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もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

ゴールデンウイーク外伝/続・秋田編

2009年05月13日 | まち歩き
 市民市場からホテルに戻るが、まだ朝食時間には間があり、ロビーにあったパソコンに触ってみることにした。
 私が10年来使っているのはマックで、ウインドーズは初体験だった。
 ホテルの従業員に起動の仕方、YAHOO JAPANの開き方などを教わり、あとは手探りでメールサーバにログインを試みる。

 1日の早朝に家を出て来たから、今日でもう6日間もメールを開いていない。
 未開封のメールは332件あったが、このうちの328件は迷惑メールだった。
 これを一つづつ丹念に削除をし終えたところで、ホテルの食堂がオープンした。

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 再び秋田市民市場にやって来たのは午前9時。
 5時にはまだまばらだった市場の中の商店も買い物客で賑わっていた。

 さて、2階のダイソーは開店していて店内を探してみたが、ここではキリタンポの串は見当たらなかった。
 しかし、市場の隣にある雑貨店のガラス戸にこんな貼り紙を見つけ、つい用もないのに話のタネにとキリタンポの串を1本(100円)買って来てしまった。


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キリタンポの串は秋田杉製で長さは36cm、先の尖っている側を囲炉裏の灰に挿して使う。
 5日間連続の工作教室もこの歳になって初めての経験だったが、今回のように連続的にブログを書いたのもはじめてだった。
 これはこれで、緊張感があっていいものだが、やはり疲れます。
 以後は、また5日から1週間くらいの通常更新に戻ります。



ゴールデンウイーク外伝/秋田編

2009年05月12日 | まち歩き
「市民市場は10時くらいには開きますかネ?」
「いえ、5時か6時には開いてますよ」
 能代から秋田市に向かう車の中で、代理店のSさんは私の問いにそう答えた。
 エーッ そんなに早くから開いてるの?

 実は秋田はこれが初めてではなく、10年ほど前に秋田市内でのイベントにきたとき、私の家庭菜園好きを知っている主催者が、ちょうど夏野菜の苗を売っている「秋田市民市場」に連れて行ってくれたが、車で案内をされたからそれがどこだかはさっぱりわからない。

 また2002年に能代の教員組合での講演に招かれ、そのときに控え室での雑談で秋田の100円ショップではキリタンポの棒を売っているという話を聞いたが、実際に100円ショップを探す時間のないままに帰って来てしまった。

 そんな経緯があって、今回の秋田市内泊りとなって、私は早速ホテルのフロントで近くの100金を尋ねると「この先を少し行ったところに、秋田市民市場というのがありまして、その2階にダイソーがあります」というではないか。

 何と私が行きたい2ケ所が同じ場所にあったとは・・・。
 時刻はもう20時を回っていたが、そんなに近いのならと夕食をとるための外出時に市場の下見に出かけた。

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 ホテルから徒歩で5分という距離にあった「秋田市民市場」は確かに午前5時より午後6時までと書かれていた。
 市民市場というから築地のように業者相手の市場ではなく一般市民が利用する市場なのだが・・・。
 
 工作爺さんとなった今は起きるのが早く、目覚ましがなくとも早朝4時頃には疲れていても目が覚めている。
 5時早々に市場に向かう。
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 市場の建物の外では、数年前に来たときには野菜の苗と梅が売られていたが、この時期は農家の人が採って来た山菜が積まれていて、買い物客も集まっていた。
 
 市場の中の客はまだまばらだが八百屋、魚屋、乾物屋、果物屋などが店を並べて、すでに営業をしていた。
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 そしてここでは電卓ではなく、大黒そろばんが常用されていた。


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 しかし、さすがに2階のダイソーは9時開店で、一旦ホテルに戻ってチェックアウト後にまた見に来ることにした。
                        ーつづくー 




2万5千歩

2008年12月15日 | まち歩き
 一昨日(13日)には久々に「江戸歴史散歩の会」のオフ会に出席して来た。

 コースは地下鉄銀座線の京橋から日本橋の一駅の間で、直線なら1kmに満たない距離だが、この間を右は昭和通り、左は外堀通りまで行きつ戻りつ江戸時代からの老舗、旧跡を尋ね、昼食をはさんで6時間かけての散歩。

 オフ会の後、銀座で仕事の打ち合わせを予定していたが、1時間以上も空き時間があり、例によってアンテナショップを巡っての諸国物産さがしをすることにした。
 まずは日本橋界隈にある島根、山口、山梨を巡り、さらに新橋の香川と愛媛の合同ショップ「せとうち旬彩館」と今夏に出来たばかりの鳥取のアンテナショップまで脚を伸ばしてところで打ち合わせ時間がきて銀座に戻る。
 万歩計の数値は25000歩を越えた。
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 写真は上から「おいでませ山口館」「富士の国 やまなし館」「にほんばし島根館」「食のみやこ 鳥取プラザ」「せとうち旬彩館」

