電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

映画「心の旅路」を見る

2006年01月09日 21時36分11秒 | 映画TVドラマ
午後から買い物に行き、500円カゴでマーヴィン・ルロイ監督作品「心の旅路」のDVDを見つけ、思わず懐かしくなり購入してきた。だいぶカットされ無残な姿になっているものの、テレビで放映された番組を見て以来、実に25年ぶりの映画である。

フランスのアラスの塹壕で、戦争のため負傷しドイツ軍の捕虜となったが、スイス経由で英国に帰還したスミス大尉は、記憶喪失と言語障碍をかかえ、メルベリーの精神病院に収容されている。霧の深い夜、戦争が終わった喜びと混乱の中、病院から逃げ出したスミスは、インフルエンザに倒れるが踊り子ポーラに助けられ、やがて互いに愛し合うようになり、田舎の村で結婚し幸福な家庭を持つ。長男の出産の喜びの中に一通の電報が届き、新聞社からの終身契約の申し出に応じようと、スミスは単身リバプールに赴く。しかし、そこで起こった交通事故により、失われた記憶が甦り、ポーラとの三年間の生活の記憶を失ってしまう。
彼の本当の名前は、チャールズ・レイニア。有力な実業家の息子だった。父の邸宅に戻り、三年間の音信不通をいぶかる兄弟たちの家族を前に、亡くなった父の遺言により邸宅を相続し、大学に戻る。血のつながらない姪であるキティは、そんな叔父に一方的にあこがれる。父の事業を受け継いだ長男は、家族の資産を預かっていたが、無駄な放漫経営のため倒産の危機に陥る。家族の勝手な期待を担い大学から呼び戻されたチャールズは、全力で会社再建にあたるが、その陰には一度結婚し息子を失った経験を持つ、美しく有能な秘書がいた。大学を卒業し、美しく魅力的な娘に成長したキティはチャールズと婚約するが、結婚式の讃美歌を選ぶオルガンの音に放心したようなチャールズを見て、彼の心の中に自分はいないと悟り、婚約を解消する。
やがて、有力な実業家として政界入りを果たしたチャールズは、レイニア夫人となった元秘書が、かつて心から愛した妻ポーラだとは気がつかない。彼女は、コヴェントガーデン(かな?)歌劇場でボックス席を占有しチャイコフスキーを楽しむ地位にのぼり、周囲から羨まれる。だが、仮面の夫婦生活に疲れ、旅行に出ようとかつて共に生活した村に立ち寄った時、メルベリーの電線工場のストライキを解決したレイニア卿が、記憶の断片をたどり、あの桜の木のある小さな家の前にたたずんでいた。十数年の時を越えて記憶がよみがえり、二人の愛が再び目覚める。

出演は、ロナルド・コールマン、グリア・ガースン、フィリップ・ドーン、スーザン・ピータースなど。完全版にはほど遠い120分。しかし、音楽は記憶の深いところを揺り動かす力があるのですね、讃美歌のエピソードは説得力がある。
ヒルトンの原作も、角川文庫で購入して読んだはずだが、度重なる引越しで見えなくなり、探しても出てこないようだ。この映画の無残なカットを埋めるには、原作を探し出すほかにはないかもしれない。
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ルイス・ガースナー『巨象も踊る』を読む

2006年01月09日 12時07分03秒 | -ノンフィクション
IBMの印象を「巨象」にたとえるのは、とてもわかりやすい。1970年代末に高校の同級生が日本IBMに入社したとき、周囲がうらやんだものだ。同時期に入社した大学の同級生も、女性が活躍できる場として同社を選んだと話していた。ThinkPad220に描かれたIBMのロゴは、なんだか開発者の誇りを感じさせる。
にもかかわらず、これまでのビッグ・ブルーの印象は冴えなかった。大型コンピュータにいつまでもしがみつき、高い金を取るだけの化石のような巨大企業とか、パソコンを計画しながらOSも中央演算装置も他社にまかせ、覇権を譲り渡した先見性のない企業とか、そんなような見方だ。パソコンのユーザーで、クライアント・サーバー型の分散処理を理想として、DOS/Windowsのマイクロソフト社が業界を牛耳り、OS/2にこだわったIBM社の復権はありえないと思った人は多いのではないか。
しかし、LinuxMagazineや日経LinuxなどのLinux雑誌に、IBMが継続的な広告を掲載するようになったころ、それまでとは違う空気を感じた。また、Linuxを標的にIBMを訴えた某企業に対する態度や、オープンソースに対する取り組みの点でも、巨象の視線が違っていたように思う。うかつな話だが、本書を通読し、いまさらのように同社が行った変革を理解した。私は経営者ではないので、経営の参考としての意味はない。だが、自社の最大の強みである大型コンピュータの価値を評価し、分社化ではなく本業回帰、基幹ネットワークやミドルウェア等を重視した統合ソリューション路線に転換した点は、当時の空気を考えるとまさに卓越した視点だったと思う。
私の恩師が、面白いことを言っていた。「あの人は切れる」という言い方があるが、切れ味にはメスの切れ味とナタの切れ味とがある、というのだ。訳本のカバーに見る著者の風貌は、まるで闘志をむき出しにするラグビーの鬼監督のようだ。創業者が顧客に合わせるよう制定したはずのドレス・コード(服装規定)が一人歩きし、顧客が違う服装をするようになっても、服装規定だけが遵守される。そんな企業文化を変革する辣腕経営者とはこういう人なのかもしれず、メスのような鋭い切れ味だけではだめで、ナタの切れ味とブルドーザーのようなタフな実行力を必要とするのだろう。
もっとも、あまりタフでない私などが現場に居合わせたら、さしずめ早々に追い出される役回りかもしれないけれど(^_^;)>poripori
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