日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「日本留学試験」の「総合問題」を教えたことを思い出すと、頭痛がしてきそう…。

2021-01-22 08:44:59 | 日本語学校

家を出るときには、うっすらと雲がかかっていたのに、もうきれいな青空になっています。下り坂になるというのが信じられなくなるほど。土日は、本当に雨になるのでしょうかしらん。

毎年のように、大学受験などのために、「日本留学試験」の「総合問題」を受けねばならない学生が出ると、その都度、ため息をついてしまいます。

もちろん、国情が違いますから、「選挙というのが、今一つわからない」という人がいるのはわかります。…けれども、それ以外に、他国のことに、あまりというか、全くと言っていいほど関心を持たないように教育されている(としか思えない)国から来た人たちを見ると、どうやって、こういうのを教えていけばいいのかわからなくなってしまうのです。

日本の簡単な高校の教科者(難易度の高いものは無理ですから)を用い、最初はとにかく「覚えろ」で通していっても、ある程度感覚が掴めてくると、彼等にしても「わからない」ことが見えてくるようで、「判らない」と言い出すのです。

日本人や多分欧米では当然の知識、もう常識なのです。日本だって明治時代ではないのですから。…もしかしたら、東欧は旧共産主義国ですから、そこの人たちは、わからないかもしれません。が、昨今の彼等の国での混乱振りを見ると、支配者層はわかっていなくても、一般大衆は、目の前に、彼等が求めるような生活を享受している他国の人がいるわけですから、感覚としてわかってくるのかもしれません…(でも、自由主義の辛さ、義務や責任といったものは、理解できていないでしょうね。いいとこ取りは、どの政治体制であっても無理です。ぼけっとして享受できるわけではないのです)。

それが、彼等には、なかなかわからない。知識として、一度は「これこれだ。こういうシステムになっている」と覚えてみても、時間が経つと、また「わからない」に戻ってしまうのです。真面目で、わかろうと努力している学生ほど、そうなるのです。

中には、適当に知ったかぶりをして、突き詰めて質していくとわかっていないのがバレたりする学生も、いることはいるのですが、もうこうなるとこちらとしてもお手上げです。

国毎に、また同じ国でも都市部であるか、地方であるかによって学んできたものが違ったりするものですから、こちらにしても、毎年が勝負。その都度、相手を見ながら、教えていくわけですから、知らないと言うことを最初に言ってもらっておかないと準備のしようがないのです。時には、じゃあ、勝手にやりナと言いたくなることもあるのです。

特に「政治」、「経済」、「公民」などはそうです。歴史などは端っからわかっていないものとして扱いますから、それほどのイライラはないのです、反対に。

新聞などを利用しようにも、普通の新聞は、読むのが日本人で、高校卒業者程度の知識があることを前提として編まれていますから、なかなかこれを資料として教えていくのは難しい。

ということで、いつも、結局、「とにかく覚えろ」で、高校の教科書を読み進めていき、ある程度やってから、過去問を共に解いていくという形をとっています。

もちろん、日本で大学に入りたいというのですから、こういうことは決して無駄にはならないでしょう。勉強したことがあるというのは。

私にしても、基礎は高校までのもの。後は好きな分野は本を読んで、ある程度の知識はあるにしても、それは飽くまで自分が楽しむためのもの。人に教えねばならないから、嫌いな分野でも、それなりの知識を蓄えておかねばならないといった追い詰められた状況であったことはないのです、これまで。

それが「経済」「地理」…も。こういうのは、嫌いと言うよりも苦手、これまでは、見る機会があっても、さっと眼がそれを避けていた…。こういう分野の思考の流れが私とは無縁であるような気がするのです、理解できないもの。それが、一応、教えるという立場になってしまえば…状況は変わりますね。

もちろん、知らないことは知らないと言います。調べたけれども、どうも意味が判らなかったという時には、そう言います。それは教師としてのモラルですから。

とはいえ、できるだけのことはせねばならない。ということで、「総合問題」を教えるときは、いつも冷や汗をかいています。それにかかり切りになってしまいます、なにせ、苦手ですから。相手が一人であろうと、二人であろうと、これは同じ。

時には「過去問」を解くときに、どうしてこういう答えになるのか…特に経済関係の計算ですね。今はインターネットで調べることができるのですが、分母をどうするかで違ってくるし、多分、ここには経済学者ならではの思想というのがあるのでしょうが、この様々な学派の哲学というのが掴めない…だから、一般的なことは説明通りに言えるけれども、こういう考え方の理解が必要になってくると、そこは説明できなくなる。

経済学者の頭の構造を知りたくなるというのは、こういうときです。

去年の試験は終わりました。けれども、今年の後半か、来年、また必要になってきそうです。去年の問題でいくつか解けない(答えは発表されているのですが、調べても、よくわからないのがあったのです。だいたい、高校の教科書に出ている範囲で問題を出してくれと言いたくなります)ものがあったのですが、また2,3回分の試験問題が発表されると、わからないのが増えてくるのでしょうね

学生達は可哀想だなあ。もちろん、大学で勉強するわけですから、基礎の基礎は知っておかなければならないということはよくわかっていますけれども。

日々是好日