 家に帰ると、留守番電話に来年の展覧会のポスターに使用する写真の進行状態を確認する電話が入っていた。

 ポスター用の作品の機関車は出来ていて、撮影に使用するグラデーションペーパーも一昨日購入済みだがまだ撮影はしていない。
 翌日は筋肉痛が出る前に日曜日を返上して、写真撮影を済ませた。

 そして覚悟はしていたが、25000歩の江戸の町の散歩から二日目の今日は朝から筋肉痛で足腰が痛い!
 それにしても、歳をとると筋肉痛が日をおいて起こるのはなぜだろう?
 誰かそのメカニズムを知っている人は教えて・・・。



ついでに新橋

2008年05月17日 | まち歩き
「こちらに出て来る予定でもあれば久しぶりに軽く一杯やりませんか?」
 昔<面白半分>の編集者だったTさんから久しぶりに電話があった。

 わざわざ行く程でもないが、上京?のついででもあれば行ってみたいところがあったから、Tさんの誘いはもっけの幸いと新宿で待ち合わせることにした。
 ついでに行ってみたいところとは新橋にある香川、愛媛の二県共同のアンテナショップ<せとうち旬彩館>である。
 ここで半生タイプの讃岐うどんを買いたくて予定の時間より1時間早めに家を出た。

 先週のはじめは台風二号の接近で、北側の高気圧から寒気が関東地方に流れ込んで3月の気候に戻ってしまい、寒い夜には旨い煮込みうどんを食べたくなったという次第である。

 東京は便利な街で、あちこちに地方の物産館があっていろいろ美味しいものが手に入る。
 新橋には他にも<いわき・ら・ら>(いわき市)もあり、銀座に足をのばせば<かごしま遊楽館>、<銀座熊本館>、<いわて★銀河プラザ>、沖縄の<銀座わしたショップ>もあり、有楽町駅前の交通会館の中には<北海道どさんこプラザ>、<花まるっ秋田ふるさと館>、<いきいき富山館>、<わかやま喜集館>、<むらからまちから館>などが集まっている。
 他にも都内には<あおもり北彩館><やまがたプラザゆとり都><おいでませ山口館>などなどほぼ全国の物産、工芸品、観光情報を手に入れることが出来、私は上京?のおりにはこれらの物産館の何軒かを回って来るのが楽しみだ。
 
 そうだ!新宿にも話題の<新宿みやざき館>があり、その隣に<広島ゆめてらす>もある。
 新宿でTさんと旧交を暖めたのちに、この2館にも足を運んでみた。
W この日の旅行?の土産 



東京再発見

2007年10月29日 | まち歩き
 <亀田一家>・・・おおっと<台風一過>の間違いだった。
 <不快の極み>と<快適の代表>とを間違うなよナ!。
 ゴメン!

 日曜日の朝から雲ひとつない快晴の空の下で久々に江戸歴史散歩の会に出席して東京を歩いてきた。

 今回の散歩コースは上野の池之端にある旧岩崎邸(三菱創設者・重要文化財)から横山大観記念館、湯島天神、加賀藩の大名屋敷跡というより東大の赤門をくぐって東大の構内の散策後は樋口一葉の住居跡などを巡るコースだった。

 東京に住んでいた頃、上野にも湯島にも行ったことがあるが、上野に行く時は渋谷から地下鉄の銀座線、湯島へは小田急の代々木上原から地下鉄千代打線に乗って、あさっての方向に行くことになる。
 だから東京に出てきて40年以上も、今日のコースを歩くまで湯島と上野がすぐ隣だったことを知らなかった。

 東京に出てきてから車の運転をすることもなく運転免許証の書き替えを忘れて失効して以来、東京での移動はほとんど地下鉄利用で地上のつながりを把握していなかった。

 そう言えば日本橋と人形町がすぐ隣だったことも昨年の歴史散歩で初めて理解したのだった。

 そして、今回の散歩ではもっと意外な発見があった。
 それは東京大学のお土産の存在だった。
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 キャンパス内の生協で、東大グッズなるものがあると聞いて、会の主催者が岩崎邸などを設計したジョサイア・コンドル像の説明をしている間にこっそりと抜け出して生協をのぞいてみた。

 東大の名前入りのシャープペンシル、ボールペン、お菓子のゴーフルを3分くらいの間に大急ぎで購入して会のメンバーに追いつく。

 まだいろいろなグッズがあったようだがコンドル像の説明が終わらない内に戻らないと、キャンパス内で迷子になってしまうからゆっくりとは見ていられなかった。

 名古屋、大阪、東京の内で一番長く過ごしたのが東京だったが、仕事に追われることにマゾヒスティックな快感を感じていた毎日で東京のことは何も知らないままだった。
 東京を離れ、仕事にも追われなくなった今になって、やっと東京の再発見を楽しめるようになってきた。