日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『ウメ』の花」。「『クチナシ』の花」。「『英語』で一言」。

2009-02-05 07:29:36 | 日本語の授業

紅梅

 今朝、自転車で、学校の入り口に乗り付けると、「梅」の鉢植えが置いてありました。まだ一輪しか、「花」開いていない寂しいものですが、受験の頃の「花」と言えば、「梅」ですね。何代か前の学生で、願掛けに「湯島」へ行った人もいましたが、あの頃も「梅」の花が咲いていました。

 「花」と言えば、今、少しずつ「卒業文集」用の作文を書いて提出してもらっているのですが、その中に「(私は口数が少ないので)先生に、いつも『口無し』と言われていた」というのがありました。可愛い女の子なのですが、本当に何も言わないのです。

 だいたい言語を学ぶ上で、口数が少ない人は、非常に不利です。特に、大学受験の時の面接や、アルバイト探しの時など、おしゃべりな人に比べれば、かなり無理をしなければなりません。それで、常々、
「はい、返事は」
「嫌ですか。それとも、いいですか」
などと、返事を無理強いしていたのですが、なかなか、口を開いてはくれず、目で訴えるだけという状態の方が多かったのです。

 ついに、堪忍袋の緒を切らして、
「何とか言いなさい」
答えは、
「中国語でも、あまりしゃべりません」。
それで、説明を加えた上での、「クチナシ」さん、だったのです。

 これは、「雅の世界」に、一度でも足を踏み入れたことのある人なら、直ぐに気がつくことなのですが、「口無し」イコール「梔」なのです。

クチナシ

 「クチナシ」の実は、古くから薬用や染料に用いられ、花は、江戸期には食用にもされたそうで、随分前ですが、私も食したことがあります。ちょっと癖になるかもと思わせるような、不思議な味でした。

 それで、私が言ったのは、「口無し」に引っかけの「梔」だったのですが、彼女はその意味の方はすっかり忘れていたようです。

 「山吹の 花色衣 ぬしやたれ 問へど答へず 口なしにして」(素性法師)

 「クチナシ」の実を乾燥させて、黄染めの染料として用いていたので、「山吹の花」の黄を頭に出しています。山吹色の衣を着ている人に、名を聞いたのに、その人は答えてくれない。そうか、君は(クチナシの実を染料とした山吹色の服を着ているから)口がなかったんだ。くらいの意味でしょうか。

 花に引っかけていたのに、そちらの方を覚えてくれていなかったのは、残念でした。クチナシの花は、香りも高く、真っ白で、触ると柔らかくしっとりとしていて、とてもきれいですのに。うーん。かえすがえすも、残念。

 今年、卒業する学生達に比べ、来年、卒業することになる学生達は、本当に活きがいい。獲れたての魚のようにピンピンしています。

 年齢も、この学校に来たときには、まだ十代だったということもあるでしょう。毎日、大騒ぎです。最近は「嫌み」の言い方も覚えたと見え、「何か言ってやろう」と、鵜の目鷹の目で待ち構えています。

 ところが、その彼女らが、静かになる時があるのです。それが、「英語で、一言」の時間です。

 英語の先生に、「一言、英語で、先生(英語の先生以外の)に言いなさい」というのを、課題として出されているようで、最初の日は、一番賑やかな一人しか、言いに来ませんでした。しかも、先生からは何も聞いていませんでしたので、急に、
「先生、今から、日本語で言います」。
と、日本語で、かなり長い文を「朗々と述べられた」のには、すっかり面食らってしまいました。
「一体何が何なんだ」状態だったのです。

 その後、靴を履いて、玄関のドアを開けて、「いざ、帰るぞ」という格好をして、(階段の方を向いて、つまり)下を向きながら、蚊の鳴くような声で、
「………」。
と、英語で言ったのです。そして、
「判りましたか」(これだけは、大きな声でしたので、聞こえました)

(英語の部分は)半分以上、聞こえなかったのですが、
「ハイ。わかりました」
と答えると、にっこり笑って、いかにもうれしそうに、帰っていったのです。

 ところが、今週は、(先に先生に、課題を出したことを)聞いていましたので、先週何も言わなかった二人が、帰るときに、
「英語の先生から、何か課題が出ているでしょう」
と水を向けてみました。
「え?」
「え?」
と、二人で、顔を見合わせ、
「日本語で、○○○」
と、一人が言ったのです。

 どうも、私には判らないだろうと思って、手加減してくれていたらしいのです。
「英語で言ってごらん」
と言うと、
「先生、判るの?」
とびっくりしたような声。

 それから、一人が、それを英語で言い、
もう一人が、それに「always」を付け足して言い、
課題は終わったとばかりに帰っていきました。

 そして、最後の一人です。この子も、まず、日本語で言い、それから、それに、「I hope」を付け足して帰りました。

 一人一人が、同じ文だけれども、それぞれの思いを込めたような味があり、どこかしら、ほのぼのとした気分にさせてくれました。

 「(苦手意識の強かった英語も)大丈夫、きっと上手になれる」
そんな思いを抱かせてくれた「英語で一言」でした。

 ただし、まだ簡単なので大丈夫なのですが、突然、もう少し上のレベルの英語を言われたら、私も困ってしまいます(学生達には、英語と別れてから、既に100年経っていると言ってあります)。どういう言葉を課題に出したのか、学生達が来る前に、ちょっと耳打ちでもしていただけると、ありがたいのですが…。

日々是好日
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「節分」。「『日本語教育』と『学校教育』、二本立ての『日本語学校』における『日本語教育』」。

2009-02-04 08:22:27 | 日本語の授業
 朝は曇り。さてさて、今日のお天気はどうなりますことやら。

 もっとも、曇り空とはいいながら、カギを出すのに苦労はしませんでした。春ですね、もうすぐ。朝の「天声人語」に桜の「花芽」のことが書いてありました。数日前にも、沖縄の桜のことが載っていました。ゆっくりと「桜前線」は北上してくることでしょう。そして、直に、桜の開花に「一喜一憂」し、風に「心を驚かせること」になるのでしょうか。まあ、これも、もう少し後のこと。その前に「杉花粉の飛来」の時期が待ち受けていることですしね。

 さて、昨日は「節分」でした。説明は、(なぜか)相づちを打ちながら聞き、VDVを見るときは静かに聞き、「豆まき」は大騒ぎで、楽しい一時間を過ごしました。

 中には、午前も参加したのに、午後も「豆まき」をしたい(本当は、「福豆」を食べたかっただけ)ということで、残った学生が、三名。例のおしゃまさん達です。

 「節分」のアニメーションが終わると、みんな喜んで、「鬼の面」をかぶって写真撮影。なぜか、今年は「桃太郎の面」が混ざっていました。しかも、「吉備団子」の袋も、「福豆」の袋の中に、折り重なるようにして入っていました。お菓子業界もやりますね。ただ、「黍団子」の説明に「桃太郎」を入れようにも、入れられませんでした。ごり押しで、説明だけはしたのですが、みんなの目は食べる方へ、食べる方へと向いていましたから、「福豆」が口に入った途端に、忘れてしまったことでしょう。

 というわけで、「豆まき」です。「鬼の面」をつけた学生が外に立ちます。みんなで「鬼さん」をめがけて「鬼は外、福は内」と言いながら、豆をまいていきます(食べることを考えて、少な目に)。例年のことながら、興奮してくるのでしょう、いつの間にか、雪合戦の様相を帯びてきました。豆を当てられて、俄然、わたしも張り切ってしまいました。「やり返す」。やられたら、「やり返す」。やり返さねば女がすたる。投げ返しているうちに、敵の数が増えてきたのに気がつきました。けれど、見ているうちに、敵と見えたものが味方とも投げ始め、何のことはない、敵味方の区別のない、なんじゃもんじゃの総力戦です。本当に、もう、「鬼は外、福は内」の「豆まき」だったのですけれどもねえ。

 そうして、楽しい「豆まき」ならぬ「合戦」が終わると、みんなで仲良く大掃除。豆を拾う者、箒で掃く者、掃除機を引っ張り出して、ガーガーやる者。最後に、「家でもやってみるように」ということで、「節分」行事は終了いたしました。

 しかしながら、彼らのように「DVD」を喜んでみてくれると、私としては本当にうれしい。学校には、特に、このブログを書くようになってから、かなり朝早くから来ているのですが、家にいるときも、新聞の整理や録画で、自分のための時間というのがなかなか作れません。うちにいるときも、一体いつからいつまでが仕事で、いつからいつまでが自分用に使っているのか判らないくらいなのです。

 それなのに、学生が、私の準備したDVDを見るほどには、日本語の能力が上がっていなかったり、見る気がなかったりすると、がっかりしてしまいます。ひどいときには、あるまじきことなのですが、「もう、見せてやんねえ」という気にさえなってしまいます。

 準備するのも、「初級」から「上級」までの授業で使うもの。それに、「課外活動」用のもの。そして、「留学生試験」用と、「大学」や「大学院」用のもの。大きく分けただけでこれだけあります。以前は、公立中学校に勤めていたのですが、そこには、国や地方公共団体からの、支援もありましたし、必要なものは、経費で落とせました。それに、暇な先生は必ずいましたので、その先生が代わりに準備してくれたりもしました。経済的にも保障されていたので、ある程度は、自由がきいたのです。

 ところが、こういう小さな学校では、かなりの時間、授業はしなけれがならない。そうすれば、必ず足りないものが見えてくる。それは、自分で探してきたり、準備しなければならない。そのための時間も、少ない自分の時間から、割かねばならないと、「ないない尽くし」の中でやっていかなければなりません。

 こういうことはあってはならないと思うのですが、「日本語を教えるだけ」なんて、考えて、この世界に来て、適当にやっている人を見ると、「あんたと私らは違う」と言いたくなってしまいます。「『日本語』教育」と「『学校』教育」の二つが、この「日本語学校教育」なのですから。

 中国から来た学生は、まず「大学」に入りたいと言います。財政的な問題と能力の問題を無視して。勉強するためには、必ずある程度の、勉強できる時間が必要なのです。その時間ができなければ、せっかく普通の能力があっても、それを生かすことはできません。

 それに、資質の問題なのですが、どうしても大学に入りたいという人の中に、どうにも本人の資質が勉強に適さないという場合があるのです。その場合は、私たちとしても辛いのですが、「自分の国で、自分の国の言葉で書かれたものでさえ、それほど理解できなかった人」は、やはり外国の大学は無理なのです。日本の場合、かなりお金を積めば、入れる大学もないわけではありませんが、日本人にとっても大変なほどの、かなりのお金が必要になります。

 最近は、中国にも、そういう大学があるようですから、できれば、そちらに入ってもらいたい。本人も、「聞いても判らない」言葉を聞きながら、9時から12時半まで、或いは13時15分から16時45分まで、ずっと座っていなければならないのは辛いでしょうし、中国語で説明されてもわからないと言う人に、無駄だと解っていながら説明しなければならない教師も辛い。神経まですり減ってしまいます。他の中国人の学生は「言ったって判らないのだから、ほっといた方がいいと言います。それは本当だと思います。けれども、目の前にいると、そうはできないのです。

 「日本の義務教育で教える教師」というのは、「下を伸ばせなかったら失格」という思想に貫かれて育てられます。これは短所でもあるのですが、他の国と比較すれば、長所とも言えるでしょう。秀才(天才ではありません)一人を育てるために、100人くらいの同級生を犠牲にしているように見える国さえあるのですから。

 けれども、ここは、こういう学校ですから、近所の人が「自分の甥だが」とか、「自分の子供だが」とか言って連れてきた人を追い返すわけにも行きません。そこはご近所づきあいということです。必ずと言っていいほど、能力の劣る人は入ってきます。けれども、だいたい、「初級」の最後でのテスト、「中級」最後のテストなどで、篩にかけられ、最後まで残れる人は、多分、私がその人に必要とするDVDを貸して、一人で見て勉強するように言っても大丈夫だというレベルには達していることでしょう。

 そうして、やっと、報われるのです。「録画する」というのは、本当に地道な作業です。「使っても、全く意味がない」という人達には使えませんから。ある程度の能力がある人達が来なければ、場所を取るだけのゴミといっても言いすぎではないのです。

