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もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

かかしまつり

2007年08月29日 | 雑記
Photo_56 写真は夏休みに入ってすぐに行われた小学生とのかかし作り教室で、頭部は高校生にも教えた発泡スチロール板で作ったブロック。
 これを削って頭の形を作る。


 わが町では今年も「中新田かかしまつり」の季節 (9月8日午後から飾り付け~9月30日撤去)がやって来て、出品予定者たちは今かかし作りに忙しい。

 かかしなどというものは、よほど凝った物を作ろうとしない限りさほど難しいものではないが、ワラやクイなどの材料の入手、等身大の人形を作る場所などを考えると、誰でもがどこででも作れるわけでもない。

 そこで農家の納屋を解放してもらって実行委員長さんが「かかし作り教室」を開催したところ、大勢の大人たちに混じって近所の農業高校の生徒二人が自分たちも参加をしたいとやって来て実行委員長の指導をうけて、その日の内に胴体は出来てしまった。
 さて頭部はどうやって作る? ここからは私の出番だった。

 雨にも強く、形が作りやすく、丈夫で軽い頭部ということで、私は発泡スチロールのブロックから頭の形を削り出すという方法を勧めた。
 発泡スチロールのブロックは専門店で入手できないこともないが値段が高い。

 近所の食品スーパーでもらって来た魚の入っていた箱を板にバラし、その板を何枚も貼り重ねることでブロックを作る方法を伝授したが、実際に彼等が頭を作る日は私は他に用があって手をとって指導をしてやれない。
 そこで、作業の手順とノウハウ、そして発泡スチロールの接着に適した接着剤を与えて帰ったが、細かいノウハウの部分まで彼等が聞いていたかどうか心配だった。

 1日おいて、かかし教室に顔を出してみると高校生たちのかかしの頭は完ペキな形で完成していた。
 各地での工作教室では1度に30~50人と大勢の参加者になると、子どもたちは早く仕上げたい気持ちの焦りからか、話は半分も聞いていなくて結局私や大人が手を貸さなくてはならない。
 しかし、こうしてマンツーマンの指導なら彼等に細かい説明まで伝わることが判った。

 夏休みのはじめに小学生を対象にしたかかし教室でも、12チームの子どもたちにこの方式で頭部作りを指導し、このときはつきっきりでの指導だったが12個の頭は子どもたちだけの手で出来上がった。





パソコン故障の余話

2007年08月18日 | 雑記
Pc1

「もーさん、笹舟の作り方知ってる?」
 パソコンが入院中に清里の友人から電話がかかってきた。
「言葉では説明がしづらいから、図解をFAXで送るよ」
「うちのFAX故障中だから、メールで送ってよ」
「こちらはパソコンが壊れていてメールが使えないから、じゃあ郵便で送るよ」
・・・と、このデジタル時代にアナログな二人のおじさん・・・。

 ところで、パソコンが直って戻ってきた時は嬉しさが先だったが、一晩経つとクラッシュによるダメージが効いてきました。
 
メールのアドレス帳が全て消え去っていました。
 仕事をさせていただいている会社の皆さ~ん、メル友、野良友、茶飲み友だちの皆さ~ん、アドレス帳回復のためにメールを一本送って下さ~い!
*幸い(何日も返信ができずに幸いとは言い切れませんが)パソコンが入院中にメールを下さった方のアドレスはここから拾えます。

この夏の間にホームページにアップを予定して溜込んでいた新しい工作「ジュラシックボトル」と「お月さまのウサギ」その他の作り方行程写真、テキストなど全部消滅していました。
 再度撮影からやり直し・・・*これはかなり痛手!

「遊びの歳事記」に予定をしていた数本の原稿も・嗚呼!
 *これも大ショック!

