理系の石頭である当方は、日本文学史などには高校の国語から縁がなく、ましてや「奥の細道」だとか「源氏物語」を原文で読むなどという風流とは無縁の生活です。当然のごとく、ドナルド・キーン氏という日本文学の研究家(*)のことは、あまりよく存じ上げません。でも、中公文庫『音楽の出会いとよろこび』の著者としてなら記憶にあります。
本書は、82歳になった著者が、これまで訪れ滞在した世界の街を振り返る文章や、各地で行った講演の原稿、多くの友人の逝去を悼む文章などを収録するとともに、例によってメトロポリタン歌劇場でのオペラの話を、実に楽しそうに、懐かしく語っています。八十翁の懐旧談だけではなくて、ジョージ・セルのもとで副指揮者をつとめ、メトの音楽監督となったジェームズ・レヴァインの功績についても、「ヴォツェック」や「ルル」などの新しい演目を積極的に加え、かつそれが成功している点などを評価しています。
地元意識の観点で言えば、第18回国民文化祭2003(山形)で講演した際の原稿「東北に対する私の偏見」が興味深かった。「山寺から鳴子を通って象潟に向かいました。汽車の窓から月山の姿が見えました」(p.149)とありますが、山寺から宮城県に戻り、鳴子へ向かったのなら、奥羽山脈に遮られて月山は見えません。月山が見えるのなら、奥羽線経由のはず。これは鳴子ではなく新庄の誤りでしょう。
(*):Wikipedia「ドナルド・キーン」の項
本書は、82歳になった著者が、これまで訪れ滞在した世界の街を振り返る文章や、各地で行った講演の原稿、多くの友人の逝去を悼む文章などを収録するとともに、例によってメトロポリタン歌劇場でのオペラの話を、実に楽しそうに、懐かしく語っています。八十翁の懐旧談だけではなくて、ジョージ・セルのもとで副指揮者をつとめ、メトの音楽監督となったジェームズ・レヴァインの功績についても、「ヴォツェック」や「ルル」などの新しい演目を積極的に加え、かつそれが成功している点などを評価しています。
地元意識の観点で言えば、第18回国民文化祭2003(山形)で講演した際の原稿「東北に対する私の偏見」が興味深かった。「山寺から鳴子を通って象潟に向かいました。汽車の窓から月山の姿が見えました」(p.149)とありますが、山寺から宮城県に戻り、鳴子へ向かったのなら、奥羽山脈に遮られて月山は見えません。月山が見えるのなら、奥羽線経由のはず。これは鳴子ではなく新庄の誤りでしょう。
(*):Wikipedia「ドナルド・キーン」の項
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