日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「学校に来たら、すぐに机の上に、本やノートなどを出しておく…という習慣」。

2014-05-13 08:50:28 | 日本語の授業
 小雨。

 昨日、ちょうど帰りに大粒の雨に降られてしまいました。「来た、来た」と大慌てで自転車を走らせて戻ったのですが、着くともう小降りになっています。こんなことならスーパーに寄るのであったと、プンプンしながらうちに入ったのですが。

 もっとも、ずぶ濡れにならずにすんだだけましだったのかもしれません。いつぞやは、学校に来る途中、やられましたもの。着いた時はグッショリ、濡れ鼠でした。本当に僅かの距離ですのに、雨の威力たるや、ものすごいものです。

 あれ、ここまで書いて気がつきました。急に小鳥たちの声が喧しくなっています。すぐに雨が止むのでしょう。

 さて、学校です。

 『初級Ⅰ』のクラスでは、机の最前列から最後列に至るにしたがって(四列しかないのですが)、学生達の声が小さくなるという、お決まりの現象が起きています。これが、同じ『初級』でも、2冊目に入っていますと、「眠い人は後ろへ」と言えるのですが、まだ、「形容詞」が入ったばかりという四月生には、それはできません。

 それに、日本語が殆ど話せない彼等は、アルバイトなんてありませんもの。ただ単に勉強する習慣がない、あるいはする気がないだけで、私たちが、「こんなに眠いのに、よく来た」と言いたくなるような、ある種の学生の状況とは違うのです。

 宿題も、やらない。もっとも、これは、「これまで(母国で)そういうものをやったことがないから、やらなければならない」という「気持ち」がないからなのでしょう。ディクテーションにしても、こちらが見て訂正した後、ノートを返す時に、「間違えてあるところをもう一回書きなさい」と言っても、そういうことをしたことがなければ、そんなことを言われているなんて想像もつかないのでしょう。

 日本では小学校の時に、少しずつこういう習慣がつけられていきます。ですから、全く言葉がわからない国にいっても、教室で、こういう状況であったら、「おそらく、こんなことを言われているのだろう」と察することができると思うのですが、彼等はそうではないのです。

 もちろん、言われなくても、すぐにノートを見てチェックする学生はいます。けれども、それは、彼一人だけのことで、教育の一環としてそういうことがなされているわけではないようです。

 もっとも、日本の学校に於いても、皆が皆、同じことをしなければならなかったというわけではありません。

 若い教員と話して、中学校に入っても、担任が当日の持ち物検査をしていたと聞き、「へっ?」。私たちのところでは、それは、各担当教員の問題で、担任がすることではありませんでした。まあ、授業が始まる前に、その授業の教科書やノートなどを出しておかなければなりませんでしたが。

 日本語学校に来る学生達の多くは、最初、午前であれ、午後であれ、学校に着くと、そのまま、何もせずに椅子に腰かけています。机の上にはまだ何も出していません。つまり、始まる前に、来たらすぐ、教科書やノート、鉛筆や消しゴムなどを机の上に出しておくという習慣がない人たちが多いのです。

 教室に行ったらすぐに、「机の上に教科書を出しておきなさい」と、初めのころは言っていたのですが、そうすると、教科書だけ出すのです。で、ノートも鉛筆も出さない…。「全部出せ」と言っても、「全部とは何かいな」くらいのもので、ピンとは来ない。

 それでも、毎日きちんと学校に通ってくるうちに、少しずつわかってくるようなのですが、そうではない人たちは、いつまで経っても、この「学校に来たら、すぐに教科書やノートなどを机の上に置く」ということができないのです。日本の会社に入れても、次を考えて行動することができなければ、使い物にならない人と思われてしまうのではないかと、…それを言っても、わからない…。

 もっとも、四月生は、四月に来たばかり、やっと一ヶ月ほどが経ったばかりですから、今まだ、準備できるのは、せいぜい教科書一冊くらいのもの(もう、毎日使うモノを覚えてよと言いたくなるのですが、それもグッと堪えて)。「単語の本」と言うと、慌ててカバンからそれを出す。「鉛筆」と言うと、今度は、また鉛筆を探す…。「全部机の上に置いておけよなあ」とため息をつくのですが、国での習慣というのはなかなか変えられないのです。

 けれども、そういう学生達を見ていると、日本のやり方の方が特殊なのかもしれないなという気がしてきます。「すぐに次の作業ができるように。時間を節約できるように。タラタラしない」と、効率ばかり追求している…ような気がするのです。

 彼等は、一つ終わると、隣の人とペチャクチャおしゃべりをし、あちらこちらを見、また一つ終わるとペチャクチャとおしゃべりし、周りを見る、非効率この上ない…ことはそうなのですが。けれども、彼等は、別に、大学に入りたいのでも、いい専門学校に入りたいのでもないのでしょう。適当に日本語学校で2年、専門学校で2年、それが終わってそれなりに日本語が聞いて判る程度になったなら、どこか友達が勤めているところに引いてもらえれば、それでいい。あるいは帰国するかもしれない。

 だったら、こちらがそれほどシャカリキになって、勉強させようとしないほうがいいのかもしれない。慣れないことをさせられる彼等は、被害者になったような気がするでしょうし。

 もっとも、『初級Ⅰ』は、だれでも、楽に楽しめて、それで終われるようなレベルですから、それでもいいのですが。

 ただ、大半の学生達の来日の目的は、日本の会社で働くことですから、そのためにも、ある程度は考え方を改めてもらわなければならないところもあるのです。

日々是好日
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「母語が違うと、文化が違うと、…大変…一斉授業は。その上、それほど勉強する気のない人たちは」。

2014-05-12 08:34:10 | 日本語の授業
 晴れ…でしたが、もう少し陽が翳ってきました。風もかなり強くなったようです。

 天気予報によると、夜には雨が降り出すとのことでしたが、この分で行くと、学生がまだいるうちに、この前のような突風が街に襲いかかり、激しい雨が降るかも知れません。確か、今朝の予報図には、雷様のマークがついていなかったような気がするのですが。とはいえ、また、雷様が鳴りだしたら、ちょっと大変ですね。一度にグッと暗くなりますもの。

 さて、学校です。

 スリランカ人学生達に手を焼いています。どうやって(学力を)伸ばしていったらいいのか判らないのです。同じくらい人数のいるベトナム人学生は、なんとなくわかります。きちんと学校に来て、しかも寝てさえいなければ、おそらくゆっくりとではあるでしょうが、(以前の中国人学生達の)2倍か3倍ほどの時間を掛ければ(漢字がありますから)、「中級」文法もわかるようになるでしょうし、単語も覚えられるでしょう、この学校にいる間に。

 ところが、スリランカの学生は、そうやって他の国の学生達と同じに出来る人が少ないのです。『初級』までは、つまり、「あまり考える必要がない、特別に憶えようと努力する必要のない」ところまでは、他の民族の2倍も3倍も早くできるのですが。もちろん、母国でやって来ていたり、きちんと毎日学校に来ていたらの話なのですが。

 ただ、彼等は、それからが、ずっと平らなままなのです。真面目に一生懸命している人も、です。「話す」「聞く」は、「初級文法」を駆使すれば、日常会話には事欠きませんから、大丈夫ですし、日本にいるわけですから、単語は自然に覚えていけます、生活の中で。

 しかしながら、「本を読んだり、考えたり」が、つい、こちらも「無理かな」と思ってしまうほど、出来ない人が多いのです。全然入っていかない…術がないと思われてしまうのです。

 話すことは、すぐに上手になります。不法滞在で日本にいて、少しも学校に行ったことがないと言う人でも、ペラペラと話せます。これも、文法が日本語に近いから楽だと言っていましたから(タミルの人たちはもっとすごかった)、モンゴル国の人がすぐに日本語をマスターしてしまうのと同じなのでしょう。

 でも、これでは何のために学校に通っているのか判らないじゃありませんか。

 少なくとも、彼等を見ている限り、学校に行っている人と行っていない人の(学力といえるかどうかは判りませんが)差がはっきりとは見えないのです。だから、彼等を力づけようもないのです。

「あの人達も話せるし、聞き取れる。でもね、みんなは学校で勉強しているから、こんなことも判るし、あんなことも出来るようになっている」とは、言えないのです。

 だって、そういう人達と大して差なんてないんですから、大部分のスリランカ人学生は。下手をすると、何を言っているのか判らないくらいなのです。学校に行くチャンスのない働くためだけに日本にいる人たちの方がずっと見事な日本語を使いこなしていると思われるほどなのですから(生きるための日本語ですから、強い)。

 きっと聞いて覚えていくのでしょうね。文章を読んで意味を掴むということが苦手な人が多いのでしょうね。でも、それでは、後がないのです。「進学したい」と言っているのですから。

 教壇に立っていると、不思議と見えてくることがあるのです。もっとも、これも会社であっても、どういうところであっても、人が集まるところであったら、同じなのでしょうが。つまり、ここまではいけるだろうが、あそこまで無理だろうという感じなのです。

 それが、彼等には、「あっ、止まった」という感じで来るのです。そこにいったら、後はこちらが手を変え品を変えしてやってしても、入っていかないのです。全部、跳ね返されてしまうような感じなのです。

 しかし、「初級」が終わってすぐに、この「停止状態」が来るというのは、いくら何でも早すぎます。もちろん、そうではない人もいるのですが(そういう人は、「特別」という気がするのです)。それに、『中級』に手がかかるくらいにまでなる人もいるのですが、それとても、そこで止まってしまうのです。

 そんな状況のまま、「N3」に合格する人もいるのですが、合格したと言っても、(合格した後)一か月か二か月もそのままで(安心しているのでしょう)いるうちに、レベルがどんどん落ちていきます。「もういいや」と思ったら、完全にやらないのでしょうね、考える作業ができないのです、文章を読んでするという作業が。

 「これをして」とか、「ああやって」とか頼むと、自分で考えてすぐにしてくれるのですが。

 それに「幼いから、できない」のではないのです。ベトナム人にはこういう人がいましたが。その時は、「そうか、(高校を出てすぐに来たから)子どもだから、そこまでは考えられないんだ」と思ったものでした。が、彼等はそうではないのです。頭も悪くない、普通の大人です。そうであっても、(だからこそでは、ないのです)できないのです。

 『初級』と『中級』『上級』では、勉強の仕方が、全然違います。内容も少しずつ、考えねばならなくなっていきます。文化的な要素も出てきます。それがどうもわからないらしい。だから『初級』の時と同じように、何回もリピートして覚えていけばいいくらいに思っているのでしょう。

 軽く考えているくせに、学校に来た時には、(難しいと言って)呆然としています。そしてどうも放棄しているように見えるのです。それでも、『初級』は彼等にしては簡単すぎますから(私たちはそうは思わないのですけれども、聞いて判るから嫌なのでしょう)、戻るのは嫌。とはいえ、彼等だけのクラスを立ち上げるほどの数はいない…本当に大変です。

日々是好日
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「五月晴れ。けれども、昼過ぎから崩れるとか…」。

2014-05-09 08:51:26 | 日本語の授業
 晴れ。

 正に「五月晴れ」。

 とは言いながら、昼過ぎから、大気は不安定になるそうで、予報では、関東甲信越地方に、落雷、竜巻、突風、降雹、急な激しい雨…が来るかもしれない…とか。

 今どきに起こり得る、不安定な状態を言い尽くした…かのような気もするのですが、けれども、昨日も昼過ぎから突風が吹いていました。

 自転車がバタバタと倒れたのが、ちょうど午後のクラスの休み時間。自転車がなぎ倒されたのを見て、慌てて外に飛び出したのが、中国人の女性、ただ一人。不思議でしたね。普段なら、スリランカの男子学生がすぐに出ていくのですが、こんな時には、ところが、後の人たちは見慣れた光景だとばかりに、平然とおしゃべりを楽しんでいるばかり。

 それを見ている私も、彼女一人がああして、飛び出したのが、何となく判るような、そして、他の国の人たちがそうしなかったのも、何となく判るような、そんな気がしていました。不思議といえば不思議なのですが、ああいう光景も見慣れているような、そんな気がしたのです。

 中国にいる時も、凡そ、中国と国交がある国はすべて、あの学校に集められていたような状態でしたから、日本にいては、決して出会えなかったであろう国の人たちとも話をする機会はありました。けれども、やはり、(単なる友達として対するのと)教師として対するのとは違います。

 学生同士であったなら、少しでもそりが合わないと思えれば、すぐに遠ざかることができましたし、むろん、話をする必要などもありませんでした。だいたい、嫌な相手に無理に合わせる必要もありませんでしたし。

 互いにいくら軋むような関係であっても、同じ所にいなければならないというのとは違って、学生であったら、そばには気の合うような人たちがたくさんいましたから、そちらと話していればよかったのです。

 ところが、教師として、他の国の人たちに対さねばならなくなると、そこは、もう耐えきれなくなるような鼻持ちならない相手とも、嘘ばっかりついている相手とも、毎日のように顔を合わせなければ(角突き合わせなければ)なりませんから、ストレスがたまります。

 こちらが嫌だと思っていれば、たいてい相手もそう思っていますから、互いに辛いはずなのですが。ところが、面白いことに、そういう人に決まって、自分を高みに置いていますから、平気なのです。

 「私は変わらない、お前が変われ」。あるいは、「私は正しい、文句のあるお前が間違っている。なぜなら、私は偉いから」。

 この「偉い」というのは、平等社会で育った私たちには、到底理解できないようなものなのでしょうが、見ていると、日本語でいうところの「自分を偉いと思っている」以外の表現が浮かばないのです。

 貴族時代の、「6位」とか、そんな連中の持っていた、曰わく言い難い、自尊心みたいなものです。「胡麻官」であっても、貴族は貴族ですから。多分、彼等なら、ああいう感覚でいたのだろうな、と、平民である私は思ってしまうのです。

 どうしてあんなしょうもない人間(ごめんなさい)が、「偉い」と思えるのだろう、ああいう失礼極まりない態度を取ることができるのだろうと、不思議でならないのですが。多分、彼らの国では、それで通用するのでしょう。もちろん、同じような態度であっても、インドとスリランカでは少し違うようでしたが(他のインド人が、そういうインド人に対する態度と、他のスリランカ人がそういうスリランカ人に対する態度とは)。

 向こうだって、嫌われたくないでしょうに、どうしてああいう態度を取るのでしょう。時々不思議になってしまいます。見ていると、(彼等の)国でも、これまで、そういう態度を取っているということで、友人関係にヒビが入ったり、嫌われたりと、そういうことが起こっていたようには見えないのです。

 もちろん、そういう人でも、毎日学校に変わっているうちに変わることはあります。ただ、そういう人に限って、休みが多いのです。おそらく、学校に来ても、思い通りにならないから、不満なのでしょう。ここでは、自分が思っているようには、だれも見てくれません。だいたい、国を離れたら、あとは「その人だけの力」です。自分が他者から尊重されたいと思ったら、それなりの努力をすべきです。けれども、そういう人は、国にいる時のままで、押し通そうとするのです。

 これでは、だれだって、嫌になるでしょう…けれども…同じ国の人が多いと、それでも、通じてしまうのです。だから、やはり、いろいろな国から、少しずつ来ている方がいいのです。

 日々是好日

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「学校に来るということは、日本語の勉強のためではないのです」。

2014-05-07 08:43:42 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日の寒さがまだ残っています。関東地方も内陸部で遅霜が降りていたという話です。

 とはいえ、今日、昼にはまた20度を超すそうですから、ちょっと一安心。この連休で更衣とばかりに、服の入れ替えをしていた人も多かったようですから。

 前半、後半と分かれたとはいえ、連休が続きました。さて、学生達は勉強の「体勢」に戻れるでしょうか。「ずっと教室にいること。きちんと座っていること。必要なことをメモできること…」。せっかく、ある程度身についてきたことも、休みが続くと、白紙に戻ってしまう…こともあり、ちょっと不安です。

 もちろん、国でこういう習慣がついている人は別ですが。

 実は、(日本語学校に来る人たちの中には)そうではない人が少なくないのです。

 何も言わずとも、必要な箇所に線を引く、メモを取る、教師が話している時には黙って聞く。テストの時には周りを見ない、隣に聞かない、また見せない。

 日々の授業の時には、(日本語を)教えることもさることながら、「人が話している時には、その人の話を聞く」「一方的に話さない」をはじめとして、さまざまな事も同時に伝えていかなければならないのです。だって、彼等の希望は、最終的には、日本で就職することなのですから(だいたい、アルバイトでも、店長や班長が話している時に、隣の人と雑談していたりしたら、問題です)。

 この学校に来ている人達は、最近では、ベトナム人を主とする東南アジアの人たちとスリラン人を主とするインド圏の人たちに、大きく分かれるようになりました。

 以前は、「漢字圏」と「非漢字圏」とで一括りにし、クラスを分けたりしていたのですが、最近は、「非漢字圏」の中を、これまた、きちんと学校に来ているかどうかで分けるようにしています。いくら素地があっても、学校に来ないのでは話になりません。だいたい、漢字が「覚えられない、読めない」では、『中級』教材に対処できないでしょう。