 ところで、一言。

 日本では、「いい大学院」に入ったという「大卒」の外国人はたくさんいますが、「いい大学」に入れる外国人は少ないのです。「いい大学」に入るために必要な「留学生試験」というのは、「レベルの高い大学」が、「レベルの高い留学生」を求めて始まったようなもので、これは難しい。ある意味では、「一級テスト」なんて、このテストに比べれば、「日本語」だけのものですから、それほど難しいものではないのです。

 そのためにも、常識を学ばなければなりません。やはりDVDによる知識は必要なのです。

日々是好日
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「行徳、小さな国際都市」。「漢字、日本語の『読み』を伝える」。

2009-02-03 08:02:37 | 日本語の授業
 随分明るくなりました。早朝、歩いていても、光を必要としません。闇の中に浮かんでいた信号の光も、周りの明るさに押し流されて、存在感が薄れて見えます。

 いわゆる「町」の姿になってきました。

節分

 「行徳」、この町は、「日本橋」まで地下鉄で20分という「地の利」もあり、また、「その割には物価が安い」ということもあいまって、外国から来た人がたくさん住んでいます。しかも、一つの国からだけというわけではなく、町を歩いていると、「この人はインド系だな」とか、「この人はアフリカ系だ」、或いは「タイかな」、「中国かな」などと、国際色豊かで、実際のところ、どこの国から来たのか、聞いてみるまでは判りません。

 そんなわけで、私たちが各国から呼んだ就学生だけでなく、「ご近所さん」が日本語を学びにやってくることも多いのです。

 新しく来た「英語の先生」は、それに驚いていました。
「えっ。まあ。いろいろな国の人がいるんですねえ」
といった具合です。私たちはそれが普通になって、もう何とも感じていないのですが、改めて見てみると、本当に様々な国の人が学んでいます。

 多くの「日本語学校」では、「韓国人」や「中国人」が大半を占めています。しかも、その他の国から来ている人も、固定しがちです。然るに、この学校では、「ご近所さん」が、知り合いを連れてきて、初めて、その人が「ペルー人だ」と言うことが判ったり、「スーダン」や「インド」だということが判ったりで、気が抜けませんし、共通語を「日本語」で統一しなければ、全くやっていけません。

 クラスに、同じ国から来た人がいない場合、当然のことながら、気分からして、孤立化してしまいます。その上、同じ国から来た人達が、母語を用いて楽しそうにしているのを見ると、除け者にされているような気持ちにもなってしまいます。

 その時には、
「自分の国の言葉で話さない。○○さんは、話したくても、話せる人が誰もいない」
と、一喝すればいいのです。そこは、お互い、大人ですから、ピタッと同国人との話をやめてくれます。そして、直ぐに「日本語」で、寂しそうにしている人に話しかけてくれるのです。(もちろん、陰では話すでしょう、が、小さな声で、まるでいけないことをしているかのような雰囲気で、こっそりと話すわけですから、それなら、許容「内」ですので、大丈夫)

 中国にいるときには、宿舎が、男子寮の場合、アジア系とフランス語系、英語系に分かれていました。今から考えてみれば、それも、すごいですね。確かにその方が便利なのですが、帝国主義の「植民地」を色分けしているようで、「世界の現実」というものを認識させられてしまいます。

 もっとも、大学でしたし、受け入れていたのは、「中国と国交のある国のすべて」という話でしたから、学生の数も多く、というわけで、数が多かったから、フランス語やスペイン語の達人などを、大学側も揃えることができたのでしょう。何か問題が起こると、直ぐにその国の大使館が動きましたから。

 しかしながら、この学校のように、民間で、小さいと、そういうわけにもいきません。

 つまり、力ずくでも、一刻でも早く「日本語」を話せるようになってもらわなければ、困るのです。

 ただ、「非漢字圏」の人で、「日本語」を勉強しに来る人の中には、日本語には、「表音文字」と「表意文字」が組み合わさっているということが、最後まで理解できない人もいます。彼らの母語で説明してある「参考書」にも、書かれてあることですから、知らないわけではないのでしょうが、多分これらは彼らの「(常識の)埒外」、「理解のソト」の事になるのでしょう。

