日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

遠い山を見て、足元を見ようとしない…。結局、コツコツと漢字を覚える人の方が、文が読めるようになる…んだけれどもなあ。

2019-06-10 11:59:15 | 日本語学校
小雨。

「梅雨入り」した途端に、雨です。とは言いましても、今朝の雨はもう小降りになり、今は止んでいる…かな。

歩いてきて、失敗しました。「羮に懲りて膾を吹く」、そう、その通り。金曜日、帰ろうと階段を下りてから、自転車の鍵がないことにハタと気づき、探している間に、どんどん雨粒が大きくなって来た。大急ぎで、探し出した鍵を差し込み、大慌てで、いざと乗り出した…はいいものの、二漕ぎ、三漕ぎするまに、もう頭から滴が垂れてきた…。

一番ひどい降りの時に帰ったようで、うちについてホッとして、外を見た時、先ほどのザァーァは、いったい何だったのだろう???

「大雨になって出ていく 雨宿り」そのものでした。

いやあ、ひどい目に遭いました。帰りだったからよかったようなものの、これが行きであったら救われなかった…。というわけで、今朝は、歩きにしたのですが…。何のことはない…自転車でもよかった。レインコートでなくてもよかった…。

実際、世の中というものはこんなものなのでしょうね。なかなか思った通りには、いってくれません。

さて、学校です。

来日時の資料の上では、非常に優秀な学生のことです。国ではかなり優秀だった…高校の成績を見る限りは。しかしながら、来日後、どうもパッとしない。暗記は出来ますし、漢字テストでもソコソコとれます。ただ蓄積ができないのです。その場限りのことは他の学生達よりもかなりできるけれども、漢字一つ見ても、コツコツ、言われたとおりに練習してきた学生とは違う。

そういう学生は、もう一年それを繰り返してきているわけですから、何度も出てきたパーツを書き間違えることは、ほとんどありません。それに比べ、彼の場合は、どちらであっても同じなのです。

初めてであろうと、5、6回出てきたもの(その都度練習して覚えてきたはず)も、同じなのです。慣れていないというのがすぐに判ります。絵を覚える、形を覚える(意味が判らなくても、書いたことがあるで、やれるのでしょう)…とまでは言わなくとも、それに近い形で、その時は覚え、書けるのだろうと思います。これでは、せっかく覚えても、何にもなりません。終われば、忘れます。記憶の端っこにでも、どこかが残っていれば、それでいいだろうとくらいにしか、直に見られなくなってしまいます。

もっとも、それでも20字くらいなら、他の非漢字圏の学生達が、何度も練習しても正しい答えを書き間違えるのに対して、10分ほどの練習で、8割くらいは書けます。でも、それで終わり。その上、違うのです。たとえ正しくは書けていなくとも、それなりに練習してきたなと思える者が書いた字と、その場でチャチャチャと覚えて書いた者の字とは、明らかに違うのです。

このクラスで教えるようになってから、彼に聞いたことがあるのです。「これから(卒業後)、どうしたいのか」と。能力があるのに、勉強しない…不真面目でとか、邪魔をするとかいうのではないのですが、心がここにないのです。すると、「専門学校に行く。知り合いに専門学校に行って、月給を28万もらっている人がいるから」。このお金が魅力なのでしょうね。自分だったら、簡単に(専門学校に)入れる。それに「N3」くらいは簡単だと思っているのでしょう。多分、そうでしょうが。

知的好奇心がないわけでもない。ただ、まだまだ「N2」レベルに入りかけたくらいのクラスでは、彼の好奇心を引き出せるほどのものは見せられないし、関心があるものも見せられない。また見せて、説明しても、「知った」で終わりで、日本語の力とはなかなかならないでしょうし、また教室の一斉授業で彼のためにやるわけにもいきません。

他の学生は、出来るだけ早く「N2」までやり(中国人学生は「N1」です)、それから読ませられるものは読ませ、見た方がいいものはDVDなりをみせるようにしているのですから。

言葉は道具であり、日本にいる限りは道具である日本語を、ある程度、使いこなせていないと、何事も(母国で学んできたもの以上のものは)学べない…。それは判っていると思うのです、これまで諄いくらい何度も繰り返してきましたから。それに、もう、彼よりも(言語方面では)能力的に劣っていた者でも、それが、理解出来ているくらいにはなっているのですから。

席替えをして一番前に置いてみたり、「ひらがな」からやり直させたりしてみたのですが、その時はすぐに出来ても、すぐに元に戻ってしまいます。どうにかしようという気がないのです。このまま、適当にしていても、自分ならば、専門学校くらいなら、入れるだろうし、そして日本の会社に入れば、適当に稼げるだろうと思っているのがありありと見て取れます。

「やりがい」とか、「(仕事の)面白さ」などを話し、気を引こうとしても、なかなかうまくいきません。もっとも、彼に話しているうちに、他の学生達が追いついて、やる気になってくれたので、無駄ではなかったのですが。

残念でも、これが限界なのでしょう。上には上があるということもわからねば、「その場凌ぎ」でやれてきたという、変な自信から抜け出すこともできません。

学校で習った「副詞」をアルバイト先で用いてみて、「日本人だって知らなかった(だから、やる必要はない)」と平然としている。「文で言ってみなければ、わからない副詞もある」と言えば、その時は判っても、自分に都合の悪いことはすぐに右から左、左から右へ消えていくのです。

それよりも、力を入れて指導すれば、伸びる学生、やる気のある学生の方に目がいくのは当然なのかもしれません。

日々是好日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする