日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「大雨のはずなのに」。「子供っぽくなっていく『Aクラス』の学生」。

2010-09-23 15:23:18 | 日本語の授業
 今朝、8時過ぎ頃から、雨が降り出しました。昨夜、もしかしたら、(明日)目覚めたときには雨が降っているかも知れないなと期待していましたのに、降ってはいませんでした。しかも、それほど涼しくはなかったのです。

 それが、何時頃でしたろうか、ガラス窓を、雨の一滴がスウッと流れ落ちたのです。テレビでは予報官が海上を切り裂いている前線を指さしながら解説を加えています。本当に強い雨が降るのかしらんと、それでも半信半疑で見ていると、突然、強い風が吹き込んできました。もう生ぬるい風ではありません。それから急に、辺りが真っ白になるような雨が降ってきました。ホンの少しの時間でしたけれども。午を過ぎた頃にはもう止んでしまいました。ベランダが乾いたので、わかります。それから少しして、目を凝らして見ると、小糠のような雨がぱらついているのが見えました。

 空には、低いところで、薄い灰色の雲が流れています。まだまだ降るのかしらん。なんだか中途半端な雨…としか思えないのですが。

 この雨に、人が戸惑っているのに比べ、樹々や草花はホッとしたことでしょう。草花が日照りで枯れてしまうというのならわかりますが、今年は、樹まで大変な思いをしていたようです。陽に灼けて葉を変色させてしまった樹も、少なくなかったようでしたから。特にサツキのような灌木は弱っていたようです。

 例年ですと、日中は暑くとも、日が沈む頃にはザアッと夕立が降って、一息させてくれていましたから、草木も「ちょいと、いい加減にしてよ」と言いたかったことでしょう。

 さて、学校です。
「Aクラス」の学生のうち、先日、教授から返信メールをいただいた者がいます。それで、早速指定された時間に、教授の研究室へ行き、お話を伺ってきました。その時に、読んでおくべき本を教えていただいたのですが、これが、捜しても、なかなかないのです。どうも絶版になっているようなのです。

 私たちもインターネットを使い、どうにか手に入らないかと捜してみましたが、手に入れることが出来ません。それで、「図書館へ行ってリクエストを出しておいで」と近所の図書館へ行かせました。翌日、学生が言うことには、「時間がかかるかも知れない」と言われたらしいのです。

 ところが、火曜日の午後、学校に来るなり、「先生、図書館から連絡がありました。見つかったそうです」。「今から行ってもいいですか。図書館へ行って本を借りてきます」とすぐに許可してもらえるはずと、ニコニコしながら言います。とんでもない、「今から、授業があります。だめです。自転車で行けば、休み時間内に行って戻って来られるから、後で行きなさい」と、その時は行かせずに、授業を受けさせました。

 そして、14時45分になると、飛んで行ったのですが、しばらくすると、ひっそりと戻ってきたのです。しかも、「しまった」という、どこか、いたずらを見つけられた時のような、顔つきなのです。皆、怪訝そうに彼を見つめていたのですが、「先生、今日は振り替え休日で図書館は休みでした」というのを聞き、悪いなと思いながらも、もう教室の中は、爆笑です。

 気の毒といえば、確かに気の毒ですし、笑うなんて不謹慎な…のはずなのですが、「待ちに待ってやっと届いた」と本人も思い、私たちも、彼と同じような気持ちで待っていたのです。彼の表情もおかしかったのですが、肩すかしを食ったような、力が抜けたような感じで、思わず、皆、笑ってしまったのです。

 で、翌日の水曜日、昼に学校に来ても(彼は午後のクラスです)、さすがに「今から行きます」とは言いません。休み時に行くつもりなのでしょう。けれども、「一日待ったんだ。あと4時間ほど待っても良いだろう。水曜日は8時まで開館しているから」と、結局、授業が終わってから行かせました。

 この青年は、来日した頃に比べると、どんどん素直に、そして子供っぽくなっていきます。最初のころは、体中の毛を逆立てて身構えているような具合でしたのに。その緊張が、半年を過ぎた頃からどんどん解け、今では、その「素」のままでいるような気がします。私たちがどうからかっても、もう平気です。そのままに、善意に解釈してくれているようです。

 どの学生もそうなのですが、一年くらい共に暮らしていますと、互いの事が分かってきます。ここでも、繰り返し書いてきたことですが、私たちは、彼らが、母国ではできなかった「自己実現」が、日本で出来るようにと、そのために、「留学生試験」も「日本語能力試験」も、そして、「大学」や「大学院」、「専門学校」の入学試験も考えているのです。それらが、最終の目標であるとは考えていません。

 この学校で、日本語を学ぶことは、そのための第一歩、つまり、一歩でしかないのです。ただ、たとえ一歩であろうと、その向きが誤ってしまうと、将来、彼らの人生設計に大きな影を落とすことにもなりかねません。自己実現どころか、日本での生活も辛いことになるかもしれません。そのために、他の人(いろいろな人が日本にはいます。かつてはいい友人であったとしても、日本での生活に負けてしまって、知り合いを自分と同じ道に引きずり込もうとする人もいないわけではありません)に釣られたり、騙されたりしないように、そして、もし、少しでもおかしくなりそうであったら、注意し、話し合い、考えさせていきます。

 もちろん、最後に決めるのは本人です、すでに二十歳を過ぎているのですから。私たちも力尽くで従わせるようなことはできません。彼らの人生は彼ら自身のものであり、彼らの人生の選択は、彼ら自身が決めるものでなければならないからです。

 ただ、私たちは、本人が学びたいと思い、そして、そのための努力もし、能力もあった場合、また、私たちの指導を受けたいと思い、それを望むときには、私たちに出来る限りのことはします。

 人の気持ちを受け入れられるのも「才能」、誰のいうことを信じたらいいのかがわかるのも「才能」。それは、彼らの祖国にいても、日本にいても、そして他の国にいても、結局、どこにいても、同じことなのです。

日々是好日
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