江戸の町が好きで、一時は「江戸の歴史散歩の会」というオフ会の仲間に3年間ほど入れてもらっていた時期があった。
もう一つ好きなものは銭湯で、イラストレーターとして現役の頃には「番台春秋」「日本海銭湯急ぎ旅」「銭湯釜焚き修行」などなど銭湯周辺のイラストルポも何本か書かせてもらったこともあった。
そんな私におとなの工作教室受講者のNさんが「台東区銭湯マップ」を持ってきてくれた。
*マップの〇印がおとなの工作教室のある台東区の社会教育センターの位置
このマップで見ると社会教育センター周辺だけで5軒の銭湯があり、ちょっと早めに家を出れば午後6時半に始まる教室の前にひと風呂浴びて行くことが出来る。
湯冷めの心配をしてくださる方のためにちょっと申し上げれば、内風呂と違ってのぼせることなく手足を伸ばしてゆっくり湯船に浸かれる銭湯では経験上湯冷めをすることはない。
ところで、この教室に通う楽しみはもう一つある。
家から社会教育センターに通うのに地下鉄銀座線に乗るが、この路線の駅名は浅草、上野、神田、日本橋、京橋、新橋など時代劇に出てくる町の名前が多い。
また銀座線とほぼ並行して走る地下鉄日比谷線も入谷、仲御徒町、小伝馬町、人形町、八丁堀とやはり江戸の町に思いを馳せる駅名がいっぱいありその日の気分で日比谷線に乗ることもある。
*東京の地下鉄路線図
オレンジ色が銀座線で、〇印をつけた上野の先の稲荷町が社会教育センターの下車駅。
グレーの線が日比谷線。
で、地下鉄に乗ると、これまたイラストレーターとして現役の頃に資料として溜め込んでいた文庫を読むのが楽しみだ。
村上元三の江戸雑記長、三田村鳶魚の鳶魚江戸文庫、三遊亭円生の江戸散歩、杉浦日向子の大江戸美味草紙・・・・・・・・・・などを読みふけっているうちに「次の停車駅は八丁堀ィ」などと車内アナウンスがあると、ここで降りればひょっとすると銭形平次やむっつり右門に会えるかも知れないなどとと胸がときめく。
仕事の資料として買い集めた本はその当時にはゆっくり読んでいる暇がなく、必要な部分だけを斜め読みしかできなかった本を今じっくりと読んでいるが、なかなか頭に入らず、何度も同じページを読み返していて先に進めない。
*仕事場を縮小した折に、本の置き場がなくもったいなかったが、文庫と新書だけを残してあとは古書店に売ってしまった。
左端のサインの入った本は、当時学習院大学で日本近代史が専門だった大石慎三郎先生からいただいた新書「江戸時代」
最近であった、びっくりタイトル・・・。
厚木市の友人宅の裏山で、見かけた「ヤマビルに注意!」おどろおどろしい配色の看板。
もう20年以上も前に宅地開発された厚木市内だが、こんな注意書きと共にヒル避け用のスプレーが置かれ、プラスチックのケースには食いつかれたとき用の塩が置かれている。
エーっ!こんな住宅地の中で・・・とびっくり。
友人に寄れば、この辺りには鹿も猿も出没するとか・・・・。
我が町海老名市の総合病院で見かけた「当院の取り組み」。
暴言、暴力、わいせつ行為禁止
こんなことはこの病院だけではなく、どこでも禁止のはづ・・・。
当たり前のことをわざわざ掲示をしなければならない何かの事情でもあったのかとびっくり。
銀座で見かけた観光バスの車体に書かれた文字は「ToTo kanko Bus」
ToToとは便器の会社だとばかり思っていたが、何と観光バスも走らせているようだ。
おそらくこの会社のパンフレットには「バス、トイレ付き」と印刷されているのだろう。
第20回の節目となる「かかしまつり」が始まり早朝6時には田んぼの中は町の人たちの散歩のコースに変り、その光景を撮るためのカメラマンもやって来る。
私もここ3年は孫との合作かかしで参加をしていて、今年も小学校の2年生になる孫にかかしの顔を描いてもらった海老名市のゆるキャラ「えびーにゃ」を出品。
