
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扶養家族?

2011年12月03日 06時03分22秒 | アホ猫やんちゃ猫
我が家の家族の一員であるアホ猫(娘)は、寒くなると私の膝に登ってきます。膝の上で丸くなり、ゴロゴロ喉を鳴らして寝てしまいます。こうなると、ちょっと追い出すわけにはいきません。可愛さが勝つか、邪魔になるほうが勝つか、根比べです。クルミの脳みそのわりに、こういうポイントはちゃんとつかんでいるようです。

そういえば、こいつも私の扶養家族になるわけですね。やれやれ、せっせと働かなければいけません(^o^;)>poripori

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ベートーヴェン「ピアノソナタ第21番《ワルトシュタイン》」を聴く

2011年12月02日 06時05分11秒 | -独奏曲
通勤の音楽は、このところ、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」を聴いています。この曲は、メランコリーなど吹っ飛ばすほどの勢いと力のある音楽で、いかにも「ベートーヴェン!」という感じの作品で、わりに好んで聴いています。若い頃には、アルフレート・ブレンデルの最初のヴォックス録音から、というよりは例のコロムビアの廉価盤、ダイヤモンド1000シリーズ中の一枚(MS-1053-VX)で聴き、近年は DENON のクレスト1000シリーズから、ブルーノ・レオナルド・ゲルバーのCD(COCO-70751)で聴いています。

この曲は、1804年に作曲され、同年の交響曲第3番「英雄」とともに、豊かな創造の時期の代表的作品の一つだそうです。ダイム伯爵未亡人(ヨゼフィーネ・ブルンズウィック)との恋の時期でもあり、創作の自覚によって昂揚し、意気軒昂であった時期の作品ということにななるのだそうな。ベートーヴェンの曲では、ハ長調という調性は祝典的な傾向があるということですが、本作品もたしかにエネルギッシュで意気高い作品と言ってよいのかも。それまで使っていたワルター製のピアノに不満を持っていたベートーヴェンは、パリのエラール社から新しいピアノを贈られ、これがたいそう気に入って作曲をしたのだそうです。完成した曲はワルトシュタイン伯爵に献呈されたためにこの副題が付いたのだそうですが、ところで「ワルトシュタイン」って、誰?

ベートーヴェンを取り巻く人々に関するこの種の疑問に対しては、青木やよひ著『ベートーヴェンの生涯』が役立ちます。これによれば、ボヘミア出身の由緒ある貴族ワルトシュタイン伯爵家のフェルディナントは、1788年にボンを訪れ、おそらくブロイニング家でベートーヴェンと知り合ったとされています。

もともとモーツァルトの崇拝者で自分もピアノ演奏や作曲を手がける音楽通だったこの若い伯爵は、たちまちルードヴィヒの才能に惚れ込み、親しい友となると共に熱心な支援者となった。お互いの住居を行き来して合奏を楽しむこともあれば、ルートヴィヒに新しいピアノを贈って喜ばせたのも彼であった。一方、ヴァルトシュタインが選帝侯の劇場で古代ゲルマン風のバレエを上演した折には、ルートヴィヒがそれに音楽をつけている。(p.53)

またワルトシュタイン伯は読書クラブなどボンの文化活動に積極的に参加し、後に会長となるほどの中心的メンバーであったそうで、オーストリア皇帝ヨーゼフII世が没したときに、追悼集会を企画し、その音楽をベートーヴェンに委嘱したとのことです。青木やよひさんは、続けてこう書きます。

二十歳を目前にしたルートヴィヒにとって、これは大役だった。読書クラブには、人類愛と革新の気風を備えた錚々たる芸術家や知識人がいて、彼を見守っていた。その期待に応えるはじめてのチャンスだったからだ。しかも彼としてもその作品には、単に皇帝の死を悼むというだけでなく、身をもって変革を実践した一人の「英雄」を悼むという意味をこめたいと、心に期していた。(p.54)

こうして生まれたのが、ベートーヴェン初の管弦楽付き声楽作品『皇帝ヨーゼフII世葬送カンタータ』であり、後にハイドンがこれを高く評価し、世に出るきっかけとなった、ということです。いわば、若い頃のヒーローで大恩人だった人、ということでしょう。

第1楽章:アレグロ・コン・ブリオ、ハ長調、4/4拍子。独特のハ長調の主和音の低い連打と高音の対比で始まり、次第に明るさを増していきます。ブレンデル盤の解説(栗山和さん)によれば、フランスではこの曲を「あけぼの L'aurore」と呼んでいるのだとか。なるほど、雰囲気は理解できます。第2主題は、連打の第1主題とはずいぶん違い、穏やかなものです。展開部は、転調によって雰囲気を変えながら高まりを見せ、華やかです。
第2楽章:導入、アダージョ・モルト、ヘ長調、6/8拍子。瞑想的な始まりです。静かで、しかも深い。アタッカで次の楽章に移ります。次の楽章の予告編と言うにはあまりにも見事な、実に魅力的な音楽です。
第3楽章:ロンド、アレグレット・モデラート、ヘ長調、2/4拍子。第2楽章から切れ目なく続く、華麗で長大なロンドです。最後の、疾駆する prestissimo は、pp から ff まで、新しいピアノを使って、力いっぱいに表現しているようです。

ゲルバー盤は、1989年12月4~5日、オランダ、ライデンのスタッツヘホールザールでのデジタル録音、制作は馬場敬、録音はピーター・ヴィルモースとなっています。録音は鮮明で、DENON らしい、ホールの響きを生かしたものです。
ブレンデル盤は、収録の日付や場所など、データの記載がありませんが、たしか1960年代初頭ではなかったかと思います。録音はステレオですが、時代の制約でしょうか、鮮明とはいえないけれど聴くのに支障はない、といったところでしょうか。

■ゲルバー(Pf)盤
I=10'51" II=3'59" III=10'06" total=24'56"
■ブレンデル(Pf)盤 - VOX原盤
I=11'03" II+III=13'24" total=24'27"

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