 これが、「研修生」であったなら、会話ができればいいだけでしょうから、スリランカの学生は楽勝なのですが。

 彼等は『初級』までは、何とかなるのです。読めなくても、「聞く」「話す」はお手の物ですから。ですから、ヒアリングにも難のあるベトナム人学生などが愚かに見え…てしまうのでしょう。露骨に表情に出す人がいるくらいですから。これも、失礼なことです。そうすべきではないのですが、判らないのです(それを言えば、私が頭のいいのが、わからないとばかりに自分が可哀想だと喚かれるのがオチですので、もう、最近は黙っています)。

 ただ、私たちはそう(彼女が頭がいい)とは見えませんけれどもね。

 母語というのは、不思議なもので、例えば日本人であったなら、英語を勉強するにしても、アラビア語を勉強するにしても、どの国、民族の言語を勉強するにしても、文字がある言語であったなら、必ず、まず、「書く」と思います。「文字を書いて、書いて、書いて覚えようとする」でしょう。

 日本語の文字には、漢字あり、ひらがなあり、カタカナあり、そして時にはローマ字ありで、書かなければ身につかぬとばかりに、子どもの時から、学校でも「書いて」、宿題でも「書いて」、何もすることがなかったら、まず、「書いて」を繰り返してきたのです。これは、「寺子屋」の時代もそうだったのでしょうから、文字が書けなければどんな商売もできなかった…のでしょう。

 それが、先生の顔だけを見て(という印象)勉強してきていれば、書くなんてことは習慣にないので、やらない…のでしょう、いくら言っても、「できない」で終わり。「難しい」で終わり。

 中国にいた時も、不思議に思っていました。中東の人たちも、アフリカの人たちも、ラテンアメリカの人たちも、東南アジアの人たちも、「書かない」のです(欧米人で当時、中国に来ていた人達は、私費でしたし、漢字に興味を持っている人たちが多かったので、漢字はよく書いていました、少なくとも私の身近にいた人たちは)。そして、簡単な文ならすぐに暗記できて、それを繰り返して、中国人と、すぐに流暢な会話ができていたのです。

 日本人は、ちょっとでも、自分達の漢字と違うと、こ「りゃ、覚えなけりゃ」と、何度も何度も書くモンですから、必死になりどころが彼我では全く違う。

 もちろん、文章を読むとなると、彼等はお手上げなのですが、「話す」「聞く」は、すぐに中国人並み(?)にできる(ように聞こえる)ものですから、出会う中国人は皆、「すごい、頭がいい」と彼等に言い、日本人は話せませんから、「頭が悪い」とまでは言いませんが、腹では思っていたようでした。

 それが、そのまま、日本語を学ぶ中国人にも見えて、面白い。中国人も日本人も、まず「書く」のでしょうね。ただ、最近の若い人たちは、少し違ってきているようですが。

 スリランカ人にしても、インド人にしても、パキスタン人やバングラデシュ人にしても、「書けない」「読めない」でいたら、(日本語を学ぶ場合)「中級」以後は難しいのです。

 少なくとも、以前、卒業した学生(スリランカ人、インド人、パキスタン、やバングラデシュ人で)で、日本で希望する会社に就職できた人たちは、よく書いていました。漢字の数が千を超えると、どうしても「どちらだっけ」と、書く時に迷ったり、忘れたりしてしまうのですが、読むことは読めていましたし、メールで正しい漢字を選んで送ることはできていました。彼等は、いつも学校に来ていましたから、それができたのでしょう。

 『中級』でも、『初級』と同じつもりで、「『初級』は簡単だったから、『中級』でも、簡単にできるだろう」と考えていたら、大間違いなのですけれどもねえ。却って、孜々として漢字の練習を地道に続けていた人の方が、文章が読めて、いつの間にか知識も増えているのですけれどもね、どうしても、それが判らない人がいるのです。これも、子どもの時からの思い込みなのでしょうか、それとも、「ありがとう」でも言えたら、すぐに「すごい。上手」と言ってしまう日本人が悪いのでしょうか。それとも、「下」しか見えない(自分より劣っているところしか見えない)その人自体の問題なのでしょうか。

 「非漢字圏」の人たちを私たちが見るのは(つまり、どのレベルかという視点から)、いくらペラペラ話せていても、「どの程度の文法を使って話しているか」ということと、「漢字」の数なんですけれどもね。

日々是好日

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「皐月になりました」。「日本へ来たからって、安心しないでね。まだ道は長いのだから」。

2014-05-01 11:52:40 | 日本語の授業
 雨。

 糠のような雨が降っています。小糠雨とはよくぞ申したと言いたくなってしまうほどです。この雨も(ジワジワと明るくなってきましたから)、もうすぐやむことでしょう。

 さて、今日から「五月」です。もう「皐月」なのですねえ。これも、月が変わる毎に、「もう○○月となりました。速いものですねえ」と言っているような気がするのですが、でも、これは、毎度のことながら…、実感なのです。

 すっかり緑を深めた「桜」の樹も、枝垂れた枝に、小舟のような鋭い緑の葉をつけた「柳」の樹も、時間の速さを物語っているような…。

 そして、直に六月(『日本留学試験』)、続けて七月(『日本語能力試』)がやって来ます。学生達は日々の暮らしに追われていますから、この、一ヶ月先、二か月先というのがどうもハラに落ちていかないようなのです。

 (試験の)2週間くらい前になって、「もうすぐ、試験だよ」と言えば、やっと「ハッと」でもしてくれるのでしょうか。いや、きっと何人かは、「へ?!なに?それ?」なんて表情をするでしょうね。あるいは、「嫌だァ。忘れてた」なんて言い出す人もいるかもしれません。

 その点、在日の方は違います。買い物がスムーズにできるようになるためであれ、あるいは、日本の会社で働けるようになれるためであれ、目的がはっきりしているのです(そうでなければ、金は払いません)。既に、日本にいるのですから。

 留学生達は、まず、日本に来ることが目的の一つなのです。これは、日本に来ることがと言ってもいいでしょうし、あるいは、国を出ることがと言ってもいいと思うのですが。ただ、来てしまえば、国で勉強の習慣が全くなかったり、家事の経験がなかったりすると、もう(日本に)来ただけで満足してしまい、次を考えられない人も出てきたりするのです。

 「もう、(日本に)来られたから(つまり、外国へ来たから)、いいや。後は適当にしておこう」くらいの感覚で過ごしてしまえば、1年だろうが、2年だろうが、年月はあっという間に過ぎてしまいます。そして、「進学」せねばならぬ時を迎えるのです。

 何事であれ、「適当」にして、何ほどのものが得られるかと問えば、もちろん、「知れたもの」でしかないでしょう。普通の能力の人が、普通に勉強して、普通ほどの成績を得られるなら、休みが多い普通の人は、それなりに、あちこちで一つ一つ欠けていきます。それがなかなか理解できないのです。困ったことですが。

 まずは毎日学校へ来ること。変な理屈をつけて、休み、それを当然と言い続けているような人もいましたが、今、またそういうタイプの人が学校に来ています。前の人と同じ国の人です。この国にはどうも、そういう傾向がある人が多いのかも知れません。

日々是好日
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「雨」。「匂いも、それぞれの国の『文化』の一つ」。

2014-04-30 08:32:47 | 日本語の授業
 雨。

 今日は一日中、雨が続きそうです。今は、柔らかな春雨ですが、日本海側は突風が吹いたり、雷様がゴロゴロと来なすったりするそうで、それがこちらにも移ってくるかもしれず、まずは、くわばらくわばら…。

 雨が、朝から降っていれば、学生達も傘を持ってきているので、傘がない(持って来ていなかった。濡れてしまう)と騒ぐこともありません。この中でも、中国から来た学生ほど、急に雨が降り出した時に「傘がない」と騒ぐ学生はいません。これも最近のことですが。

 他の国から来た人達が(もちろん、私が行ったことのある国の、大気の具合しか判らないのですが)「大丈夫」と言い、少々の雨なら突破するほどの勢いで帰れるのも、もしかしたら、まだ、きれいな空気の下で暮らし、汚染された黒い雨に衣服を汚されたという経験がないからかもしれません。大気汚染など、都市なら世界中で見られる現象でしょうけれども。

 私が中国にいたのは、85年頃でしたから、随分前のこと。しかも、その頃はまだ大気汚染云々とか、あまり言われていませんでした。もっとも、星も見えず、40分ほども自転車を走らせれば(車は殆ど走っていませんでした。まさに自転車大国の頃のことです)、上着の袖ぐりをはじめ、どこもかしこも、黒い縞模様ができたりしていたのですが。