抽選で決める展示場所は27番で、会場の中央の角地で一番いい場所を孫が引き当てた。
毎年かかしまつりの作品はその年の話題の人形が多く出品されるが、今年の特徴はなんと言ってもオリンピックものが多い。
室伏選手のかかしもそっくりだが、その投げたハンマーが田んぼの上空に浮いているアイデアは秀逸だ。
オリンピックの次に多いのが、番組の収録で全治3ヶ月の重症を負って入院したタレントの追悼?かかしだった。
そして視聴率が低迷しているという大河ドラマものは今年は1体しか出ていなかった。
お近くの皆さん、ぜひかかしまつりの会場にお出かけください。
9月25日、11時からの入選作品の表彰式会場(わかば会館のイベント広場)
では、野菜の直売、米のすくい取り(無料)トン汁配布(無料)などがあります。
4月の展覧会の準備などの影響で、すっかり遅れてしまっていた菜園の整備の遅れがやっと取り戻せたので、アンテナショップ巡りが目的で先日東京まで行って来た。
蔵前でついでの用件を先に済ませたが、方向音痴の私は自分の居る場所がこれから行こうとしている方向がどちらに向いて歩けばいいのかわからない。
空を見上げると、流行りもののスカイツリーが厩橋の向こうに見える。
隅田川沿いに駒形橋まで来ると、浅草の浅草寺が近いことがわかった。
*私は24歳の頃から30年も東京に住んでいたのに、未だに東京の地理をまったく理解していない。
雷門まで歩いてやっと自分で理解できる東京のエリアにたどり着きそこから地下鉄とJRを乗り継いで先ずは第一の目的だった有楽町にある各地のアンテナショップに向かう。
有楽町駅前の交通会館には北海道、富山、秋田などのほかにいろいろなアンテナショップが同居をしていて、重宝だ。
ここでかなりの時間がかかり、急いで新橋の<せとうち旬菜館>で讃岐うどんを買う。
東京に来るときには必ずここによって讃岐うどんを買って帰るのが私のささやかな楽しみだ。
他にも寄りたいアンテナショップもあったが、今日はスタートで躓いた分だけ遅くなったので次の機会にしよう・・・。
・・根岸は田舎で空気が澄んでいてうまい。
辰己屋の別宅ニ来たのは二日前だが、まわりには畑と百姓家がぽつりぽつりあるだけで、曲がりくねった畑中の道を歩いて行くと、道は雑木林に入り、その中を小流れが音を立てて横切っていた。
―中略―
雑木林を抜けると、その先にも武家の隠宅と思われる黒板塀で囲った屋敷があったり、辰己屋の別宅のように、生垣をめぐらした家があったりした。
藤沢周平の「刺客/薄暮の決闘」には主人公の青江又八郎が用心棒として赴いた根岸の景観をこんな風に書いている。
ところで、前回のブログで書いた根岸社会教育館での工作教室は午後2時からだったが、私は朝から家を出て午前中は根岸の町を2時間も歩き回ってきた。
根岸は冒頭のように時代小説の舞台ばかりではなく、古典落語「茶の湯」(大店の隠居が根岸に隠居所を作って・・・)、「お若伊之助」(根岸お行の松の狸塚・・・)。
*御行の松(おぎょうのまつ)とその脇にある狸塚。
狸塚は円朝のフィクションで、狸塚は後世の人がシャレで作ったものという。
また、「○○や 根岸の里の 侘び住まい」という俳句の最初の5文字を「春雨や」だの「初雪や」「花植えて」など何に置き換えても俳句になるという話でこれと言った名所はないが、有名な江戸の地名だ。
今では住所の表示、街灯の看板、バス停の名前などのほかに風景から当時を偲ぶ姿はかけらもなかった。
しかし、無理やり江戸の面影を探してみると、円光寺の山門の前の車一台も通れないくねくねと曲がりくねった狭い道などは、コンクリートの道ながら小川に沿って作られた畑地の道がそのまま生活道路として今に名残をとどめているようだし、神社の空の部分だけをこれまた無理やり切り取ってみると、「青江又八郎が見たであろう空」と同じ風景に見えないこともない。