日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『血液型占い』の盛り上がり」。「『留学生試験』、『一・二級試験』後の予定」。

2009-06-09 08:06:33 | 日本語の授業
 「血液型占い」というのは、外国人にとっても、特別な魅力があると見えて、時々、麻疹のように各クラスで流行ります。しかも、忘れた頃に、また巡ってくるといった具合で、なかなか収まりません。

 先だっても、「Aクラス(08年7月生)」の教室に行った時、この話題で、盛り上がっていました。あれれ、確か、このクラスでは、もう随分前に、この麻疹は経験していたのではなかったのかしらんと思ったのですが、彼らにしてみれば、その時はその時、今はまた違うといったところだったのでしょう。
 そして、彼らの矢は最後には、必ず、こちらに向かってきます。

「先生は、何型ですか」
答えないでいると、
「悪い先生ですね。可愛い学生が聞いているのに、教えてくれない」
とすねて見せます。どこが可愛いのかと、目を剥いてみせると、何人かは笑います。うん、味方はいるな。わかっても、まだ無視をし続けます。すると、
「きっとA型です。うるさいから。だって、これもだめ、あれもだめと、いろいろ言うでしょ」と、鎌をかけてきます。

「ええっ!まさかO型ではないでしょうね。」
とにかく、自分の陣屋へ、こちらの注意を引き込もうと、あの手この手で攻めてきます。「あ」でも、「お」でもいいのです。返事さえしてやれば、安心して何事もなく終わるのでしょうが、なおも知らん顔をしていますと、攻めは、だんだんエスカレートしていきます。

「いえ、いえ、そんなはずはありません。O型だなんて。私がO型なんです。優しくて、大人しくて、いい人の私がO型なんです。ですから、先生は違います」
言葉の量が増えてきますと、敵は圧倒的に不利ですねえ。なにせ、日本語という武器で戦うことになるのですから。もうそうなった段階で、すでに私の土俵に乗っかっているということになります。で、親切な私は、敵を気の毒に思い、目で戦いを続けるということになります。

 私が、「はい、ノート」と言うまで、彼女のおりゃべりは続きます。たいていの場合、相手をしてやらないので、独り相撲で終わってしまうのですが、懲りないですね。何度も何度も懲りずに続けます。ど根性蛙と言いたくなってしまうほどです。いつも、言いたいことだけは、みんなしゃべってしまうのですから。母国においてもおしゃべりであった人は、どの言語を学んでも、おしゃべりでいるようですね。

 さて、「留学生試験(6月)」まで、あと二週間を切りました。7月には「日本語能力試験(一級)(二級)」が待っています。

 けれど、「Aクラス」も「Bクラス」も、いつも通りの「日常」は変わらず、穏やかに過ぎています。試験が近づいている割には、緊張感が漂っていないのです。それも、(Aクラスの場合)直接、進学に関係している学生が、わずか三人と少ないこともあるのでしょう。大半は、進学希望ではなく、「日本語能力試験(一級)」を目指す、家族滞在ビザの人達ですから。

 今は、(「Aクラス」の学生には)授業の合間を縫って、「日本語能力試験(一級)」後の計画を少しずつ話し始めています。このクラスの学生の中には、大学進学をめざす者の他に、様々な理由で、これからも一定期間日本に在住するつもりの人達がいます。その人達にしたところで、「一級レベル」で終わってしまっては、おそらく、道はそれほど拓けてはいかないでしょう。あくまで、これ(「一級合格」)は「基礎の終わり」でしかないのですから。

 就学生の場合、どうしても「二年」という制限がつきまといます。「イロハ」から始めて、一年くらいで「一級レベル」になったとしても、これは、「中学生レベル」の文章が読めるようになっただけのことで、「高校レベル」の読み物は、まだまだ無理なのです。しかも、これに、(進んでいく道によっては)化学・物理・生物、あるいは、歴史・経済・政治などの分野が加わります。

 勿論、「基礎課程」は、「『一級試験』合格」で、一応、卒業です。しかしながら、大切なのは、それからです。大学や大学院へ行くのであれば、先の教育機関や研究機関が面倒をみてくれますから、いいのですが、そうでなければ、自分で判らないことを調べるということをしていかなければなりません。

 一番いいのは、いちいち調べずに済めるような状態になってから卒業することなのですが、なにさま、期間は短いので、なかなかそうはいかないのが実情です。けれども、少なくとも、その糸口はつけておきたいということで、卒業までには、初歩的な「『新聞』講座」を受けておいてもらいたいし、高校レベルの「『文学』講座」も入り口から覗くだけでもしておいてもらいたいのです。

 外国人用に編集されている『上級日本語』の教科書にも、「古語」めいたものは登場します。単語の意味も「和歌」や「俳句」、或いは「狂歌」や「川柳」などを用いた方が理解しやすいものも出てきます。そういうものも、折に触れ、紹介はしているのですが(表現は悪いのですが、「文学に堕することのないように」考えながら)、せめて『枕草子』の人口に膾炙した部分くらいは、授業の時に、読んでおかないと、あとあと困ってくるのではないかと思われるのです。

 なんと言っても、文学のみならず、芸能も美術、工芸、音楽、武術も、その民族理解のための、「門口」なのですから。

日々是好日
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