 休暇中、2、3週間ほども旅行して、日本に戻れば、家中のものから「臭い」と鼻つまみ者にされ、着て帰った服などは捨てられてしまい、お風呂に入っても、臭さがとれていないと非難されたものでした。

 その時は、もう、その臭さに(自分の)身体が慣れてしまっているものですから、何が臭いのかも判らず、またどうして自分の服が捨てられてしまうのかも判らず、ただ「新しく服を買ってやるからね」という言葉に素直に頷き、言われるままにしていたのですが。

 「街の匂い」というものも、「文化」の一つなのでしょう。中国の北京などは、ニンニク料理が多いおまけに、油も、当時はいいものがそれほどありませんでしたから(庶民が食べられるものとして)、普通の日本人から見ると、「臭い」となってしまったのでしょう。

 ところが、北京にいる時には、他の国の人から、「味噌の臭さ」を責められ、「アタリメ」などを作れば、「ここから、死体の匂いがする」なぞと鼻をクンクンされたものでした。

 日本人は、自分達(の身体)はそれほど匂わないと思っているのですが、それは一種の思い込みに過ぎず、他の国の人たちからすれば、やはり「匂う」のです。しかも、それは決していい匂いではない…。

 アフリカ出身の男性達は、みな「香水(と言っていいのかどうなのかは判りませんが、匂いのきついものです)」を、大量に使い、それから、登校していましたから、この匂いに負けて、日本人など、自分を無臭であると思い込んでいたのでしょう(一人でもひどいのに、彼等は一人では、あまり動かないのです。常に2、3人以上が一緒ですから、匂いも倍々ゲームのようでした)。

 ところが、日本人の匂いについて、言われてしまったのですよね。「味噌」と「烏賊」がだめみたい…。どうも、この二つが彼等には我慢のできない匂いであったようで、「味噌汁」を飲むと、「臭い」と言われ、「アタリメ」を作る(スルメを焼く)と、避けられ、最初は(こちらも)途惑ったものでした。

 私がいたのは、大学の留学生楼でしたから、多くの国の人たちが集まっていました。だから、「匂い」一つにしても、様々な物語が生まれていたのです。

 そして、今、日本にいる留学生達。

 インド系の人たちや、アフリカ系の人たちは、時々「香水(か、何かわかりませんが)」らしきものを使うことがあるようです。が、東アジア、東南アジアの人たちは使わないようです。これもきっと母国での習慣、親の躾なのでしょう。

 日本人は、自分の身体が匂わないことを願っている。けれども、もし、匂いがするとすれば、それは秘やかなもので、しかも、自然の木々の匂い、花々や草々の匂いであることを願っている。

 あくまでも、それは「微かな」ものであることが前提であると、思っていました、私は。

 けれども、昨今は変わってきたようで、街で、時々、ぷ~んと、通りすぎただけできつい匂いをさせる人もいるようです。

 昔は体臭を消すために、お香の匂いを移したり、薫り袋何ぞを胸もとに秘めたりしていたものですが、今時の香水は、一旦つけ始めると、だんだん限度がなくなるようです。つけていくうちに、自分で匂いに慣れてしまい、いくらつけても匂いがしていないような気になるのでしょう。

 やはり、度を超さない、「ほのか」というのがいいようで、特に、いろいろな土地から集まっている人たちが、一つ教室で学ぶとなりますと、何事であれ、少しでも「度を超す」と、途端に「摩擦」が起きてしまいます。

 もしかしたら、その「限度を知る」ことも、この(日本語学校にいる)2年間の「学び」の一つなのかもしれません。

日々是好日
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「浅草へ行ってきます」。

2014-04-25 08:24:31 | 日本語の授業
 晴れ。風もなく、いいお天気です。まさに「行楽日和」。

 今日、皆で「浅草」へ行って参ります。

 「行徳駅」から、「東西線」で「日本橋」へ行き、それから「銀座線」に乗りかえて「浅草駅」へ向かいます。ただ、人数が60名を超えるかも知れず、乗り換えで落とす人が出てしまうかもしれません。「みんな、しっかりついてくるんだよ」とは言っておきましたが、「初級クラス」は、やっと「ひらがな・カタカナ」が終わったくらいですから、ちと心許ない…。

 ということで、昨日、二年生のベトナム人学生とスリランカ人学生に頼んでおきました。二つの国から来た新人達の面倒をみてくれるように。多分、大丈夫でしょう。上のクラスは(私が頼りないので)、頼んで置きさえすれば、いつも彼等が見ていてくれるのです。

 そういえば、一昨日、午後の授業が終わった時のことです。教室に残って後片付けをしていると、スリランカ人学生が三名玄関外に残って何か話をしていました。そこに、卒業生が降りてきたので、聞くと、ビザの更新のための書類を取りに来たと言います。こりゃあ、幸いとばかりに、新入生への注意を通訳してくれるように頼みます。

 四月生はスリランカ人学生が四人もいるのに、他のクラスが午前(午後のクラスは彼等だけです。午後にもう一つあるのですが、そこにはスリランカ人学生はいません)と言うこともあって、伝えたいことが、なかなか伝えられないでいたのです。本当は叱りたくても、それがうまくいかないだけなのですが。

 早速、授業中、私語を慎むように伝えてもらおうとします。

 前に行ったことのある、スリランカの学校では、ある一学年だったと思うのですが(もしかしたら他の学年も含まれていたかも知れません)、長っ細い教室に、Aクラスは南向き、次のBクラスは北向き、その次のCクラスはまた南向き、その次は北向きというふうに、教室の仕切りがないまま、ずっと繋がっていたのです。

 教卓のそばとか、教師の近くに座っている子どもは勉強していたような気がしますが、少しでも離れてしまうと他のクラスの子とだべったり、隣とくちゃくちゃ話していたり、何をしていても、それほど教師は叱責しているようには見えませんでした。

 自由と言えば自由、大らかと言えば大らかなのですが、このノリで、この学校でもやろうとすると、ちょっとねえとなります。

 授業中は話さない。先生がホワイトボードを向いた途端にペチャクチャするのはだめだ。授業中、スマホで遊ばない。云々。

 彼は、最初、(私が言うことを)聞くだけで、なかなか通訳しようとはしませんでした。「言ってって言ったでしょ」と言うと、「先生、大丈夫です。判っています」と言います。「いいえ、判っていません。言って下さい」ともう一度強く言いますと、不承不承というか、言いにくそうに、残っていた三名に、一言二言、つまり、短く言ったのです。

 スリランカもそうですが、インドでも同じような光景を見たことがありました。

 新しく来た学生に注意をしていたのですが、なかなかわかりません。それで、インドの南部から来ていた二人の学生に通訳を頼んだのですが、これがおかしいのです。二年生で日本の事情を知って、彼に教えてやろうという学生の方が、怖ず怖ずとしている感じで、何にも判らないであろう新米の学生の方が偉そうにしているのです。

 「えっ。これって…。もしかしたら」と思いましたので、すぐに中断して、その時は、二年生を帰らせました。

 その他にも、ずっと前のことですが、この近くの公民館でボランティアの方が、食事会をしたときに、とんでもないことをするインド人女性がいたと、中国人から聞いたことがありました。

 インド人二人の隣に座っていたのが退職した老教授。彼はきっと親切な方だったのでしょう。だから日本語のわからない女性に英語で話しかけたり、親切なことをしてやったりしたのだと思います。それで、どうもその二人は、自分達が彼よりも「上だ」と思ったらしい。

 手を伸ばせば届く距離にある食べ物を、彼に(目で合図して)取らせたり(もちろん、皆で作って、あるいは持ち寄って、それを一緒に食べるという形を取っていたそうなのですが)、当然のことながら、一緒に作りもしなかったそうです。

 最後にこの老教授がたまりかねたと見えて、「手が届くんだから自分で取りなさい」と怒鳴ったと言います。

 こういう人は親切にしてやれば、すぐに自分が(階級か身分が)「上」だと思い、他者に傲慢な態度を取ってしまうのでしょう。

 気の毒なと言えば、確かに気の毒なのですが、それを日本でやるのですから、こちらはたまりません。

 インド圏には、時々そういう風が見られますので、スリランカの彼等もそうかと、ちょっと様子を見た後、ためらって止めたのです、注意させるのを。

 けれども、彼等はだいたい同じ階層出身のはずだから、そんなことはない…と思うのだがと、見るともなしに、また彼等の様子を見ていると、大丈夫でした。卒業生に、来日したばかりの学生がアルバイトのことを訪ねたようでした。聞かれた卒業生は彼の電話番号を教え、何かあったら連絡するように言っていた…と見えました。