誰のせいでもありゃしない みんなおいらが悪いのサ・・・
 歌っている場合か!
 バックアップをとっていなかった自分の愚かさに自己嫌悪を感じながらも、歌うか笑うしかないのです。
 それにしても、お前の歌は古すぎる。

 失ったものはまだまだある。
可愛い孫たちの写真、家庭菜園の収穫物の写真、それぞれの用途別に加工をした膨大な作品写真、そのほか大切な写真の数々もはるか空の彼方へ行ってしまいました。

「お気に入り」に登録していた友人、知人のホームページのアドレスも散逸してしまった。

 歳をとって筋肉痛が数日経ってから現れるように、時間の経過と共にデータ消失によるダメージが一層顕著になってきます。
 当分の間 朝青龍状態でへこんでいますが、気を取り直して頑張らねば・・・。

 


またやっちゃいました・・・

2007年08月17日 | 雑記
 3年前にも同様なことがありましたが、7月29日突然の停電で、パソコンのハードディスクが壊れてしまいました。
 今日8月17日の夜になって修復を終えて我がパソコン君やっと現場復帰できました。

 これまで7~10日で新しい記事をアップしていたこの「ひとりごと」も夏休みになってアクセスが増えたので、テンポアップして3~5日おきに更新しようと思っていた矢先のアクシデントでした。

 この間送信されてきたメールの対応も出来ず大変に失礼をしました。
 この19日間に届いた迷惑メールは430通もあり、パソコン再開後の最初の仕事はこの迷惑メールの削除が最初の仕事でした。

 個々のメールに関しましては大変に返信がおくれましたことをおわび申し上げます。

 昨年もこの時期に同じお問い合わせを何通かいただきましたが、私の著書に関してパソコンの故障中にも同様のお問い合わせをいただいていますので、いわゆる「よくある質問」としてここでお答えをさせていただきます。
Trbook
 ホームページの「プロフィール」にある著書のうち、現在書店で入手できるのは左の写真の『たのしいリサイクル工作』(主婦の友社刊)のみです。
 他の本はすでに絶版となっていて、お買い求めいただけません。
 また私の手許にも資料としての本があるだけでおわけすることは出来ませんのでご了承ください。




おもしろバンド

2007年06月26日 | 雑記
Photo_48
 07年6月24日、岐阜での工作教室はこれまで何年も保って来た工作王子の不敗神話?が崩れ去った日だった。
 お前はハンカチ王子やはにかみ王子と同格のつもりか?


 午前、午后それぞれ30人分づつの材料を用意して欲しいと依頼されていたイベントだったが、これまでの例からそれだけではきっと足りないだろうとそれぞれ50人分の用意をして臨んだハウジングセンターのイベント広場での工作教室は朝から雨のためまったく人出がなく、空振りになってしまった。

 雨は午后になってさらに激しい降りになり、半袖では寒いくらいに気温も下がり最悪の日となり、これまで常に満席で空席待ちの出る我が工作教室もついに空席だらけの惨敗を記録してしまった。

 そんなわけでパラパラとやって来た参加者は午前午后を併せても一桁だったが、その少ない参加者たちにはとても喜んでもらえたのがわずかな救いだった。

W_20
W_22
 そんな一日だったが、その日には私にとって、もう一つうれしい事があった。

 それは同じ会場で公演予定だったあるバンドとの出合いであった。
 それはリサイクルバンド「がらくたキッズ」という5人編成の愉快な仲間たちだった。

 鍋釜フライパン、ポリバケツのドラムスセットに鉄パイプと金バケツで作ったベース、手づくりのエレキギター、中古のピアニカなどなどの楽器を確かなサウンドで軽やかに奏で歌うバンドは遊び心たっぷりで陽気な音の達人ばかりだった。
 しかし、この音の達人たちも雨のために屋外ステージでの演奏が出来なくて、急遽狭い室内での演奏となって私と共に撃沈!!

 この「がらくたキッズ」は普段は中部地方での公演が多いが、全国どこでも神出鬼没に現れるというから、またいつの日にかどこかのイベント会場で一緒になることがあるかも知れない。
 さくらんぼ、mottainaiなどを演奏後、最後は風になりたいを子どもたちも手づくり楽器を持ってのセッションが最高に楽しい。

♪まず~しさに 負けた~
  い~え 雨天にま~けた~♪
 今どき、そんな歌知っている人は誰もいないヨ!
 06年1月31日に「元祖おもしろ工作ランド」から「本家おもしろ工作ランド」にリニューアルして以来、皆様の応援でアクセスカウントが100000を突破しました。
作者としては大きな励みになる数字です。 これからもがんばります。



ローマの話?????

