電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」をグルダのピアノで聴く

2020年02月19日 06時04分25秒 | -協奏曲
パブリック・ドメインの恩恵で、かつて懐具合のモンダイで入手できなかった録音を自由にダウンロードして聴くことができるようになり、様々な曲や演奏を楽しんでおりますが、先日のモーツァルト「ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467」は、たいへん興味深く聴きました。演奏は、フリードリヒ・グルダのピアノ、ハンス・スワロフスキー指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団で、1965年6月に録音されたものだそうです(*1)。

この録音は、コンサートホール・ソサエティという通信販売のレコードクラブを通じてLPレコードが販売されており、『音楽通信』という小冊子を通じてその存在を承知してはいたものの、購入までにはいたらなかったものでした。著作隣接権の保護期間が満了し、無償で公開された録音を聴いて、驚きました。独奏ピアノを奏するグルダ氏、興のおもむくままに自由に即興演奏を入れているようなのです。ふつうはピアノが沈黙している場面でも、さりげなくオーケストラに合いの手を入れたりして、いかにも「うふふん♥」と言いたげな上機嫌さです。たいへん面白く聴きました。これは「あり」だと思います。

たとえば、YouTube に第1楽章がアップロードされていましたが、グルダの天衣無縫さが顕著です。
Piano Concerto No. 21 in C Major, K. 467 "Elvira Madigan": I. Allegro maestoso


ところが実際には、こうしたグルダのやり方が、60年代後半の当時の音楽界には必ずしも受け入れられなかったらしい。演奏家として真剣に考え工夫した上での結論が受け入れられないことへの不満が、自発性・即興性を重視するジャズへと向かわせたのではなかろうか。そう考えると、いささか奇矯なところもある、「クラシック音楽とともにジャズも演奏するピアニスト」という彼の当時のあり方が理解できるように思います。

FRIEDRICH GULDA - GULDA JAZZ (Full Album)


しかし、幸か不幸か、グルダのジャズもまた主流にはなりえず、本人も満足できるものではなかったらしく、結局はクラシックの世界に「復帰」します。どちらが先かはわかりませんが、ちょうど従来の古典音楽の演奏に「飽きてしまっていた」(*2)奏者たちが、古楽ムーヴメントを起こしていた時期に重なりあう部分があるのでは。

古楽ムーブメントを担ったブリュッヘン、レオンハルト、クイケン兄弟などが重視していた「速いテンポ、活力ある演奏スタイル、即興性・自発性の重視」などの特徴は、従来の大家たちの「重厚長大・荘厳荘重・微速前進」といったスタイルとは一線を画したものになっており、大きく捉えれば、グルダもまたある種共通のシンパシーを感じていたのかもしれない、と思ってしまいます。

最後に、作曲家としてのグルダの作品を。同じく YouTube から。
Friedrich Gulda plays Gulda: Aria (Solo Version) - 1990

※あら、だめみたい。「YouTube で見る」だと OK のようです。

(*1):モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467」〜「Blue Sky Label〜クラシック音楽へのおさそい」より
(*2):那須田務『音楽ってすばらしい〜古楽演奏による音楽の魅力の発見」を読む〜「電網郊外散歩道」2011年9月4日


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