足立区の住民支援センター鹿浜いきいき館というところでおとなの人を対象にした工作教室をしてきた。
予定では今日はその記事をブログで書こうと思っていたが、何としたことか その教室の写真を撮ってくるのをすっかり忘れていた。
*写真は本文とは関係のないカット写真ですが、あえて言えば、耕作➞こうさく➞工作の写真です。
カメラを忘れて行ったのではなく、2時間半もの間写真を撮ることをすっかり忘れていたのは歳のせいとしか言いようがない。
ブログだのフェースブックだのは、写真のない文章だけでは面白くない。
それでなくても最近は歳のせいか、文章が簡潔にまとめられなくなってきているから、写真でごまかさねば読んでもらえなくなってきている。
そんなわけで、鹿浜いきいき館での件は割愛して、今回は予定を変更して別の話にしよう。
私が中学生の頃に二十四の瞳という原作・坪井栄の小説が映画化(監督・木下恵介)され、学校から観に行った記憶がある。
昨夜、you tubeを検索していたらこの映画がヒットした。
次の工作教室の準備はこの懐かしい映画を観ながらすることにした。
高峰秀子主演の二十四の瞳は、大石先生と子どもたちが歌う七つの子、浜辺の歌などの童謡、唱歌が全編を通して、時には子どもたちのコーラスとして、時にはBGMとして画面の裏で随所にそしてふんだんに流れ郷愁を誘う。
30人分のはやぶさ・2を作る次の工作教室ための準備はかなり時間がかかる。
二十四の瞳の画面を見ながら、時には音声だけを聞きながらの作業だったが、私の目頭が熱くなってくる。
人の生き死にに関わる悲しいストーリーではなく、人と人の心の交わりだが、こういう心の温まる話につい涙腺の緩むのも歳のせいなのだろう。
昭和29年(1954)に観たはずのこの映画を60年後に再び観てみると、当時は気がつかなかったことがいっぱいある。
当時は私自身が子どもだったこともあって、気がつかなくても当然のことだったが、タイトルのあと、普通の映画では最初に表示されるのは主演の俳優、脇役の俳優と順に名前が現れるが、この映画では無名の12人の子役たちの名が最初に表示されていた。
そして若かった頃の田村高広、月丘夢路などが出演していたことも今回初めて気がついた。
歳をとるということは、忘れることもあるがあらためて思い起こすこともあり、さらに歳を重ねることで初めて理解できることもあり、交霊・・・ではなく高齢あなどるなかれである。
いやいや、2時間半の長編作の二十四の瞳はただ懐かしいだけではなく、映画の言わんとすることとは関係なく、いろいろと考えさせてもらったうえに、工作教室の準備もはかどった。
この次は安井昌二のビルマの竪琴のおーい水島、一緒に日本に帰ろうのセリフに酔いしれたいがyou tubeで見つかるかなぁ?