もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

がんばっぺ やまもと・・・その1

2011年09月14日 | 工作教室

3_3

 震災の直後、小学校の1年生になったばかりの孫はボーイスカウトの一員として駅前での募金活動のお手伝いをし、息子は、業務ではあるが被災地での数百台の壊れてしまったコピー機の修理が現地スタッフの手では直しきれず、全国の支店から応援スタッフとして10日ほど<msnctyst w:st="on" addresslist="03:岩手県盛岡市;" address="盛岡市">

盛岡市

</msnctyst>へコピー機のメンテナンスに行ってきた。

 私にも何か役立つことが出来ないものかと思っていたが、高齢の私には役立てることも見つからないまま半年近くが過ぎたある日、横浜にある青少年育成団体を運営しているキッズファクトリーの塚田さんから電話があった。

 塚田さんは若い人たちを連れて震災後に何度も宮城県を訪れ、瓦礫の運び出しなどの支援をしてきて現地で知り合ったボランティアから9月11日、<msnctyst w:st="on" addresslist="04:宮城県亘理郡山元町;" address="宮城県亘理郡山元町">

宮城県亘理郡山元町

</msnctyst>の中学校で行われる「がんばっぺやまもと 子どもと大人と遊び隊」というイベントに参加要請を受け、私の持ちネタである「ガチャポンバード」で山元の子どもたちに楽しんでもらいたいがボランティア一緒に行ってくれませんか・・・という話だった。

イベント前日の10日に現地入り。

 材料、道具などを積んだ車で現地入りのキッズファクトリーの一行5人と新幹線<stationname w:st="on" stationname="の白石蔵王">

の白石蔵王駅

</stationname>で待ち合わせ、まずは会場となる中学校の下見と同町付近の津波の被害地を見て来た。

 震災直後にテレビの画面で見たがれきはおおよそ片付けられて方々に高く詰まれていて、一見広い草原のようにも見えるが、近くによって見ると雑草の中には住宅の基礎部分が残っていて、ここは畑地や草原ではなく、あの日までは100戸くらいあった町だと聞いて心が傷む。

Photo_9 

●コンクリートの基礎だけが残った駅前の商店跡

Photo_10 Photo_11

     遠くから見えていたステージ状のコンクリートは常磐西線<stationname w:st="on" stationname="の坂本">

の坂本駅

</stationname>のプラットホームで、屋根も柱も流され、線路も小石や砂で埋まっている。

     乗車口のプレートでここがプラットホームであったことをうかがうことが出来る。

Photo_12

     砂に埋もれた線路上に取り残されたように電気機関車が一両。

牽引していたコンテナ車両はすべて津波で流されてしまったが、機関車だけはその重量ゆえに線路上にとどまったようだ。

ここまでが長くなってしまったので、本題の「がんばっぺ やまもと」での工作教室の話は次回(数日後)までお待ちください。