毎年のことですが、サクランボのシーズン前は、これから始まる農作業を思ってなんとなく気が重く、いっそやめてしまった方がスッキリするのかも、などと妻と話しています。ところが、収穫も終わる頃、あちらこちらから、お届けした収穫物への感謝の言葉が届くと、単純に嬉しくなり、来年はここをこう工夫してもっとうまくやろう、みたいな話になります。翌年の農作業への意欲が最も高まるのが今年の収穫が終わる頃だ、というところが皮肉なものです。
その分、お礼肥えといって、収穫後の施肥やその準備としての草刈り、夏剪定などに向かえばよいのですが、暑さに負けていやになってしまいます。農協に注文していたお礼肥え用の肥料が届きました。さて、いつ作業をしたら良いのか、東北地方は梅雨の真っ最中、雨降りの合間を探すしかありません。今度の週末、連休のお天気が気になります。
その分、お礼肥えといって、収穫後の施肥やその準備としての草刈り、夏剪定などに向かえばよいのですが、暑さに負けていやになってしまいます。農協に注文していたお礼肥え用の肥料が届きました。さて、いつ作業をしたら良いのか、東北地方は梅雨の真っ最中、雨降りの合間を探すしかありません。今度の週末、連休のお天気が気になります。
考えてみれば、そうでなければシステムが何十年も何百年も続くはずがありませんね。もちろん世の中の進歩(といえない部分もあるだろうけども)にそぐわないこともあるかもしれませんが。
都会の自由気まま、というのは実は無責任に過ぎないのかも。知らないところで知らない作業に従事して働く人たちの見えない努力や労力を知ろうともしていないだけかも知れません。
今年は畑仕事はおあずけ。奥様にお任せ。
今月末には手術後3ヶ月の診察があるので、結果次第では少しは野良仕事ができないかなー、と淡い期待を抱いております。
当方も、その年代に突入し、実感が湧くものの、関東暮らしで、便利さに傾いています。
しかし、潜在的には、土いじりを楽しみたいのではないかと、自問しています。
つまり、農業というほど大規模でなくても、農作物を育てて収穫するという楽しみに、憧れているのだと思います。
父の代からお手伝いをお願いしている雇人の皆さんのおかげで、なんとかやれています。人件費等の経費面は大変ですが、経営はなんとか維持できていますので、亡父も「おやおや」などと言いながら喜んでいるのではないかと思います(^o^)/