曇り。
毎日が駆け足で過ぎていく…ような気分で過ごしているうちに、もう「文月」になっていました。関東地方はまだ「梅雨明け」宣言が出ていないようですが、今週の雨が終われば、多分、「梅雨明け」発表となるのでしょうね。
今年は「アジサイ」を愉しんで見る機会があまりなかった…。まだ「梅雨」も明けていないし、「アジサイ」も生気を感じられないにせよ、例年通りの姿を見せてはいるのです、どうもだめですね。「アジサイ」は「梅雨時の花」で、雨の中でないと、どうもしっくりこない。「アジサイ」からしてみれば、「わてらとは関係ない」と不機嫌になってしまうのでしょうけれども。
おそらく、これからは毎年、こんな気分で過ごさなければならないことが、一つ一つ増えていくのでしょう。「春」と「秋」が掠るように過ぎていくのであれば。その上、「夏」は情緒的な「夕立」ではなく、「スコール」なんぞが来るようになり、「台風」という呼び名などまどろっこしいと言わんばかりの「超台風」が来るようになってしまえば。そして「冬」は「冬」で、「ドカ雪」また「ドカ雪」となり、「雪」の降り方を表す言葉が感覚的になじまなくなってしまうかもしれません。今はまだ、なんとなく、感じ取れるような気がしている「明治」「大正」「昭和前期」の詩歌や小説さえも何が何だかわからなくなってしまうかもしれません。
やはり日本人には「春夏秋冬」という四季が必要なのでしょうね。それもじわじわと気づかぬうちに流れていくような季節が。これが失せて、一色か二色になってしまったら、自分すらわからなくなってしまう…ような気がする。もう文章も、切り捨て作業や消去法が必要となってくるかもしれません。今までは感情を重ね、また重ねしていくような足し算で理解していたような気がするのですが。まあ、どんな時代になるにせよ、新しいものは常に生まれてくる。それはそれで、新しい道が拓けてくるかもしれません。
日々是好日
毎日が駆け足で過ぎていく…ような気分で過ごしているうちに、もう「文月」になっていました。関東地方はまだ「梅雨明け」宣言が出ていないようですが、今週の雨が終われば、多分、「梅雨明け」発表となるのでしょうね。
今年は「アジサイ」を愉しんで見る機会があまりなかった…。まだ「梅雨」も明けていないし、「アジサイ」も生気を感じられないにせよ、例年通りの姿を見せてはいるのです、どうもだめですね。「アジサイ」は「梅雨時の花」で、雨の中でないと、どうもしっくりこない。「アジサイ」からしてみれば、「わてらとは関係ない」と不機嫌になってしまうのでしょうけれども。
おそらく、これからは毎年、こんな気分で過ごさなければならないことが、一つ一つ増えていくのでしょう。「春」と「秋」が掠るように過ぎていくのであれば。その上、「夏」は情緒的な「夕立」ではなく、「スコール」なんぞが来るようになり、「台風」という呼び名などまどろっこしいと言わんばかりの「超台風」が来るようになってしまえば。そして「冬」は「冬」で、「ドカ雪」また「ドカ雪」となり、「雪」の降り方を表す言葉が感覚的になじまなくなってしまうかもしれません。今はまだ、なんとなく、感じ取れるような気がしている「明治」「大正」「昭和前期」の詩歌や小説さえも何が何だかわからなくなってしまうかもしれません。
やはり日本人には「春夏秋冬」という四季が必要なのでしょうね。それもじわじわと気づかぬうちに流れていくような季節が。これが失せて、一色か二色になってしまったら、自分すらわからなくなってしまう…ような気がする。もう文章も、切り捨て作業や消去法が必要となってくるかもしれません。今までは感情を重ね、また重ねしていくような足し算で理解していたような気がするのですが。まあ、どんな時代になるにせよ、新しいものは常に生まれてくる。それはそれで、新しい道が拓けてくるかもしれません。
日々是好日