曇り。
今年は「梅雨入り」が早いと思っていたのに、入ってから、雨の日が多いようは気がします。数日前に雨の予報が出ていたのに…曇り(あれ?いつの間に)、そしてまた曇り…。それどころか、時々日が射してきたりなんぞする。多分、予報と予定がセットになっているような生活では、どうも大変。で…「今年は異常か…」という声が出てくるからなのでしょうか。
「梅雨入りが早くても、遅くても大体終わる頃は同じになる」とか、「早くても遅くても、この時期の雨量はあまり変わらない」とか、どこかはぐらかされているような、それでいて、「梅雨」の説明にはなっている…みたいな、ここ30年か50年の平均とか傾向とかが、よく語られています。
そういえば、明治の頃のこと、「フグ(河豚)を食ったら、天気予報、天気予報と(念仏のように)唱える」とかいうのが出てましたっけ。つまり「当たらない、当たらない」というわけ。
その頃に比べれば、精度はグンと増し、私なども、テレビやインターネットの天気予報を信じ込み、それを見るのも、日に一度や二度の話ではありません。なぜか、ニュースは見ずとも天気予報だけは見てしまう。もっとも、偶にですけれども、予報しづらい…と言っているのを耳にすることはある。勿論、そうだろうなとは思うものの、やはり信じていますから、外れると、「あれ!!!」。当たっても、当然という感じ。褒めたり、すごいなと感じ入ったりしないのです。
「異常」という言葉や「想定外」と言う言葉に慣れてはいるものの、天気予報だけは違うような気がしているのでしょう。この「異常」とか「想定外」という言葉も、いつの間にか、「おはよう」という言葉と同じくらいの地位に貶められてしまい、「『想定外』を専門家が使うか!」と憤る人も稀になってしまいました。ヘラヘラして、専門外の人が使っているのを見ると、なんか意味がドンドンドンドン便利な方へと流れていき、重みがなくなっていくみたいですね。「粛々と」なんてのもそうですね。まあ、適当にこれを遣っていれば、非難されないだろうてなものでしょう。
そういえば、昨日も「地震」がありました。「能登」で「震度6」。これは大きい。「最近、立て続けに地震があるような…。大丈夫か。」。日本人はみんな、そう思うのです。「南海トラフ」やら、「首都直下地震」やら、あっちでもこっちでも、予想されている地震は数知れず。で、次に、「富士山はどうだろう」となる。確率から言えば、いつ爆発してもおかしくないらしい。
もう10年ほども前のことになるかしらん。インドの留学生が、真顔で話があるとやってきました。「火山関係の単語」はまだ知らなかったので、ホワイトボードに「富士山」の絵を描きながら、「富士山が噴火したら、東京は?」と訊くのです。どうも、国の御母堂が「富士山が噴火する」という話を聞きつけ、「すぐ帰れ」コールが来たらしい。マグマが東京を覆い尽くすように捉えられたらしく、赤く東京を塗りつぶし、「こうなりますか」。「そうなったら大変だから、帰ります」と言う。
富士山と東京とは、かなり離れているというのが、実感できないのでしょう。「フンフン」と聞きながら、「灰は降るでしょうね。どれくらい積もるかわからないけれども、おそらくはインフラもかなりの影響を受け、食糧事情なども、悪化するでしょう」と、受け売りの知識で説明します。
彼は、「(火山)灰なら大丈夫」と言って、ホッとしたように帰って行きましたが、「富士山噴火」というのを、毎年のように聞いている日本人は、「またオオカミおじさんが出てきた」くらいにしか感じられず(これも怖いことですが)、聞き流すというのが習慣になっているのですが、外国からやってきた人はそうはいかないのでしょう。しかも「火山」に馴染みもなければ、日本が細く長い国としか認識できてない人からすれば、「富士山噴火」は、則ち「日本沈没」くらいの響きがあるのでしょう。
もっとも、同じような国、フィリピンから来ている学生は、「同じ。同じ」と笑っていましたが。
日々是好日
