朝、金属的な朱色の太陽を見ました。「金属的な朱色」とは言いましたけれども、実際は、この色をどう表現していいのかわかりません。色というのは、ある意味では感覚的な存在で、見えているけれども、それを言葉にして捉えることができないのです。名付けられたら、それはもう自分のものになったという感覚は、多分体験に根ざしているのかもしれません。確かにそんな気持ちになりそうですもの。
で、結局名付けられないので、同じ色と感じられる物などに代わりをさせて、つまり、その物の名をかぶせて名付けたり、あるいは、それと同じであろう色を作り出した芸術家の名で表したりしてしまうのです。
とはいえ、もともと存在している色に、改めて事々しく、それらしい名を付けたりするのですから、二重三重の手間暇をかけ、愚かしいことをしているように見えないことも …ないのです。
人は、なぜ物に名を付けたがるのでしょう。光が生み出す色、それを己の物にするために、名をつけようとしているのでしょうか。なぜ物に名をつけ、それを我が物にしようとしたいと思ってしまうのでしょう。捉えよう、あるいは光りそのものを捉えようとして、必死になってしまうのでしょうか。名前などつけられなくとも物は底に存在し、光は遍く大地を照らしているというのに。
おかしなものです。人はこういうものに知らんぷりでいることはできないように作られている生物なのかもしれません。人が人に関心を持ってしまうのも、もしかしたら同じような理由なのかもしれません。
今朝は、日の出の頃に一瞬顔を覗かせた太陽も、直ぐに灰色の雲の中に隠れ、今朝の天気は「薄曇り」。確かに今日も暑くなりそうですが、風は、どこやら、とても冷やっこく感じられます。大気が不安定なので、こんな風になってしまうのでしょう。
昨日、午後の1、2時間目が終わって、三階の教室に行きますと、学生がへばっていました。いくら陽射しが強いとはいえ、外ではなく、室内なのに…です。しかも、まだ五月です。暑さよりも、どうも、あの頃、学生たちが、フウフウ言っていた理由は、あのころ、「凪」がやってきたから…らしいのです。
風が全くなかったのです。私の感覚で言うと、二時から三時頃が凪なんて…なのですが、教室は、完全な無風状態になっていました。エアコンではなく、扇風機が欲しくなるほどだったのです。何と言っても、夏は一番上の階が暑いのです。
それでも、陽射しを遮ろうと、カーテンを閉じて授業をしていますと、急にカーテンが膨らみ、強い風が吹き込んできました。
それで慌てて、カーテンを開け、窓を閉め(全部ではありません)ながら、「凪」の説明です。
雷が鳴ったときには雷のこと、稲妻が光ったときには稲妻の名を言い、それと同じように「凪」に出会ったときには「凪」の説明をしていきます。もう少し経ったら、このクラスでも「干潮」と「満潮」のことを話してみた方がいいのかもしれません。「海」から遠いところで育った人たちは、私たちの知らないことを多く知っている代わりに、「海」のことを全く知りませんから。
私たちは「海」の様々な現象から、「地球」の活動を知り、「月」や「太陽」との関係にを知り、自分たちの立っているこの地を理解することを教わってきました。日本で創られてきたものには、どこかしら「潮の香り」がしているような気がします。時には荒磯の香りであり、時には海から立ち上る霧であったりするのですが、総じて、湿っぽいのです。
この感覚を、カラリとした大地で生い育った人たちにどこまで判ってもらうことができるのか…。もちろん彼らはここを卒業した後、ある者は二年、ある者は四年、また大学や専門学校を卒業しても、それ以後も、日本で働いていくことを選ぶかもしれませんし…、時間は十分あるのです。
とはいえ、見る気が無ければ、目の前に存在していようとも、気がつくこともないでしょうから、それが「ある」ということだけは、伝えておくことにしましょう。日本の五季(春夏秋冬、そして梅雨)を。
さて、卒業生です。
昨日、一人、今年卒業した学生がやってきました。いろいろ話しているうちに、「私たちの国の人は、お金をたくさん持っていません。日本語が下手なうちは、仕事がありません。困っているなら、自分のアルバイト先の人に話してもいい」。それから、「今の専門学校では、あまり日本語の勉強ができない。もっと勉強をしておけばよかった」。だから「新入生にはアルバイトを紹介してもいいけれども、もしこの学生たちが学校を休むようなことがあったら、ちゃんと言って聞かせる」とも言っていました。
私たちは「ホントかな。でも確かに顔つきは締まってきたし…、でもホントかな」くらいの気持ちで聞いていたのですが、何にせよ、だれかがアルバイトを紹介してくれるというのは、言ってくれるだけでも嬉しいことです。漢字圏の学生はまだいいのですが、非漢字圏の学生たちは、最初の半年ほどは、本当に(アルバイト探しに)苦労するようですから。
それからもう一人。国立の大学院に合格した学生が大学の寮に入れることになったと報告してくれました。奥さん(彼女もこの学校の卒業生です)と赤ちゃんの三人で2DKの部屋です。家賃もかなり安く、大学にも近いとのこと。