 日本の「書き言葉」は複雑で、「表意文字」である「漢字」には、「音読み」と「訓読み」までついています。その上、それぞれの「読み」が一種類とは限りません。特に文学作品などを読みますと、学生の口から、
「先生、(こんな読み方は)習っていません」
という叫びが直ぐに聞こえてきます。

 私たちは、子供の時からの読書を通じて、「読み方」は、ある意味では無限大(少々大げさですが、明治期の小説などを読むと、これは「漢字」に勝手に「訳」をつけて、それを「読み仮名」と称しているだけじゃないのかと思いたくなるような、そんな「ルビ」のついたものさえあるのです)と思いこまされているような部分もあるので、どのような「読み方」を指示されても、素直に従ってしまうのですが、(彼らの)理屈から言えば、それは、確かに、おかしいのかもしれません。

 とはいうものの、それを外国人に要求しても無理でしょう。頑張って「(漢字の)パーツ」を理解できるまで、書いて、書いて、書き込める人はいいのですが、大半の人は、「書く」ということ、「同じ字を何度も書く」ということ、しかも、「ある程度の意味を考えながら書く」ということは、「無駄で効率の悪いこと」というイメージを抱くようなのです。

 学生の頃、「漢字不要論」を唱えた、「森有礼」のことをレポートでまとめたことがありました。それから数年経って、中国へ行き、解放後の知識人の提言の中に同じようなものがあるのを見て、「ブルータス、おまえもか」という心境になったのを覚えています。

 けれども、これが私たちの言葉、私たちの文化でありますから、先人達が大切に守ってきたもののうち、わずかでもそれを後の人達に伝えていかねばなりません。それと共に、「日本語」を、たとえ目的は何であれ、学ぼうという人に伝えていかねばなりません。

 子供の頃なら、いざ知らず、今、日本語を学ぼうという人達は、様々な利害関係などを考慮にいれながら、「学ぼう」というのです。当然のことながら、何事によらず、「楽に手に入る」はずがありません。況んや、(他国における)言語においてをや。

日々是好日
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「新入生の面倒をみる『先輩』」。「偏見」。「日本の『価値観』に揃える理由」。

2009-02-02 08:04:35 | 日本語の授業
 もう、二月です。「一月はいぬ。二月は逃げる。三月は去る」とも言いますから、きっと直ぐに、四月になることでしょう。本当に月日の経つのは速いこと。

めじろ

先週の金曜日のことです。「おしゃまさん」の一人が、また、授業開始直後に、バタバタバタと怒濤のような勢いで階段を駆け下りてきました。最初の「バ…」の音を聞いただけで、みんな、直ぐに、だれが来たのか判りました。

 ところが、バーンとドアを開けるなり、
「先生、私は悪くないです。ホントです。私は悪くないです」
「先生、○○さんが、遅いです。出るのも遅いです。歩くのも遅いです。」
「ああ、もう、先生。私は大変でした。先を歩いて、また、停まって、待っています。○○さんが来たら、また、先を歩いて、来るのを待っています」
「ああ、本当に時間がかかりました。○○さんは、自転車に乗れません。だから、私も歩いてきました。トッテモ時間がかかりました。(歩いても、それほどの事はないはずなのだけれど…。学校の寮なのだから)」

「先に来ればよかったのに」
「でも、先生。道をまだ覚えていないと言います。もう一人の△△さん(『午後の授業』の学生です。同室者)は、まだ起きていません(この、△△さんというのは、タンザニアの学生が来るまでは、朝の10時頃、学校へ来て自習室で勉強していました。彼女も、一月に来たばかりの学生です。中国の短大では、英語を専攻していたそうです)」

 ここで一言付け加えますと、○○さんというのは、タンザニアから来たばかりの学生で、することなす事、何でも遅いのです。投げやりな態度というわけではないのですが、まだ、「アフリカタイム」なのです。日本に来たばかりですから、しょうがないといえば、しょうがないのでしょう。が、日本に、就学生として来て、そして、一年ないし二年を、アルバイトをして過ごしながら、こちら(教師側)の要求通りに(勉強を)頑張らねばならないと覚悟している中国人の学生からしてみれば、きっと、信じられないほど、「適当」に見えたことでしょう。

