日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「鎌倉で」

2014-06-24 09:39:46 | 日本語学校
 曇り。

 時折、薄日が射しているようですが、今日は梅雨空が戻るとか。「アジサイ(紫陽花)」も元気がなくなっていることですし、それに何より、梅雨どきに雨が降らないというのはいただけません。「夏は暑く、冬は寒く、梅雨は雨」というのが一番なのでしょう。

 先日、皆で「鎌倉」へ行った時、「大仏さん」のところで、学生達は、既にグロッキー。入口近くの木陰で座り込んだまま、ジッとしていました。それで、急遽、次の「長谷寺」を取りやめて、一路、「由比ヶ浜」を目指すことにしたのです。

 これが正解で、ダラダラしていた学生も、大半は「海」と聞くや否や、わァと沸き立ち、元気に出発できたのでしたが、中に数名、「…先生。…はな(花)…」と小さな抵抗を試みる学生もいて、ちょっと、困りました。

 その、女学生には、「大学に行ってからね、日本人の友達と一緒に、『長谷寺』へ行きなさい。『鎌倉』が好きな若い人が多いから、一緒に『アジサイ』を見たら、もっと楽しいと思いますよ」などと言って、その場を切り抜けた…つもりでいた私。しかし、切り抜けられたと思ったのは、少々甘かった。彼女、帰りにも「今日はどうでしたか」という問いかけに、「…先生。…はな…」を繰り返していましたから。

 この、「鎌倉」の事前指導の時に、「アジサイ」をかなり吹聴していましたし、玄関脇に飾られていた写真にも、一昨年、行った時の、「アジサイ」に埋もれた学生達の笑顔が溢れていましたから、そんなこんなで、彼女なりに期待していたのでしょう。申し訳なかった。けれども、皆、疲れ果てていた…ように見えましたから、今回は堪忍ね。

 やはり、南国の人達は、東アジアの人間よりも、疲れるのが「ハヤイ」ような気がします。別にこんなことで頑張ったって、大したことではないような気もするのですが、一事が万事と申します、日本で生きて行く上で、かなり大変であろうなと感じられました。

 一見、「淡泊」で、「欲がない」ように見えますが、多分、こういうことに興味がないだけで、サッカーをしたり、踊ったりといったことに対しては、普通なのでしょう。ただ、普通の日本人などが、肯定するような面における「欲深さ」がないのです。知識欲とか、そういう方面の欲も…それほどない…。もちろん、個人差はありますが。せっかく来たのだから、もっと見てやろうとか、もっと楽しんでやろうとか、そういう気分になれないのでしょう。

 とはいえ、海に着いた時には、我先に、靴を脱ぎ、海の中へザブザブと入っていき、波が来るたびにジャンプして、あるいは駆け回って…楽しんでいました。「あれれ、さっきまでの、ふて腐れた様子はどこへ行った?」だったのですが、楽しいことは別なのです。これは万国共通。それに、どんなに疲れていても、遊べるというのは、若さですね。

 と言うわけで、次からは、「鶴岡八幡宮」へは行かずに、「大仏さん」と、「アジサイ」と、「海」という三点セットで鎌倉を体験することに…なりそうです。

 もう一つ、いいことがありました。それは明るいうちに帰れたということ。駅に着いて、明るい空を見上げた時、「鶴岡八幡宮」に拘りすぎていた自分達に、改めてびっくりしました。

 日本人にとっての「鶴岡八幡宮」と、学生達が感じる「鶴岡八幡宮」とは違うのです。まだ日本の文化どころか、日本語さえ稚拙な彼等。この人達は、こういう神社へわざわざ行くということさえ、(いくら説明しても、おそらくは)判らないでしょう。そういう時に、押し付けてもしようがないのです。

 女子学生が大好きな「花」、そして大きさにびっくりする「大仏さん」、そして皆、童心に戻れる「海」。これが一番。それに、明るいうちに帰れるということで、夕方からのアルバイトに間に合う…。女子学生の一人は、ずっとこのことを気にしていました。昼からのバイトは断ったけれども、6時からのバイトは、できたら、間に合うかなと思って、断っていない。…大丈夫かな。

 その時は少し早めに帰ればいいからと言っておいたのですが、このコース(一つを外す)だと、十分に行徳に戻ってこられた時間なのです。彼女だって、皆と行き、皆と一緒に戻ることができたのです。「何事も無理はいかん」…こちらも、少しずつ、やり方が判ってきたような…。
  
 学生達は、教室の中とは全く違う表情をみせてくれます。海に行った時が最高潮で、本当に人は楽しい時、素直になれるのだと思います。 
  
 皆が海に入って、遊んでいる時、砂浜の、それも、かなり波打ち際から遠ざかったところで、一人砂を掘っていた学生。他の学生が、海に入るように勧めても、ただひたすら砂を掘っていたとか。結局は、海から上がる時、皆、そこ(彼が掘った穴)で、厄介になって(足を洗って)いたようなのですが。彼としては、砂を掘ることに歓びを見出していただけで、これは波の中で駆け回るのと、同じくらいの楽しさだったのかもしれません。

 昨日、フィリピン人学生が、「初めて海に入った」と言っていましたから、「海がわりと近くにあることだし、海で、よく遊んでいたろう」と考えてはいけないのかもしれません。    

 中国の場合、日本に来るまで、海を見たことがないという人たちが大半だと考えてもよかったのです。ペキンの人はまず、殆どが海を見たことがなかったし、内モンゴルからの人たちだって、海を見て、「海だ、海だ、海だ。この海は…どこまでですか」なんて聞いていたくらいでしたから。

 ただ、ベトナムとか、フィリピンとか、タイとかからだと、あまりそういうことは考えていなかったのですね。せいぜい、「(海が)懐かしいだろう、(海で)遊びたいだろう」くらいのもので。ところが、その彼等にとっても、海というのは初めてだったわけです。

 海を中心に持って来たほうが、(鎌倉で)幸せな時間を過ごしたということになるのかもしれません。

日々是好日
コメント
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