 そして、昨日、スリランカの三人の男子学生、一人は一列目に、残りの二人も離れた席に座っていました。そして、当然のことながら、授業中、(昨日は)シンハラ語の私語は聞こえませんでした。

日々是好日
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「初級の授業」。「猫友」。

2014-04-24 08:25:23 | 日本語の授業
 晴れ。

 今は、少し雲が出ていますが、直に消えてしまうでしょう。晴天。

 今朝は、昨日の朝よりも少し寒いような気がしますが、お日様が上がるにつれて気温がグングン上がっていくだろうとか。この服では暑くなるかもしれません。

 先日も、朝が冷えたので、つい厚着をして出てしまいました。午後のクラスの授業の時に、汗を掻き掻き話していると、学生の一人が「先生」と呼びかけて、ティッシュを渡してくれました。しゃべっている方は、もう話すことに夢中になっていますから、自分が、手で汗を拭き拭き話していたなんてこと、覚えちゃいません。

 けれども、学生のこの反応に、はっと…したのもつかの間、また「おりゃ、おりゃ」とやってしまいました。

 授業が終わってから、先程の学生、「大丈夫?」。「はい、大丈夫です(いつものことです)」。

 日本語学校の学生というのは、学生とは言いながら、年齢も様々なのです。このクラスでも、40才を超えている人もいれば、まだ17才という人もいます。高校生くらいであれば、こういう留学生の中にいても問題ないのですが、これが小学生や中学一年生くらいですと、ちょっと、考えますね。

 実は、時々、そういう相談があるのです。子どもを母国から呼びたい。ついては、夏休みや春休みの期間、一度日本に呼んで、日本語を学ばせたい。そういうクラスはないかと。

 きっと、どこかに、あることはあるのでしょうが、それでクラスが作れるほどの人数が集まるかということ、それはちょっと、心許ない限りです。

 そういう小さい人の場合、殆どは、(入学してから)小中学校の学校内で対処しているので、「一ヶ月か二ヶ月だけ、そういうクラスに入れて」というのは、成立しないでしょう。しかも、子どもの言葉と大人の言葉は違いますし。

 そういう場合は、結局は知人に頼んで、マンツーマンでやってもらうしかないのでしょう。が、簡単な日本語なら、幾人かの子どもと遊ばせておいたらいい。遊んでいるうちに自然に身についていきます。そして、おそらくは、そういう日本語の方が子どもにとっては役に立つのでしょう。何事によらず、また年齢に関係なく、「勉強する」よりも、「遊ぶ」方が楽しいものですから。

 さて、学校です。

 「初級クラス」、二度目の授業です。まだ一ヶ月に足らぬというのに、ホコリが中を漂っているような感じで、三列目と四列目(なぜか、皆、男子学生。一列目、二列目は、一人を除いて、皆、女子学生。よくぞこれほどうまく分かれられたものだ!!!)の学生達、右を向いていたり、左を向いていたり、下を向いていたり、「おい、こら。授業だぞ。遠心力が働いて、心をあっちにやってしまったわけじゃあるまいし」と思わず心の中で罵ってしまいました。

 学生達がこちらを見ていないのです。この「私が指さす一点」に集中していないのです。私を見ていないのです。皆がこっちを見ていないと、授業の時は、腹が立つ。

 で、ギュウッと、一人ずつ、(あっちこっちを見ている学生を)潰しにかかります。こういう状態になっている場合は、少しでも、「空ける」「(こちらが)油断する」と、途端に母国語でザワザワやり出すものなのです。ホワイトボードに紙を貼ったりするために後ろを向いてもだめ。ものを書くためにホワイトボードを向いてもだめなのです。声が聞こえてくるのです、ザワザワザワッと。

 ところが、「初級」というのは、四六時中、何かを貼らねばならないものなのです。後ろを向けば、得たりとばかりに(学生は)しゃべり始める。かといって注意しようにも、まだ「初級」の4課に入ったばかりですから、日本語がわからない。で、「ガンをつける」くらいの、わる~い目つきで、グイと睨みつける。「話したのはいったいだれだ」とばかりに。それを繰り返すと(もちろん、それだけじゃありませんが)、10分ほどでベトナムの学生が私語を止め、こちらを向き始めた。まあ、一人怪しいのがいたのですが、それでも、初めよりはまし。

 最後まで聞こえていたのが、スリランカの学生たちの声。たった三人しかいないのに、往生際が悪い。さすがに、もう、ヘラヘラとした態度はとらなくなりましたが。

 というわけで、「遊び」を入れなかったために、気がついたら、「4課」の「B」が、最後の一つとミニ会話「C」の一つを余すだけとなっていました(単語だけは、入れてもらっていました)。それで、内心、しまった。しまったと思っても、今さらブレーキが利きません。しかも、リズムよく流れたので、授業をしている当方としては、非常に気持ちがよかった。疲れたけれども。

 それでも、ちょっとは明日の分に取っておかねばならない…と思ったこともあって、ちょっと「遊んで」しまいました。

 前に座っている一人のベトナム人男子学生。声が小さいのです。で、「声が小さい」と言い、その真似をしてみると、後ろから、ベトナム人男子学生が「先生。猫。猫。○○さんは猫です」と大喜び。

 折良く、そこに黒猫が通りかかりました。「○○さん、友達です」「違います」という声と「そうです」という声が入り交じり、さっきまで、ぴーんと張り詰めていた空気がホッと緩みました。そうですよね、あのまま終わると、互いに困る。猫が通りすぎたので、単語の復習をしていると、また猫が戻ってきました。そしてちょうど道の向こう側に腰を下ろしています。

 「○○さん、友達がまた来ました」。立ち上がってみる者あり。笑う者あり。まあ、それでも楽しく終わることができました。

 どちらにしても、昨日の勉強は今日はあらかた忘れているでしょうから、また復習をしていかねばならないのですが、特に「9」「4」「7」などの読み方は要注意ですし。

 まったく、語学というのは、繰り返しが何よりです。毎日、学校に遅れずに来られるというのも、これも能力の一つなのです。

 新入生のクラスに行くたびに、お腹の中で「いいか。休むなよ。休むなよ。初級の間だけはどんなことがあっても休むなよ」を繰り返しているのですが、私も。

日々是好日
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「新緑の候」。「山歩きはいかが」。

2014-04-23 18:31:17 | 日本語の授業
 晴れ。

 水の中にストローを入れ、息を吹き込むと、ブクブクと泡が立つ。そんなプクプクとした雲が青空の大半を占めています。けれども、(雲が)白いということは(黒雲じゃないわけだし…)、さすがに、もう、今日は雨にならないでしょう。

 昨日は、陽も出ていたのに、午後の学生達が帰る頃に、また雨が…ポツリとやってき、それが、6時頃にはすでにザアザア降りになっていました。

 とはいえ、雨の日の翌朝、空気の清々しいこと。多少寒くても、いい気持ちです。昨日、自転車を置いて帰ったので、今朝は徒歩での出勤でした。緑が爽やかで、五月の連休を利用して、山に行っていた頃のことを思い出します。

 「新緑」の頃の山は、「緑滴る」美しさ。今年もこれを見ることが叶わぬかとちょっと悲しいのですが。

 それで、というわけではないのですが、「Aクラス」で「奥多摩」の話を少ししてみました。
「青梅」から出ている「青梅線」に乗ると、乗っているだけで、緑の包まれたような気持ちになれるということ。
車窓から山の姿や渓谷の様子が見られるということ。
山に登らなくとも渓流沿いを散策するだけでいい気持ちになれるということ。
気が向いたら降りていって、山から転がり落ちてきた大岩小岩の上でのんびりするのもいいということ。

とにかく、山の気を吸って、気分転換ができるということなど。そんなことを話してみました。

もちろん、いくら二年生とはいえ、まだまだアルバイトに追われている学生達です。行けるのは彼等が大学生になってからでしょうが、近場でも自然の中にいるようなそんな気分になれるところが、東京近郊にも随分あるということを知ってもらいたかったのです。

東京には、「タヌキ(狸)」もいますし、「クマ(熊)」もいます。ほんの少し足を伸ばしただけで、森林浴もできるのです。

同じ場所に通うというのがお勧め。春よし、夏よし、秋よし、冬よし。一月から十二月まで、いつでもいいのです。もちろん、街暮らしが好きな人はこういうところが苦手なのかも知れません。日本の小都市で育ってみれば、ちょうど中間ですから(田舎でも大都会でもない)、こういう居心地の良さを知るのも、ある程度年を取ってからのことでしょう。

大都市はいざ知らず、中小都市では、こういうところへ行くのは(交通が)不便なのです。車を持っていない限り、ちょっと遠出をするというわけにはいきません(だから、田舎の人はみんな車を持つのです)。