 (この、高校を出たばかりの、中国人の)彼女とは、中国にいる間に、私たちは会っています。日本では、どういう暮らしが待っているかから説き始め、中国にいるときと同じように考えていたら、一人ではやっていけないという厳しい現実も伝えてあります。「それでも、頑張って大学に行こうというのなら、来なさい。そうでなかったら、中国でのんびりみんなに囲まれて暮らした方がいい」とまで言ってあります。

 だから、他人事ながら、「これでいいのかしらん」と思ってしまうのでしょう。面倒見のいい子ですから、そばでヤキモキするだけでなく、言葉が通じたら、お説教くらいはしてのけるかもしれません。

 タンザニアの彼女にも、日本に知り合いがいます。その人には、就学生の暮らしのことは伝えてありますが、さてどうなのでしょう。彼がそれをどこまで理解しているのかも、私たちには判りませんし、彼女が来てから、問題が生じた場合、どこまで手伝ってくれるのかも、私には判りません。一応、面倒はみるという約束をしたから、私たちも受け入れを考えたのですが…。もし、それを伝えるべき人が、誤った情報を流していれば、(彼女も)なかなか変われないでしょう。何年日本にいようと、アフリカにいるときのままでしょう。

 そういえば、その前の日も、
「先生、夜、大変でした。夜の10時まで帰ってこないのです。心配で心配で…。だって、道が判らないのかもしれないし、困っているかもしれません。来たばかりだから…」
「大丈夫。タンザニアから来た同級生がいるはずだから。」
「でも、心配です。何にも手につきませんでした。帰ってきてホッとしました」

 今「Bクラス」で、来年の三月までに「大学合格」を目指すという「おしゃまさん」達は、タイプこそ違え、彼らなりのやり方で、他の人の面倒をみることができるように、私には思えます。それは、「幹部」で、「指導者として指導する」という、日本人には「嫌み」にしか見えない態度で、そうするというのではなく、友達として「面倒をみる」のです。

 先ほどの「おしゃまさん」は、新しく来た学生につきあって、市役所へ行ったり、買い物につきあってくれたりしました。心から「大丈夫ですか」と、聞き、また、相手の心に沿おうと努力している姿は、涙ぐましいほどです。

 もう一人の「おしゃまさん」は、勉強の時、他の学生の手伝いをしてくれます。口数は少ないのですが、一番しっかりしている子でしょう。判断力が既についています。

 もう一人は…、少しずつですね。最初は自分の事も出来ないふうで、ちょっと心配していましたが、いつの間にか、自分でアルバイトも捜せるようになりましたし、断りも言えるようになりました。新しい学生が来たら、自分の経験から、アドバイスをすることができるようになっていることでしょう。

 うれしいことに、この三人とも、他の国から来た人に対する偏見がありません。アフリカから来た学生に対しても、インドから来た学生に対しても、他の人と同じように接することができます。それは、普通、中国で大学を卒業してしまった学生には、あまり期待できないことなのです。高校を出て直ぐに、日本へ来、日本では、自分も、彼らと同じ外国人なのだということが、まだ頭の柔らかいうちに実感できたからこそ出来ることなのかもしれません。勿論、ある程度の「知性」抜きには、考えられないことなのですが、

 彼らはこのようにして、この学校で、様々な国の人達と友達になり、そうして、大学へ行き、大学でも世界各国の人達と友達になり、中には日本で大学院へ行く人もいるでしょうし、アメリカへ行きたいという人も出るでしょう。そこでも、この学校で机を並べていたように、世界各国の人達と机を並べ、友達になれることでしょう。

 勿論、誰でもいいと言うわけではありません。民族が違えば、習慣も違います。物事に対する価値観も異なります。この学校では、この学校の学生全員に、それを、日本での価値観に、揃えてもらいます。この学校にいる間だけは、揃えてもらいます。それができないようでしたら、この学校にいてもらっては困ります。揃えた、その上で、自分たちのところではこうなのだと語ってもらえばいいのです。

 他国や他民族の習慣は尊重しますが、この学校にいる間は、それを強く出してもらうのは、お断りです。そうしなければ、この小さな学校で、だれもが、安心して、「日本語を学ぶ」ということが、できなくなるからです。

日々是好日
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