今年は「梅雨入り」が早いと思っていたのに、入ってから、雨の日が多いようは気がします。数日前に雨の予報が出ていたのに…曇り(あれ?いつの間に)、そしてまた曇り…。それどころか、時々日が射してきたりなんぞする。多分、予報と予定がセットになっているような生活では、どうも大変。で…「今年は異常か…」という声が出てくるからなのでしょうか。
「梅雨入りが早くても、遅くても大体終わる頃は同じになる」とか、「早くても遅くても、この時期の雨量はあまり変わらない」とか、どこかはぐらかされているような、それでいて、「梅雨」の説明にはなっている…みたいな、ここ30年か50年の平均とか傾向とかが、よく語られています。
そういえば、明治の頃のこと、「フグ(河豚)を食ったら、天気予報、天気予報と(念仏のように)唱える」とかいうのが出てましたっけ。つまり「当たらない、当たらない」というわけ。
その頃に比べれば、精度はグンと増し、私なども、テレビやインターネットの天気予報を信じ込み、それを見るのも、日に一度や二度の話ではありません。なぜか、ニュースは見ずとも天気予報だけは見てしまう。もっとも、偶にですけれども、予報しづらい…と言っているのを耳にすることはある。勿論、そうだろうなとは思うものの、やはり信じていますから、外れると、「あれ!!!」。当たっても、当然という感じ。褒めたり、すごいなと感じ入ったりしないのです。
「異常」という言葉や「想定外」と言う言葉に慣れてはいるものの、天気予報だけは違うような気がしているのでしょう。この「異常」とか「想定外」という言葉も、いつの間にか、「おはよう」という言葉と同じくらいの地位に貶められてしまい、「『想定外』を専門家が使うか!」と憤る人も稀になってしまいました。ヘラヘラして、専門外の人が使っているのを見ると、なんか意味がドンドンドンドン便利な方へと流れていき、重みがなくなっていくみたいですね。「粛々と」なんてのもそうですね。まあ、適当にこれを遣っていれば、非難されないだろうてなものでしょう。
そういえば、昨日も「地震」がありました。「能登」で「震度6」。これは大きい。「最近、立て続けに地震があるような…。大丈夫か。」。日本人はみんな、そう思うのです。「南海トラフ」やら、「首都直下地震」やら、あっちでもこっちでも、予想されている地震は数知れず。で、次に、「富士山はどうだろう」となる。確率から言えば、いつ爆発してもおかしくないらしい。
もう10年ほども前のことになるかしらん。インドの留学生が、真顔で話があるとやってきました。「火山関係の単語」はまだ知らなかったので、ホワイトボードに「富士山」の絵を描きながら、「富士山が噴火したら、東京は?」と訊くのです。どうも、国の御母堂が「富士山が噴火する」という話を聞きつけ、「すぐ帰れ」コールが来たらしい。マグマが東京を覆い尽くすように捉えられたらしく、赤く東京を塗りつぶし、「こうなりますか」。「そうなったら大変だから、帰ります」と言う。
富士山と東京とは、かなり離れているというのが、実感できないのでしょう。「フンフン」と聞きながら、「灰は降るでしょうね。どれくらい積もるかわからないけれども、おそらくはインフラもかなりの影響を受け、食糧事情なども、悪化するでしょう」と、受け売りの知識で説明します。
彼は、「(火山)灰なら大丈夫」と言って、ホッとしたように帰って行きましたが、「富士山噴火」というのを、毎年のように聞いている日本人は、「またオオカミおじさんが出てきた」くらいにしか感じられず(これも怖いことですが)、聞き流すというのが習慣になっているのですが、外国からやってきた人はそうはいかないのでしょう。しかも「火山」に馴染みもなければ、日本が細く長い国としか認識できてない人からすれば、「富士山噴火」は、則ち「日本沈没」くらいの響きがあるのでしょう。
もっとも、同じような国、フィリピンから来ている学生は、「同じ。同じ」と笑っていましたが。
日々是好日