その点、大都市は便利です。一日中、ビルの中で、コンピューターに向かって作業をしている人たち、あるいはリタイヤした人たちが、自家用車ではなしに、電車に乗って、歩いて、行けることを望んでいるのですから。希望者が多ければ、需要と供給の関係で、提供する機関や人が出てきます。で、ますます便利になるのですよね。

高尾山も、最初ならいいかなと思ったのですが、なにせ、最近は人が多くて、ゆっくりできはしません。本当に街を歩いている恰好で若者が来ているのですから。

この学校を卒業して、大学に入った学生が時々、沖縄に行ったとか、長野に行ったとか言って訪ねてきてくれます。ただこれはちょっと大変な旅行。朝行って、夕方には帰って来られる、こういう近場のハイキングのほうが、彼等(日本語学校の学生や進学した学生)にとっていいような気がするのですが、それでも、今、一歩は踏み出せないようですね。

行ってみれば、日本には一人で山を散策している人がたくさんいることがわかって、安心するのでしょうけれども。

日々是好日。
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「集中力…いくらなんでも、30分で、お、わ、り…なの」。

2014-04-22 14:36:00 | 日本語の授業
 晴れ。

 きれいな青空が広がっています。雲一つない…かなと、雲を探してみると、ビルの上にさっと刷かれたような雲が一片、そしてこれもまた、薄い薄い欠けた月が…。

 「菜種梅雨」とでも言いたくなるようなシトシト雨が続き、しかも桜は散ってしまったというのに、「花冷え」までが続きました。今日は久しぶりで春らしい暖かな日になるとのことですから、楽しみです。

 さて、雨のことです。

 日本人は、天気予報を見るのを日課にしている人も多く、「昼頃、ザッと来るってよ」とか、「夕方に雨が降るかもしれないって言っていたから、折りたたみを持って行った方がいい」とか、朝の「おはよう」の挨拶の次に来るのが、こんなお天気の話なのです。

 もちろん、この頃でも、1、2週間、晴れの日が続くことはあります。けれども、やはり雨の日も多いのです。だから油断大敵。少しでも遠出をするつもりならば、折りたたみ傘は必需品。

 細長い島の中央に山が背骨の方に連なり、それに沿って尾根あり、谷あり、渓谷あり、流れの速い川有りですから、あっという間にお天気が変わってしまうのです。しかも昨今は海風の流れをビルなんぞが遮っているところもあり、いよいよ風の流れ、水気を含んだ風の流れの予測が難しくなってきています。

 とはいえ、古来にも「馬の背を分ける」と言われていた夕立。これも、ほんの少ししか離れていないのに、濡れているところとそうではないところがはっきりと分かれているのですから、大変です。

 だから、毎日、天気予報を見て、それから傘を持っていくかどうかを決めるというのがとても大切なのです。

 昨日はそんな感じの日でした。午後の学生達の中には、「(出てくる時)雨が降っていなかったから傘を持って来なかった」という人も少なくなく、ちょうど雨粒が大きくなったところに、授業の終わりが重なったものですから、玄関先で、みんな、団子になってしまいました。

 南からきている、ベトナムやスリランカの学生達は、少々雨が降っていても、平気で出ていきます。ところが、北から来ている中国人の学生は途惑ってしまうようです。やはりこれも生い立った風土が関係しているのでしょう。

 それに、日本人と結婚している外国人は傘を持っているのに、そうではない外国人は傘を持ってきていないというのも興味深い。彼等(彼女)の配偶者は、たとえ外国人でも、結構、日本語が使える人たちです。それなのに…天気のことを相手に注意しないとは…、ちょっと面白い…。

 さて、学校です。

 学校では、少しずつ、ベトナム人の学生達が落ち着いてきました。が、そうなりますと(これまでは、ベトナム人学生がらみの問題が多かったのです)、スリランカ人学生の集中力のなさが目立ってきます。授業中、30分と持たないのです。かといって彼らに合わせて細切れに授業をするわけにも行きません。ザワザワザワと常に私語をさせておいて、授業と称するわけにも行きません。で、結局、普通の授業をしてしまうのですが、…これが、持たない。ボウッとして外を見てしまったり、(携帯を使っていれば取り上げるので、授業中携帯を見るわけにはいきません)、…あまり、母国で、きちんと勉強したことがないのでしょう。

 それに、相手をしてやっている(話を一方的に聞いてやったり、おだててやったりしている)間はいいのですが、それを止めてちょっとでも注意すると途端にプイとなってしまう人もいるのですから。

 なかなか長時間(90分で一コマです)勉強させるということが難しい。こういう状態で二十年以上も母国で育って来ているのですから、日本に来たからといって、急に変えさせることは、当然のことながら、至難のワザ。結局は、母国でやって来た通りに、日本でもやっていくしかないのでしょう。

 しかしながら、せめて、1時間でもいいから、ちゃんと勉強してくれないかなと思ってしまいます。宿題をせよとまでは、もう言いませんから。もちろん、それが出来る人もいるのですが、大半はできない。すぐ飽きてしまいます。

 飽きたらどうするか、とにかく面白いことを言ってみんなに笑ってもらおうとする。私たちからすると、面白くも何ともないのですが。スリランカ人が多いクラスだと、シンハラ語で言って、それで周りがワッと笑って、それから、ザワザワザワと私語が広がる。多分、スリランカでは授業もソンナンでしょう。暑い国だから大半の人がダラッとして、そうしなかったら、もしかして、生きていけないのかも知れません。それを日本でもやろうとすると、これは顰蹙ものなのです。みんな気分はいい人達ですから、このギャップがすごいのです。

 でも、留学生ですからね。勉強しに来ているんですからね。それを忘れないように。

日々是好日
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「日本語を介して、日本を知る…ということは、日本語のレベルが上がらなければ、知識も殖やせない…」

2014-04-21 14:49:06 | 日本語の授業
 小雨。戻り冬のような寒さです。ダウンをしまうのが…早すぎた…。

 土曜、日曜と、寒い日が続いたのに、(しかも、今朝も寒い)街では「フジ(藤)」の花が真っ盛り。街路樹の下では、「ツツジ(躑躅)」の花も真っ盛り。

 今年は、ちょっと早いような気がします。「桜前線」が、関東から東北地方に移り、多分5月の連休の頃、北海道に達するでしょうが、関東地方を出たと思ったら、あっという間に、「ハナミズキ(花水木)」やら、「フジ」やら、「ツツジ」やら、道を彩る花が満開になっています。

 本当に、ちと、はやすぎるような…。この分で行くと、駆け足で夏に至り…、夏がグッと長くなるのかも知れません。寒いのも嫌だけれども、「酷暑」も困るなあ…。

 さて、学校です。

 今年は、日本語を勉強したいという在日の方が多く、(大半の方は「日本語一年生」ですから)、初級の教室がもうパンパンになっています。

 中には、こういう学校と、市井の、週一の「日本語教室」との区別がつかずに、「えっ、ここには留学生もいるのか」と驚く人までいます。

 「…だからァ、ここはおしゃべりを楽しむのではなくてェ」とか、「おしゃべりをしながら、日本人と交流するというところではなくてェ」とか、言いたくなってしまうのですが、そこはグッと堪えて、にこやかに応対しています…(ホントかな)。

 留学生を入れると言うことは、責任も生じますから、日本語を教えていくと共に、日本の習慣や文化にも触れ(もちろん、日本語を介してですが)ていかねばならないということです。そうでなければ、「日本にいた」だけ、日本語学校の学生であれば、ただ「二年、日本にいただけ」になってしまいます。

 この「日本語を介して」ということがミソで、日本語ができなければ、結局は日本のことが何もわからぬまま「いた」ということになってしまいます。もとより、日本語ができてから後は、各自の感受性や適応力、また日本文化との相性などが、関係してくるのでしょうが。

 まあ、こう言いましても、進駐軍は(日本語ができなくても)大丈夫でしたけれどもね。また大金持ちは大丈夫でしょうけれどもね。進駐軍は「力」と「権力」で。大金持ちは、「日本語ができる者を雇う」という方法で。

 それでも、不思議なことに、異郷で暮らしていると、「どうして」とか、「なぜ」とかいう疑問を持つようになるのです、その地で生きている人々を見て。これはどこでも同じでしょう、生まれ育った地でなければ。

 「どうして、こうするのだろう」と思ったり、「なぜ、あんな顔をしたのだろう」と思ったり、そして、それが重なれば、知りたくなるのです。また判りたくなるのです。それが人間という動物なのでしょう。そう思い、またその手段を求めると言うところが。

