電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

老母、新年の日記帳を準備する

2020年12月16日 06時01分49秒 | 季節と行事
老母、満93歳になり、94年目に入りました。今の時期、来年は書けるだろうかと言いながら、息子を新年の日記帳を買いに走らせます。息子は、新年に希望を持つことの大切さを今更のように自覚します(^o^)/



老母お気に入りの定番は、高橋書店の「横線当用新日記」です。ずっとこのタイプを愛用していて、もう何十年にもなるようです。以前、経カテーテル大動脈弁置換術を受ける前はもうダメかと思いましたが、その後は順調で、自分のことはなんとか自分でできますし、算数の足し算はできるけれど引き算ができなくなったと嘆きはするものの、日記帳を継続しているからでしょうか、いまのところ大きなボケ症状もありません。確かに、日々の出来事を思い出しながら手書きで文章を綴る習慣は、良い頭の体操になっているのでしょう。

それにしてもこの日記帳、よく見るとなんとなくモダンな印象です。亡父は大正生まれだけれど自分は昭和生まれだからと自慢している(*1)だけのことはあります。実は昭和のモダンガールだったのかも(^o^)/

(*1):老母、新しい日記帳を購入する〜「電網郊外散歩道」2018年12月


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2 コメント

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Unknown (信天翁)
2020-12-16 07:26:16
私の両親はともに昭和3年生まれ辰年で健在です。
母はホームに入っていますが父親は身の回りの事は全て自分で出来ています。車の運転までしていましたが流石にこの12月いっぱいで返納する予定です。
息子の勤務する病院へたまに通院しているようですが血液検査などの数値は私のほうが悪いそうです。
このままでは私のほうが先かなと心配しております。
因みにわたしの母親は若い頃はかなり活発な女性だったようです。w
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信天翁 さん、 (narkejp)
2020-12-16 20:00:08
コメントありがとうございます。救援に入って入市被曝し、原爆症に悩まされましたが、亡父は85歳まで生きました。亡父は大正生まれ、元気老母は昭和2年生まれで、自分のほうが新しいと自慢しており、例のセリフが登場します。
信天翁 さんのご両親と、ほぼ同世代ですね。若い頃に活発だったらしい点も、ほぼ共通(^o^)/
血液検査の数値は、ご注意ください。亡父は毎年の健康診断と原爆被爆者の健康診断と、年2回受診してガンの発生を早期に発見し、早期治療で7回の手術を経験しました。亡父のケースは、早期発見・早期治療を心がければ84歳まで生きられるという実例ですね。私も被爆2世になるわけですが、亡父よりは長生きしたいと思っています。
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