電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

高橋克彦『ジャーニー・ボーイ』を読む

2014年12月04日 06時03分00秒 | 読書
山形県に住んでいると、折々に「日本のアルカディア」という大げさなお国自慢にぶつかることがあります。最初にこの言葉を聞いたときは「お山の大将にもほどがある!」と思ったものでした。ところがこの比喩は、明治の女性旅行家イザベラ・バードが山形県を通過するときに、現在の川西町を中心とする置賜盆地の美しさを評して発したものだといういわれを知り、意外の感を持ちました。イザベラ・バードって、誰? 何のために東北を旅行したの? という漠然とした疑問を持ちましたが、『日本奥地紀行』というバードの著書を手にすることもなく、彼女への興味関心もいつしか薄れてきておりました。

そんな時に出会ったのが、2013年に朝日新聞出版から刊行された本書です。高橋克彦著『ジャーニー・ボーイ』は、まさにこのイザベラ・バードが日本奥地紀行に出発するにあたり、通訳兼護衛として雇った日本人従者を主人公にした物語です。



主人公の伊藤鶴吉は、「ピストル・ボーイ」というあだ名のとおり、英語が達者なだけではなく、度胸があり、喧嘩も強い青年です。外務省と英国公使館の依頼で、英国からの賓客イザベラ・バード女史の日本国内旅行の従者として働くことになりますが、この旅行には、どうやら旧会津藩がらみの不平士族の妨害があるようなのです。

明治政府は、西南戦争を鎮圧した大久保利通を暗殺されたばかりで、国内にはまだ内戦の余燼がくすぶっています。それなのに、バード女史はノミや泥水を毛嫌いしながらも、貧しい庶民の日常に目を向け、人々の生活を文章と絵で紹介していきます。さて、バードの旅はぶじに進むことができるのでしょうか?



実際のイザベラ・バードの旅(*1)は、東京から日光に行き、東照宮を見学した後は鬼怒川沿いに山を越えて福島へ抜け、会津坂下を経て舟で津川を下り、新潟に向かいます。本書の舞台は、まさにこの行程で、新潟から先の、山形県内を北上し、秋田県から青森県、津軽海峡を渡って北海道南部を巡り、船で横浜に戻る旅を全部描いているわけではありません。戊辰戦争の激戦地である会津若松や、上杉藩の中心地である米沢は通らず、わきをかすめていく理由を、新潟に住んでいる英国人夫婦のもとを訪ねるためとしており、薩長に味方した英国公使館の政治的な配慮として描いてはおりません。このあたりは、建前は別として実際はどうだったのか、作家の想像力でもう少し掘り下げてほしかった気はしますが、まあ、ないものねだりをしても仕方がないでしょう(^o^)/

高橋克彦さんの本は、以前、『火怨~北の耀星アテルイ』上下巻を読んでおり、記事にしております(*2,3)。今回の『ジャーニー・ボーイ』も、なかなか面白い本でした。

(*1):イザベラ・バード:日本奥地紀行マップ~縮尺を調整して拡大して見ると、今回の舞台となった行程がよくわかります。
(*2):高橋克彦『火怨~北の耀星アテルイ(上)』を読む~「電網郊外散歩道」2008年4月
(*3):高橋克彦『火怨~北の耀星アテルイ(下)』を読む~「電網郊外散歩道」2008年4月

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