 学校では、彼等がそう思う前に、つまり、初めて学校へ来た時に、幾つかのことを知らせておくのですが。これは「危険なこと」とか、「知っておかなければ、不愉快な思いをするであろう」とかいった類のことなのですが。

 それから、日本語のレベル、理解力に応じて、(そういうことを)増やしていきます。ただ留学生の殆どは、アルバイトをせねば生活できないので、アルバイト先でのことを聞きに来る者もいます。

 もちろん、日本語がある程度できる者であれば、説明もしてやれるのですが、そうでなければ、皆がやっているようにやれとしか言えません。

 およそ日本語学校と名のつくところでは、皆、そうやっていると思います。日本語の勉強だけをすればいいというのではないのです。

 「『初級レベル』が終わって、『中級レベル』に入ったから、こういうモノ(日本文化の一つ)を見せても大丈夫(わかる)だろう」とか、「まだ『初級レベル』だから、こういうものは、見せても判るまい。それよりも先に文法を一つでも多く勉強させておいた方が良いだろう」とか。日本語のレベルに応じて、知らせられること、見せられるモノも違ってきます。

 そうは言いましても、在日の方は違います。テレビを見たりして、その人なりの知識は留学生とは違った形で増えていきます。同じように「日本語ができるようになりたい」と言っても、目的が違うのですから、それも当然なのですが。留学生達は、「学ぶ」ためにきているのです。日本語を学び、専門学校や大学、大学院で専門的な知識、技術・技能を学び、それから、日本の会社に入るというのが目的なのです。

 まあ、学生達の国が一つではない方がいいように、目的も一つではない方が、勉強に膨らみが出ていいのかも知れません。

日々是好日
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「サツキの季節」。「少しずつ話を進めていく…」。

2014-04-18 08:45:00 | 日本語の授業
 雨。

 もう小雨が降り始めました。今日は一日中雨になるとのこと。乾燥でバリバリになっていたあちこちの人間達の心も、少し潤いが戻るでしょうか。

 街路樹の下の灌木、「サツキ(杜鵑花)」が蕾を開き始めました。真っ白な大振りの花が、シトシト雨に濡れているのを見るのは、とても気持ちのいいものです。

 そういえば、「ハナミズキ(花水木)」の花も咲いていました。今年は「サクラ(桜)」が満開になるのとほぼ時期を同じくしていたせいでしょうか、全くと言っていいほど気がつきませんでした。可憐な蝶のような花びらが空中に舞っているような具合ですのに。

 郊外へ行くと、「ナシ(梨)」の花が真っ盛り。知人によると、「サクラ(桜)」が終わった頃、「ヤエザクラ(八重桜)」の頃に咲くのだとか。花は白くて、どこか「オオシマザクラ(大島桜)」に似ているような気がするのですが。

 古人は「なし(無し)」を忌み、「ありのみ(有りの実)」と言っていたとか。験を担ぐのは「いにしえ人」も、現代人も同じ。「茶柱が立った」と言って喜んでいた子どもの頃のことを時々思い出したりします。

 こういうことも、些細なことでありながら、人を元気づけてくれるものであることは間違いないのです。

 ずっと若い頃、買ったばかりのTシャツをきている時、「カラス(烏)」の糞の直撃を受けて、青ざめたことがありました。その時、きっと私の顔は、ショックで石のようになっていたことでしょう。

 すると、そばを通りかかっていた見知らぬ人が、「うん、うん。いいことがある。いいな、いいな。運がついたね」とさりげなく言って、通りすぎていきました。救われましたね。だって、全くの人中でしたから。

 こういう「迷信」はいいものです。マイナス転じてプラスとなる。禍福はあざなえる縄のごとし。本当にそうなのです。

 さて、学生達です。

 少しずつ日本語が上達し、それが、こちらの気持ちがわかる程度にまでなってきますと、私たちの方でも、話が長くなっていきます。それ以前でも、簡単なことは徐々に話を進めてはいたのですが、お国柄と言いますか、国民性、あるいは民族性ともいえるでしょうが、それぞれ、自分達の理屈があり、なかなか私たちの話が腹に落ちていかなかったのです。

 百万言費やそうとも、相手が得心してくれねば、それは無駄骨。で、結局、学生達の日本語の能力などを推し量りながら、機会を見て、いつも少しずつ話を進めていくと言うことになるのですが(つまり、いつまで経っても「初級レベル」の人には、そういう話をせぬまま、この学校を出さざるを得なくなってしまうのです)

 「日本(母国を離れての異郷)へ来たら、自立がまず第一」「お金の計算をきちんとせよ」「他の人にいつも金銭的な迷惑をかけるな」

 真面目に勉強していて、アルバイトも懸命にしている人がいるかと思うと、蟻とキリギリスのキリギリスのような留学生もいて、こちらがお金を大切に使えとか、働く(アルバイトをする)のは、進学するためだからとか言っても、馬耳東風、暖簾に腕押しなのです。

 アルバイトをした金は、いつの間にか、スマホ代や、服代、靴代、食事代(友達との大騒ぎや酒代)などに消えてしまい(我慢ができないのでしょう)、「学費」や「部屋代」を払わねばならない時には、いつも「お金はない。高い。高い」と言うのです。「教科書代」も払おうとしない学生さえいるのです。これも、(日本に来て)急にこうなったと言うより、彼らの国の親の躾(か、あるいは国の教育)の問題と思うのですが、不思議ですね。

 お金の計算が苦手な「スリランカ人学生」には、アルバイトが決まってから、最初に、アルバイトのお金を聞き、部屋代など、お金がなくて払えていなかった分を少しずつ足しながら払い終えるようにしていきますし、「3月分」は「2月に払う」と言うことがどうしても理解できなくて、いつも一ヶ月か二ヶ月遅れになっていて、最後に2月分を3月に払ってから、「みんな払った。終わった」と言い、最後の月の分が払い終わっていないということも理解できない学生もいて(ちゃんと月謝袋があって、判るようにできているのですが。こういう人は、証拠のモノよりも、自分の思い込みの方を信じているのです)学生もいて、お金の問題だけには頭を悩まされます。

 けれども、これも、日本語の能力が、日本語学校に、一年乃至、1年半ほどもいる間に、「N3」から「N2」の間ほどになれた学生には、殆ど必要ないのです。問題はそこまで行けない学生達なのです。そして、そういう人がかなり多い…。困ったことだ。

日々是好日
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「四月生の『入学式』」

2014-04-17 18:24:46 | 日本語の授業
 晴れ。

 明るい陽が射しこんでいます。昨日に比べ、空気が、少し冷たいのですが、けれども、部屋の中に入ってしまえば、暖かな陽射しの下、猫にでもなって、日向ぼっこがしたくなってきます。そういう、春の「のたりのたり」としたいい日。

 「サクラ」の頃は、なんだか、いつも雨に見舞われていたような気がしますのに、今日も、昨日に引き続き、乾燥しているとのこと。だんだん紫外線が気になる季節になってきました(この地でのサクラが終わりますと、天気予報のおまけとして、桜前線や開花予報などに変わりまして、「紫外線」予報が出ているのです)。

 「四月生」のクラスなど、声を張り上げて、練習また練習させなければならないので、すぐに喉が水分を欲してしまいます。その水を飲んでいるのを見ている学生も、きっと口がカラカラになっているだろうと思うと、ちょっと…飲みづらい。…けれども、背に腹は代えられぬ…で、飲む。

 昨日、初めて、四月生のクラスに入りました。ちょうど二十名。90分ほど教えて、いつものことながら、来日したばかりの人たち(在日の人も含まれていますが)は、それぞれ、既習の日本語の量と質が違っていこそすれ、「聞く力」不足は共通事項であることに納得。

 特に、ベトナムの学生達はそうなのです。そしていつものように、ベトナムの大卒者は一緒にやるということが苦手なのです。

 毎年、少数ですが、大卒のベトナム人学生が来ます。これがどういうものか、授業のとき、教師の話を聞かずに、自分で調べよう、考えようとするのです。

 これは一見良さそうにも思われるのですが、語学を学ぶ上で、大きな欠点でもあるのです。だいたい、まだ「初級」なのです。調べるほどのものなど、ないのです。それに、日本の学校では、調べたいなら、家でやれと言われるのが決まりのようなものでした。学校では、まず先生の話を聞けと言われて育ってきたような気がします。

 せっかく学校に来ているのに、日本人が日本語で話をしているというのに、ヒアリングが悪い学生に限って、勝手に自分で調べて教師の話をきかないのです。こんなことじゃ上手にならないよと思ってしまいます。

 ベトナム人の一つの短所は、総じて、「聞き取り」ができないということ。「初級」段階であれば、考えるとか調べるとか言うことよりも先に、「初級」レベルに応じた単語や文法を使って日本人教師が説明する、「言葉を聞く」のが、一番大切であると思われますのに、そうしないのです。

