先日の朝、老父が腰が痛いという。一昨日から激しく痛むらしい。どうも、近所の畑仕事の仲間だった、同年代のバアちゃんが脳溢血で急死したのもショックだったようで、ちょっと元気がない。直腸ガンの転移・再発を考えたようだ。だが、それにしては便秘もないし、一昨日まではたいへん元気だったわけで、ちょいと違うような気はする。
とりあえず、直腸ガンの手術をした病院に電話をすると、休日急患受付に来るように、とのこと。すぐ車に乗せていったところ、幸いに外科の先生が当直だった。触診で痛みの部位を調べ、CTを撮る。大腸ガンの転移再発ではなく、坐骨神経痛ではないか、とのこと。整形外科の診察予約の手続きを取る。夜、痛みのためにほとんど眠れなかったらしく、点滴の間熟睡した模様。お医者さんの話に安心したようで、ずいぶん元気になった。現金なものだ。
そんな間に、看護婦さんが倒れたとのことで、ストレッチャーで運ばれてきた。さらに、交通事故の患者も運び込まれた。当直のお医者さんも、次々に新しい患者がやってくるし、対応する看護婦さんも大変だ。命を預かる商売なのに、素人目にも、あまりにもギリギリの生活のような気がする。休日にもかかわらず、病院は戦場のようだ。日本の医療制度は、アメリカのような「金の切れ目が命の切れ目」といったドライで殺伐としたものにはなっていない。その点では公平・平等で優れた面も多い。だが、当直などの条件を緩和する方策を取らなければ、そのうち外科や産婦人科の医者や看護婦さんは、なり手がいなくなってしまうのではないか。
写真は、裏の畑の片隅でまだまだ元気に咲いているマンジュシャゲ。今日は、近所のバアちゃんの葬儀に出席の予定。
とりあえず、直腸ガンの手術をした病院に電話をすると、休日急患受付に来るように、とのこと。すぐ車に乗せていったところ、幸いに外科の先生が当直だった。触診で痛みの部位を調べ、CTを撮る。大腸ガンの転移再発ではなく、坐骨神経痛ではないか、とのこと。整形外科の診察予約の手続きを取る。夜、痛みのためにほとんど眠れなかったらしく、点滴の間熟睡した模様。お医者さんの話に安心したようで、ずいぶん元気になった。現金なものだ。
そんな間に、看護婦さんが倒れたとのことで、ストレッチャーで運ばれてきた。さらに、交通事故の患者も運び込まれた。当直のお医者さんも、次々に新しい患者がやってくるし、対応する看護婦さんも大変だ。命を預かる商売なのに、素人目にも、あまりにもギリギリの生活のような気がする。休日にもかかわらず、病院は戦場のようだ。日本の医療制度は、アメリカのような「金の切れ目が命の切れ目」といったドライで殺伐としたものにはなっていない。その点では公平・平等で優れた面も多い。だが、当直などの条件を緩和する方策を取らなければ、そのうち外科や産婦人科の医者や看護婦さんは、なり手がいなくなってしまうのではないか。
写真は、裏の畑の片隅でまだまだ元気に咲いているマンジュシャゲ。今日は、近所のバアちゃんの葬儀に出席の予定。
それほど、失業率が高いんです。問題は、日本語の話せる医者、看護婦、産婆がいないという点。
なかなか、世の中、うまくいきません。(不思議の国のアリスの世界のように。)
お父様、お大事に。
政府も役人も「東京」のことしか考えていませんからね。地方の医師や病院や自治体から悲鳴が上がってようやく「地方の医師」が不足しているとわかったような対応です。特に、救急はどこでも(離島でも僻地でも)同じように必要なのに、「集約化」と「経営効率」のために、田舎は切り捨てられる傾向にあります。特定の診療科の医師が減少すると、残る同じ科の医師の負担が増え、結局誰もいなくなるという図式が各地で見られます。
かく言う私も、救急医療に関わっていたのですが、医師のやる気を殺ぐようないろいろな事(時間外労働報酬のカット、当直業務の負担、事務的労働の増加など)もあり「立ち去り型サボタージュ」の典型例のような事をしています。。。
この問題は、答えはちょっとすぐには考えつきませんね・・・。
もっとも、私は今のところ全く検診で何も引っかからない、職場の三健人の一人なのですが(^o^)/
戦前は、父親が大病で入院、手術となると娘は身売りするとか田畑を手放すという話まで実際にあったと聞き及びます。戦後の混乱から回復期に制定された「まま」の現行の医療保険制度は世界に誇るべきものではあるのですが、逆に国民は世界標準から観たその特異性と有り難みを忘れて「医療費が高い」「個人負担があがった」と言います。確かに、医療は無料のサービスであるのが理想ですが、脳動脈瘤のクリップをかけるために使用する手術顕微鏡が3000~4000万円、MRIが一台2億円とかするのに、手術料は72万円。入院2割負担の場合、手術そのものに払うお金は「わずか」14万円です。しかも「高額医療費還付制度」によってかなりの額が返還されます。これが米国に行けば、手術だけで800万とか1200万円という値段になります。だから日本で行われていない(技術的には出来ない訳ではない)小児の肝移植や心移植のために、親は4000万円とかいう莫大な金額を集めて渡米するのです。(本人が個人で負担するなら)「盲腸で100万円」なんて「当たり前」というのが欧米の医療の現状であり、これを理解していない日本国民の愚はやはり指摘せざるを得ないでしょう。
米国では加入している保険のランクで、診療を受けられる病院や医師のランクまで保険会社に指定されてしまいます。しかし、医師の裁量権があるので、富や名声をかけて自分が手がけたい高度な手術の必要な患者の場合、ランク外の保険でも医師が必要と認めたなら診察、治療を受ける事ができると聞いたことがあります。
でも、手術前のMRI検査の回数や必要性まで保険会社の言いなりにならなければならない、米国の医療制度はやはりねじ曲がっています。高度な医療には高額なお金が必要だと言う事が理解されていない日本の医療制度もどこかねじ曲がっています。
「姥捨山」ではありませんが、労働能力の低下した高齢者の脳卒中など治療しないで「切り捨てて」しまえば、政府が要求するような「経済性をも追求する保険医療の未来」からは改善が期待されますが、人の世には愛とか憐憫とか恩とかものがあります。この事は(器械ではなく)「人間を治療する医療」の世界における捻れとか不完全さの理解を助けてくれるのではないかと思います。
大学に残った同級生は、もう教授や学部長になっていたり学会賞を受賞していたりして、ちょいと羨ましい気もしますが、「君の選択は、人間として正しい」と励ましてくれた恩師の言葉を、ありがたく思い出す日々です。
我が国の医療保険制度、色々と問題も多いのだと思いますが、現実的で適切な改革を望みたいものですね(^_^)/