60歳でめでたく定年を迎えた後、私たちはその後20年も生き続けることになるのだが、その20年のリタイア後の生き方はどうしたらいいのか?
ある企業で長年社員教育に携わって70歳近くまで働いていた野良友のSさんは、定年間近の社員教育として定年後のあり方の話をしてくれた。
「結論を先に言うと、それはキョウヨウ、とキョウイクが有るか、無いかと言うことなんです」 そういう話をすると、イヤな言い方だと思う人もいるようだが・・・とSさんの話は続く。
「教養と教育」ではなくて、リタイア後の長い日々「今日用があるか」「今日行くところがあるか」という話なのだ。
そして、それは定年後に考えるのではなく、在職中に考えておかねばならないことだと言う。
そういえば、現在私の住む町でも、家の前に置いた椅子に腰をかけて、朝から何時間も道行く人を眺めているオジサンがいる。
毎日台所の窓から顔を出して所在なさげにプカーとタバコの煙ををくゆらせながら、これまた道行く人や車を観察しているまだまだ元気そうなオジサンを見かける。
これを20数年も続けなければならないとしたら、さぞかしツライ生き方だろうとナと思ってしまう。
若いころには夢も希望も、やりたいこともいっぱいあったが、企業というところは、そんな個人の願望など全く関係なくチーム作業で効率を上げる社会で、ある意味ではパーシャル共産主義とも言える構造になっているような社会で何10年も生活をしているうちに、豊かだった人間性はいつの間にかスポイルされてしまい、定年待っていました・・・と、若いころからの願望を枯らすことなく持ちこたえて、再びイキイキとした人生を取り戻せる人は少ないようだ。
そんな中で、私が東京暮らしのころの友人で、人もうらやむ公務員で将来の不安もまったくない男なのだが、どういうわけか子どものころからの料理好きという病気?を持っていて、晩年には年末になると近所のお節料理も引き受けるといういうほどの重症になっていた。
その友はあろうことか、定年までの2年残して退職し、世田谷にある自宅を立て直して魚料理のお店を開店してしまった。
お店は繁盛して、リタイア後の彼は在職中より充実した日々を送っていた。
しかし、そのお店の開店後わずか2年で不幸なことに彼は病に倒れ帰らぬ人となってしまった。
やっと希望がかなって、宮仕えから足を洗い、マイペースの日常を手に入れられたのに・・・と思う反面、もし彼が定年まで勤務をしていたら、夢を果たせないままにこの世を去らねばならないことになっていたのだと思うと、短い人生ではあったが、最後はキョウイクもキョウヨウのあるいい人生を送ったのだと思う。
そんなことを考えながら、私自身の「キョウイクとキョウヨウ」を振り返ってみると、仕事+アルバイト+ボランティアが重複していて、この夏は収拾がつかない状態になっていた。
*八王子子ども科学館・海老名市の小学校でのサマースクール・綾瀬市での工作教室
ようやく展覧会という峠を越えたあとも、海老名の隣の綾瀬市文化会館での工作教室、そして一昨日と昨日の二日間は地元の小学校でのカカシ作りの仕上げのボランティアがあって、やっと長かった今年の夏が終わった。
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*災害現場ではなく、15体のカカシ作り指導の現場です。
2~3日休養をした後は、雑草に占拠されてしまっている家庭菜園の手入れを済ませ、秋野菜のタネを蒔いたり、苗を植える準備をせねばならない。
*わが町の「中新田かかしまつり」は、9月3日の午後から飾りつけが始まります。
24歳で東京に出て来て以来、ずっとフリーランスで仕事をしてきた私の定年の区切り目は定かではないが、76歳の今も当分は死にそうもない元気さで、充実したというより、むしろ過剰なキョウイク、キョウヨウのある余生が送れていることに愚痴など言ってはいられない。
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