 その度に、こちらは「まず、聞け。調べるのはあとだ」と叫ぶのですが。

 だいたい「初級Ⅰ」の新出語なんて知れたもの。教科書についている「単語・文法の説明書」で、事足ります。だいたい、前回や前々回の課の単語を忘れて、思い出せないからと言って、いちいち調べる必要など、どこにもないのです。教師の説明を聞いていれば、「ああ、あれか」と思い出せないはずはない。一応、勉強し、その時に覚えているはずですから。

 学校にいて、授業に出ているくせに、(聞かずに)自分で調べようとするのです、いきなり。

 これは、彼等の国で、そういう習慣がついているからなのでしょう。こんなことを、「初級」であるにもかかわらず、やっているようでは、ますます、「聞く力」が、他の国の学生達に比べ、、劣ってしまいます。

 「『まず、聞こう』という態度」があるかどうか、そして、「『聞いたこと』を、自分の既習事項と絡めながら考えるという習慣」があるかないかが、外国で、生きていくための語学を習得していく上で、必須のことだと思われるのですが。

 そして、この学校で、ベトナム人学生に僅かに数の上では劣りますが、同じく30%程を占めている、スリランカ人。

 かれらは、ベトナム人学生とは反対に「耳」だけで生きているような人たちです。しかも、「書く」という習慣がないとしか思われないほど、「書かない」のです。

 中には、「読解」の授業であるにもかかわらず、(文章を目で追わず)最初に一緒に読んだ本文の記憶を頼りに答えていくような猛者までいるのです。その上、「読解」の授業なのに、ずっと教師の顔を見ているのです。その度に、「本を見ろ。私の顔には何も書いていない」と言うのですが。

 普通、私たちは鉛筆を片手に読んでいき、わからない点は線を引いたり、時には、人間関係などを図に描いたりして、理解しようとするのですが、それもなし。ウサギのようにただ耳だけを突っ立てているのです。

 ベトナム人学生は、スリランカ人学生に比べれば、読めると言えるかもしれません。もちろん、五十歩百歩と言われればそうなのですが。漢字も、百数十年くらい前までは、中国文化の影響下にありましたし、日本と違って(中国の)科挙に参加していたくらいなのですから。街を歩けば、漢字をよく見かけますし、漢字の名前が書かれた寺も少なくありません。もちろん、フランスの植民地時代に、普通の人が漢字を書けるなんてことはなくなってしまったのでしょうが。

 そして、現在のところ、この、スリランカ人学生とベトナム人学生が、この学校の70%ほどを占めているのです。「聞く力に難あり」グループと、「聞く力だけは強者」のグループと。なかなか一緒に勉強させていくのは難しい…。いえ、難しいと思っていたのです。ところが、それがそうではなかったのです。

 最初は、本当に、この二つの国の人たちを一つ教室で教えていくのは難しいと思っていました。

 今、「Aクラス」では、ベトナム人学生もスリランカ人学生も同じように勉強しています。一つクラスにいて、少しも問題ないように感じられるのです。それはきっと、このクラスのベトナム人女子学生たちの「聞く力」が、これまでのベトナム人学生達に比べて、勝っているからなのでしょう。

 やはり、真面目に勉強していれば、民族的な差というのはそれほど大きな問題ではなくなるのでしょう。要は、頑張れるかどうかなのです。

 今日、「四月生の『入学式』」をしたのですが、彼等もそうであることを祈っています。ただ、男子学生が多いので、ちょっと、その点では、望み薄かもしれませんが。

日々是好日
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「暖かく、本当に気持ちのいい一日です。こんな日が続くといいのですけれども…」

2014-04-16 14:35:36 | 日本語の授業
 晴れ。

 清々しい朝です。

 「タンポポ(蒲公英)」の「黄」が、道端を彩っています。「ナノハナ(菜の花)」、「ナノハナ、ナノハナ、一面のナノハナ」と詩に謳われていたように、なぜか「春」は、「桜色」というよりも、「ナノハナ」や、「タンポポ」の「黄」で代表されているような気がするのです。もちろん、野山は、いつも、たくさんの(自然の)色に溢れているのですけれども。

 ただ、寂しいのは、最近、街で、「スミレ」の「紫」を見る機会が少なくなったこと。時折見つけても、かなり白っぽかったりして、私の知っていた、「茄子色の紫」ではないのです。

 「タンポポ」の綿毛が飛ばない限り、春が終わったような気がしないのと同じように、「スミレ」を見ないと、どうも困ってしまうのです。なにせ、春は、「サクラ」「ナノハナ」「タンポポ」「ツクシ(土筆)」、そして「スミレ」がなくてはならないのですもの。

 「春は終わった?」「まだまだ。だって、まだ『ツクシ』を見ていないから」。

 この「ツクシ」のところに、先に述べた、「ナノハナ」を入れてよし、「スミレ」をいれてよし…。というわけで、「サクラ」の季節は終わっても、「スミレ」の「紫」を見ていない私にとって、「春」は、まだ終わっていないのです。

 とはいえ、街では、「ツバメ(燕)」が飛び交い、小鳥たちの囀りが喧しくなってきました。知人の家でも、毎年来ている「ツバメ」夫婦が、今年も数度、様子を見に来たとか。今日のように寒さを殆ど感じなくなってしまうと、「更衣」の季節が来たような錯覚に陥ってしまいます。

 さて、学校です。

 春休みが終わったばかりだというのに、「ゴールデンウィークですね。休みは?」という声が二年生から聞こえて来ます。それで、知らん顔して、
「赤い日だけ」と言うと、
「ええっ(そんなはずがない)」
「本当は、4月28日は特別に休みにしますが、あとは変わりなし」と言うと、
「おかしいです。他の学校はみんな、ずっと休みです」
「(ふむ、ふむ、そんなはずがあるものか。その手は桑名の焼蛤)へえ、そうですか」

それでも、学生達はしばらく、しつこく、頑張って、「先生、休み、休み」と言い続けていましたが。

 (春)休み明けとあって、中には、かなり「口が動かなくなった」学生も、チラホラ。これで休みがこれ以上続くと、どうなることやら。正直なことを言いますと、私の方がずっとこわいのです。

日々是好日 
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「新学期。『初級Ⅰ』のクラスでは、席取りが熾烈になりそうな…」。

2014-04-15 08:34:02 | 日本語の授業
 晴れ。
 5月並みの気温という話を真に受け、そのまま朝、うちを出て…失敗。風は、まだまだ「卯月の風」。冷たい…。

 とはいえ、若葉が風に光って、美しい。

 つい、この間まで、「桜、桜」と騒いでいたのが嘘のよう。もちろん、「桜好きさん」は、5月の連休頃まで桜を求めてさまよっているようですが。「桜前線」が津軽海峡を越え、北海道に渡り、そして彼の地の桜が散りはてるまで…。多分、こういう人は、桜が、列島から散り果てれば…、今年も、もう、することがない…となるのでしょう。翌年の桜の蕾が膨らむまでが、いわゆる「充電期間」なのです。

 こういう生活は、まるで「リオのカーニバル」。日本式に言っても、それこそ「在所の祭り」とおんなじ。正に桜はそれ一つで日本中を祭りの坩堝の中へと追いやることのできる、そういう希有な存在なのです。

 さて、学校です。

 昨日は「始業式」ということもあって、新入生のクラスでは、テンヤワンヤ。以前に一度しか電話がなく、来るか来ないか、はっきりしていなかった在日の方が、「あれれ」という間に続々とやってきて(「続々」と言いましても、10人ほどですが、初級クラスでは留学生が15人ほどもいますから、ちょっと大変なのです)…「教科書がない」(申し込んでいないので、当然、こちらも書店には頼んでいない)となる。

 しかも、タイあり、インドあり、フィリピンあり、中国あり、シリアありと、いろいろな国から来ているのです。当然、言葉も違います。共通語は日本語しかないとはいえそれでも、最初の最初は、母語による「単語、文法の翻訳本」が必要になってきます。もっとも、そう言いましても、彼等の国の言葉があるとは限らないのです。また、それが出版されているとも限らないのです。

 はっきり(来ると)判っていれば、いいのですけれどもね。毎度のことですが、蓋を開けてみるまでは(当日になるまでは)、判らない。しかも、在日の人は様々な理由があり、1か月で来なくなったりするものですから、どこか予測が立てられないところがある。

 まあ、それはそうなのですが、今度の在日の方はどうも、皆、真面目そうで、どこか今までとは違っているような。…それだけに、席取りが、ここ1、2週間は熾烈になりそうです。

日々是好日
コメント
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