電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

磯田道史『無私の日本人』を読む

2015年07月15日 06時04分12秒 | 読書
文春文庫の2015年6月新刊で、磯田道史著『無私の日本人』を読みました。元はと言えば、文春のウェブサイト「本の話」に載っていた案内(*1)がきっかけで読んでみたものです。

本書は、1話1人の人物をとりあげ、三話から成っています。したがって、紹介しているのは次の三人。

  1. 穀田屋十三郎
  2. 中根東里
  3. 大田垣連月

1人目の穀田屋十三郎の話は、どうやら映画になるらしい。仙台藩の貧しい宿場町・吉岡宿は、疲弊の激しい町の将来が不安視されていました。老舗の造酒屋・穀田屋の十三郎は、父の懸念が現実になりつつあることを憂えます。公が民の暮らしを守れないとき、人々はどう生きれば良いのか。貧しい者から順番に餓死の波に飲まれていく、亡びのそら恐ろしさをどうすれば良いのか。

十三郎は、菅原屋に相談します。菅原屋が長年温めていた秘策とは、まとまった金子をお上に貸して、年々、利息を取る、というものでした。実際に交渉する段になると、その過程はけっこうハラハラドキドキ、なかなか簡単ではありません。藩側の交渉相手は、萱場杢。勘定方にあって百年に一度の能吏と言われている切れ者です。この萱場の下した否決を、どのようにしてひっくり返したのか、なかなかの見せ場です。なるほど、これなら映画になるわけだ、と感心してしまいました。



第二話は、無欲で清貧を通した詩人学者の話。そして第三話は、たぐい稀な美貌で武芸にも優れるが、なんとも不運な女性の話。あらすじは省略いたしますが、ちょいと身も蓋もない感想を持ってしまいました(^o^;)>poripori

というのは、いかに乳幼児死亡率が高い時代とはいえ、蓮月さんが次々に愛児を失うのは、理由があるような気がしてなりません。おそらくは、藤堂新七郎なる若様のお胤を宿した芸妓から生まれた子を、たまたま知り合いだったという縁で常右衛門がもらい受け、育てることになるという生育歴です。つまり、本来ならば母親や祖父母などから教えられ受け継ぐことになる、その時代の実際的な衛生上の知識や習慣を、ごっそり欠落したまま育ってしまったのではないか。保健所も母子手帳もない時代に、自分も知らないのだから、赤子もうまく育てることができず、かくも次々と死なせることになってしまったのではないのか、というわけです(^o^)/

いやはや、ほんとに理系の石頭で、身も蓋もない受け取り方になってしまいましたが、「国際的に紹介すべき立派な日本人」かというと、ちょいとエキセントリックに過ぎるような気がするなあ(^o^;)>poripori

(*1):古文書の中に見つけた 世界に伝えたい日本人~「本の話」WEB・自著を語る

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