2007年05月11日 | 雑記
 世田谷から海老名市に転居をして来て15年、青少年指導員という市のボランティア嘱託員を一度引き受けたことはあるが、町内の自治会のお手伝いをしたことがなかった。
 ボケきる前に一度はお手伝いをしておかねばと、この1年間は役員をさせてもらったが、3月末の総会でやっと今年度の役員さんと交代出来た。
 しかし、昨年の4月に新役員になったときの「皆さんのお役に立たねば」と言う意気込みとは裏腹に<終わった、終わった!>という開放感が強いのは、自治会の仕事がハードだったのではなく、原因は別にあった。
                *
 ちょっと話は本題からそれるが、アウトドアの不得手な私は世田谷時代には子どもをボーイスカウトに入れて、アウトドアの経験を積ませようとした。
 ボーイスカウトのことを良く知る前は気取った団体・・・と、あまりいい印象を持っていなかったが、内部に入ってみると先入観は誤解で、何の気取りもなく、ただの子ども会が制服を着ただけのフランクな団体で、近所の商店のオヤジさんが、サラリーマンのお父さんが手弁当のボランティアでリーダーや団委員を務めることで成り立っていた団体は、会費をおさめているからと漫然と子どもを預けておくだけというわけにはいかず、私も広報担当の団委員として以来10数年も積極的にお手伝いをさせてもらってきた。

 海老名市に転居をして、名簿上は団の役は外してもらったが、家庭菜園の畑を借りて引き続きボーイスカウトの子どもたちの収穫体験の場として毎年長芋と里芋掘りの場を提供している。
 それほど、団の運営のために<何らかの協力をしてあげたい>子どもたちに<充実したプログラムの場の提供をしたあげたい>と思わせる和気あいあいの団体だったからである。
            *
 それにくらべて、町内の自治会の役員だが、私の属した慶弔委員会はお局様ならぬご老女様が牛耳っていて、およそ論理的でないジコ虫的な言い分で他人の意見を封じ込める独特の技と、突然に何の説明もないままに昨日までの指示とは真逆な指令を出す天地返しの荒技に委員会は振り回され、私は半年もしないうちに自治会の役に立とうという積極的な気持ちはすっかり冷めて、<さわらぬババにたたり無し>とばかりに早く任期の終わる日を心待ちにするようになっていた。

 あぁ言う性格の人ってあまり出会ったことがないけど、人生の途中でよほショッキングな事件にでも出会って性格が変わってしまったのかな?
 いやいや、ご老女様のジコ虫的な性格は昨日や今日に何かがあって、急に変わったものではなく、長い間、我がままが許される環境で育ち暮らしてきた結果だろう。
<老婆は一日にしてならず> と・・・。

 オイ! 今までの長い話は、この駄洒落が言いたかっただけのネタフリだったのかい?
 すっかり聞き込んじまってたヨ、ったく・・・。

*本音トークが売りの「ひとりごと」ですが、今回の話はフィクションです。
 実在の団体、個人とは一切関係ありません。


オマケのお話(あるいは蛇足)
 ある料理研究家が<酢豚>の起源を求めてシルクロードを旅していたら、イタリアにたどり着いたそうだ。
「酢豚って中華料理じゃあなかったの?」
<酢豚の道はローマに通ず>
 えぇかげんにせーヨ!

 晩年のオードリーヘップバーンが、仕事の合間に休暇をとってまた昔映画を撮ったローマに行ったそうだ。
 今度は「老婆の休日」とでも言いたいンだろう!
 駄洒落というのは駄作を連発するより、タイミング良く一発だけ放つというのが粋なやり方というもンだ。
 ゴメン・・・。

「遊びの歳事記」に<段ボールのヨロイ>をアップしました。
本当は子どもの日の前にアップしたかった記事でしたが、家庭菜園の農繁期でつい遅れてしまいました。