昨日は、嬉しいことがあったので、ちょっと疲れ気味だった皆(教員)も、少し疲れが飛んだかな
日々是好日
で、結局名付けられないので、同じ色と感じられる物などに代わりをさせて、つまり、その物の名をかぶせて名付けたり、あるいは、それと同じであろう色を作り出した芸術家の名で表したりしてしまうのです。
とはいえ、もともと存在している色に、改めて事々しく、それらしい名を付けたりするのですから、二重三重の手間暇をかけ、愚かしいことをしているように見えないことも …ないのです。
人は、なぜ物に名を付けたがるのでしょう。光が生み出す色、それを己の物にするために、名をつけようとしているのでしょうか。なぜ物に名をつけ、それを我が物にしようとしたいと思ってしまうのでしょう。捉えよう、あるいは光りそのものを捉えようとして、必死になってしまうのでしょうか。名前などつけられなくとも物は底に存在し、光は遍く大地を照らしているというのに。
おかしなものです。人はこういうものに知らんぷりでいることはできないように作られている生物なのかもしれません。人が人に関心を持ってしまうのも、もしかしたら同じような理由なのかもしれません。
今朝は、日の出の頃に一瞬顔を覗かせた太陽も、直ぐに灰色の雲の中に隠れ、今朝の天気は「薄曇り」。確かに今日も暑くなりそうですが、風は、どこやら、とても冷やっこく感じられます。大気が不安定なので、こんな風になってしまうのでしょう。
昨日、午後の1、2時間目が終わって、三階の教室に行きますと、学生がへばっていました。いくら陽射しが強いとはいえ、外ではなく、室内なのに…です。しかも、まだ五月です。暑さよりも、どうも、あの頃、学生たちが、フウフウ言っていた理由は、あのころ、「凪」がやってきたから…らしいのです。
風が全くなかったのです。私の感覚で言うと、二時から三時頃が凪なんて…なのですが、教室は、完全な無風状態になっていました。エアコンではなく、扇風機が欲しくなるほどだったのです。何と言っても、夏は一番上の階が暑いのです。
それでも、陽射しを遮ろうと、カーテンを閉じて授業をしていますと、急にカーテンが膨らみ、強い風が吹き込んできました。
それで慌てて、カーテンを開け、窓を閉め(全部ではありません)ながら、「凪」の説明です。
雷が鳴ったときには雷のこと、稲妻が光ったときには稲妻の名を言い、それと同じように「凪」に出会ったときには「凪」の説明をしていきます。もう少し経ったら、このクラスでも「干潮」と「満潮」のことを話してみた方がいいのかもしれません。「海」から遠いところで育った人たちは、私たちの知らないことを多く知っている代わりに、「海」のことを全く知りませんから。
私たちは「海」の様々な現象から、「地球」の活動を知り、「月」や「太陽」との関係にを知り、自分たちの立っているこの地を理解することを教わってきました。日本で創られてきたものには、どこかしら「潮の香り」がしているような気がします。時には荒磯の香りであり、時には海から立ち上る霧であったりするのですが、総じて、湿っぽいのです。
この感覚を、カラリとした大地で生い育った人たちにどこまで判ってもらうことができるのか…。もちろん彼らはここを卒業した後、ある者は二年、ある者は四年、また大学や専門学校を卒業しても、それ以後も、日本で働いていくことを選ぶかもしれませんし…、時間は十分あるのです。
とはいえ、見る気が無ければ、目の前に存在していようとも、気がつくこともないでしょうから、それが「ある」ということだけは、伝えておくことにしましょう。日本の五季(春夏秋冬、そして梅雨)を。
さて、卒業生です。
昨日、一人、今年卒業した学生がやってきました。いろいろ話しているうちに、「私たちの国の人は、お金をたくさん持っていません。日本語が下手なうちは、仕事がありません。困っているなら、自分のアルバイト先の人に話してもいい」。それから、「今の専門学校では、あまり日本語の勉強ができない。もっと勉強をしておけばよかった」。だから「新入生にはアルバイトを紹介してもいいけれども、もしこの学生たちが学校を休むようなことがあったら、ちゃんと言って聞かせる」とも言っていました。
私たちは「ホントかな。でも確かに顔つきは締まってきたし…、でもホントかな」くらいの気持ちで聞いていたのですが、何にせよ、だれかがアルバイトを紹介してくれるというのは、言ってくれるだけでも嬉しいことです。漢字圏の学生はまだいいのですが、非漢字圏の学生たちは、最初の半年ほどは、本当に(アルバイト探しに)苦労するようですから。
それからもう一人。国立の大学院に合格した学生が大学の寮に入れることになったと報告してくれました。奥さん(彼女もこの学校の卒業生です)と赤ちゃんの三人で2DKの部屋です。家賃もかなり安く、大学にも近いとのこと。
昨日は、嬉しいことがあったので、ちょっと疲れ気味だった皆(教員)も、少し疲れが飛んだかな
日々是好日