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もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

折り返し展・12

2008年01月08日 | 雑記
 時代物の絵を描くようになったのは、1976年頃に都筑道夫さんの「なめくじ長屋捕物帳」の挿し絵を頼まれたのがきっかけだったが、もともと古典落語の世界に興味があって、江戸の資料を集めてはいた。、

 江戸のことを知りたくていろいろ本を買ったが、私には致命的な欠陥があった。
 それは名古屋から出て来た私には広すぎる東京の地理は不案内で、それゆえに出無精(デブ症ではない)になって、仕事の用のないところには出かけたことがなく、東京の地名は点でしか把握出来ず、江戸の勉強をしていても江戸の全体像を描くことが出来ていなかった。
*例えば古典落語の「百川」という噺でも百川と言う料亭のあった日本橋に当時魚河岸があったこと、噺の中に出てくる長谷川町などの位置関係が把握出来ていればもっと江戸の理解も早かっただろうが、あいにく仕事では日本橋にも長谷川町にも行ったことがなかった。


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 挿し絵などを描くにあたってさほどの資料を必要とはしなかったが、江戸時代には何故か惹かれるものがあって、老後はこれらの資料を読んで過ごそうと思い、仕事には必要以上の資料を持っていた。

 しかしよく考えてみると、私はすでに一般的には<老後>といわれる年代になったが、まだまだ仕事に追われて本を読んで暮らすと言うわけにもいかず、そのうえ昨今は女性と活字を追う気力に欠けて来た。
 昨年仕事場の移転に伴い、これらの資料はこのまま死蔵させるより必要とする人の手に渡った方がいいのだろうという判断でちょっと切ない思いをしたが、文庫本だけをを残してあとは古書店に引き取ってもらった。




明けましておめでとうございます

2008年01月01日 | 雑記
07 日本海側では豪雪との天気予報だが、神奈川は比較的暖かくておだやかなお正月で三が日は晴れの様子。

 暮れになって、今年お世話になった方々に南房総から取り寄せたポピーの花を送り、大晦日の午後には世田谷時代からの知人にポピーと我が菜園の収穫物の長芋と辛味大根を添えて配るために1年ぶりに下北沢周辺を歩く。

 下北沢から帰って、やっと年賀状を作り終えてたが宛名書きまで出来ないままに年越し蕎麦を打ち始める。
 毎年蕎麦を自分で打っているわけではなく、今回初めての試みで、インターネットの蕎麦打ちの記事を読みながらの作業だが、ビギナーズラックとまぐれのおかげで大きな破たんもなく、そこそこに食べられる蕎麦になった。

 下北沢の徘徊?と蕎麦打ちの疲労で、TVの音を聞きながらうたた寝をするうちに鳴り出した除夜の鐘に誘われて氏神様へ初詣で・・・。
 澄んだ夜空の上弦の月が清々しい。
 
 参拝の後の神社のお神酒ですっかり酔いが回ってしまったようで、賀状の宛名書きは夜が明けてから始めることにしよう。



折り返し展・その11

2007年12月29日 | 雑記
 今回はいわゆるハウツー物と呼ばれる新書、文庫など実用書に描いたカットである。
 サラリーマンの処世術、社交術、エチケット入門、カブト虫の飼い方、熱帯魚入門などなどいわゆる雑学本だが、これらの本の絵を何十冊も描き、そのために当然原稿を読むわけだから描く度に雑学が自然に身に着いた。

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 こうしたいろいろな実用書の絵を描いた中に「◯◯麻雀入門」という本があった。

 それから10年くらいして、ある雑誌でムツゴロウの畑正憲さんの「花の名人戦」という麻雀小説の連載が始まり、私のところにその挿し絵の依頼が来た。
「折り返し展・その5」(11月1日掲載)の2枚がそのときのものです。
 北海道のある小さな町の活性化のために役場が主催で麻雀の名人戦を開催しようと言う内容で、そしてこの小説の中には頻繁に麻雀用語が出て来て、私など知らない上がり手が出てくる。
 
 麻雀のよく判らない私の役に立ったのが10年前にイラストを描いた実用書だった。
 本棚の隅から昔の本を探し出して来て「花の名人戦」の連載中は毎回その本を参考に上がり手の絵を描いていたせいで、今でも点数の数え方は判らないが、基本的なルールは理解できるようになりゲーム機相手の麻雀くらいはできるようになった。




折り返し展・その9

2007年12月08日 | 雑記
 今では1973年の「四畳半裁判」といっても判る人たちはめっき少なくなってしまったが、非合法手段によるイラストルポで話題の法廷内の様子をはじめて絵で公開した。(掲載誌からのコピー)
 今でこそ新聞もTVも写真撮影が許されない法廷の記者席に画家を入れて法廷の様子を絵で表現をするのが普通になっているが、当時はその発想がなく、私はメモをとることも許されない一般の傍聴席で厳しい廷吏の目を盗んでスケッチをしていた。
 このイラストルポがきっかけとなって、その後マスコミ各社は有名裁判ではメモやスケッチをすることが許される記者席に絵描きを入れて、合法的に法廷スケッチなどを見せる形が一般化した。
 
*他の人がまだやっていないことを最初にやろうと言う発想が、現在の「おもしろ工作」の考案と同じなのでしょう。


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 1枚目/法廷内の左側が野坂、佐藤の両被告とその後ろの並ぶ6人の弁護団(5人の弁護士と特別弁護人の丸谷才一氏)。
 右側は検事さんと証人席の開高健さん。
 これだけの中身を係員から退廷を命じられる前にスケッチしてくるのは大変だった。
 法廷の係員が足音もなく近付いて来て、TVのゴチバトルの敗者のように背中をコツコツと叩かれたときには、ほとんどのメモは採り終えていた。
 2枚目の絵は法廷外の寸景、ここではメモもカメラもOK。


「牛坂浩二」のペンネームー番外ー
 旦那! 実は牛坂浩二のペンネームについてまだお話をしていなかったことがあるんです。
 何だい突然に! この際だから全部吐いちまって早く楽になりな。
 石坂浩二さんの<イ>の字はアイウエオ順のカードでは2枚目にあるのですが、牛坂の<ウ>の字は3枚目にあるんです。
 それが何だって言うんだ!
 つまり、先方様は2枚目、あっしは3枚目ってわけだったンです。
 そうだったのかい、そんなオチがついていたとはちっとも気がつかなかったナ。
 へい、長い間そのことを誰も気がついてくれなかったことが気掛かりでしたが、これであっしも楽になれます。
・・・本当に終わり・・・ 

 折り返し展はまだまだ続きます。




折り返し展・その8

2007年11月27日 | 雑記
 ほとんど原画が残っていない<ルポ物のイラスト>
 一番コンビ期間の長かった阿奈井文彦さんとの同行ルポは「面白半分」「オール読み物」「夕刊フジ」「諸君!」の他にホンダのPR誌など広範に及んだが原画は数枚しか見当たらない。

 同行取材の場合は、ライターの文章に合わせた絵を描くというのではなく、たまたま取材の対象が同じというだけで、阿奈井さんは阿奈井さんの感性で、私は私なりの内容で絵を描いてもいいという裁量が与えられていたから、遅筆の阿奈井さんとコンビでのルポはいつも私の絵が先に仕上がっていた。

「2000円亭主の週末」は<オール読み物>に連載をしたもので、1977年当時サラリーマンの1日の小遣いが500円と言われたとき、その4日分を溜め込んで2000円でお父さんたちはどんなことが楽しめるか・・・という企画だった。
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  開高健氏が編集長をしたときの<月刊面白半分>に6回連載をしたもので、四ッ谷にある「モランボン料理学校」に編集者と3人で半年間入学し、終戦時に朝鮮からの引揚者だった阿奈井さんが昔の想い出と共に朝鮮料理を紹介するという内容だった。
 このタイトル画の他に料理の手順などを描いた原画は1枚もなく、これは掲載誌からのコピー。
 イラストの左下の隅にある<あほうどり>とは、阿奈井さんの俳号。

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「本と歩く」というタイトルのルポ、前の「2000円亭主」から20年後にまた阿奈井・牛坂コンビを復活しませんかという編集者からの誘いで「諸君!」に1年半ほど連載した本にまつわる同行取材のルポの内の1枚。

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「日本海銭湯急ぎ旅」
 1973年に「面白半分」に描いた新潟、魚津、富山、福井 京都などの銭湯めぐりのこのイラストルポは、絵と文の一人2役だった。
 たまにはナマのままのスケッチで見せたこともあった。

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